東京電力の西澤俊夫社長は、9日の四半期決算発表のときの記者会見で、「原子力損害賠償支援機構法」の成立により、資金の流れができたので、債務超過にはならない、との見通しを述べています。しかし、賠償履行のための資金繰りのめどがついたとしても、債務超過になるかどうかは、また別の問題ではないでしょうか。
債務超過になるかどうかは、第一に、債務超過の定義によるのです。債務超過を広く解して、東京電力は既に実質的に債務超過なのだから、直ちに法的整理に移行すべきだ、という論者が、たくさんいるくらいです。私の主張は、過去の一連の論考(本論末尾に一覧で掲げていますので、ぜひ、ご参照ください)につきているので、詳しくは繰り返しませんが、実質的に債務超過だからといって、法律的には債務超過ではないので、法的整理はあり得ない、ということにつきます。
東京電力の社長の発言の趣旨も、法律的な意味においては、債務超過にはならない、ということにすぎません。なぜかというと、「原子力損害賠償支援機構法」により、債務超過を回避する手当がなされているからだ、という論理です。
実質的には、既に債務超過なのでしょうか。
それは、常識的にみて、当然でしょう。東京電力の6月末の純資産は、既に約1兆円にまで減少しています。原子力損害賠償費用については、約4000億円を特別損失として計上したにすぎず、未計上の賠償債務残高が純資産額を大幅に上回るであろうことは、確実だからです。
この実質的に債務超過であるということは、東京電力自身も、政府も、私も含めて、全ての論者の共通認識だと思います。単に、一部の論者が、実質的な債務超過を直ちに法律的な債務超過に結び付けて勝手な議論をしたり、法律的な債務超過を回避する政府支援のあり方を批判したり、しているにすぎません。
実質的に債務超過なのに、なぜ、法律的に債務超過にならないのでしょうか。
なぜ、法律的に債務超過にならないか、ではなくて、なぜ、法律的な債務超過にしてはいけないのか、という問いのたて方のほうが、妥当でしょう。法律上、政府による賠償支援は、賠償資金の支援ではなくて、東京電力という主体が負う賠償責任の履行に対する支援なのです。だから、論理的に、賠償主体としての東京電力の存続が前提になる。ゆえに、東京電力を債務超過にしてはいけないのです。
わかりにくいですね。政府の支援は、賠償支援ではなくて、東京電力に対する経営支援だということでしょうか。
そういうと、東京電力の経営を支援するとはけしからん、という批判が殺到しそうですね。しかし、ここは、冷静に考えていただきたい。法律の仕組みは、東京電力が賠償責任を負うという前提にたつ限り、政府には東京電力の賠償履行を支援する義務があること、その政府支援の方法を定めるために、このたび、「原子力損害賠償支援機構法」等が制定されたということ、そのようになっているのです。
つまり、東京電力が、東京電力のみが、賠償責任を負うこと、これが現行の「原子力損害の賠償に関する法律」の趣旨なのです。第三条ただし書きの免責を適用しない以上、そういうことになるのです。今では、原子力事故に関する政府責任は明確になっているのですが、現行法の仕組み上は、政府が直接に損害補償を行うことはできません。政府の直接補償に切り替えるためには、第三条ただし書きにより、東京電力を免責にするしかない、これが、私の一貫した主張ですが、今回は、繰り返しません。
賠償主体としての東京電力は、少なくとも、賠償完了までは、政府の支援により、存続します。というよりも、賠償を完了させるために、存続させる、というのが、法律の趣旨です。ゆえに、まちがっても、法律的に債務超過の状態になることで、債権者からの法的整理の申し立てが起きるようなことは、あってはならないのです。
債務超過の問題は、国会審議の中でも、論点になっていますね。
衆議院の東日本大震災復興特別委員会での審議は、7月11日から26日まで行われたのですが、議論は、債務超過の問題、東京電力の利害関係人(債権者、社債権者、株主)の負担、第三条ただし書き免責を否定した根拠、電気料金への賠償費用の転嫁の可能性、政府の責任などが主なものでしたが、なかでも、債務超過は、大きな論点だったように思われます。
債務超過についての政府見解は、私のこれまでの主張と、全く同じです。それは当然で、さすがに政府だけあって、現行法の仕組みに忠実に法案を用意しているのですから、法律の論理に基づく私の議論と異なるはずはありません。
債務超過にしない理由としては、政府は、賠償履行だけでなく、電気の安定供給もあげています。それに対して、法的整理を主張する論者の思惑は、電気事業の再編にあるのでしょうから、東京電力を解体することで、新しい電気の安定供給体制を目指すというのが主眼なのです。このことについての政府の見解は、電気事業のあり方については、東京電力の賠償支援と切り離して、別途、早急に検討するというものであり、ゆえに、当面の賠償過程では、現在の東京電力の電気安定供給体制を維持すべき、というものですが、至極常識的な政治判断ではないでしょうか。
