あり得ないはずの東京電力の法的整理を主張する論者の思惑

森本紀行
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東京電力の法的整理は理論的にあり得ないということの確認と、にもかかわらず、法的整理を主張する人の絶えないことについては、何らかの政治的、あるいは社会的な背景がなければならないはずだ、と、まあ、そのような論調の展開ですね。

 6月14日に、朝日新聞は、「原発事故賠償 - 東電は法的整理の道を」という題の社説を掲げました。実に幼稚な内容であって、全く論評に値するものではありませんが、それでも、朝日新聞という名前には多少の意味があるらしい。
 事実、全国銀行協会の奥会長も、16日の定例記者会見で、この社説に関する意見を求められて、「私もびっくりした。しかも朝日新聞が、このようなことを書かれたことにびっくりした」といっておられます。お粗末な内容にびっくりされたと同時に、朝日新聞という名前のもとに発表されたことに、より多くびっくりされたようです。会長も、世の中には、「いろいろな意見があるのだなと」認めつつも、「法的整理という議論が出ていることについて、甚だ当惑して」おられます。
 「いろいろな意見がある」とはいっても、原子力損害賠償に関する厳格な法律の枠組みの中では、そう勝手気儘の自由な議論ができるものではない。東京電力の社会的責任や政府の政治的責任を論評するのは自由ですし、将来のエネルギー政策や原子力の利用に関して政治的意見を表明することも自由ですが、損害賠償債務や企業の法的整理のような純粋に法律的なことについて、政治政策論や社会的責任論をいれる余地は、ないものと考えます。


法的整理を主張する論者は、実は、法律論の偽装のもとに、政治論を展開しているということでしょうか。

 私は、そう思います。


日本弁護士連合会が20日に内閣総理大臣と経済産業大臣に対し提出した、17日付けの「福島第一原子力発電所事故による損害賠償の枠組みについての意見書」も、そのようなものでしょうか。ここでは、どうみても法律の専門家の意見書としか思えない外形のもとで、東京電力の法的整理が主張されていますけれども。

 外形よりも、まずは、内容を読むことです。日本弁護士連合会のウェブサイトで、簡単にご覧になれます。これは、どうみても、新エネルギー政策の提言でしょう。原子力損害賠償に関する法律的主張は、「東京電力による資産散逸・資産の浪費を防ぎ、資産譲渡によって得られた原資を損害賠償債務の弁済に充てることを確保するため、東京電力の法的整理を検討するべきである」だけです。
 表面的には、賠償原資確保の目的をもって、資産散逸・資産の浪費を防ぐために、東京電力を法的整理に移行させ、約5兆円の送配電事業資産を政府が買い取るべきだ、という主張なのですが、よく読めば、政府が送配電事業を取得することによって、スマート・グリッドの整備を推進すべきだという政策論に眼目のあることは、明瞭です。事実、この意見書は、同連合会の5月6日付けの「「エネルギー政策の抜本的な転換に向けた意見書」という政策提言の延長にすぎないのです。
 原子力損害賠償についての法律論としては、政府はじめ各方面が、早急な賠償(あるいは政府補償)の実施を目的として、「原子力損害の賠償に関する法律」の立法趣旨に遡り、既存の利害との調整に関して様々な検討をしてきたことに対して、何らの言及もない。
 この意見書は、原子力損害賠償に関する法律家の意見ではない。もしそうだとしても、賠償履行だけを目的とする限り、東京電力の法的整理を主張する論拠は薄弱ですし、そのことで、賠償原資を確保しようとする仕組み自体も、法律的には無理が多いと見受けられます。一方、エネルギー政策論としては、東京電力の法的整理を主張する論拠は、それなりにあるのでしょう。
 繰り返しますが、私には、法的整理を主張する論者は、早急な賠償(もしくは政府補償)を望む被害者を差し置いて、勝手な政治論を展開しているとしか思えないのです。


