原子力損害賠償支援機構法案が、14日に閣議決定されて、衆議院に提出されました。しかし、法案は、5月13日の政府の「支援の枠組み」を踏襲したものにすぎず、目新しいものはないようですね。実際、特に世の大きな注目も集めていないようですが。
そうかもしれませんが、それでも、法案が国会に提出されたのですから、東京電力賠償支援の具体化への前進として、検討に値することが多いように思います。それから、「支援の枠組み」を単純に踏襲しただけではなく、追加具体化した要素もみられます。
まず、この法律は、東京電力賠償支援法という特定事案に関連した時限的なものではなくて、「原子力損害の賠償に関する法律」の第十六条の政府支援の方法を規定するものとして、事実上の同法の拡張改正という、一般性と恒久性を備えたものです。13日の「支援の枠組み」でも、「一般的な支援の枠組み」を作るとされていました。
つまり、この法律自体は、東京電力が免責であるかどうかというような、根本的な法律問題とは無関係に、有効に成立するのです。一連の論考で何度も主張しているように、政府自身が、東京電力免責論について、「最終的には裁判所が法律に基づいて判断する」ことだという立場である以上、できるだけ法律適用の安定性を工夫する必要はあるわけで、そういうところは、よく考えられているのでしょう。
この法律は、機構の設立を目的とし、機構の賠償支援業務のあり方を定めるものであって、機構は、永続的組織として残ることが予定されているのです。
東京電力賠償支援に関係するのは、主として、機構が行う「特別資金援助」の仕組みですね。
支援方法は、いろいろあるのですが、主たる方法として予定され、また、これまでの議論の焦点でもあったのは、この法律でいう「特別資金援助」だと思います。
「特別資金援助」というのは、「認定特別事業計画に基づく資金援助」のことです。これは、「政府による資金の交付」を受ける援助のことであり、具体的には、賠償支援を目的として、政府の資金を機構経由で東京電力に投入する仕組みです。
「特別資金援助」を受けられる条件は何でしょうか。
当然ですが、東京電力が支援の申込みを機構に行わなければならない。申込みは、機構の運営委員会の議決を経て受理される。運営委員会というのは、機構の外部の委員と、機構の理事長と理事とで構成されるもので、委員は、「電気事業、経済、金融、法律又は会計に関して専門的な知識と経験を有する者のうちから、機構の理事長が主務大臣の認可を受けて任命」します。
申込みを受けた機構は、「原子力事業者(東京電力)と共同して、損害賠償の実施その他の事業の運営及び当該原子力事業者に対する資金援助に関する計画(「特別事業計画」)を策定し、経済産業大臣の認定」を得なければなりません。このような仕組みだから、「認定特別事業計画に基づく資金援助」というのです。
なお、機構(事実上の政府)と東京電力が「共同して」計画策定することになっていますが、この「共同して」は、もしかすると、深い意味があるのでしょう。少し横道にそれますが、ここで想起されるのは、4月27日の枝野官房長官の、「最終的に東電と国の負担割合については、一般的な不法行為に基づく、あるいは損害賠償法理に基づいて、不真正連帯債務になるかと思う」という記者会見での発言です。
私は、このときは、発言の趣旨がわからない、といいますか、念頭に置かれた法律構成がわからなかったのです。なぜなら、現行法としての「原子力損害の賠償に関する法律」には、「東電と国の負担割合」とか、共同不法行為に基づく「不真正連帯債務」などという概念を入れる余地など、全くないのですから、政府が同法に基づく東京電力の賠償責任を主張することと、枝野長官の発言とは、理論的に両立し得ないのです。ただし、立法過程においては、発想としてあったものなので、枝野長官が念頭においたのは、おそらくは立法過程の議論だったのだと、今は思います。
今回の新しい法律は、当然かもしれませんが、「原子力損害の賠償に関する法律」の立法過程に遡って、検討されたのだと思います。その検討経過が、図らずも、枝野長官の発言に表れてしまったのでしょう。そして、検討結果が、この「共同して」に反映したのではないかと思います。
