「金融・資本市場活性化有識者会合」は、6月12日に「金融・資本市場活性化に向けて重点的に取り組むべき事項」と題する提言を公表しました。そのなかでは、資産運用の担い手について、以下のように、いわれています。
「資産運用の担い手が投資家に対する受託者としての責務を真に認識し、投資のプロとしての専門性を発揮し、真に投資家の利益の最大化を目指した運用が行われるよう、幅広い方策の検討を進める」
これは、この提言に先立って5月14日に公表された「金融・資本市場活性化有識者会合における年明け以降の主な意見」のなかで、「投資運用業の発展促進(受託者としての責務の最大限の発揮に向けた総合的な取組)」としてあげられていた課題を敷衍したものです。
有識者会合は、冷徹な現実認識のもとに、改革を提言しているものです。ならば、そこに、「資産運用の担い手が投資家に対する受託者としての責務を真に認識し」と書き込まれたことの意味は、資産運用という職務に従事するものとして、厳粛に受けとめねばなりません。関係者が自己の社会的責務を真に認識しているならば、かような指摘を受けるはずもなかったからです。
しかし、いまだかつて、受託者という用語を用いて、資産運用の担い手の責務が論じられることはなかったと思うのですが。
受託者という言葉を金融制度のなかで使えば、それは、当然に信託法の受託者になるはずでした。信託法は、実態として、金融関連の諸制度に適用されることが多いからです。しかし、今回、幅広く資産運用の担い手を受託者として認定したことは、信託法の適用によるものではありません。
ただし、受託者という限りは、信託法の信託ではなくとも、何らかの信託が想定されていることは間違いないわけです。それは、おそらくは、憲法の前文で、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて」といわれているときの信託、つまり、理念としての信託です。
信託という理念はどこからきているかというと、実は、英米法のトラストが起源なのです。そもそも、信託法自体が、我が国の法体系のなかでは例外的に、英米法を接受したものです。ところが、接受したとたんに、法律上の信託はトラストとは別のものになってしまったわけですが、改めて、原点のトラストの理念に帰ろうということだと思われるのです。
そうしますと、ここでいう受託者とは、英米法のフィデュシャリーのことになりますね。
フィデュシャリーというほうが、信託法の受託者との違いが明瞭になったかもしれません。しかし、フィデュシャリーという言葉も、信認(正確には信認関係にある人)という日本語訳も、日本では十分に定着していません。むしろ、受託者というほうが、日本の信託と英米法のトラストに共通する理念が明確になる利点があると思われます。
ただし、資産運用の担い手が受託者であるというとき、それは、信託法上の受託者ではない以上、あくまでも、理念としての信託の受託者なのですから、片仮名でフィデュシャリーというほうが、より正確であろうと思われます。
企業年金の資産運用に従事する人の責任については、受託者責任と呼ばれてきましたが、受託者としては、同じものですね。
例えば、確定給付企業年金法では、第七十条で、確定給付企業年金基金の理事の資産運用に関する忠実義務等を定めています。また、同第七十一条では、資産運用契約の相手となる投資運用業者等についても、同様な忠実義務を定めています。
ここでいう企業年金基金や投資運用業者等の責任については、受託者責任といわれてきました。もちろん、信託法の受託者とは直接には関係がないので、「受託者責任」というふうな括弧書きのものとして通用してきたのです。
従来、金融規制における投資運用業者等の責任と、全く管轄の違う企業年金等の資産運用に関係する者の受託者責任とは、必ずしも連関が明瞭ではなかったのですが、金融制度・規制において、幅広く資産運用の担い手が受託者と呼ばれることで、両者の同一性が明らかになっていくものと思われます。
念のために強調しておきますが、受託者としての責任を負う資産運用の担い手というのは、資産運用に関連する広い範囲の者を含み得る概念であることが重要なのです。
つまり、年金基金等の重い社会的責任を負う投資家も、その投資家との間で契約を結んで専門家として資産運用を行う投資運用業等も、理念としての信託においては、同じ受託者の立場に立つのです。
また、業としての資産運用に職務として従事する者は、法律上の登録等にかかわりなく、資産運用の担い手である限りは、受託者としての責務を認識して行動しなければならないということなのです。
年金基金等の投資家と、投資運用業者等の資産運用関連業者とが、同じ受託者、即ち、フィデュシャリーとして、連帯的に責任を負う構造になっていくのでしょうか。
米国の年金基金を規制するエリザ法では、年金基金と資産運用会社は、同じフィデュシャリーとして、受益者である年金制度の加入員と受給者に対して、連帯して責任を負う構造なのです。だからこそ、年金基金と資産運用会社との間に厳しい相互監視の仕組みが働き、専らに受益者の利益だけを考えた資産運用が実現するのです。
