通算200号目の論考、早いもので感慨深いです。第1回は、2008年7月24日で、「資産運用の原点に帰る!」というものでした。当時は隔週だったのですが、2009年6月4日掲載分から週次になるのです。この200編の3分の1に近い60もの論考で東京電力問題を論じてきたわけですから、記念すべき第200号を東京電力にあてるのも、むしろ自然でしょう。
私が東京電力にこだわる理由は、東京電力問題の本質を徹底的に突き詰めることが日本の産業金融の原点を突き詰めることに通じると信じるからです。これから日本を新たなる成長軌道に乗せるためには、どうしても大きな投資が必要です。投資のためには、資金が必要です。その資金調達の仕組みが産業金融ですが、実は、戦後日本の高度経済成長の裏には、緻密に設計された産業金融の働きがありました。今、日本が再び過去の輝きを取り戻す(安倍政権の公約ですね、「取り戻す」は)としたら、それは、新たなる産業金融の働きの上にでなければならないのです。
産業金融は、単なる金融制度の問題ではありません。産業金融とは、産業構造の設計、更には社会構造の設計に至るまでの全体的な見取り図のなかに、ひとつの重要な要素として資金調達の安定化の仕組みを位置づけたものです。いかに産業の設計がうまくできても、その実現のための資金調達ができなくては、仕方ありません。産業の設計は、人々のより良き生活の実現に基礎を置くものです。生活、産業、金融の全体的結合を金融の側面から見たときに、その全体が産業金融と呼ばれるのです。
電気事業は、生活と産業の基盤として、戦後の経済産業政策のなかでも最重点分野として位置づけられてきました。その電気の安定供給基盤を構築するためには、巨額かつ継続的な設備投資が、今も必要ですし、過去においてはなお更に必要でした。そのための資金調達の安定化については、金融の問題としてよりも、国民生活や産業政策の問題として、国策としての対応がとられてきたのです。その総合的な国策のなかに、あるいは、その国策の帰結として、現在の東京電力問題があるのです。ゆえに、その全体的視野を抜きにした表層的な東京電力批判の横行を、私は、どうしても看過することができないのです。
規制によって保護されてきた東京電力をはじめとする電気事業連合会加盟各社の経営体質を批判することは容易です。しかし、なぜそのような規制が行われてきたのか、規制の保護の裏で電力各社が日本の産業と生活の基盤形成にどれだけ貢献してきたのか、電気安定供給基盤の確立のための巨額な設備投資がいかに計画的に行われてきたのか、いかなる電源構成が国策的に最適とされてきたのか、その最適電源構成実現のなかでの原子力発電の位置づけはどうであったのか、民間事業として原子力発電を行うことについて資金調達面の工夫がいかになされてきたのか、そうした一連の検討を抜きにした東京電力批判や、安直な脱原子力論や、電力自由化論などに、どれだけの価値があるというのか。
今、我が国は、原子力事故の後、輸入化石燃料資源への依存度低下や地球温暖化対策などの電気事業政策の基本線を変え得ないとしたときには、再生可能エネルギーの比重を上げつつ新たなる最適電源構成の構築へ向かわなければならないのであって、そのためには、新たなる社会生活と産業政策のあり方に基づく大きな電気事業政策の構想が必要であり、その構想の実現のためには、資金調達の安定化の枠組みを確立することが絶対的な条件として必要なのです。
資金調達の安定化のためには、東京電力問題の裏にある電気事業を支えてきた産業金融の理念を正確に理解しておく必要があります。この基本理解を欠いた東京電力批判や電力自由化論や脱原子力論は、新たなる電気事業の再構築のために役立たないどころか、有害ですらあるでしょう。東京電力問題の正しい処理、これこそが日本の明るい未来を支える電気安定供給基盤再構築のための鍵なのです。
規制緩和とか自由化とかいういい方がおかしいのでは。本当は、環境変化に応じた電気事業の制度設計の変更にすぎないのですよね。
そうです。保護行政の撤廃など、あり得ないのです。電源構成のなかで政策的に原子力発電の比重を引き上げようとすれば、原子力発電に対する一定の保護政策は不可欠です。特に、立地確保や資金調達に関して制度的配慮を行うことは最重要課題であったわけです。その政策のなかに、東京電力福島第一原子力発電所があったのです。このことは忘れないでいただきたい。忘れないでいただきたいというよりも、このことを常に念頭に置きながら東京電力問題を論評してもらわないと困るのです。
