上場している投資運用業者の責任

上場している投資運用業者の責任

森本紀行
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日本の投資運用業者には、単独で上場しているものは少ないですが、親会社の金融機関が上場しているものは多くあります。さて、直接に、また間接に、上場している投資運用業者は、当然に、株主に対する責任を負い、同時に、顧客である投資家にも責任を負い、また、投資家を代理して議決権を行使するものとしての責任を負うわけですが、これらの責任は、相互に矛盾なく履行可能なのか。


 日本では、単独で上場している投資運用業者はわずかです。しかし、上場している銀行、証券会社、保険会社等には、傘下に投資運用業者をもつものが少なくありません。こうした間接上場を含めれば、案外、上場している投資運用業者は多くあるのです。
 さて、これらの上場している投資運用業者は、自らの株主に対する責任、自らの顧客に対する責任、顧客を代理して議決権を行使するものとして他の上場企業に対する責任、この三つの責任を負うのですが、これらの責任について、相互に相反することなく履行できるのか。
 この問いについては、理論的な結論として、当然に可能だといわざるを得ません。しかしながら、ここには、高度に難しい論点が多数含まれていて、責任関係が錯綜しているのも事実ですから、現実的な問題としては、なかなかに容易ならざるものがあります。
 ただし、問題の本質は上場しているかどうかにかかわりないのであって、業界全体として、その容易ならざるところを深く考え抜いてこそ、投資運用業の質的な発展、まさに金融庁のいう「資産運用の高度化」もあろうというものです。

では、責任関係を明らかにするために、「コーポレートガバナンス・コード」から、検討しましょうか。
 
 東京証券取引所が策定した「コーポレートガバナンス・コード」は、上場企業に対して、中長期的な企業価値の向上についての適切な取り組みを求めるものです。
 企業価値の向上は、もちろん、株主の利益につながるわけですが、それは、同時に、日本経済の成長にも寄与することを通じて、社会的意義を有することとなります。ここに、安倍政権の経済政策の重要な一翼を担うものとして、本コードが策定された背景があります
 重要なことは、中長期的な企業価値の向上は、短期的な企業利益の最大化を図ることではないということです。短期的な利益は、顧客や従業員や取引先等の犠牲の上に築かれ得ても、持続可能なものではありません。それに対して、中長期的な企業価値の向上は、持続可能なものとして、安定的事業基盤の上にしか実現され得ず、その基盤は、顧客や従業員や取引先などの利益に対する適正な配慮を通じてしか形成され得ません。

利益の獲得ではなくて、利益の循環に、基軸が置かれているのですね。

 安倍政権にとって、経済政策の基本は、好循環の実現です。例えば、その政策の方向性は、労働者の賃金に対する政権の考え方に、よく表れています。
 労働者は、総体として、消費者なのですから、賃金の引き上げは、新たな消費需要として、循環を通じて、企業総体の売り上げの増加に跳ね返ってくるはずです。売り上げの増大に伴う事業の拡大は、更なる賃上げの余地を拡大していきます。これが、好循環の仕組みであり、そこには、当然のこととして、健全なる賃上げに基づく健全なるインフレーションが内包されているのです。
 同じ好循環は、下請け企業等の取引先や、企業が立地する地域社会との関係においても、あてはまります。取引先等との取引条件を、公正公平なものとしておくことは、取引の継続性と安定性とにつながり、まさに持続可能性の基礎条件となります。
 更に、好循環は、株主や債権者のように、企業に資金を供給しているものとの関係においても、成り立ちます。企業は、株主や債権者に対して、事業の性格に照らして合理的な収益を還元することを通じて、資金の拡大的循環に寄与しなければなりません。資金循環の回復は、健全なるインフレーションと相まって、金利水準や株価水準の是正に帰結するはずです。