では、厳密な議論をしていきましょう。まずは、東京電力の賠償責任、もしくは、政府の補償責任という枠組みの中では、原理的に、東京電力の法的整理など、あり得ないことの確認から始めましょう。

 これまでの一連の論考を通じて、何度も何度も、確認してきたことですが、もう一度、改めて整理します。まずは当然ですが、東京電力に賠償責任があるという前提で、論じましょう。
 今回のような大規模な事故のもとでは、東京電力の負担能力を遥かに超える巨額な賠償債務が発生しています。「原子力損害の賠償に関する法律」第十六条は、その場合における、政府の支援を定めています。これは、支援できる、という趣旨ではなくて、支援する、支援しなければならない、という政府責任を定めたものと解釈されています。
 もともと、現行法のように、原子力事業者に第一義的な無限賠償責任を課し、政府が後方的資金支援に回る仕組みには、立法時にも、ずいぶん議論があったわけですが、結局、当時の政治的状況を反映して、いまのようになったのです。しかし、立法時の議論では、政府支援責任を重く解して、原子力事業者を破綻させない、ということが了解されていました。
 さて、その政府支援ですが、これは、国会の議決を得た範囲でしか行えないことが法律に書いてあるから、政府は、「原子力損害賠償支援機構法案」を、14日に衆議院に提出しました。また、それに対して、自由民主党は対案の提出を準備している。それが今の政治状況です。
 この法律の枠組み自体を動かすことは、当然ですが、できません。この枠は、実は、意外と拘束の大きいものです。だから、その制約の中で利害の調整をしようと、皆で知恵を絞っているのだと思います。政府だって、自民党だって、ちゃんと仕事をしている。もしも、枠自体を外したいならば、法律第三条のただし書きを使って、東京電力を免責にするしかない。私の東京電力免責論は、ここに立脚していますが、今回は論じません。
 支援の枠組みの最大の拘束条件は、政府の立場は支援にとどまるという、その基本的なことです。つまり、賠償自体は、あくまでも、東京電力が行わなければならない。政府は、それに必要な資金を援助し、また、それに関連した支援を行うのみです。このことは、政府案も、自民党案も、当然に前提にしています。だから、東京電力は賠償主体として存続しなければならない。それが法律の前提ですし、立法時の議論も、そうなっていたはずです。賠償の履行過程における東京電力の破綻は、断じて、あり得ないのです。
 それと、もうひとつ、付け加えましょう。法律の目的には、賠償に限らず、電気の安定供給と、その前提となる電気事業の継続も、当然に、含まれている。その事業の継続が、賠償資金確保の前提となっているのです。それが、法律の仕組みだと思います。


法的整理を行うことで、賠償債権の地位が脅かされることが、最大の問題ですね。

 法的整理を行えば、債権相互の優劣が顕在化します。賠償債権は特別の保護のあるものではないので、一般債権と同等に並びます。一方、社債は、電気事業法第三十七条の先取特権で保護されるので、一般債権に優越します。この債権間の秩序も、絶対に動かしえない法律上の拘束ですし、法的整理があり得ないことの理由です。
 このことについては、枝野官房長官が6日の記者会見で確認しています。枝野長官は、法的整理を排除する理由として、原子力損害賠償債権と事故対策に従事する業者(特に中小事業者)の営業債権との保護をあげています。正しい見解です。法的整理へ移行すれば、実は、賠償債権をはじめ、一番保護しなければならない債権が、弱い立場になってしまいます。
 法律は、賠償債権を保護するために、破綻を回避させる目的で、政府による支援を定めているのです。支援を放棄して、法的整理に追い込み、賠償債権を毀損させることは、まるっきり法律違反であるか、少なくとも法律の趣旨に反することです。