「特別事業計画」には、どのような事項が織り込まれるのでしょうか。
まずは、「特別資金援助」以前の「資金援助」の要件ですが、「原子力損害の状況、要賠償額の見通し及び損害賠償の迅速かつ適切な実施のための方策、事業及び収支に関する中期的な計画」を記載した書類を提出しなければなりません。
「特別資金援助」を受けるためには、更に、東京電力の「経営の合理化のための方策、原子力損害の賠償の履行に充てるための資金を確保するための関係者に対する協力の要請その他の方策、資産及び収支の状況に係る評価に関する事項、経営責任の明確化のための方策」などを定めなくてはなりません。
経済産業大臣は、どのようにして認定を行うのでしょうか。
認定の条件は、もちろん、「原子力損害の賠償の迅速かつ適切な実施及び電気の安定供給その他の原子炉の運転等に係る事業の円滑な運営の確保を図る上で適切なものであること」が基本なのですが、それだけではなくて、東京電力が、計画に掲げた経営の合理化等の施策について、「原子力損害の賠償の履行に充てるための資金を確保するため最大限の努力を尽くすものであること」が必要とされています。
この後段が、今後、大きな議論を呼ぶのは間違いないでしょう。つまり、認定条件の中に、「資金を確保するための関係者に対する協力の要請」について「最大限の努力を尽くす」ことがはいっているからです。いうまでもありませんが、「関係者」として念頭に置かれている最大のものは、債権者でしょう。
もともと、枝野長官の債権放棄論は、この論点にかかわっていたのですが、この問題は、何ら明確化されることなく、先送りされた形ですね。もっとも、枝野長官の議論には法的根拠がなかったのですが、この法律により、法律上の足掛かりができた、ということなのかもしれません。ただし、経済産業大臣の行政裁量に依存するところが大きいですよね。行政判断が司法的確定を何ら意味しないことは、枝野長官自身が確認しています。少なくとも、行政的判断で東京電力社債の法的優越を動かし得ないことは、間違いないような気がします。
認定が行われたとして、政府の援助資金は、どのようにして東京電力へ投入されるのでしょうか。
当然ですが、政府から機構へ、そして機構から東京電力へ、という仕組みになります。
政府から機構ヘは、政府が国債を交付する形で、資金援助が行われます。機構は、国債の償還を求めることで、国債を現金化します。この国債は、無利子などの特殊な要件を備えたものです。
機構から東京電力へは、「認定特別事業計画」に定められた方法で資金援助が行われますが、大半は、「資金交付」という形態をとるのだと思われます。
「資金交付」とは何でしょうか。債務性のない贈与のようなものでしょうか。
さあ、そこが分かりにくいですね。名前や趣旨からして、東京電力の債務にならないようにするのだと思いますが、不透明です。債務にすると、東京電力は、確実に債務超過になると思われるからです。5月13日の「支援の枠組み」では、資金援助をすることで東京電力を債務超過にさせない、としていたので、資金援助をすることで債務超過になったら、おかしいでしょう。だから、債務性はないのでしょう。
では、東京電力にとって、返済する必要のないものでしょうか。
さあ、これもよくわかりませんが、事実上、返済をすることは前提のようですね。
返済するなら債務でしょう。
ですから、債務にすることはできないのです。債務ではないが、返すことは返すのです。出世払いみたいなものですかね。よくわかりません。
もともと、「支援の枠組み」の第7項は、「原子力事業者は、機構から援助を受けた場合、毎年の事業収益等を踏まえて設定される特別な負担金の支払を行う」としていました。この「毎年の事業収益等を踏まえて設定される特別な負担金」というのは、東京電力が賠償責任を認めることの大前提だったようです。東京電力が株主総会開催通知の添付書類として発表した決算報告書にも、政府援助を受ける一方で「毎年の事業収益等を踏まえて設定される特別な負担金」を支払う予定になっていることが、記載されています。