それから、東京電力に資材役務を提供している事業者の営業債権の保護にも言及されています。債務超過による法的整理へ移行すれば、債権間の優先順位が、現実化してしまいます。つまり、法律上、社債は、電気事業法に根拠のある先取特権により最優先で保護され、その社債に劣後して、銀行等の債権、事業者の営業債権、そして原子力損害賠償債権が、並列で並んでしまう。
5兆円近い社債の残高を考えれば、それに劣後する一般債権者の地位は、著しく不利です。だから、法的整理はあり得ず、ゆえに法律的な意味での債務超過もあり得てはならないのです。このことは、これまでも政府が繰り返し説明してきたことですが、国会審議でも、議論が繰り返されています。それに対して、法的整理を主張する論者は、超法規的な勝手な議論を繰り返すのみです。
特に面白いのは、14日の審議ですね。一連の論考で何度か主張を紹介してきた自由民主党の河野太郎議員、まさに法的整理論の急先鋒ですが、その感情的な語気の激しい質問に対して、海江田経済産業大臣は、「私は本当に耐えるに耐えてきていますので、少し声を荒げられても私は動じませんから」と答えています。「忍」の字を掌に書いて答弁し、ついには泣いてしまった大臣ですが、少し気の毒な感じもします。なにしろ、答弁は、実にまともなのですよ。
賠償履行中の東京電力の法的整理があり得ないとして、では、賠償が終わった、あるいは、賠償にめどがついた段階では、どうなるのでしょうか。法的整理はあり得るのでしょうか。
これまでの論考で何度も申しあげたように、賠償にめどがついた段階では、法的整理は、十分に考えられます。
政府支援のもとで東京電力の賠償が完了した段階では、やはり、東京電力は、事実上の債務超過になっています。ただし、今は、潜在的な原子力損害賠償債務のゆえに事実上の債務超過であるのに対し、賠償完了後は、政府がもつ「特別負担金」の潜在的請求権ゆえに事実上の債務超過になるのです。
この「特別負担金」というのは、政府が支援した金額に対する東京電力からの弁済のことです。国会答弁のなかで、政府支援について、海江田大臣は、はっきりと、「東電にしっかりと返済をお願いするものであります」と明言しています。ただし、債務性を帯びるものとすると債務超過になりますので、「特別負担金」は、機構が、事業年度ごとに、東京電力の収支の状況に照らしつつ、それでも、「できるだけ高額の負担を求める」ものとして、金額を決めて請求するものです。
金額が決まって請求されれば、債務ですが、その債務は、東京電力が債務超過にならないように、機構が上手に決めて請求するものだから、当然のこととして、東京電力は債務超過にならない。この仕組みを前提にして、将来も東京電力が債務超過になることを想定していないと、海江田大臣は答弁しています。しかし、弁済すべき支援金額の残高は、必ず「特別負担金」として請求されるものだから、潜在債務ではある。ゆえに、事実上の債務超過にはなるのです。
問題は、「特別負担金」は、機構の判断で請求額を決められるものなので、東京電力を債務超過にするように金額を定めることもできる、ということです。この可能性自体は、政府も、明示的には否定していません。ただし、政府を拘束する条件がある。それが、電気の安定供給の確保なのですね。つまり、逆にいえば、東京電力を法的整理に移行させても電気の安定供給に支障がないような条件が整っていれば、おそらくは、政府主導による法的整理が行われる可能性が高いのだと思われます。
なぜなら、「原子力損害賠償支援機構法」は、附則において、「できるだけ早期に(付帯決議で、「一年を目途とすると認識し」とされています)、政府責任のあり方を見直すこととし、また、「早期に」、賠償費用の負担のあり方を見直す旨を、最初から規定しているからです。その早期に行われる大きな見直しのなかで、ひとつの手段として、東京電力の法的整理が検討される可能性が大きいのでしょう。
仮に、法的整理があるとして、そのとき、政府の「特別負担金」の請求権と社債との優先劣後関係は、どうなるのでしょうか。
法律に明示のない先取特権はあり得ません。いかに政府の請求権とはいえ、「原子力損害賠償支援機構法」で特別な手当てをしなかった以上、電気事業法に定められた社債の先取特権には勝てない、と考えるほかないでしょう。おそらく、社債の地位は、動かし得ないのだと思います。
では、他の一般債権についてはどうでしょうか。
政府の債権を優越させるためには、やはり、法律の規定が必要なのだと思いますから、その規定を置かなかった以上、政府の債権と他の一般債権は、同等に並ぶのではないでしょうか。ただし、このときは、既に、原子力損害賠償債権はなくなっているので、社会的な公平性を守れるような利害調整は、十分に可能でしょう。
その調整の中で、結局は、銀行等の債権者と、政府との間で、負担の合理的配分が行われることになるのだと思います。銀行等の債権放棄の問題ですが、もしも、政府責任の見直しの結果として、より大きな政府責任を認めるならば、政府の負担額を大きくし、銀行等の債権を極力保護するようにするのでしょうし、あくまでも、民間事業者としての原子力事業者の責任を重くみるならば、また、それなりの負担割合の調整があるのだと思います。