ところで、技術的な問題ですが、そもそも、どのようにして法的整理を申立てるのでしょうか。誰にも、申立てる利益がないのかもしれませんね。

 そこの論理構成が、法的整理論の一番お粗末なところだと思います。
基本前提は、損害賠償債務の存在を考えれば、東京電力は実質的に債務超過である、だから、法的整理が必要だし可能でもある、ということだと思います。しかし、実質的に債務超過ということ、法律的に債務超過ということとは、異なる。賠償債務は、金額も個数も特定されていない状況です。
 仮に債務超過だとしても、誰が法的整理を申立てるのでしょうか。申立てる利益があるのは、東京電力に債務弁済を含め資金資産管理を委ねておくならば、債権者間の公平性が保てない、という危機感をもつ債権者や、資産散逸・資産の浪費を懸念する債権者だと思いますが、それは誰でしょうか。
 何となく、論者は、政府が法的整理への移行を主導することを予定しているようですが、政府は、どうみても、そのような法律上の立場にない。


それでは、政府を債権者にすることで、政府が法的整理を主導できるようにするしかないですね。

 そうです。この論点は、水面下では、相当に議論されていると思います。ただし、安直な法的整理論との決定的な違いは、賠償支援の結果として生じる政府の東京電力に対する債権の行使の問題として、法的整理が検討されていることです。
 何度もいうように、政府の支援は支援なのです。政府支援を受けた分、東京電力の賠償債務が政府へ移転するのではない。支援があろうが、なかろうが、東京電力の無限責任は変わらない。だから、政府から支援を受けた金額は、政府に返却するのが、原則なのです。それが、原子力事業者の無限責任を定めた法律の趣旨です。
 ただし、支援額の全額の返済を求めるのではなく、一部、政府負担を定めることや、返済の方法について、例えば、出資による支援のように、返済の不確実性を伴うものもあることは、当然です。支援の枠組みというのは、そのような様々な支援形態の合理的な構成のことをいっているのです。
 ここでの論点は、政府支援額のうちの相当程度が、東京電力にとって、最終的には、債務性のあるものに転じるであろう、ということであって、そのことは、現政府案も、想定していると思われます。


東京電力の法的整理は、政府支援の前提としては、あるいは、政府支援の方法としては、断じて、あり得ないが、逆に、政府支援の結果として、将来のどこかで、賠償にめどがついた段階では、東京電力の法的整理が行われる可能性はある、ということですね。

 そういうことです。そのような可能性は残っているのです。くどいようですが、賠償支援の枠組みには、断じて、法的整理は入らない。しかし、賠償が終わったときには、政府が東京電力に対する巨大な債権者して立ち現れる可能性は、あります。その段階では、政治判断に基づき、そのときのエネルギー政策を反映させて、東京電力を処理すればいい。政府は、債権者として、やるやらないは別にして、引き金を引く可能性を留保できるだろうと思います。しかし、それは将来の政策でしょう。
 論点は、今この時点で、賠償履行が緊急の課題である今、賠償問題に政治を介入させることは、どうしても認められない、ということなのです。賠償は賠償として、直ちに、現行法に忠実に行わなければならない。そういう意識のもとでは、今は、少なくとも賠償が終わるまでは、法的整理などの議論ができないことは、すぐにわかるでしょう。要は、政治と賠償とを、きちんと分けろ、ということです。倫理的に当然の節度です。


