安倍政権は、女性活用のほか、企業統治改革にも、熱心です。両方とも、非常に重要なことで、日本の本質的な構造改革の成否を決する要諦中の要諦だと思われます。故に、実効性のある施策が検討されざるを得ないわけでしょう。それが、数値目標のような形式要件の設定に傾いていく背景です。なにしろ、数値ですと、進展の成果を簡単に示せるので。
企業統治改革における社外取締役が、いい例ですね。
社外取締役を置いたからといって、そのことだけによっては、企業統治が改善するわけではありません。しかし、企業統治改革の指標としては、社外取締役の人数というのは、非常にわかりやすい。
企業統治に欠陥のある会社は、多くの場合、社外取締役を置いてはいないでしょうが、もしかすると、置いているかもしれず、単に、機能していないだけかもしれません。置いていない場合、新たに置いたからといって、それで、企業統治が改善するとは、到底、思えません。
取締役会の構成が変わったとしても、本質的な論点は、経営執行の改革を導くように機能できるかどうかです。本当は、執行に深刻な問題があるのです。経営執行改革のために、統治改革が必要なのです。ところが、統治機関は執行機関ではないが故に、実のところ、執行改革が先行しなければ、統治改革は意味をなさないはずなのです。
統治の問題としては、執行における良き芽を伸ばし、悪しき芽を摘むことはできても、良き芽を生むこと自体は、できません。もっとも、良き芽を外から移植できるかもしれませんが。逆に、執行体制自体のなかに自己変革が生じれば、それでいいわけで、その改革断行のために、あるいは、その誘因として、社外取締役が有効なら、導入すればよく、そうでないのならば、導入する必要もないでしょう。
女性登用についても、実は、それに先行して解決されなければならない課題がどこかに潜んでいるのですね。
安倍政権は、女性活用の問題を、大きな経済社会政策のなかに、位置づけているのでしょう。人口減少と経済成長を均衡させるには、社会に眠っている潜在的な働き手に着目せざるを得ないわけで、その代表が、女性です。
ところが、日本の社会には、戦後改革で家という制度が廃止されたにもかかわらず、古い観念の残滓は、あちらこちらに生き残り続けているわけです。例えば、女性の配偶者にかかわる所得控除。これは、制度の本来の意図はともかくも、結婚している女性に対して、働かない誘因として機能しているわけですから、改革の検討対象にならざるを得ないのです。
その他、小さな子供を預かる制度を拡充するなど、働きやすい環境ができるように、政策として何でもやればいいわけです。その一環として、産業界に対しても、女性が働きやすい環境を整備してほしいという要請になっているわけでしょう。
では、産業界として、この要請を、どうとらえるべきなのでしょうか。就労人口の減少への対応としてとらえるべきなのでしょうか。
企業の利益のために、より正確には、企業の将来利益のために、つまり、企業の成長戦略の一環として、女性登用を考えなくてはいけませんね。
今ここで成長戦略の根本的な再構築を行えば、企業自体の構造的な改革は不可避となるのではないでしょうか。その構造改革は、おそらくは、多くの場合、結果としての女性の登用の方向に傾くと思われますが、だからといって、女性の登用が構造改革をもたらすということにはならないでしょう。
くどいようですが、論理的にいって、構造改革が女性の登用をもたらすのであって、女性の登用が構造改革をもたらすのではないはずです。ちょうど、経営の執行改革が統治改革をもたらすのであって、統治改革が執行改革をもたらすのではないように。ならば、女性登用の数値目標など、社外取締役の数と同様に、論理の倒錯の結果ではないかと思われるのです。
しかし、女性の登用が進んでいる企業は、そうでない企業よりも、多くの経営指標で勝るという説があるようですが。
そのようです。しかし、そのような統計的事象があるにしても、その解釈には、慎重であるべきです。
優れた経営執行体制のもとでは、女性と男性との差を少しも意識することなく、経営されているので、結果的に、差を意識する企業よりも、有利な条件で女性の活用ができているのではないのか、これが主因であり、第二の付随因として、多くの女性が働くことで、女性固有の働き方が、企業経営に好影響を与えているのではないのか。
つまり、女性の活用を意識して、女性の登用を進めた結果として、企業経営がよくなっているのではなくて、性別を特別に意識せずに経営しているので、経営の合理性と効率性が保たれているのではないのか、ということです。
性別を意識しない経営の合理性と効率性とは、何のことでしょうか。
そもそも、女性の活用が問題となるについては、女性が活用されていないという現実認識があるのでなくてはなりません。ということは、女性の雇用をめぐる非効率が存在するはずです。非効率とは、一般に、需給の不一致ですが、女性が活用されていないということは、供給の問題ではなく、需要の問題だということです。
