厚生年金基金の起源は、1966年にまで遡ります。問題の全ては、この半世紀という長い時間の経過と、その間に起きた日本の社会と経済の根本的な構造変化に、起因しているわけです。
厚生年金基金は、歴史的な背景として、高度経済成長下の日本の産業界において、雇用の確保が重要な課題であったときに、導入されたものです。ところが、現在の日本では、雇用の過剰が問題となってから久しいわけで、厚生年金基金は、疾うに歴史的使命を終えていたにもかかわらず、漫然と存続してきたにすぎないものと考えられるに至ったのです。
大きな要因として、産業構造の変化が、厚生年金基金に、解決し得ない構造矛盾を作り出してしまったのですね。
厚生年金基金は、その名の通り、厚生年金の給付を代行するところに、制度の本質があり、同時に、制度の矛盾があるのです。ここで、最初に確認しておかなければならない重要なことは、年金制度の相互扶助原理です。相互扶助原理こそが、厚生年金基金を理念的に支えてきたのであり、同時に、それが、制度崩壊の原因ともなったのです。
相互扶助原理は、どういうことでしょうか。
自分の余命は、誰にもわかりません。わかることは、多くの人の平均としての余命だけです。故に、年金支払いの原資を計画的に積み立てるとしたら、平均としての余命を前提にしてしか、積立額を計算し得ないのです。事実、年金制度は、制度の加入員・受給者の平均余命に基づいて、掛金が計算され、将来給付のために必要な原資としての資産が留保されているのです。
さて、このことは、当然に、平均余命よりも先に死亡した人のために留保されていた資産は、平均余命を超えて生存している人の給付原資に充当されることを意味します。これが相互扶助原理であり、保険の原理です。
保険とは、事故にあわなかった人の掛金で、事故にあった人の損失を補填する仕組みですから、当然に、相互扶助的です。年金とは、実は、生存を事故として、より具体的には、平均余命を超えて生存していることを事故として、その生存という事故のための費用を保障する保険なのです。
ところで、厚生年金基金と厚生年金とは、どういう関係にあるのでしょうか。
厚生年金基金というのは、大企業では各企業(子会社群を含む)単位に、また、中小企業では同一産業に属する多数の企業を統合して、厚生年金本体の給付を代行する法人として、作られたものだったのです。もちろん、このような仕組みを導入した理由は、各基金が、厚生年金本体の給付に加えて、独自の上乗せ給付を行うためです。
上乗せ給付を行う理由は、より魅力ある福利制度を導入することで、雇用の安定を図るためですが、それが年金制度であったのは、当時の産業界においては、長期勤続奨励によって、熟練労働者を確保することに、大きな意味があったからです。いうまでもなく、熟練が労働の質を高め、労働の質が製品の質と生産性を規定していたことが背景にあります。
また、同一産業に属する中小企業で作られた厚生年金基金(総合型といいます)では、人材確保の面で、大企業よりも不利な状況にあったことから、業界共通の利益として、少しでも魅了ある年金制度を作りたいとの強い思いがあったのです。そこには、業界内の各社が助け合って、人材確保を図ろうという相互扶助的な理念があったとも考えられます。
保険ならば、保険の経済性は、被保険者集団の構成に依存しますね。
厚生年金基金は、その社会的意義にもかかわらず、厚生年金の被保険者集団に意図的な偏りを生じさせることにもなります。保険理論的には、潜在的な難問を最初から内包させてもいたのです。そして、高度経済成長が終了し、日本の産業構造が大きく変わり始めたとき、問題が顕在化します。
厚生年金は、日本の被用者全体を被保険者とする年金制度です。ですから、保険理論的には、最も偏りのない集団に基づいているので、平均余命をはじめ、計算上の仮定の基礎は、概ね、日本全体の人口動態を反映しているのです。
ですから、地域別や産業別に大きな変動を生じても、それらの部分的変動は、全体としては、相殺され、日本全体での被用者の人員構成に変動が生じない限り、保険の経済に大きな狂いは生じません。
ところが、厚生年金の被保険者を、企業別に、あるいは産業別に、小さく区分すれば、その区分された集団には、当然のこととして、被保険者構成に偏りが生じるだけでなく、各企業や各産業に固有の変動が、そのままに、影響を与えてしまいます。
衰退産業における不均衡の問題ですね。
産業構造が大きく変化したということは、衰退した産業もあれば、新しく生まれ、大きく成長していった産業もあるということです。確かに、日本全体の高齢化ということはあります。しかし、少なくとも、これまでのところ、日本全体の被用者数は、安定的に推移してきました。つまり、産業構造の大きな変化があっても、厚生年金本体のなかでは、衰退と成長が相殺されてきたのです。