こうした社会的に責任ある投資家と資産運用会社の高度な統治構造のもとで、投資の質が維持され、その投資の質は、投資対象である企業における経営統治の質の高さを保証する、それが米国流の統治論です。
今回、日本でも、幅広く資産運用の担い手の受託者としての責任のありようが検討されることになった背景には、こうした米国の事情も考慮されているはずです。なにしろ、産業界の統治改革こそが、安倍政権の成長戦略の柱なのですから。
安倍政権の成長戦略との関連は、どうなっているのでしょうか。
日本においても、年金基金等の投資家と、業として資産運用を行う投資運用業者とが、連帯して、受託者としての責任の自覚のもと、資産運用の利益を享受する年金受給者等の利益を専らに考慮して行動することで、投資対象である企業等の統治改革が進行し、同時に、年金受給者等の生活を確かなものになっていくこと、このような構図の実現が安倍政権の基本政策課題であり、その方向で、有識者会合の提言がなされていること、これは、間違いのないことです。
当然ですが、公的年金資産を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の改革も、全く同一の方向における政策課題です。日本における最大の資産運用の担い手として、GPIFは、受益者である国民の利益のために、受託者としての責務を深く認識し、抜本的な自己改革を行わなければなりません。
そうすることで、国民の老後生活を確かなものとするだけでなく、GPIFが採用する投資運用業者等と連帯して受託者責任を全うすることで、投資を通じた産業界への働きかけによって、産業構造改革を促していかなくてはならないのです。
投資信託の改革も、大きな政策課題になっているようですが。
投資信託は、そもそも、信託法上の信託なのであって、受託者の責任は、信託法上の受託者の責任として、本来は、明確であったはずです。ところが、今回、資産運用の担い手の受託者責任が問題とされるについては、投資信託の受託者責任のあり方も、大きな課題であったのです。
いうまでもありませんが、資産運用の担い手の受託者としての責任というとき、責任が向かう先にあるのは、最終的な受益者です。最終的な受益者とは、年金基金の資産運用の場合、制度の加入員受給者ですし、投資信託の場合は、個人投資家等です。
実は、投資信託では、歴史的な特殊な背景のもと、投資運用業者が委託者になっており、その委託者である投資運用業に受託者と同等な責任を課す構造になっていますが、問題なのは、受益者である投資家との間に、販売会社を介在させていることです。
投資運用業者が受託者として責任を負う先にあるのは、受益者としての投資家なのか、そうではなくて、実は、販売会社にすぎないのではないのか、販売会社は、投資家に対して責任を負う受託者ではないが故に、現在の仕組みでは、投資家の利益は十分に守られていないのではないか、そのような問題意識から、今回の提言がなされているのです。
投資信託は、老後生活を支える貯蓄としての意味でも、社会的に重要になってきますね。
企業では、確定給付型の企業年金から、投資信託を使った個人非課税貯蓄である確定拠出型への移行が進むでしょうし、公的年金でも、相対的な給付削減が進み、替わって、投資信託等を使った貯蓄に非課税枠を拡大する方向(暫定的に、NISAという形で始まりました)へ、転換が進むでしょう。
つまり、今後の方向として、投資信託の社会的意味が増大していくのです。それだけ、国民の老後生活を守るという意味でも、大きな投資家へと成長していく投資信託の資本市場における番人としての機能、産業界の統治を支える機能の充実という意味でも、投資信託の受託者責任の強化は、絶対に必要なのです。
以上
次回更新は7月10日(木)になります。
2014/04/10掲載「信託受託者の忠実義務を徹底的に考える」
2014/04/03掲載「信託に厳格な受託者責任を課すために」
2014/03/27掲載「ファンドのディレクターとトラスティー」
2014/03/20掲載「国際金融センターへの挑戦と信託」
2014/03/13掲載「GPIF改革、あるいは投資家の内部統治と信託」
2014/03/06掲載「投資信託は本当の信託なのか」
2014/02/27掲載「投資詐欺事件における信託銀行の責任」
2014/02/20掲載「信託の合同運用における法創造」
2014/02/13掲載「信託の受託者の忠実義務」
2014/02/06掲載「金融危機さなかの信託銀行批判」
2014/01/30掲載「企業年金の資産運用におけるフィデュシャリーの責任」
2014/01/23掲載「九州石油業厚生年金基金訴訟に思う」
2014/01/16掲載「フィデュシャリー、あるいは信じて託すること」
2014/01/09掲載「トラスト、あるいは信託の本旨」
≪ アーカイブから今週のお奨めは「GPIF改革」≫
2014/05/08掲載「GPIFのリスクを正しく論じるために」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。