東京電力の社債権者と債権者と株主は黙っていてよいのか

森本紀行
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いよいよきましたね。もしも、東京電力が、「原子力損害の賠償に関する法律」第三条ただし書きによって、免責になる可能性があるとしたら、東京電力の社債権者、債権者、株主は、そう主張すべきだし、自己の権利を守るように行動すべきだと、そういう論を張るということですね。

 例えば、全国銀行協会の奥会長。前回の論考「東京電力に対する債権放棄をめぐる議論の混迷」でも引用しましたが、5月19日の記者会見からも明らかなように、奥会長は東京電力免責論者です。協会加盟各行は、東京電力が免責になるかならないかで、大きな利害が左右されます。ですから、もしも、免責を信じるならば、銀行界を代表して、そう正式に主張すべきだと思うのですが、実際の発言は、政府が免責を否定することに、「どうしてかなぁ、と思う」という、弱々しい抵抗を示されるのみです。
 そのほか、法律の専門家の中にも、有力な東京電力免責論があります。政府が明確に免責を否定し、東京電力も自らの賠償責任を認めていたとしても、それに反対する意見が根強くあります。政府が政治判断として免責を否定したことは、司法判断として東京電力の賠償責任が確定したことではない。意見の対立が世の中にあるのならば、巨額な利害の絡む対立があるのならば、司法の判断を仰ぐことも含めて、利害関係者は発言し行動しなければならない、私は、そう思うのです。


全国銀行協会の総意としては、東京電力免責論に一本化できない事情があるのではないでしょうか。

 経済的な面からは、全国銀行協会の全行の利害は、完全に一致していると思いますけれども。もっとも、ほかにも微妙な社会的思惑があるのかもしれませんが。
 今の世論の風潮は、東京電力いじめに傾いていますよね。ここで、敢えて東京電力を応援するような発言をすると、何となく、社会を敵に回すような感じがします。嫌な感じです。政府にも、そうした国民感情を巧みに利用して、責任を東京電力に押し付けるようなところがあります。もっと嫌な感じです。


そうしたおかしな社会配慮(過度な自粛もそのうちですが)のほかにも、当の東京電力が自ら免責を主張しないことが、もっと本質的な理由ではないですか。

 そこが本質的な問題です。東京電力の経営者は、自ら東京電力の賠償責任を認めました。一方、東京電力の社債権者、債権者、株主の中には、免責を信じる人が少なからずいるはずです。こうしたときには、東京電力の利害関係者は、経営者と主張が対立することになりますね。ここです、論点は。
 そこで、本稿の主題になるのです。東京電力の社債権者と債権者と株主は黙っていてよいのか。黙っているわけにいかないとして、では、何ができるのか。何をすべきなのか。


経営者にもの申すということでしょうか。これは、古典的な企業統治論の枠組みにおける特殊な事案ですね。

 企業統治論だけでなく、受託者責任論にもつながる、資産運用の極めて重要な論点なのだと思います。最初に、問題の広がりを押さえておきましょう。
 東京電力の社債権者、債権者、株主の中には、もちろん、自分自身の財産の運用としてのみ利害をもっている人もいるでしょう。個人株主などは、そうですね。そういう方は、第三者に対して受託者責任を負うものではない。だから、自分が納得すればそれでいいのです。
 ところが、おそらくは、東京電力の社債権者、債権者、株主の多くは、金額ではかったときには大半が、第三者に対する責任の中で、東京電力に投資し融資しているのです。そこには明確な社会的責任がある。ですから、奥会長が、私人としては、内心反対しながら政府の方針に従うこともやむなしと思われても、銀行経営者、全国銀行協会会長という公人としては、東京電力向け債権の保全を図るという社会的責任がある。
 資産運用業界も、顧客資産を東京電力の社債や株式に投資しているのです。資産管理受託者としての重い責任が課せられる中で、東京電力の社債や株式に投資しているのです。だから、投資対象の価値の保全について、最善の努力をする義務があると思われるのです。
 このことは、企業統治論における株式の議決権の行使とも絡んで、資産運用業者の義務として、広く認知されているのだと思います。つまり、株主としての権利行使は、当該株式の価値を高める方向で行われるべきだということです。ましてや、その権利を正当に行使しないことは、許されないということです。


今回の場合、東京電力の経営者の決断は、社債、融資、株式に、甚大な損失をもたらす可能性を含むものです。ですから、多くの社債権者、債権者、株主にとっては、東京電力免責の立場から、経営者の意思決定に反対する余地はあったのかもしれませんね。