ところが、厚生年金基金では、企業ごと、あるいは産業ごとの衰退は、基金を直撃してしまいます。衰退に向かった産業では、新規の加入員が大きく減少する一方で、成長期の加入員は高齢化していき、受給者となっていきます。これでは、当初の予定とは全く異なり、掛金を負担すべき加入員と、給付を受ける受給者との均衡が崩れてしまいます。もはや、相互扶助原理は、経済的に成り立たなくなるのです。
このことには、政府においても、相当に前から気が付いていたはずです。そこで、政府は、代行給付を厚生年金本体へ戻すという、いわゆる代行返上を認めることになります。その結果、大企業を中心に企業単位で作られていた厚生年金基金では、ほとんどが代行返上して、企業年金基金に改組されていきます。現在では、残された厚生年金基金のほとんどは、総合型なのです。
厚生年金基金をめぐる問題というのは、要は、総合型基金の問題なのですね。
総合型の場合は、実は、同一業界に属する多数の企業で作るが故に、そこに相互扶助原理を働かせると、困難な問題が生じるのです。なぜなら、現実に、厚生年金基金の相互扶助原理では、業界内の強い企業が弱い企業を経済的に助けるような結果になるからです。ところが、そもそも、同一業界に属する企業同士は、相互に競争という戦いを演じているので、そこには、相互扶助とは哲学的に相容れないものがあるのです。
産業そのものが成長しているときには、各社の利害の相反よりも、業界全体の共通利益が優越していて、総合型厚生年金基金が内包する矛盾は、顕在化しません。しかし、全体的な成長がなくなれば、各社間の生き残りをかけた競争の側面が優越してきます。そうなれば、基金は哲学的に維持困難になります。
現実には、業界内で相対的に強い企業は、相対的に弱い企業を扶助するような仕組みを、嫌うことになります。そうなれば、強い企業ほど、制度からの脱退を望むことになります。ところが、この脱退が非常に困難な問題を露呈させることになるのです。
不足金の清算の問題ですね。
相対的に衰退している産業の基金ほど、財政状態が悪い、即ち、必要留保資産額に対して、実際に積み立てられている資産額が小さく、不足があるのです。このように、不足がある状態で、ある企業が脱退するときは、当該企業に帰属するべき不足額を清算してから脱退を認めるのでなければ、企業間の不公平が生じます。
体力のある企業は、不足金の支払が経済的に可能ですから、不足金を清算してでも、脱退を強く望みます。もしも、このような脱退を安易に認めるならば、基金の人員構成の歪みは、更に大きくなります。そこで、基金としては、脱退を簡単には認めません。このような背景から、訴訟なども起きているのです。
しかし、事実としては、脱退を簡単に止めることはできませんし、新規に加入してくる企業もありませんから、総合型基金の存立基盤は、脆弱になっていきます。基金が抱える不足金を解消するためには、掛金を引上げるしかないのですが、残された企業の体力では、それも難しいのが現実です。
内部的に訴訟に至るような紛争が起きるようでは、もはや、相互扶助原理の崩壊ですね。故に、基金の廃止ですか。
おそらくは、多くの基金で、存立の基盤とすべき業界の結束が緩んでしまっている、あるいは文化風土的に業界を統合する価値観の統一が失われているのでしょう。それもまた、産業構造の変化の重大な帰結なのです。こうして、存続の基盤が失われていく基金が多くなった以上、事実上の廃止もやむなしというわけです。
また、厚生年金基金をめぐっては、一部の基金で、投資詐欺事件の被害を受けたり、重大な不祥事があったり、資産運用のあり方に逸脱とも思えるような不適当な行為があったりして、とにかく、基金全体が適切に管理されていないかのような印象を、世の中に与えてしまっています。
そうしたことも、政府が厚生年金基金の廃止という方向を打ち出したとき、さも当然のことのように、受け入れられてしまった理由でしょう。残念ですが、仕方ないのです。
総合型では、代行返上ということは考えられないのでしょうか。
理論的には、大企業の厚生年金基金のように、代行返上すればいいのです。しかし、総合型の場合は、厚生年金本体に上乗せしている給付水準の低いものが多く、代行返上をしますと、基金の規模が小さくなりすぎて、存立の経済合理性が失われてしまうのです。
逆にいえば、厚生年金基金の大きな利点として、厚生年金本体の給付を代行させることで、基金の規模を大きくして、薄い上乗せ給付でも経済合理性が成り立つようにしてきたということです。そこに、政策の工夫があったのです。
