どうしようもないのです。必要ならば、そのときの国民の税金による負担で建替えるのでしょうね。必要でない場合は、放置するのも危険ですから、民間に売却して、民間の資金力で解体再利用をしていくのではないですか。恐らくは、施設建設時には、遠い先のことなど全く考慮されていないのでしょうから、施設管理責任者である行政庁も、政治家も、誰も何ともいえないというのが実態ではないですか。
なぜ、そのように無計画になってしまうのでしょうか。
さあ、難しすぎて、答えようがありませんが、一つの技術的な要因は、公会計の特殊性にあるのだと思われます。簡単にいってしまえば、公会計には、資本性支出の概念がないのです。施設の建設のための支出も、人件費等と同じように、単年度の予算内で処理されて、それっきりになってしまう。要は、企業会計は、企業の永続性を前提にして無限の将来へ及ぶ時間軸の単年度の輪切りになっているのに対して、公会計は、単年度予算を基礎にした1年限りのものなので、原理的に長期の視点を欠いているのです。
あからさまにいって、政府としては、予算をとって作ってしまえば、それでお終いということなのですが、まあ、作ることが目的だったのだから、それでよかったのでしょうね。しかしながら、本当は、個々の施設を作ることが目的なのではなくて、企業会計の視点と同じように、永続性の見地から、国土を整備することが目的だったはずなのですがね。
古くは田中角栄首相の時代の日本列島改造、今では自民党安倍総裁の国土強靭化などは、確かに長期的な視点での国土整備計画として構想されてはいるのでしょうが、実際に個別具体的に予算がついて建設が始まると、建設自体が目的化されてしまって、建設後の施設の維持管理の問題はどこかへいってしまうというのが実態でしょう。
そうなってしまうのは、多くの場合、表面的な構想が長期的な国土整備計画であっても、現実的な目的は、短期的な景気対策や選挙対策だからです。しかも、悪いことに、公会計の仕組みが単年度という極めて短い時間しか管理できないのだから、会計情報面からの牽制が効きにくいのです。
例をあげれば、国立大学と私立大学の会計方式の違いが分かりやすいですね。
そうですね。国立大学は、独立行政法人の一類型である国立大学法人が経営しています。ですから、会計は独立行政法人が使う公会計の仕組みです。一方、私立大学は、企業会計に近い学校法人会計を用いています。両者の一番大きな差は、校舎等の施設の会計処理です。
国立大学の校舎や研究棟のような施設は、他の公共施設と全く同じように、税金で建てられ、老朽化が進んで建替えるときは、再度改めて税金が投入される仕組みです。長期的な視点で大学全体の施設を計画的に維持管理するような財政の仕組みはありません。要は、必要なときに、その都度、国に建設を要請するという行き当たりばったりの無計画が本質です。
ところが、私立大学の場合は、施設維持のための財源の確保が義務化されています。つまり、資産勘定の施設等の減価償却前の残高に一致した額が、負債・資本勘定に基本金(第一号基本金といいます)として確保されなければならないという厳しい規制があるのです。即ち、施設は減価償却していきますが、償却累積額は流出させてはならず、現金等の流動資産で基本金として留保されなければならないのです。
この意味するところは、私立大学が一定の金額で施設を建設すると、その建設に要した額を将来の更新再建築のために留保し続けなければならないということですから、施設が老朽化して再建設するときは、それに要する資金の蓄積は事前にできているということです。
私立大学の場合は、永続性を前提として、施設の恒久的管理のための財源確保がなされているのに対して、国立大学の場合は、でたとこ勝負の国頼みで施設を維持しているということです。おもしろいのは、私立大学に施設維持原資の確保を命じているのが国の規制であることですね。民間には厳しく、自分には甘いのが政府の体質みたいです。
一般に、私立大学に限らず、どの民間企業も、事業継続の永続性を前提として、施設の維持管理費用を計画的に積立てるなり、必要資金の調達が円滑に行われる条件を整備しておくなりの対策をとっています。当然のことです。しかも、こうした資金計画を建てる前提として、施設の維持や新建設・再建設の必要性も真剣に検討されるのです。これも当然のことです。しかし、政府による施設建設の場合は、この二つの当然のことが行われていない。ここに大きな問題があるのです。
建設を続けて施設が増大すればするほど、管理費や改修費、老朽化に伴う除却廃棄費用と再建築費など、維持費も増大していきます。新規建設を停止したとしても、維持費だけで膨大な金額になってしまいますね。
仮に長期的な国土整備計画があって、それが概ね完成したとすると、その先の新規建設は相対的に小さくなる一方で、維持管理費(管理費・修繕費・廃棄費・再建築費など)の総計は最大値で安定推移することになります。その時点で、政策課題は、建築から維持へ変わらないといけません。