 私は、少なくとも、社会に対して大きな責任を負う銀行や資産運用会社などのうち、東京電力の社債権者、債権者、株主に該当するものは、東京電力の経営者に対して、反対の意思表示をしておくべきなのではないかと、考えています。


しかし、そもそも、東京電力に賠償責任があるとしたらどうでしょうか。

 東京電力に賠償責任があるかどうかは、最終的な司法の判断を待つしかないのです。このことについては、枝野官房長官も、「最終的には裁判所が法律に基づいて判断すると思う」と明言しています。
 改めて整理しておきます。東京電力に賠償責任があるとの判断は、まずは、政府側から法律の行政解釈として主張されたものです。それに対して、東京電力は5月11日になって初めて、正式に政府に対して、「原子力損害の賠償に関する法律」第十六条に基づく支援要請を行いました。第十六条は、原子力事業者の賠償責任を前提にした上で、政府に必要な支援を行う義務を課したものですから、この支援要請をもって、東京電力は、正式に賠償責任を認めたことになります。
 この支援要請に対して、13日に、政府が支援の枠組みを提示し、それに対して、東京電力が、即日、「原子力損害の賠償に関する政府の支援の枠組み」公表を受けて」という「コメント」を公表しました。その中で、東京電力は、「当社といたしましては、今回の支援の枠組みが一日も早く法案化され、成立することを期待しております」と述べています。これは、政府の支援が、第十六条第二項で、「国会の議決により政府に属させられた権限の範囲内」と規定されていることを前提にしているのです。
 この辺り、さすがに東京電力ともなると、高度な法律解釈に立脚していることが読み取れます。東京電力は、賠償をするとは即答せず、賠償の「準備を進めてまいる所存」を表明しているのです。賠償は、あくまでも、新たなる法律の枠組みの中でのみ行い得ることを、はっきりといっているのです。なお、「準備を進めてまいる所存」の意味には、賠償の速やかな仮払いを含んでいるようですから、あくまでも、賠償を行う意思は、きちんと表示されているのだと思います。
 繰り返し念のためですが、東京電力の賠償責任は、政府と東京電力経営者との合意により、行政判断としてのみ存在しているのであって、最終的な司法判断としては不確定であり、政府と東京電力経営者以外では、相当に多くの反対意見が存在するのだということ、このことを忘れてはいけないということです。


ちょっと待ってください。これは、非常にややこしいですね。第三条免責と、第十六条政府支援とは、絶対に両立しないですよね。もしも、第十六条に基づく政府支援法が成立施行しての賠償が始まった後に、第三条免責が裁判所で争われて免責に確定したら、どうなるのでしょうね。

 どうなるのでしょうね。さぞかし、困ったことになるでしょうね。ですから、最初に、第三条免責に関する疑義を晴らす必要があるのだと思います。


それも大問題ですね。第一に、そんなことをしていたら、賠償(東京電力免責のときは政府補償)が始められずに、被害者の方を苦しめてしまう。

 そのことは、政府も東京電力も強く意識しています。速やかに賠償(もしくは政府補償)が始められるように、法律論よりも、行政の実行を優先させているのです。それは、よくわかりますし、正しいやりかたです。しかし、だからといって、とりあえず東京電力が賠償負担するというのは、いかがなものか。とりあえず負担するなら、政府が仮の補償を行うべきなのではないですか。
 現状は、東京電力が仮払いを先行させる形で、実質的な賠償履行を推進しているということでしょう。でも、なぜ仮払いは東京電力なのでしょう。なぜ政府が行わないのでしょうか。


では、現段階で、第三条免責に関する疑義を晴らす方法はあるのでしょうか。

 問いは二つ。第一に、そのような法律的な方法として、何があり得るか。第二に、もはや、東京電力の経営者が自己の賠償の責任を正式に認めている中で、その行動をとり得るのは、あるいはとるべきなのは、誰なのか。


なるほど。それが、東京電力の社債権者と債権者と株主だと、そういうことですか。では、第一の方法については。

 難しい。むしろ、専門家の方の意見を聞きたい。ただ、ひとつ考えられることは、東京電力経営者が第十六条に基づく政府支援を受入れることについて、差止の仮処分申請ができないか、ということです。そして、受入が違法であって無効であることの確認訴訟ができないか、ということです。このことが、どれだけの意味を持つかはわかりません。東京電力と政府による実行を止める強制力はないかもしれません。しかし、議論をする意味はあるでしょうし、後の裁判などにも、それなりの影響を与えるかもしれません。