加えて、代行返上するためには、当然ですが、厚生年金本体の給付に必要な金額(最低責任準備金といいます)を政府へ納める必要があります。ところが、いわゆる代行割れといって、基金資産額が最低責任準備金に足りていない基金も多く、代行返上もできないのです。
代行返上できるような基金は、代行返上によって企業年金へと改組されて、存続していきます。そうなれば、基金として残されていくものは、ごく一部の例外を除けば、結局は、存続の基盤も財政再建の可能性もないものばかりになります。故に、事実上の廃止の方向にしか、道がないのです。
安倍政権は、日本を再成長軌道へ載せることを目指しています。むしろ、厚生年金基金が導入されたときの政策課題に近いものが、現在、浮上してきているのではないでしょうか。
実は、厚生年金基金廃止という政策の方向は、民主党政権末期に、唐突に、現れたものです。ですから、安倍政権の発足に伴い、撤回されるのではないか、そのようにも考えられたのですが、期待は裏切られました。
しかし、安倍政権の政策は、雇用を巡る問題について、民主党政権以前の日本の状況と根本的に異なる展望を与えるものです。雇用削減から安定雇用へ、労動力の過剰から潜在的な労働力不足へ、故に、女性や高齢者の活用へと、全く逆向きに転換しているのです。また、高齢者の活用の背景には、熟練した労働力の再活用の必要性があります。日本産業の競争力は、製品の質に基づかなくてはなりませんが、製品の質が雇用の質に基づくことは明らかだからです。
また、厚生年金基金を支えた相互扶助原理は、年金制度の本質です。高齢化社会の日本では、老後生活原資の確保は、極めて重大な課題です。年金制度の相互扶助原理は、その資金形成にとって、効率的な仕組みです。このことも、忘れられてはなりません。
これからの日本の課題は、半世紀前、厚生年金基金の導入によって、政府が解決しようとした課題と、重なり合います。もはや、厚生年金基金を元に戻すことはできないでしょう。しかし、厚生年金基金が生まれたときに、そこに籠められた理念は、いま改めて、考え直されなければならないのです。
大切なのは、理念、雇用の哲学ですね。
厚生年金基金には、技術的な欠陥が多くありました。その欠陥が、理念を吹き飛ばしたのです。しかし、実は、技術的な欠陥は、政府が適切なときに適切な制度改革を行えば、厚生年金基金の仕組みのなかでも、十分に解決し得たのです。それをしなかった政府の怠慢、その結果、制度を崩壊に追い込んだ政府の怠慢は、厳しく責められるべきです。
しかし、もう過去は戻らない。今、しなければならないことは、技術的な問題と、それへの対応の誤りを総括して、厚生年金基金が発足したときに籠められていた理念を、半世紀の時間を経て、新しい形で、新しい制度の創出によって、復興することです。
厚生年金基金という器は腐りました。ならば、大切な中身は、新しい器に移し替えねばなりません。
以上
次回更新は9月11日(木)になります。
2013/12/26掲載「厚生年金基金、やめるなら正しくやめようよ」
2013/10/10掲載「厚生年金基金無用論に対する反論」
2013/09/26掲載「厚生年金基金は解散を急ぐな」
2013/05/30掲載「厚生年金基金を守る戦いの真意」
2013/04/11掲載「厚生年金基金は自己の存在意義を社会に提示せよ」
2013/02/21掲載「厚生年金基金の事実上の廃止を狙う厚生労働省を許すな」
2013/02/14掲載「安倍首相よ、成長戦略のために厚生年金基金を守られよ」
2012/11/22掲載「経済成長期の産業金融と企業年金の役割を再興せよ」
2012/10/18掲載「特定の厚生年金基金の逸脱行動を一般化するな」
2012/10/04掲載「いくらなんでも出鱈目な厚生年金基金の廃止論」
2012/06/14掲載「厚生年金基金の脱退と解散をめぐる社会問題」
2012/06/07掲載「厚生年金基金の相互扶助原理」
2012/05/31掲載「厚生年金基金に資産運用の失敗や損失などない」
2012/05/24掲載「厚生年金基金の誤算」
2012/05/17掲載「浅はかな厚生年金基金廃止論を撃つ」
2012/05/10掲載「厚生年金基金の資産管理・運用に携わる者に求められる基本的な資質」
≪ アーカイブから今週のお奨めは「基金の逸脱」≫
2014/01/23掲載「九州石油業厚生年金基金訴訟に思う」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。