改めて問いますが、成長資本とは何でしょうか。
モノではありません。理念です。その名のごとく、企業の、ひいては産業の、地域の、そして日本の成長を、金融の正しい社会的機能によって実現していこうとする、理念です。
ちなみに、英語のグロースキャピタル(growth capital)から、私が作ったので、日本語としては、新語です。しかも、英語の意味とは、大分違います。どこが一番違うかというと、モノでも道具でも技術でもなく、理念であるところです。理念です。思想です。哲学です。
詳しくは、前々回のコラム「成長資本という理念に基づいて日本の成長を実現する会」と、前回のコラム「成長資本という理念」を、ご参照いただくのが、手っ取り早いです。あまりにも、壮大な理念なので、書き尽くせない。そこで、とうとう、三連続で、今回もまた、成長資本の話になった次第です。
なぜ、その成長資本の理念が、地域金融に結びつくのでしょうか。
前回コラム「成長資本という理念」の末尾で触れたことですが、地域経済においては、その地域の金融機関(地方銀行、信用金庫、信用組合など)が、金融の社会的機能の特別な担い手だからです。
特別な、という意味は、地域の金融機関の融資先は、その地域の中小零細企業が中心であると同時に、そのような企業は、必要資金の調達先が限られているので、その地域の金融機関に大きく依存せざるを得ない、という事情をさしています。
地域金融機関の融資先は、地域企業であり、地域企業の借入先は、地域金融機関なのです。このように、地域は、金融的に閉じています。この閉じた特別な関係性を、地域密着型金融(リレーションシップバンキング)というのです。
金融庁は、地域密着型金融の機能強化、ということをいっています。機能強化が課題であるということは、裏を返せば、機能しなくなっているということです。なぜ、機能しないのか。それは、地域金融機関の資金供給の方法が、原則として、融資に限られるからです。
なぜ、融資に限られると具合が悪いのでしょうか。成長資本というのは理念であって、その形態は何でもいいのだ、と、確か、そのような主張ではなかったでしょうか。
その通りです。融資でもいいのです。論点は、融資の定義といいますか、融資という名前の下に行われる資金供給の実質的機能にあります。もともと、厳密な意味での融資という方法では、地域の中小零細企業の多様な資金需要は、完全には満たせません。それは、昔も今も同じです。
例えば、創業支援融資などというのは、弁済の裏づけの不確かなものですから、本当は、融資というような形態はなじみません。創業支援というような資金需要への対応は、金融の機能分化論からいえば、ベンチャーキャピタルのような、別の仕組みのほうが相応しいのです。
一方で、地域金融機関は、原則、融資機関です。ですから、融資という仕組みに、多様な金融機能、実質的な出資の機能すら、もたせるように、様々な工夫がなされていたのです。例えば、弁済期がくるたびに、連続的に借り換えに応じるような融資は、厳密な意味で融資でしょうか。ほとんど半永久的に行われる融資の「転がし」は、事実上、出資です。でも、形式は融資です。
このような工夫といいますか、弾力的運用といいますか、要は、顧客(融資先)の視点にたった柔軟な姿勢は、昭和の時代には、地域金融機関に限らず、金融界一般に広くみられたものです。しかし、地域の場合は、何しろ、地域金融機関以外に資金源がないのだから、なおさらに、徹底した工夫が必要だったのです。
これは、過去の話ではありません。現在でも、信用金庫などには、創業支援融資の仕組みがあります。また、一部の融資の実態が、実質的には、資本に近いのではあるまいか、という指摘のあることは、よく知られています。
それが、今では、金融規制の強化とともに、融資の定義の厳格化が行われて、本来の融資の弾力性がなくなってしまった。だから、狭くなった融資の機能を補完する必要がある。この論点が、成長資本の理念ということですね。
まさしく、その通りです。融資の厳格化を強力に進めたのは、金融庁です。預金取り扱い機関としての社会的責任、預金保護という社会的使命を重視すれば、預金の裏付けとなる金融機関の資産(融資、即ち貸付債権が中心ですね)の健全性維持は、金融行政の最重要課題にならざるを得ない、そのことは、よく分かります。とても、よく分かります。施策として、正しいでしょう。
しかし、この施策の一面性は、否定できない。この新しい規制環境の中で、地域金融機関が歴史的に果たしてきた金融機能は、どのように、維持すればいいのでしょうか。金融庁はいうでしょう。故に、地域密着型金融の機能強化なのだと。
では、地域密着型金融の機能強化のための具体的施策はあったのでしょうか。地域密着型金融の機能強化は、地域金融機関に対して発せられた掛け声に過ぎません。預金保護と、地域企業の多様な資金需要への対応と、この二つの両立困難な問題への対応は、全て地域金融機関の経営努力へ丸投げされています。
ならば、それでいいでしょう。むしろ、行政には期待しないほうがいいのではないか、とすら思えます。いまの金融庁の仕事は、事実上、監督と検査なのですから。そこで、成長資本の理念です。地域金融機関の融資は、今の新しい枠組みの中における融資の要件を満たすべきです。昔に戻るわけにはいかない。しかし、社会的金融機能は、昔のままでなくてはならない。
なるほど。だから、成長資本は、具体的な形態としては、「融資以外の全て」になるのですね。地域金融機関が対応できなくなった資金需要は、別な枠組みで補完する。つまり、そういうことですね。
ただし、主役は、地域金融機関でなくてはならない。地域の中小零細企業にとって、地域金融機関は、「全て」です。いや、全て、でなくてはならない。
おそらくは、これら企業にとって、必要資金の全体が、どのような構成になっているかは、本質的なことではないでしょう。一部が、地域金融機関からの融資で、残りの一部が、投資会社からの出資でもいいのでしょう。要は、その資金全体が調達できること、その調達を、地域金融機関が、全体として、取り纏めてくれれば、それで、いいのでしょう。
その、「全体として取り纏めること」、これは、いわゆる本来の投資銀行機能ですね。
いや、違う。理論的意味としては、そうですが、敢えて、投資銀行機能などという、今となれば、泥と手垢にまみれた感のある表現を用いる必要はない。
同様に、「投資会社からの出資」でいい。これも、今となれば、泥と手垢にまみれた感のあるファンドという表現を用いる必要はない。誤解の元です。
ところで、その出資ですが、一体、どのように回収されるのでしょうか。なんとなく、多くは同族の非公開企業で、上場の目処もないようなところに、出資する投資会社はないでしょう。
肝心要の論点ですね。しかし、もう、今回は、論じる時間はないでしょう。次回にしましょう。
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。