ところで、支援の結果、政府が東京電力の債権者になるという仕組みを、簡単に説明してください。

 まず、立法過程では、原案は、政府が最初に賠償責任を負い、後で原子力事業者に全額求償する形でした。しかし、民間事業に関する直接的な責任を政府が負うことは例がないことなどを理由に、現在の形になったのです。
 この経緯は、よく知られているのだと思います。自民党案というのは、東京電力の賠償責任を前提しつつも、仮払いを政府が代行する(まさに、賠償支援の一形態ですね)形で、東京電力に対する求償権を確保するものです。自民党の河野太郎衆議院議員が、ご自分のウェブサイトで、この求償権について、社債に優越する特別な先取特権を認める案を示して、物議をかもしたのは、記憶に新しい。
 現在の政府法案でも、東京電力に課する特別負担金は、将来額に関する債務性はなくても、確定させて請求が行われれば、債務性が発生するのは当然です。
 これら、政府が求償権や特別負担金債権を行使することで、東京電力の法的整理に至る可能性は、排除できません。しかし、仮にそのようなことがあっても、それは、どう考えても、賠償が終わって、求償権なり、請求すべき特別負担金累積額なりが、確定してからでしょう。賠償過程での法的整理は、あり得ない。
 その場合でも、社債権者の地位は動かし得ないはずですし、有名な枝野長官の債権放棄論は、仮に銀行の債権放棄があるとしても、政府の負担する損失、つまり政府の債権放棄額、との合理的衡量の中で、適切な解決を得ることになるのだと思われます。


ところで、日本弁護士連合会の意見書は、無視ですか。ここまでのところ、あまり論及がないですね。

 無視するのは失礼ですね。ただし、一読、非常に奇抜なものなので、理解が難しい。法律の専門家の提言だと思うから、朝日新聞の社説のように、無内容として切り捨てることもできない。でも、法律上の提案としては、極めて無理のあるものだとは、どうしても、思ってしまう。そうはいっても、色々な意味で、おもしろいので、今回は、私の理解している範囲で、概略を紹介しておきましょう。
 中核は、政府が、東京電力の損害賠償債務を承継する対価として、送配電事業(5兆円の価値と見積もっています)を譲り受けることにあります。どうやら、5兆円の全額を債務承継と相殺するのではなくて、一部は現金による支払いも想定しているようです。いずれにしても、5兆円の送配電資産が、賠償履行のための特定資産として、政府へ移転し、その範囲内で、賠償責任も政府へ移転するということです。
 その上で、東京電力を法的整理する。なぜ、法的整理が必要かというと、東京電力に資金資産の管理を任せておくと、資産散逸・資産の浪費が起きるからだそうです。このあたりは、法律の専門家の論理としては、いかにも奇抜だと思いますので、引用しておきましょう。
 現政府案は、「東京電力が費用負担や債務弁済も自由にできるものであり、また,無担保債権者への弁済や役員・従業員の給料,退職者の一時金や年金その他の支払は自由というもので、株主や金融債権者の責任も問われないものである。そうなると,東京電力の事業継続の過程で,4兆4000億円に上る社債の返済を含む債務弁済や費用支出という形で、資産の散逸・浪費がなされ、上記の資産譲渡によって得られた原資を損害賠償債務の弁済に充てられないおそれがある」のだそうです。
 この論理の背景にある考え方は、「リスクある事業に融資や投資をした債権者や株主が,その責任を引き受けることなく税金や電力料金の値上げで救済を受けることはモラルハザードに当たる」という思想です。この一般論、耳聞こえがいいようで、実は、原子力事故のリスクが単なる事業リスクではないことを理由に、特別法が制定されているという、その根本の理解が抜け落ちている。
 この意見書は、現行法制の枠の中で工夫をして、諸利害間の調整をはかりつつ、早急な賠償履行を目指すという誠実な態度ではないですね。ほとんど超法規的といってもいいような、極めて強い政治的立場の表明のように思われます。いずれにしても、どのような法律構成で、かような案を実現しようとするのか、皆目見当もつきません。多分、不可能です。
 また、私は、賃金の支払いや社債の償還のような電気事業継続に必要な支出までも、資産の散逸・浪費と決めつけるような思想には、到底ついていけない。賠償履行のために電気事業をやめろ、というのでしょうか。これが、日本弁護士連合会なのですよ。皆さん、怖くないですか。

以上


 以上の議論は、過去の論考を前提にしたものですから、できましたら、下にある関連論考を合わせてお読みいただけると、幸いです。次回更新は、6月30日(木)になります。


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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。