投資の世界では、カタリストは、バリューとの関連で比喩的に使われる用語です。バリューとは、資産の価格が資産の価値を下回っている部分のことをいうのです。詳しくは、1月14日のコラム「価値と価格とインカムとバリュー」を参照ください。要は、価値よりも価格が安いのだから、割安だということであって、バリューは割安と訳されるのが普通です。
さて、問題は、割安のままでは、バリューは実現しないということです。投資手法としてのバリューは、価格が価値に向かって動いていく、その価格の相対的上昇を狙うものだからです。バリューという状況には、市場に内在する力によって自律的にバリューが解消に向かう、つまり、価値へ向かっての価格の相対的上昇が起きる、ことが予定されているのです。そうでなければ、バリューという投資の考え方は成り立ちません。
さて、カタリストという化学の言葉を用いた比喩は、このバリューが解消に向かう動きを化学反応に喩えた上で、その動きの「反応速度に影響する働きをする」ものを意味しているのです。この「反応速度」というところが重要なのです。理屈上は、バリューは、いずれは解消するのです。そう仮定するのが、市場原理です。ただし、投資の収益率にとって決定的な要素は、時間です。時間を縮める働きをするのがカタリストです。ですから、有効なカタリストを得ることは、バリュー投資にとって、極めて重要なのです。
実は、「万年割安」ということがあり得るのです。割安には違いない、バリューがあるには違いないが、そのバリューが実現するまでの時間が読めない、つまり、カタリストが働かない、そのような状況があり得るのです。
ところで、カタリストは、化学反応そのものではありません。「それ自身は変化せず」というのが、カタリストなのです。化学反応の可能性、即ち、バリューが解消していく道筋が見えていても、なんらかのきっかけ、即ち、カタリストがなければ、バリューは解消しないのです。このような、カタリストがないが故に、バリューのままで放置されることを、バリュートラップvalue trap(バリューの「罠」)といいます。解消しないバリューは、見かけのバリューに過ぎないという意味で、まさに、罠であるわけです。
原点に返って、そもそも、なぜに割安になってしまうのか、なぜバリューになってしまうのかを考えましょう。
バリューというのは、価格が価値(本源的な価値、理論的な価値)を下回っている状態なのですが、なぜ、そのようなことになるのでしょうか。実は、ここを徹底的に考えておかないと、バリュー解消の道筋が見えてこないはずです。要は、バリューになった原因を逆転させれば、バリューは解消するであろうと考えるのが、一番素直だからです。
バリューになった原因を逆転させるきっかけがカタリストなのだとすると、どこにカタリストがあるかを考えるには、そもそも、バリューになったきっかけを考えるのが、一番簡単でありましょう。何らかのきっかけでバリューに転じたのだから、その原初のきっかけの逆の方向に、バリュー解消のきっかけ、即ち、カタリストがあると考えるのが、素直なわけです。
多角化の失敗を例にとりましょう。
多角化というのは、どの企業にとっても、経営リスクの分散、既存コア事業の資源(技術、人材、ブランド、顧客基盤など)の有効な再活用など、様々な良い効果を期待できそうなことでしょう。ですから、多角化に傾く誘引は、どの企業の、どの経営者にも、多かれ少なかれ、あるわけです。しかし、現実には、多角化は成功するとは限りません。
多角化事業の収益化の遅れは、バリューの原因を作ります。本来のコア事業自体は、高収益であっても、多角化事業が足を引っ張り、その結果、企業全体の業績の低迷につながり、株式市場における評価を下げてしまうからです。つまり、コア事業の価値は変わらなくても、多角化事業と合算されることで、価格は下がってしまっているのです。
この場合、バリュー解消の一つの道筋は、多角化事業の撤退です。この多角化事業の撤退は、カタリストではなくて、バリューを解消へ向かわせる化学反応そのものです。カタリストは、多角化事業の撤退という経営の意思決定に働きかける作用素です。この場合、適切な経営判断が、カタリストなのです。ということは、そもそも、よく経営されている会社は、バリューにはなりにくく、仮にバリューになっても、カタリストは常にあるということですね。
適切な経営判断ができなければ、株価は低迷し、安い価格で高収益なコア事業を手に入れようとする外部の買収者に、格好の標的を提供することになってしまいます。ここでは、買収が重要なカタリストです。買収の後の、買収した企業による被買収企業の再編が、カタリストによって誘発される化学反応なわけです。
多角化の失敗は、わかりやすい例ですが、バリューに陥る原因は、他にも色々と考えることができます。企業が保有する資産の利用効率の低さも、代表例でしょうね。企業活動の評価というのは、モノを作って売る、モノを仕入れて売る、というようなモノの流れ(フロー)に注目するのも一つの方法ですが、一方で、その企業活動を支える資産(ストック、有形無形の様々な資産)の運用効率の側面に注目するのも、別な一つの方法です。
資産の運用効率が低いということは、不稼動資産を保有していることが経営効率を下げているのであって、そのような非効率を除去すれば、本業の収益性の高さが明確になって、株価は修正される可能性が高い、ということです。こういうときも、カタリストというのは、結局は、適切な経営判断や買収等になるのだろうと思われます。
話は飛びますが、新しい国際財務報告基準(IFRS、国際会計基準)は、会計方法の変更というよりも、もはや会計思想の変更ですね。フロー(P/L)よりもストック(B/S)を重視する思想への転換です。
つまり、IFRSの下では、従来よりも、資産の利用効率測定による企業評価の視点が、重視されてくるような気がします。
この資産の運用効率は、もともと、日本企業の代表的な問題点とされてきたことだと思います。日本株式市場の低迷の一つの原因なのかもしれません。株価が低迷してきたということは、カタリストがなかったということですね、IFRSの導入が、経営姿勢に影響を与えて、それがカタリストになるのでしょうか。
話が日本企業のことになりましたが、私は、日本の株式市場には、たくさんのバリューがあるのだと信じています。
しかも、そのバリューが解消に向かう道筋についても、概ね、議論が尽きているのだと思っています。なのに、カタリストがない。カタリストがないのです。2010年1月 7日のコラム「買収できない日本企業の株式の投資価値」は、買収というカタリストについて述べたものですが、ここでも、カタリストがないことを問題にしたのです。
結局、バリューはカタリストがないと実現しない。そして、カタリストが、より多く経営の問題である。だとすると、そもそも、カタリストがあるような会社は、バリューに転じにくい、バリューになるような企業は、カタリストがないからバリューが実現しない、ということになってしまいます。これでは、日本では、バリュー運用は成り立ちませんね。困ったことです。
困っていても仕方ないので、二つのことを考えるしかないでしょう。良い会社でも、自律的にカタリストがでてくるような良い会社でも、バリューになる状況というのがあるのではないか、ということ、これが第一。第二は、カタリストのないバリューに、どうしたらカタリストを作ることができるのか。これらの点は、また、別の機会に検討しましょう。
2010.2.4掲載:クレジット投資の魅力
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。