投資運用業というのは、まさに、その好循環の結節点にあるわけですね。

 中長期的な企業価値の向上のためには、企業は、短期的な業績変動に一喜一憂することなく、一つの明確な事業構想に基づき、長期の視点で、また社会全体を視野に入れた利益衡量のもとで、経営の施策を推進していかなくてはなりませんが、そのためには、何よりも、株主からの理解と協力が必要です。
 故に、「コーポレートガバナンス・コード」が機能するためには、株主である投資家と企業との間に、建設的な対話のなされることが必要なのです。投資運用業者は、投資家の代理人として、その対話の相手となるものとして、大きな責任を負うのです。

その責任ある投資家として原則を定めたものが、「日本版スチュワードシップ・コード」というわけですね。

 これは、「日本版スチュワードシップ・コードに関する有識者検討会」によって策定されたものですが、コードの対象となっているのは、いわゆる機関投資家であって、内容は、上場企業を対象とした「コーポレートガバナンス・コード」と表裏を形成するものとして、企業との対話原則を定めたものです。
 要は、企業価値の中長期的な向上は、企業と投資家との協働によってしか実現し得ないとの認識に基づき、企業に対しては、「コーポレートガバナンス・コード」にそった経営原則の策定を求め、責任ある機関投資家に対しては、「日本版スチュワードシップ・コード」にそった投資の原則の策定を求める、これが、安倍政権の成長戦略における車の両輪を形成しているのです。

機関投資家とは、何でしょうか。

 「日本版スチュワードシップ・コード」で機関投資家として想定されているものの代表は、いうまでもなく、投資運用業者です。そのほか、投資運用業の重要な顧客基盤である企業年金等も、投資運用業者を介してではありますが、間接的に責任を負うものとして、そこに含まれています。
 そのほか、日本の株式市場では、銀行や保険会社等が大株主として重要な存在になっている現実に鑑み、それらの金融機関にも、責任ある機関投資家としての役割が期待されています。

投資運用業者は、一方では、「日本版スチュワードシップ・コード」のもとで、投資先の企業に対する投資家としての責任を負うとしても、他方では、より本質的な責任として、投資家の利益のためにのみ働く義務を負うわけですが、そこに、矛盾はないのでしょうか。

 その問いに答える前に、投資運用業者の顧客に対する責任について、どのような制度的背景があるのか、確認しておきましょう。
 投資運用業者は、他の金融機関の投資家と異なって、自己の資産の運用ではなくて、他人の資産の運用を行うものとして、特別に重い責任を負います。それがフィデューシャリー・デューティーですが、この用語は、金融庁が、昨年の9月に、「金融モニタリング基本方針」のなかで、初めて導入したものです。
 フィデューシャリー・デューティーは、忠実義務のことです。つまり、投資運用業者は専らに顧客の利益のために働けという当たり前の要請なのです。その当たり前のことを、金融庁は、英米法の言葉を通じて、改めて、再確認しているのですが、その理由は、日本の忠実義務には、十分な履行強制力がないからなのです。
 日本の金融商品取引法のもとでも、投資運用業者には、忠実義務が課せられているのですが、いまだかつて、その履行状況が正面から問題とされたことはなく、現実には、十分に機能していないと考えられるのです。つまり、顧客の利益と相反する事態が、横行している可能性があるということです。
 例えば、投資信託を運用する投資運用業者は、専らに、受益者、即ち、投資信託に投資している顧客の利益のために行為しなければならないのですが、実際には、商品設計や報酬の取決め等において、販売会社の利益のためにする要素が混入している疑いは高いわけです。
 この現状に対して、金融庁は、フィデューシャリー・デューティーが実際に果されることを求めるに至ったのです。つまり、フィデューシャリー・デューティーは、履行強制力のある忠実義務として、導入されたということです。

