日本株投資の魅力

森本紀行
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敢えて、今ここで、日本株ですか。不人気というか、多くの投資家の関心の外にある感じの、あの日本株ですか。しかも、日本株には魅力があると。

 確かに、日本株というような括りで呼ぶと、いかにも冴えない感じですね。では、いいかえまして、日本の株式市場に上場している企業の一角には、少なくとも一角には、魅力のある銘柄があるはずだ、とでもしておきましょうか。
 そもそも、日本株というような抽象的なものがあるわけではないでしょう。あるのは、個別具体的な日本企業の株式です。したがって、日本株に魅力があるかどうかではなくて、どのような日本企業の株式に魅力があるか、という問題の建て方しかないのです。


しかし、「日本の」という限定は免れないでしょう。

 日本という国そのものに投資価値がないという議論はあり得えることですね。実際、人口が減少していく日本に、成長余力は見出し難い。成長のないところで株式投資が成り立つのか、これは深刻な問題です。
 それでも、日本の成長余力が乏しいということからは、必ずしも、日本企業に投資価値がないということにはなりません。例えば、エマージング経済圏の成長から大きな恩恵を受けている日本企業はいくらもあります。仮に日本の中に成長がなくとも、日本の外の成長に参画できる限り、日本企業には、いくらでも成長の可能性があるわけでしょう。
 エマージング経済圏の成長へ投資することは、現代の資産運用にとって、絶対的に必要なことだと思いますし、そのことに異論はないと思いますが、エマージング経済圏の成長への投資は、必ずしも、エマージング諸国の企業の株式に投資することにはならないでしょう。
 エマージングの成長は一つの投資の主題であって、投資の技術は、エマージングの成長に上手に参画する方法論の工夫にあります。日本を始め先進経済圏の株式市場に上場している企業の中で、エマージングの成長から恩恵を受けている企業に投資するのも、その一つの方法です。
 エマージングに投資することとエマージング株式へ投資することとが異なるのと同じように、日本へ投資することと日本企業へ投資することとは異なるのです。


その通りですが、そのような世界に通じる日本企業を、日本株投資のなかに位置づける必要は、全くないのではないでしょうか。実際、日本株投資をやめて、グローバル株式投資へ一本化することも行われています。グローバル株式の中で、グローバルな視点で、グローバルに通用する日本企業だけに投資すればいいのでしょう。

 私も、そう思います。しかし、グローバル株式運用の中で、どれくらいの数の日本企業が、投資可能な候補銘柄の対象として認知されているのでしょうか。
 ちなみに、企業を時価総額の規模で分類することが行われているでしょう。今、世界の株式運用の世界では、大型株の定義は、100億ドル以上です。為替を1ドル80円としても、これは8000億円に相当します。現在の日本の株式市場では、時価総額1兆円以上の企業は、60社程度しかなく、8000億円以上に広げても、90社に達しません。
 大雑把にいうと、日本の場合、世界の基準を使うと、100社が大型株、200社が中型株、残りの全部が小型株です。これが日本の現実なのです。日本企業の大半は小型株なのです。日本で中小型株投資といっているような戦略は、世界基準では、超小型株投資のことです。極めて特異な小さな小さな分野にすぎないのです。
 繰り返しますが、世界基準では、日本企業のほとんど全てが、つまり少数の例外企業(いずれも、日本では超大型といわれる著名企業群)を除けば、中小型株です。グローバル株式の運用会社はたくさんあります。中小型株に投資する会社もありますが、主力は大型株です。もちろん、グローバル中小型株式という戦略もありますが、金額的には、ぐっと少なくなります。
 要は、グローバル株式運用の対象からは、ほとんどの日本企業が洩れてしまうのです。


つまり、日本企業の大半は、グローバル株式運用の中で無視されているということでしょうか。その無視された中にこそ、価値が眠っていると。

 そう考えています。しかし、問題は、そんなに簡単ではないようです。世界の投資家から無視されているのは、時価総額の小ささだけが原因ではないのでしょう。そもそも、時価総額が小さいのは、無視されていることの原因ではなくて、逆に無視されていることの結果だと考えるほうが、素直なのです。
 評価が低いから、株価が安くなり時価総額が小さくなった、というのが本当なのだと思います。どこかに価値が眠っていると、私は信じますが、もしかすると、眠りっぱなしで起きないのかもしれません。
 英語では、鍵を開ける(unlock)、といいますが、鍵のかかった箱に閉じ込められた価値は、誰かが鍵を開けないと、開放されないのです。眠りっぱなしで起きないのは、死んでいるのと同じかもしれません。眠った価値を起こすとしたら、何らかのきっかけが必要なのです。このきっかけのことを、英語では触媒(catalyst カタリスト)といいますが、このカタリストがないのですね。


日本株についてのカタリスト不在は、いわれて久しい。いわゆる万年割安、バリューの罠(value trap)ですね。しかし、いまここで、日本株の魅力をいうことは、とうとう、カタリストがくるということですか。

 いや、こないかもしれません。カタリストがこなくてもいいのではないか。そもそも、割安は、割安のままでは、何かいけないのでしょうか。なぜ、割安は解消しないといけないのでしょうか。おそらくは、投資の世界には、ある種の思い込みがあるのです。割安なものへの投資の目的は、割安が解消するところでの価格の上昇益を得ることが目的なのだ、というような通念です。しかも、このような通念の下では、割安が解消されたところで、売却することも予定されているふしがあります。
 割安なものに投資して、そのまま、投資し続けてはいけないのでしょうか。例えば、割安なものは配当利回りが高い場合が多いでしょう。高利回りを安定的に享受できるなら、それで結構じゃないでしょうか。割安の解消、即ち価格の上昇は、あくまでも結果的に発生することが期待されるものであって、そのことが目的ではないはずです。


簿価主義への回帰でしょうか。

 そうです。割安が解消するということは、価格が上昇し配当利回りが低下することです。昔風にいえば、簿価利回りは高いままで、含み益が発生するということです。当時の投資の目的は、配当利回りにありました。含み益は、あくまでも、結果的に生じたものでした。このことは、かつて「資産運用の本来の目的と「簿価主義・含み益経営の正しさ」」というコラムで論じておきました。ご参照下さい。
 日本株が元気に上昇を続けていたのは、投資の思想が簿価主義だったとき、そのときだけなのですね。銀行の融資姿勢にしても、株式会社日本といわれた国家主導の産業政策にしても、この投資哲学の問題にしても、成長し、株式市場が上昇を続けていたときの日本、そのときの価値観を再考することを通じて、日本の再成長の可能性を探ることは、重要ではないですか。


当時の含み益の形成は、結果であって、目的ではなかった。価格の上昇を目的とせず、長期的に安定配当をできる収益性をもった日本企業に投資すれば、それでいいのだということですね。

 それでいいのです。しかし、念のために申し添えますが、おそらくは、結果的にカタリストは、どこからかきますよ。カタリストを前提にした運用は、うまくいっていない。カタリストがこなくても意味のある運用には、期待しないカタリストがくるでしょう。その場合、きたからどうだというのでしょう。その時考えればいいではないですか。

以上


次回更新は、11/25(木)になります。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。