もちろん、東京電力にとって大切なことが、「特別な負担金」を払うことにではなくて、その負担金が「毎年の事業収益等を踏まえて設定される」ことにあったのは、自明です。「特別な負担金」の支払いが債務ではなく、無理のない緩やかな出世払いだからこそ、東京電力の存続は揺るがない、と考えたのだと思います。
ちなみに余談ですが、実は、東京電力は、一貫して、「原子力損害の賠償に関する法律」の「賠償」という用語を避けてきました。替わりに「補償」という用語を使っていました。「賠償」という用語を用い、法律に基づく賠償責任を認めたのは、5月13日以降です。株主総会開催通知添付の報告書も、賠償責任債務の存在を前提にして作られています。つまりは、政府決定が、どうしても必要だったのです。おそらくは、訴訟等を考慮したのだと思います。
「特別な負担金」は、法案では、どうなったのでしょうか。
「特別負担金」という名前になっています。「特別負担金」は、「機構が事業年度ごとに運営委員会の議決を経て定める額」であり、「認定事業者(東京電力)の収支の状況に照らし、電気の安定供給その他の原子炉の運転等に係る事業の円滑な運営の確保に支障を生じない限度において、認定事業者に対し、できるだけ高額の負担を求めるものとして主務省令で定める基準に従って定められなければならない」とされています。
注目すべきは、「支援の枠組み」にはなかった、「できるだけ高額の負担を求める」ことが、明文で規定されていることです。このような強い文言は、東京電力も予想しなかったのではないでしょうか。交付資金を回収する意思を強く表現したものだとすると、事実上、「特別負担金」の支払い義務は、債務に近い(近いが債務ではない)性格を有するのではないでしょうか。
なお、東京電力は、法案の閣議決定直後に、「本法案の枠組みのもとで、政府の支援も頂きながら、被害者の皆さまへの公正かつ迅速な補償を実施できるよう、準備を進めているところであります。 当社といたしましては、一日も早い、本法案の成立を期待しております」との見解を表明しました。ここでは敢えて、「補償」という用語を用いているでしょう。賠償責任を認めた後でなお、深い意味があるのか、ないのか、法律の成立が不確実だからからか、興味深いです。なお、政府は、一貫して、かつ厳格に、「東京電力の賠償」といっているはずです。
機構は交付資金を政府へ返済するのでしょうか。
これは、明確に、「国庫へ納付」する旨が規定されています。一方、機構の収入は、全ての原子力事業者が負担する一般の「負担金」と、特別資金援助を受けた原子力事業者が負担する「特別負担金」だけです。ということは、国庫への納付が機構の義務なら、機構がその義務を果たすためには、「特別負担金」を、納付に必要な額まで課すことになると思えるのです。
もちろん、機構にとって、政府の交付金は債務ではないのでしょう。もしも債務なら、貸借を均衡させるように、東京電力への資金交付を、債権として、つまり東京電力にとっての債務として、計上しないといけなくなる。そうなると、東京電力は債務超過になるでしょう。東京電力の債務でないなら、機構の債権でもない。機構の債権でなければ、政府の交付金は、機構の債務ではない。そういう理屈でしょう。
全体が、緩やかな出世払いの仕組みみたいです。それでも、一応は、東京電力は機構に返済し、機構は政府に返済することは、予定はされているのですね。ここが、一番曖昧なところでしょう。今回の法案で、曖昧さが解消したわけではありません。
ところで、「支援の枠組み」の第9項では、「原子力事業者が負担金の支払により電力の安定供給に支障が生じるなど例外的な場合には、政府が補助を行うことができる条項を設ける」とされていました。これは、どうなったのでしょうか。
それが、第六十五条なのでしょう。長いですが全文を引用すると、「政府は、著しく大規模な原子力損害の発生その他の事情に照らし、機構の業務を適正かつ確実に実施するために十分なものとなるように負担金の額を定めるとしたならば、電気の安定供給その他の原子炉の運転等に係る事業の円滑な運営に支障を来し、又は当該事業の利用者に著しい負担を及ぼす過大な額の負担金を定めることとなり、国民生活及び国民経済に重大な支障を生ずるおそれがあると認められる場合に限り、予算で定める額の範囲内において、機構に対し、必要な資金を交付することができる」というものです。