ですから、日本が完全に成熟化し、人口増が峠を越えて人口減に転じたとき、ちょうどそのときに、「コンクリートから人へ」と訴えて民主党政権が発足したのは、もちろん、偶然ではなくて必然であったわけです。高速道路についていえば、既に自民党政権時代に2021年3月31日での新規建設の停止が決定されていたわけで、別に政権交代がなくとも方向性は同じであったのですから。
ところが、大きな誤算が生じたのですね。
誤算であるのか、当初から想定されていたにもかかわらず隠蔽(もしくは敢えて見ない振り)されていたことが露見したのかは、定かではありませんが、とりあえず誤算と呼んでおきましょう。少なくとも、二つの大きな誤算があったようです。
第一に、長期間にわたって大量に施設を建設し続けてきた結果、仮に現時点で新規建設を停止したとしても、初期に建設した施設の耐用年数切れが始まってくることもあり、維持管理費だけでも膨大な金額に到達してしまっていること。しかも、この費用の事前の見積もりについては、かなり甘かった可能性が高いことです。ただし、仮にきちんと見込まれていたとしても、制度的に事前に資金準備することにはなっておらず、最初から遠い将来へ先延ばしにされる仕組みなのですから、どうしようもなかったわけですが。
第二に、建設資金の多くを負債によって賄ってきたために、巨額な財政赤字を累積してしまったことです。現状、極端に財政の悪化した状態にあるからこそ、設備維持財源にも事欠くのです。
つまり、過去の長期に及ぶ施設建設の結果、二つの大きな金食い虫、即ち、維持費が嵩む巨額な施設残高と弁済費用の嵩む巨額な債務残高との二つが生れてしまったということですね。さて、これが、意図せざる結果か、こうなることが最初からわかっていながら無視してきたことの結果か、さて、どちらでしょうか。
過去の経緯はともかく、時間は戻らないので、将来へ向かっての対策を検討するしかないのでしょうが、さて、どのような解があり得るでしょうか。
別に画期的な解があるわけではない。誰が考えても自然な答えは民営化です。事実、政府自身もそのように考えて、民営化できるものは、民営化してきたはずです。巨額な施設を使用する事業の民営化の例としては、日本国有鉄道が代表的でしょう。
高速道路改革も、言葉としては民営化と呼ばれていますが、実際には民営化ではありません。問題の中核である施設の所有を政府に残したままでは、民営化になるはずもないのです。ここに大きな欺瞞があったのです。
高速道路を民営化できなかったのは、道路の所有者は本来道路管理者である国や地方公共団体であるという建前が崩せなかったからです。しかし、今回の中日本高速道路の中央自動車道トンネル事故を契機にして、施設の維持管理や更新に要する費用の問題について深刻な再検討が行われるのであれば、そのなかでは真の民営化という案もあり得なくはないでしょう。
民営化の利点は何でしょうか。
先ほど述べたように、民間企業ならば当然に行う二つのこと、即ち、科学的な資金計画と、その前提としての施設の維持・新建設・再建設の必要性の科学的検証とが適切になされるようになることです。経済的に合理性のない無駄な施設はなくなるでしょうし、事業として高速道路運営を行うのだから、顧客の安全性確保のための設備投資は、最優先のものとして取り組まれるでしょう。
しかし、不利益も予想されますね。
経済的に合理性のない無駄な施設という定義は、営利企業の視点のものであって、社会政策的に必要かどうかという視点ではないですから、一定の地域の住民や利用者について不利益の生じることは避けられない。事実、日本国有鉄道民営化により、多くの地方路線が廃止になってしまいました。
また、高速道路の場合は、当然ですが、無償化という前提が放棄されます。有料道路が恒久化されます。料金が上がるかどうかは微妙な問題です。施設維持費用を事前に見込むことで料金引上げが起きそうですが、現在の料金にも減価償却費相当は含まれていて、ただ使徒目的が、現状では債務の弁済に充当されているのに対して、民営化後は内部留保されるだけですから、本質的な差はないようでもあります。要検討ですね。
また、高速道路や鉄道の場合は、明確に利用者負担ということがいえて、社会的公正の見地からの深刻な問題を起こさないですが、事業によっては、利用者負担という視点だけではなくて、国民間相互扶助の視点、国策としての育成の視点、生活保障の視点など、非経済的視点からの検討が必要です。最大限どこまでが民営化が可能かについて、徹底的な国民的議論が必要です。
例えば、国立大学の完全民営化、大学の総私立化については、賛否両論あるのは間違いないですね。外国の例では、水道、下水道、港湾、空港などは民営化されています。さて、日本ではどうでしょうか。
民営化できないものについても、施設会計の抜本的革新などは必要ですね。
当然です。公会計のあり方については、変革が絶対に必要です。これは、民営化の議論とは直接に関係ないことで、民営化と公会計改革、この二つを並行してやることが必要です。緊急に必要です。これ以上、危険なコンクリート構造物を増やしてはいけませんから。
以上
次回更新は12月20日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。