もはや、時間軸の問題こそあれ、電源構成における原子力発電の比重を低下させていくことは避けられないでしょう。かといって、輸入化石燃料への依存度も下げていかざるを得ない。選択肢としては、再生可能エネルギーの比重を急速に上げていくしかない。このことについては、時間軸に関しての政治的主張に多少の差異はあるにしても、日本全体の共通理解でしょう。
だとすれば、再生可能エネルギーに対する保護政策は不可欠であって、事実、電力自由化などといわれていることも、その実態としては、再生可能エネルギー普及促進のための新たなる保護政策にすぎないのです。現に、「再生可能エネルギー法(電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法)」という法律、例の首相退任直前の菅直人氏が成立に執念を燃やした法律ですが、これなどは電気固定価格買い取り制度によって発電業者を保護する法律以外の何物でもありません。
この法律があるために、新規に再生可能エネルギー分野で発電事業に参入しようとする業者にとって、そのための資金調達が容易になっています。というよりも、この法律は、新規に参入する業者の資金調達の安定化を目的としたものなのです。生産された電気が固定価格で買い取られるのですから、将来収益は最初から安定しています。ですから、銀行にとっても、融資がしやすいわけです。
通常は、新規事業参入に対して、銀行が融資することはあり得ません。将来収益の見通しに裏付けがないからです。しかし、「再生可能エネルギー法」のもとで新規起業する業者は、最初から明確な収益見通しがあるのですから、銀行も融資できる。銀行融資が受けられるから、設備投資ができて、新規参入もできるのです。かくして、再生可能エネルギーの急速な普及が促進されるのです。これが、法律の目的であり、この法律を制定することが、電源構成の変更を目指す電気事業政策であるわけです。
多数の新規業者の参入が促されることは、確かに競争原理の導入であり、電力自由化でありましょう。しかし、その競争は、法律の保護を受けた一群の業者のなかの競争です。相互に競争する新規業者の集団は、既存の電力会社に対する関係では、法律の保護を受けているのです。法律の目的としては、競争を促す自由化の側面よりも、再生可能エネルギー普及のための保護の側面のほうが強いのです。そして、その保護の内容が資金調達面にあることに十分に注意していただきたいのです。
同様にして、電気安定供給基盤確立という政策課題に応じて、現在の「電気事業法」の体制が作られたのですね。
現行法制における総括原価方式や地域独占などの電力会社保護といわれる体制は、電気安定供給という政策に基づいています。そして、このようにして電力会社が保護されてきたからこそ、安定供給基盤の確立と維持のための巨額な資金調達が可能になってきたのです。逆に、資金調達が可能だったからこそ、電力会社は、巨額な設備投資を行うことができ、国民と産業界の期待に応えることができてきたのです。これが、規制による保護といわれるものを金融面からみたときの実情です。
同様の制度的工夫が、原子力発電の開始のときにもなされたのですね。
まず国民の基本認識として、原子力発電の開始が当時の政権による決定であった以上、それが国民の選択であったということを決して忘れるべきではないのです。ちょうど、再生可能エネルギーの普及が国民の選択として政策決定されたのと、何らの差異もない。
当時の政策として、電源構成の改善が重要課題だったのですから、原子力発電開始にあたっては、発電所の立地確保や資金調達の面で保護政策がとられたのは当然です。そのひとつが「原子力損害の賠償に関する法律」です。原子力事故の場合、事業者が負う賠償責任についての予測を立てることが不可能です。しかし、それが不可能では、金融の論理として、資金供与することはできません。何らかの責任限定が必要なのです。その工夫が「原子力損害の賠償に関する法律」のなかに生きています。
この法律は、原子力事故が「異常に巨大な天災地変」に起因する場合における原子力事業者の免責を定めています。これを金融の立場から解釈するときには、金融理論的な予見可能性を超えた事態についての免責を定めることで、原子力事業者の責任限定をなしたものと考えられ、銀行は、この規定をひとつの重要な条件として、原子力発電を融資可能な対象と見做してきたわけです。