この交付資金は、負担金が過大にならないようにする特別措置ですから、当然に、負担金による返済を予定していない。本規定が存在することは、逆にいえば、「特別負担金」は、必ず払わねばならない義務であることを裏付けているようです。
それから、先ほど、枝野長官の「東電と国の負担割合」にかかわる発言を紹介しましたが、この条項を発動することは、まさに、「東電と国の負担割合」を前提にした上で、政府負担分を支払うことを意味するのだと思います。あの発言には、既に、この条項を予定した含みがあったのですね。
なお、返済を予定しない補助金だから、政府としては、予算措置が必要になるということなのでしょう。
ところで、一般の「負担金」は、機構が交付資金を国庫に納入するときの原資になるのでしょうか。
「特別資金援助」のための政府からの交付資金は、機構が国庫へ納入するとされているだけですから、趣旨に合うかどうかはともかく、一般の「負担金」も原資にし得るのではないでしょうか。逆に、できないとする規定もないようですね。
しかし、それは、「負担金」の趣旨に反しますよね。
「負担金」というのは、全ての原子力事業者が負担するものです。まず、機構は、「一般負担金年度総額(機構の事業年度ごとに原子力事業者から納付を受けるべき負担金の額の総額として機構が運営委員会の議決を経て定める額)」を定めます。ここには特別負担金は含まれません。次に、各原子力事業者ごとに、「負担金率(各原子力事業者が納付すべき額の割合として機構が運営委員会の議決を経て各原子力事業者ごとに定める割合)」を決めます。これを掛け合わせると、各社の負担金額が計算できる仕組みです。
政府の説明では、「原子力損害が発生した場合の損害賠償の支払等に対応する支援組織として、原子力損害賠償支援機構を設け、損害賠償に備えるため積立てを行う。機構は、機構の業務に要する費用として、原子力事業者から負担金の収納を行う」とされていて、また、「原子力事業者による相互扶助の考えに基づき」という表現も用いており、この負担金の趣旨が、将来の賠償費用の確保のための業界全体の相互扶助型保険の掛金であることを、明らかにしています。
この「負担金」を、今回の東京電力の「特別資金援助」のための政府資金交付の返済に使えるかというと、負担金を原資とする通常の「資金援助」の枠を超えた「特別資金援助」の場合は、「特別負担金」を対応させているのだから、交付資金返済に「負担金」を充てることは、趣旨に反するとはいえます。
ただし、当たり前のことですが、一般の「負担金」が原資となる通常の「資金援助」を行うことは、可能です。これも立法の経緯からして当然ですが、法律施行以前の過去の事故へ「資金援助」できることは、経過措置で手当てしてあるので、形式的には、「負担金」が、東京電力の賠償支援に使われること自体は可能だし、予定もされているのではないですか。
そうすると、他の電力会社も東京電力の賠償費用を負担することになるのでしょうか。
問題は、「負担金」の算定において、過去の事故に起因する東京電力賠償費用を見込んで決めていいのか、ということでしょう。法律の手当としては、過去の事故にも「負担金」を使った「資金援助」ができますが、その援助費用までも、過去に遡って見込むのは、さて、どうなのだろうか。趣旨に照らせばできないが、形式的にはあり得る、ということではないですか。これも行政裁量です。ここも曖昧ですよね。
ところで、「負担金」や「特別負担金」は、原子力発電にかかわる費用になるのでしょうか。つまり、電気料金への転嫁が可能な費用なのでしょうか。
「負担金」の設定基準が、「事業の利用者に著しい負担を及ぼすおそれのないもの」とされていることからすれば、電気料金へ転嫁され得るものであることを前提にしていると思います。実際、「負担金」は、原子力事業の危険に対応する保険の保険料としての性格を帯びるので、当然に、原子力発電費用に含まれる、従って、電気料金に転嫁できる前提だと思います。まさに「国民負担」です。
それだけに、「負担金」の算定に東京電力賠償費用を見込んでいいのかという先の論点は、極めて重要なのです。
