ゆうちょ銀行に銀行としての価値はない

ゆうちょ銀行に銀行としての価値はない

森本紀行
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日本郵政の企業価値にとって、傘下のゆうちょ銀行の企業価値が占める比重は極めて大きい、おそらくは、大方の見方は、そうなっているのではないでしょうか。実際、日本郵政の連結利益は、ゆうちょ銀行の利益に大きく依存していますし、日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の親子同時上場という計画も、そうした市場の評価を前提にしているようですが、さて、本当に、そうか。
 
 ゆうちょ銀行に企業価値はあるか、という問いに対しては、価値はない、より正確にいえば、銀行としての価値はない、と答えることができるでしょう。しかし、それは、全く企業価値がないということではなくて、銀行を超える、あるいは少なくとも伝統的な銀行とは異なる金融機能のもとで、新しい企業価値を創出できない限り、ゆうちょ銀行に企業価値はないということです。
 
そもそも、ゆうちょ銀行は、銀行ではないということでしょうか。
 
 それは、銀行の定義によるでしょう。法律上、屋号に「銀行」の二文字を用いるように定められているものを銀行というなら、ゆうちょ銀行が銀行であることは、明瞭です。
 また、預金の受け入れを行うことができるものを銀行というなら、ゆうちょ銀行は銀行です。もっとも、ゆうちょ銀行では、預金といわず、貯金というのですが。
 しかし、銀行の本質的な機能を、預金をもととして信用を創造することに求めるならば、ゆうちょ銀行は銀行ではありません。
 
信用創造というのは、要は、個人や企業等への融資ですね。
 
 そもそも、歴史的に、ゆうちょ銀行は、郵便貯金の受け入れという郵政省の業務を継承しているだけですから、融資業務を行ってきませんでした。今では、さすがに、銀行という名称を用いているのですから、理論的には、融資を始めることはできます。
 しかしながら、融資業務は、ゆうちょ銀行にとって、新規業務となることから、監督官庁である金融庁と総務省の認可を得ないかぎり、参入できないのです。そこで、ゆうちょ銀行は、2012年9月3日に、認可申請を出したのですが、未だに、認可される見通しは立っていません。
 
ゆうちょ銀行の融資業務への参入には、民間から反対があるようですね。
 
 全国銀行協会が反対の意思表明をしています。要は、ゆうちょ銀行の計画は、官業による民業の圧迫であり、民間でできることは民間で行うという改革路線の政策の基本原則に反するというものです。
 これに対して、ゆうちょ銀行の立場は、ゆうちょ銀行は民営化されるのだから、民間の銀行同士の対等な競争条件の整備として、新規業務への参入は当然のことであるというものだと思われます。
 確かに、「郵政民営化法」では、親会社の日本郵政は、保有するゆうちょ銀行の株式の全てを処分することとされていますから、ゆうちょ銀行は、最終的には、完全な民間企業になるのです。しかし、それには、相当に長い時間を要するものと見込まれています。その間、ゆうちょ銀行は、法律上、政府が大株主として留まることとされている日本郵政の傘下にあるわけですから、完全な民間企業とはいえません。
 国民の一般的な感覚として、政府が間接的に支配する(もっとも、法律上、支配の意味は微妙ですが)あいだは、ゆうちょ銀行の貯金には事実上の政府保証がついているものとみなされ、ゆうちょ銀行の立場を不当に有利にし、官業による民業の圧迫となる可能性は、否定できないのです。
 従いまして、ゆうちょ銀行が完全な民間企業になった暁には、全国銀行協会も反対できないでしょうが、現時点では、ゆうちょ銀行の新規業務への参入には、政府も慎重な立場をとらざるを得ないでしょう。実際、日本郵政は、2015年4月1日に、上場に向けて、「日本郵政グループ中期経営計画-新郵政ネットワーク創造プラン2017-」を公表していますが、そこでは、一切、ゆうちょ銀行の新規業務のことに触れていません。
 つまり、少なくとも、上場の段階においては、ゆうちょ銀行は、本来の銀行業務としての融資を行い得ない銀行、銀行とはいえない銀行なのですから、そこに、銀行としての企業価値を認め得ないことは自明です。
 
しかし、企業価値は現時点での事業構造だけでは決まらず、むしろ、上場とは、将来の企業価値を創出するための資金調達の第一歩なのですから、新規業務は、上場後のどこかの時点で必ず可能になるものとして、大きな意味をもつのではないでしょうか。
 