結果もさることながら、法律上の手続きに従って主張すること、法律上の権利を正当に行使すること、そのこと自体に意味があるということですね。

 社債といい、債権といい、株式といっても、それらの資産は、要は法律上の財産権の化体です。権利は、行使してはじめて権利です。権利の上に安住はできない。少なくとも、資産運用業者などのように、顧客に対する責任を負うものにとっては、権利の上の安住は許されない。権利が脅かされるときは、権利に法律上付与された権限の範囲内で、権利を守る努力をすべき義務があると思うのです。
 また、もっと根本的に、民主主義社会は、そして資本主義社会は、権利の対立を、対立する主張の存在を、前提にしている社会です。対立を前提にした上での、対立を止揚する合意形成、多面的な主張の中での価値観の相対化、それが我々の社会の進歩の意味だと思います。
 権利の主張ないところに、社会の進歩はない。少なくとも、我々が立脚する資本主義社会、民主主義社会の進歩はない。だから、私は東京電力の免責にこだわっているのです。政府批判が法律上の行動として社会化されない中で、政府の法律解釈に基づく行動による事実関係の積上げが強行されていく状況は、危険だと思います。


ところで、政府と東京電力は、東京電力の賠償責任を認めるという明確な意思決定を、責任をもって断行したのだから、ある意味、立派ですよね。

 立派ですよ。東京電力に賠償責任を認めさせたのは、なかなかの政治力ではないでしょうか。もしも、国会の会期を延長し、速やかに東京電力賠償支援関連法案を成立させ、一気に賠償実行ということになれば、実は、政治の行動力としては、政策に賛成かどうかをおけば、大いに評価に値することなのではないでしょうか。また、東京電力の経営者も、決める責任を果たしたことは、決めた内容にかかわらず、立派だと思います。
 むしろ問題なのは、周辺の無責任な政府批判、東京電力批判なのではないでしょうか。責任ある批判とは何か。建設的な批判とは何か。それが、今回の論考の趣旨というわけです。


念のためですが、東京電力免責を主張することは、東京電力の社会的責任までも否定することではないですよね。

 もちろんです。免責というのは、「原子力損害の賠償に関する法律」の枠組みにおいては、東京電力に賠償責任はないはずだといっているだけです。原子力被害に対する補償責任は、政府が負担すべきだという主張にすぎません。根拠は、政府の定めた安全基準と、政府が推進してきた原子力政策自体とに、より本質的な責任があることです。
 原子力事業者が免責になったときの政府の補償責任については、「原子力損害の賠償に関する法律」では対応していません。新たに特別法を作るなり、他の現行法の枠組みの中でなり、政府が対応することが予定されているのです。いうまでもないことですが、東京電力が直接に賠償責任を負い政府が援助する場合と、政府が直接的に補償責任を負う場合とで、補償額に差のでることは、あり得ないでしょう。
 また、政府と事実上一体化するような形で原子力政策の一翼を担ってきた東京電力歴代経営陣の社会的責任は、より大きな枠組みでとらえる必要があります。これは、東京電力の問題ではなく、電気事業連合会、その加盟電力会社10社、要は電気事業法体制全体の問題だからです。東京電力の個社の責任問題にしてしまうことで、政府の政策や電気事業法のあり方自体に潜む問題性をあいまいにすることはできない。ここにも、東京電力免責を主張する意味があるのです。


確かに、今後、発電、送電、配電の分離などを含めた電気事業法の抜本改正も視野に入る中で、東京電力だけの責任問題にしてしまうと、他の9社へ改革を及ぼすことがやりにくくなりますね。

 実際、賠償費用の負担を他の9社へ及ぼすようなことは、電気事業法の枠組み自体を変えないと、できないのではないでしょうか。もしも、そうなったときは、実は、東京電力の責任が問われるのではなくて、電気事業連合会全体の責任が問われることになるのではないでしょうか。
 東京電力を哀れな魔女狩りの犠牲者にして、何が変わるのでしょうか。東京電力をそこから救い出すことで、逆に、政府と電気事業連合会の責任を正面へ引き出す必要があるのです。電気事業連合会の盟主としての東京電力は、どちらにしても、社会的責任をきちんと果たすことになるのです。
 もっとも、政府と電気事業連合会は、東京電力を差し出すことで、自らの安全を図ったのでしょうか。よもや、そのようなことは、あるまいと思いますが。

以上


次回更新は、6月9日(木)になります。


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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。