一方、「特別負担金」は、どうなのでしょうね。この一部でも電気料金に転嫁できるという話は、枝野長官の表現を引くまでもなく、「国民の理解は得られない」でしょう。もっとも、「特別資金支援」の前提となる「特別事業計画」の認定基準に、「関係者に対する協力の要請」がある。「関係者」に顧客を含むなら、電気料金に転嫁できるということかもしれない。しかし、事故を起こした東京電力だけ電気料金が高いというのは、いかにも、おかしなことではないでしょうか。国民の理解は得にくいというか、理解不能です。
「負担金」はともかく、「特別負担金」には、会計的な予測可能性がないように思えます。東京電力は、上場企業としてやっていけるのでしょうか。
「負担金」は、安定的な適用を行うのでしょうから、通常の保険掛金と同様のもので、あまり問題はないでしょうね。一方、「特別負担金」は、債務性がないことが前提で、年度ごとにとれるだけとる(「できるだけ高額の負担」)、というような運用を想定するほかない。だとすると、「特別負担金」が残る限りは、本来は株主資本へ充当されるべき剰余が、「特別負担金」として機構へ吸収される形になるのだと思います。
おそらくは、将来支払うべき「特別負担金」の残高は、仮に企業会計上認識されなくとも、注記等されるのでしょうから、株式価値の合理的予測ができるような条件を作ることはできそうです。そうしない限り、上場継続は、適切ではないと思います。
ところで、賠償支援を目的にした「特別資金援助」なのですから、資金使途を限定すべきだと思いますが、資金は、東京電力に入ってしまえば、「お金に色はない」ことになってしまいます。それでいいのでしょうか
それでいいのです。支援目的は、賠償支援だけではありません。原子力事業の安定継続をも目的としています。事業継続の条件には、資金の調達や、資材の調達もあるのです。だから、東京電力としては、賠償支払いも含めた総合的資金管理の中で、期日の来るものに順次資金を使えばいいのです。
法律的にも、社会常識的にも、金融常識的にも、そういうものです。賠償支援金で社債を償還するのはおかしい、などと、超法規的な庶民心情的なことは、いわないでください。
どうしても、税金の投入として、使途を賠償目的に限定したいならば、政府自身が直接に補償責任を負えばいいのです。そのためには、現行の「原子力損害の賠償に関する法律」のもとでは、東京電力を免責にするのが一番いいのです。その上で、今回の事故の被害者を「国策による被害者」とまでいっている政府ですから、そこまで政治責任を認めるならば、それ相応の補償制度を作ればいいのです。
そして、東京電力の社会的責任は、別途、電気事業法体制全体の抜本的見直しの中で、厳しく追及することですね。電気事業連合会と、その頂点の東京電力の解体を含めて、徹底した改革を要求すればいい。このことは、一連の論考で何度も述べていますので、繰り返しません。
なお、もともと、「原子力損害の賠償に関する法律」の立法過程でも、政府直接補償を原則とする考え方があったのです。それが、現行法になったのには、理由があります。この辺の話は、また、次回にでもしましょう。
最後に、この法律ができると、東京電力の社債権者、債権者、株主の地位をめぐる不透明性は、解消するのでしょうか。
法律ができるだけでは、解消しません。逆に、全てが、経済産業大臣の大きな行政裁量の中に、曖昧化したとすらいえます。
ただし、「特別負担金」の支払いが続く限り、そして、その額が巨額になると予想される限り(「できるだけ高額の負担」)、株式については、仮に上場が継続するとしても(上場廃止になる特別な理由もないと思いますが)、予測される将来について、その価値はほとんどないか極めて小さいものと、考えざるを得ない。この法案の閣議決定後、東京電力の株価は急反発しましたが、つまらない投機の愚劣さは、論評に値しない。