つまり、需要側の歪み、即ち、経済合理的でない企業の人事政策が、女性活用の障害になっているのです。例えば、女性だからという偏見、育児等に関連した就労環境の未整備等の問題です。
こうした非効率は、優秀な経営にとって、またとない利益機会です。就労環境の整備等に追加的費用が発生したとしてもなお、優秀な女性を有利な条件で雇用できることの利益は、大きいのでしょう。
利益とは、多くの場合、非効率の効率化の過程で生まれるのです。この利益誘因が、非効率の解消を促すのであって、それが、社会全体の生産性を高めていくのです。少なくとも、われわれが生きている資本主義の社会構造とは、そういうものです。
女性固有の働き方に、利点はあるのでしょうか。
いうまでも、性差に能力の差はないです。ただし、働き方の差はあるかもしれない。しかし、もしも、性差に働き方の相違があるのなら、理屈上、女性固有の働き方に優れた点があれば、欠点もあるでしょうし、男性固有の働き方にも優れた点があれば、同時に欠点もあるでしょう。要は、男女の均衡が進めば、多様性の均衡も図られるということではないのですか。
ただ、育児や家事等の関係で、定時退社をする働き方は、残業についての生産性の低さを指摘されるなかで、時間内における高い生産性を実現している可能性があり、よく検討してみる必要があるでしょう。
女性活用をはじめ、構造改革は、経済的誘因のもとで、自律的に、内在的に、展開することを原則とするはずなのに、なぜ、数値目標というような他律的で外部的な方法へ向かうのでしょうか。
事実として、構造改革が進まないからです。なぜ、進まないのか。それは、産業界の社会構造のなかに、経済的誘因が上手に設計されていないからです。なぜ、経済的誘因を上手に設計できないのか。それは、構造改革をしない方向へ誘因があるのか、経済的誘因自体が機能しない社会風土なのか、もはや、誰にもよくわからないわけです。
日本の現状は、本当に、困難で深刻な状況にあります。故に、本質的な構造改革は、断行されなければならない。強引なものも含めて、あらゆる手段を動員して、かからなければならない、それが、安倍政権の方針なのでしょう。そこで、数値目標です。
改革を阻む何か硬い壁があるわけでしょうが、壁を特定しないでは、ドリルの当てようもありませんね。
おそらくは、安倍政権においては、企業統治というような抽象的なものは、ドリルの当てようもないものと正しく認識されているのではないでしょうか。むしろ、資本主義の経済原則に忠実に、資本の動態に着目されているのではないでしょうか。資本とは、人的資本と金融資本の二つです。
資本は、人的資本であれ、金融資本であれ、利潤を求めて動く、その動きが、経済合理性と効率性を実現していくのです。故に、産業界の非効率は、資本の流れを阻害するものによって、もたらされているはずです。ドリルを当てる先は、その障害物です。
障害物のうち、政府自身が作ったものは、規制改革によって、大胆に取り払うことができますし、現に、政府は、そのように行動しています。しかし、障害物には、日本という社会のなかに、歴史的・文化的・慣習的に、牢固として存在しているものもあります。
そのような社会的障害物の代表として、人的資本については、女性雇用における特殊な慣例があり、また、金融資本については、個人金融資産の預貯金への集積があるのでしょう。こうしたものは、簡単には取り除けません。それは、他律的に変えるものではなくて、自律的に変わるものなのです。歴史文化的なものとは、そういうものでしょう。
それでも、敢えて政策として取り組むのならば、教育の段階にまで踏み込むべき大きな課題なのです。
農業改革について、政策として規制改革や産業構造改革を断行できても、国民の食文化改革などという政策があり得ないのと同じですね。
女性登用の数値目標には、お米の消費量の数値目標と同じような異常さがあります。産業界として、数値目標の達成を目的化したら、真の日本の雇用改革は、起きないでしょう。そうではなくて、数値目標を置かざるを得ないような異常事態についての真剣な自己反省から始めることが必要なのです。
以上
次回更新は7月31日(木)になります。
2012/11/01掲載「金融の革新と人的資本経営の極限」
2011/12/15掲載「オリンパスが好きです」
2010/10/07掲載「グローバルとインターナショナルの本質的な違い」
2010/09/09掲載「「清兵衛と瓢箪」的な価格騰貴と価値創出」
≪ アーカイブから今週のお奨めは「受託者責任」≫
2014/07/10掲載「資産運用の担い手として、何をなすべきか」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。