 仮に、融資という新規業務への参入の認可が得られたとしても、その新規業務から銀行としての企業価値を作り出すことは、ゆうちょ銀行にはできないでしょう。
 できないという意味は、融資業務においては、融資実行時における信用審査、および融資実行から回収までの期間における債権管理に、高度な能力と経験を求められるのですが、いまさらそこへ、ゆうちょ銀行が新規参入することは、事実上、不可能だということです
 
なぜ、事実上、不可能なのでしょうか。能力とは、実践を通じて、努力によって、開発していくものではないでしょうか。そのような経営努力を促すことが、民営化の趣旨ではないでしょうか。
 
 ゆうちょ銀行が努力するのは当然としても、銀行組織として、信用審査と債権管理の能力を確立するには、多年の実績の積み重ねによって形成される情報の集積が必要なのですから、そう簡単にはいきません。それに、ゆうちょ銀行の周りには、既に多すぎる数の玄人の銀行や信用金庫などが犇めいて、苛烈な競争を展開しているのです。そこへ、なぜに、素人のゆうちょ銀行が参入できるというのでしょうか。
 もちろん、素人も、玄人のなかで揉まれることにより、成長していくのかもしれませんが、その過程で払わねばならない授業料、即ち、失敗による損失は、計り知れないものがあるでしょう。加えて、玄人の世界には、玄人同士だからこそ維持されている秩序があります。ゆうちょ銀行のように巨大な素人が入り込むことは、金融界の秩序を乱すという社会的損失を生む可能性があります。
 全国銀行協会は、本当は、ゆうちょ銀行など、仮に参入してきても、競争相手としては、少しも怖くない、というよりも、競争相手として認知すらしないのでしょう。しかし、怖いのは、巨大な素人の参入によって、金融の安定にとって一番大切な信用規律が乱されることなのではないでしょうか。
 
ならば、秩序を乱さないように、玄人の銀行等との提携を通じて、参入すればよいのではないでしょうか。なにしろ、ゆうちょ銀行には、他行にはないもの、即ち、巨大な資金力と全国を網羅する特異な営業基盤とがあるのですから、補完的提携は、十分にあり得るのではないでしょうか。
 
 ゆうちょ銀行との提携に魅力を感じる銀行等も、あり得なくはないでしょう。しかしながら、少なくとも、ゆうちょ銀行の資金量に魅力を感じるような銀行等は、まずは、あり得ません。
 なぜなら、既に、日本の銀行と信用金庫等の潜在的な資金供給能力は、産業界の潜在的な資金需要を大きく上回っているのであって、安倍政権の経済政策が功を奏して、資金重要が拡大に向かっても、既存勢力がもつ供給能力を超えることなど、断じて考え得ないのが日本の現実だからです。
 また、ゆうちょ銀行の営業基盤についても、ゆうちょ銀行が固有の強みをもつ基盤は、融資需要の乏しい非都市部なのであって、潜在的な融資需要を開発し得るようなところは、ゆうちょ銀行固有の基盤ではなくて、他の銀行等と重複する基盤でしょう。ならば、他行にとって、ゆうちょ銀行は、決して魅力ある提携先にはなり得ないはずです。
 
では、ゆうちょ銀行は、銀行として成り立ち得ないのならば、どこに企業価値の基盤を見出せばいいのでしょうか。
 
 投資会社としての固有の付加価値の創出以外には考えにくいと思われます。実際、日本郵政の新しい中期経営計画にも、ゆうちょ銀行が「目指す姿」として、「「本邦最大級の機関投資家」として、適切なリスク管理の下で、運用の多様化を推進し、安定的収益を確保」することを掲げています。
 中期経営計画というのは、この「目指す姿」を実現するために、次の3年間に実行されるべき具体的な課題を定めるものですが、それは、「安定的な調達構造の下、国債をベースとしつつ、一層の運用収益を求めて、運用戦略を高度化」することとされているのです。
 
ゆうちょ銀行は、銀行ではなくて、機関投資家であると自己宣言しているのですね。しかし、ゆうちょ銀行は、投資家としても、素人ではないでしょうか。付加価値を安定的に生める玄人の投資家になれるのでしょうか。
 