なお、念のためですが、見直しの方向は、政府責任を「明確にする観点から検討を加える」とされているので、銀行等の債権は、それなりに保護されるのではないかと思いますが、完全に保護されるかというと、「国民の理解」という政治配慮がでてくるのは避けられず、まさに、政治の問題になるのだと思います。
株主はどうなりますか。
非常に厳しいでしょう。100%減資もあり得るでしょうね。
なお、仮に、法的整理がないとしても、つまり、「特別負担金」を長期に課すことで政府の資金回収が行われるとしても、株主に帰属する配当原資が、全額、「特別負担金」の形で吸い上げられることは、まちがいないので、長期にわたって、株主配当が支払われる可能性は、あり得ません。今の東京電力の株式の価値は、非常に遠い将来における復配可能性を、ささやかながらに体現するだけのものです。
法的整理がないとしても、上場維持は、どうなのでしょうか。可能なのでしょうか。
これも、国会審議で問題にされています。つまり、政府支援のもとでのみ債務超過を回避している企業は、「ある意味でにせもの民間会社」なのだから、監査意見はつかないのではないか、という質問です。これに対して、自見金融担当大臣は、法律で支援の仕組みを決めたのだから、その法律に基づく財務諸表の作成は可能で監査も可能である、という趣旨の回答をしています。
自見大臣のいうとおりかどうかは、私には、少し疑問があります。たとえば、賠償債務は、見積もりが困難なので、具体化したものだけを費用化し、債務化するしかないのでしょうが、政府支援が始まって、その支援残高が将来の「特別負担金」支払債務として確定してくれば、潜在債務残高の測定が合理的に可能になるのだから、それを債務認識しないでいいかどうかは、相当に議論があるでしょうね。
もしも、債務として認識すべきだ、ということになれば、会計的には、債務超過になる可能性が高いのだと思います。だからといって、政府が法的整理にもち込むことは、賠償履行過程ではあり得ないでしょうが、上場の問題は別でしょうね。東京証券取引所の判断ですが、何となく、上場維持は難しくなるような気もします。
賠償履行の問題については、一応の資金繰りのめどがついたのでしょうが、東京電力の本業の電気事業の継続については、どうなのでしょうか。
そこが、最大の問題なのですね。ですから、政府は、電気の安定供給ということを再三強調しているわけです。繰り返しになりますが、法律の趣旨は、東京電力が電気事業を安定的に継続しつつ、その事業収入から賠償資金を捻出することを本旨とし、政府支援は、その資金を一時的に融通するものにすぎず、後に事業収入から弁済させることが予定されているものなのです。
政府が、東京電力の電気安定供給体制の維持にこだわるのは、二つの意味があって、第一は、当然に社会的な電気需要を満たすためですが、第二は、賠償資金の確保なのです。だから、法的整理は、あり得ないということなのですし、政府支援資金の使途は、東京電力の経営判断に任されて、賠償履行と電気事業との両方の必要資金に充当されることが予定されているのです。
しかし、法案成立に際して、政府支援は「原子力損害を賠償する目的のためだけに使われること」という付帯決議がつきました。付帯決議の拘束力はともかくとして、それなりに尊重しないといけません。政府も、原則論としては、使途の特定を認めていますし、東京電力の社長も、その趣旨を記者会見で述べています。
こうなると、電気事業の維持にかかわる資金調達の問題は、極めて深刻な事態になるのだろうと思います。電気事業についても、今後は、大きな資金調達が必要になるのだろうし、そもそも、電気販売が大きく低下し、原子力発電事故対策費をはじめ、老朽した火力発電所の再開などで、費用は増大しています。4-6月の3か月だけでも、東京電力の電気事業は、600億円以上の赤字です。
しかも、これまで述べてきたように、東京電力の賠償履行後の法的整理の可能性は大きくなっているのでしょうから、社債や株式の新規発行は、不可能に近いでしょうし、新規融資を受けられる可能性も乏しいと思います。こういう事態に東京電力を追い込むことは、法律の趣旨に反しているのですが、政治的には、どうやら、押しとどめることができなかったようです。私は、非常に危惧しております。
それから、危惧すべき点は、まだまだ、たくさんあります。政府支援の前提となる利害関係者の協力の具体的意味、政治的に電気料金引上げを極力避けるとしていることの制約、東京電力の廃炉費用計上の問題、原子力発電を縮小していくとしたときの全電力会社の廃炉費用を含む施設除却損失計上の問題、東京電力からの施設買い取りによる資金支援の方法と送電分離問題、などなどですが、時間切れですね。
では、とりあえず続きとして、次回は、「東京電力は電気事業を継続できるか」という主題でやりますか。
以上
以上の議論は、過去の論考を前提にしたものですから、できましたら、下にある関連論考を合わせてお読みいただけると、幸いです。次回更新は、8月18日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。