また、免責が認められない場合でも、原子力事業者の賠償責任履行についての政府の支援義務を法定することで、事実上の責任の限定化を実現しているのです。事実、今回も、政府は、原子力損害賠償支援機構を設立して、東京電力を金融的に支援しています。ゆえに、東京電力向けの金融債権は全面的に保護されることになったのです。
このように東京電力が(というよりも、より正確には、東京電力の債権者が)保護されることは、金融規律の立場からも、法秩序の安定の立場からも、当然すぎるくらい当然のことで、法秩序に対する信頼のもと、東京電力が法律的に保護される前提でのみ投融資がなされてきたのですから、事故後に、世論の動向に左右されて、法秩序が覆ることなど、あり得ないことだったのです。
ところが、政府はそのあり得ないことを行うかのような素振りをみせましたね。
東京電力法的整理論だとか、銀行は東京電力向け債権を放棄すべきだとか、政府の外で勝手な議論が起きるのは仕方ないとして、政府内部からも無視し得ない意見として、そのような超法規的な暴論が出たことは、金融界からの大きな政府不信のもとになったと思われます。法律の適用が世論の動向で左右されるような国では、金融など成り立たない。
しかし、政府は世論の動向に妥協してしまった。東京電力国有化は、法律が定める支援という概念を大きく超え出たものです。これは、支援ではなくて、支配です。加えて、これも世論に迎合する形で、何の準備もないなかで、極めて安直に脱原子力の方向を打ち出した。このような不意打ちの連続では、金融界が警戒するのは当然です。事実、東京電力に限らず、原子力発電を行う電力会社の全てが、金融的に取り組みの難しい対象になってしまったのです。
現状、既存の電気事業者の発電能力と送配電能力が、電気事業を支えています。これらの電気事業者は、現在の電気安定供給基盤の維持のためにすら、巨額な設備投資を必要とし、また、電気事業改革の重要な担い手としても、巨額な投資を必要としています。その投資のためには、資金調達が円滑にできなければならない。その資金調達の基盤を政府は破壊したのです。この愚劣な施策には、怒りを禁じ得ない。実に困ったことです。
もしも、「原子力損害の賠償に関する法律」の規定が世論の動向で覆るなら、「再生可能エネルギー法」の規定だって世論で覆るかもしれないですね。
そのような可能性についての疑念があれば、金融の論理として、再生可能エネルギー業者に対して融資を行うわけにはいきません。結局、法秩序に対する信認が揺らいでしまえば、金融は成り立たないのです。金融が成り立たなければ、再生可能エネルギーの普及促進もできはしない。
法秩序への信認回復が急務だというわけですね。
その信認回復のためには、東京電力の処理を本来の法律の趣旨に基づいたものに改める必要があります。これは急務です。
正しい東京電力問題の処理とは、政府責任を第一とし、東京電力の責任を第二とするものです。旧民主党政権は、東京電力の責任を第一とし、政府責任を第二とする方針でした。私は、一貫して、この政府方針に反対してきました。
政府責任を第一とし、東京電力の責任を第二とするためには、法律の「異常に巨大な天災地変」の規定を発動して、東京電力を免責にすることも考えられます。しかし、法律の構造の問題等諸般の事情を考えれば、免責は現実的ではない。むしろ、東京電力の責任を認めたうえで、法律で定める政府支援の内容を工夫すべきでしょう。
幸いにも、安倍政権は、東京電力福島第一原子力発電所の廃炉について、政府責任で全面的に支援する方針を打ち出しました。この方針を一段と推し進めて、原子力発電施設の国有化も視野に入れるべきです。その他、現在の政府支援の枠組みを抜本的に改めるべきことについては、これまでの多くの論考で主張してきましたから繰り返しません。
私は安倍政権に期待します。東京電力福島第一原子力発電所の事故に関し、全面的に政府責任を認めてほしい。そのうえで、東京電力が本来負うべき責任の範囲を明確に再定義していただきたい。これが、金融に関する法秩序回復のための絶対条件です。金融に関する法秩序回復がない限り、安倍政権の公約する日本経済の再生などできはしない。金融の働きがなければ、産業は成り立たないのです。
以上
次回更新は1月17日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。