一方、社債の地位は動かし得ないように思います。といいますか、いかに「関係者に対する協力の要請」を求めるとしても、そして、その関係者に社債権者を含むとしても、電気事業法第三十七条の先取特権と、破綻等の事態以外では属性を変化させ得ない社債の性格とからして、この法律のもとでの行政裁量による社債の属性変更は、不可能だと思います。もちろん、何かの秘策が政府にあるのかもしれませんが。敢えていえば、将来の「特別負担金」はともかく、当年度の「特別負担金」として機構が定めて東京電力に請求した後は、その請求権の地位はどうなのだ、という問題はあるかもしれません。
一番不透明なのは、一般の債権、特に銀行融資だと思います。
今後の焦点は、法律が成立する(簡単に成立するかどうかも不透明ですが)として、その後、経済産業大臣が認定する「特別事業計画」の内容に移りました。もしかすると、その内容次第では、計画執行の差止訴訟など、司法判断に訴えるような動きがでるかもしれません。
先ほど述べたことの繰り返しになりますが、「特別事業計画」の最大の論点は、債権者などの「関係者に対する協力の要請」の具体的中身と、「要請」の法律的強制力ですね。この法律は、「要請」の法律的根拠だとは思いますが、さて、強制力は別物ではないでしょうか。
また、枝野長官が特別に保護に値するとして言及した債権が三種類あります。3月31日の主力銀行等による2兆円といわれる追加融資(2011年3月31日時点で、三井住友、みずほコーポレート、三菱東京UFJの主力三行の融資残高合計は2兆1010億円で、前年同期比1兆4319億円も急増しています。概ね、追加融資に相当すると思われます)、原子力賠償債権、事故対策に従事する業者(特に中小事業者)の営業債権、この三つです。
この法律の下での支援の中では、そもそも、債権の相互の優劣が問題になり得るとしたら、仮に何らかの債権の「整理」(どのような「整理」の方法があり得るのかわかりませんが)が行われるとした、そのときだけだと思います。しかも、そのときに問題になるのは、追加融資の特別扱いだけでしょうね。
要は、全て経済産業大臣の裁量なのだと思いますが、そうなれば、当然、そこに、利害の対立と紛争の可能性は残るでしょう。司法制度は、もともと、そういう事態のためにあるのだから、何かあっても不思議ではない。
政府は紛争を避けようとはしていない。むしろ、世論に訴えることで、政治的な高次な合理性を目指しているのでしょう。そこには、現政府なりの政治責任のとり方があるのです。私は、そのことを批判しないどころか、高く評価します。「国策による被害者」とまでいった政府は、歴代ないと思います。
私は、手法を問題にしているだけです。政治責任を認めた政府が、なぜ、東京電力を免責にしないのか。免責にすることで、法律的安定性の高い処理ができるのに、より迅速な対応ができるはずなのに、「国策による被害」に相応しい補償ができるはずなのに、なぜしないのか。そこにのみ、批判を集中しているのです。
財源がない、ということが政府の論拠なのですが、社債権者と銀行等の債権者に大きな損失を与えない限り、東京電力を経由した賠償支援費用と、直接的な政府補償の費用とは、大差ないものになるはずなのです。もっとも、だからこその、枝野長官の債権放棄論なのですが、それでも、東京電力株式から失われた時価総額3兆円の効果など、経済全体への総合的な影響からみて、費用効率は考えるべきでしょう。
一連の論考の初期に強い政府批判を展開したのは、政府が政治責任を曖昧にしようとしていたからです。しかし、その後、政府は、きちんと世の批判を受け入れて、責任を認めた。素晴らしいことです。だったら、いっそ原点に返って、東京電力免責から検討し直しましょう。最後まで、政府には、そう、お願いしたい。
なお、念のためですが、私は、断じて東京電力擁護派ではない。逆に、東京電力の経営に対しては、極めて強い批判的見解をもっています。ただ単に、政府の政治責任と、東京電力の経営責任とは、厳格に分離して考えるべきだという主張をなすのみです。政府が政治責任を認める程度が大きいほど、東京電力の経営責任をより厳しく追及できるということです。枝野長官が政府と東京電力の連帯責任をいうとしたら、その厳格な意味は、もたれ合い的な連帯ではなくて、相互に厳しい関係であるべきでしょう。
以上
次回更新は、6月23日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。