 融資と投資との差は、私的な関係性に基づくかどうかということに求められます。融資であれば、銀行は、融資先の債務者との間に、情報が対称的となるような私的関係性を構築しなければなりません。その関係性の構築には、長い時間がかかりますし、その関係性ができない限り、信用審査も債権管理もできないわけです。故に、先に述べたように、ゆうちょ銀行が融資に参入することは、事実上、不可能なのです。
 それに対して、投資というのは、公開資本市場のなかから、投資対象を物色する行為ですから、投資対象との間に私的関係性を構築する必要がありません。というよりも、情報の対称性は、資本市場の仕組みに内包されているので、むしろ、私的関係性を構築することは、禁じられてすらいるのです。
 故に、機関投資家としての高度な投資業務ならば、ゆうちょ銀行にとっても、人的資源の適切な配置によって運用の態勢を整えさえすれば、参入可能な領域なはずです。
 
しかし、元本保証のある貯金という形態で資金を調達して、それを価格変動のある対象に投資するというのは、非常に難しいこと、あるいは危険なことですらないでしょうか。
 
 機関投資家としてのゆうちょ銀行というのは、ゆうちょ銀行の貯金が、銀行の預金と性格が異なり、やや長期的性格を帯びた貯蓄性の強いものである限りにおいてのみ、成り立ち得ることだと思われます。この点は、ゆうちょ銀行も意識していて、中期経営計画にも、「安定的な調達構造の下」と書かれています。
 理論的には、負債特性に応じた高度なリスク管理の手法さえ確立できれば、機関投資家としてのゆうちょ銀行というのは、固有の付加価値を安定的に生み出し得るでしょう。もちろん、投資対象の価格変動を吸収できるだけの自己資本の厚みが必要になるわけですが。
 
それにしても、200兆円を超える規模は、投資家としての行動制約になるのではないでしょうか。
 
 やはり、機関投資家として安定的に付加価値を生むためには、適正な規模があるでしょう。もちろん、適正規模は運用能力の関数ですから、一概にいえませんが、適当な感覚として、50兆円くらいが落ち着きのいいところではないでしょうか。
 ところが、ゆうちょ銀行は、中期経営計画のなかで、3兆円の貯金増額を目指すとしています。なぜに、規模の拡大が必要と考えているのか、よく理解できません。新規業務の認可申請も取り下げたわけでもなく、どうも、機関投資家としての経営戦略は、未だ、確立できていないようです。
 
どうしたら、規模を縮めることができるでしょうか。
 
 中期経営計画では、投資のあり方として、「国債をベースとしつつ」と書かれていますが、貯金を集めて、国債に投資しても、機関投資家としての付加価値創造はできません。そのような目的で貯金を集めるくらいなら、替わりに、個人向け国債の販売に力を入れたらいいでしょう。そうすれば、ゆうちょ銀行の無駄な内部経費がかからない分、社会的効用の増大にもなりますし、貯金の削減にもつながります。
 また、中期経営計画では、投資信託等の預かり残高を1兆円増額させるとしていますが、これも、もっと積極的に展開して、貯金から投資信託等への移転を進めて、貯金の削減につなげるべきでしょう。
 
投資信託や国債の販売などは、ゆうちょ銀行の業務というよりも、実質的には、日本郵便の業務ですね。
 
 今の日本郵政の仕組みは、大きな政争の産物であって、必ずしも、合理的に設計されているわけではないでしょう。特に、ゆうちょ銀行については、最初から、融資も含めた主要銀行と同等の業務を行うことが、深い反省もなく、自明の前提として、想定されてきたのだと思われます。
 しかしながら、もしも、ゆうちょ銀行の本質が、実は、銀行ではなくて、投資会社なのだとしたら、投資信託や国債などの販売については、ゆうちょ銀行の業務を日本郵便が代行するという現状のあり方ではなくて、日本郵便の固有業務としてしまうほうが、はるかに、わかりやすいでしょう。
 
送金等の決済業務も、ゆうちょ銀行の業務である必要はないかもしれませんね。
 
 ノンバンクとして、物販・物流・決済を一貫統合した体系を作り出すこと、それこそが、日本郵便が目指すべき方向でしょう。ゆうちょ銀行は、業務の多くを日本郵便に移管させて、投資会社としての機能に純化すればいいのではないでしょうか。
 そうすることで、日本郵政は、最終的には日本郵便しか残らなくなるなかで、日本郵便に大きな企業価値をつくり、同時に、分離されていくゆうちょ銀行にも、機関投資家としての企業価値を作ることができるのではないでしょうか。
 
以上

 
 次回更新は4月16日(木)になります。
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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。