では、先ほどの問いは、フィデューシャリー・デューティーと、「日本版スチュワードシップ・コード」とは、矛盾なく両立するか、ということになるわけですね。

 答えは明瞭で、フィデューシャリー・デューティーという責任と、「日本版スチュワードシップ・コード」のもとでの責任は、矛盾なく両立する、というよりも、投資運用業者は、矛盾なく両立するように、行為しなければならないということです。
 投資運用業者は、「日本版スチュワードシップ・コード」のもとで、責任ある投資家として、「コーポレートガバナンス・コード」のもとで責任を履行していく上場企業と建設的な対話を行い、結果として、上場企業と協働して、企業価値の向上を実現することになるはずです。そのことは、当然に、フィデューシャリー・デューティーのもとで、顧客の利益の保護にもなるはずです。
 逆に、投資運用業者は、専らに顧客の利益のために上場企業と建設的な対話を行うからこそ、対話を緊張感あるものにすることができ、故に建設的なものにすることができるのだと考えざるを得ません。責任ある投資運用業者は、上場企業に対して、馴合いを排した姿勢で、対話に臨まなくてはなりません。なぜ馴合いを排することができるかといえば、それは、投資運用業者が、フィデューシャリー・デューティーのもとで、顧客に対して責任を負っているからなのです。

では、上場している投資運用業者の場合、フィデューシャリー・デューティーと、「コーポレートガバナンス・コード」とを、矛盾なく両立させることができるでしょうか。

 「コーポレートガバナンス・コード」には、顧客に対する責任が含まれています。投資運用業者の場合、その顧客に対する責任について、フィデューシャリー・デューティーという特別に重いものが課せられているだけのことです。
 投資運用業者は、「コーポレートガバナンス・コード」のもとで、フィデューシャリー・デューティーの徹底こそが投資運用業者としての企業価値向上の要件であることを、明確な行為規範として確立し、その趣旨を株主に対して説明し、その履行について、株主の理解と協力を得なければならないということです。
 実際、利益相反によって顧客の利益を損なうような行為は、仮に短期的な利益にはつながり得ても、投資運用業者としての中長期的な企業価値の向上にはつながらず、むしろ、最終的には、事業基盤の崩壊へと導くものであることは明らかでしょう。

適正利潤ということが、株主の利益と顧客の利益を均衡させる鍵なのですね。

 フィデューシャリー・デューティーの中核をなす具体的内容に、報酬の合理性があります。投資運用業者は、顧客の資産管理を行う対価として、報酬を得ています。これは、事業として行う以上、当然極まりないことではあるのですが、フィデューシャリー・デューティーのもとでは、高度な検討が必要なのです。
 フィデューシャリー・デューティーを厳格に解すれば、自己の報酬を得るために行為することは、専らに顧客の利益のために行為しなければならないという規範に反します。しかし、事業として投資運用業を営む以上、この矛盾は合理的に解かれなければなりません。それが、合理的報酬の考え方です。
 つまり、投資運用業者は報酬を得てもいいのですが、その報酬水準は、職務の遂行に必要となる経営経費等との関係において、十分に合理的なものとして、顧客に説明できるものでなくてはならないということです。
 この要請は、少しも株主に対して不利ではありません。なぜなら、合理的な経費に基づいた合理的な運用報酬のもとでは、合理的な利潤は約束されているからです。しかも、これは、安定的に利潤を得る構造となっていて、まさに「コーポレートガバナンス・コード」の思想に適合したものとして、中長期的な企業価値の形成の基盤になるべきものなのです。

投資運用業者を取り巻く諸責任が明確になった以上、日本でも、投資運用業者の経営のあり方は、抜本的に見直されることになりそうですね。

 「コーポレートガバナンス・コード」、「日本版スチュワードシップ・コード」、フィデューシャリー・デューティーの三点が揃った以上、傘下に投資運用業者をもつ上場金融機関においては、その経営のあり方について、抜本的な改革が不可避になると思われます。
 これら金融機関は、巨大組織として、日本社会において、大きな影響力をもっています。その社会的責務は非常に重いのです。故に、変わらなければならない。日本の産業界全体が 「コーポレートガバナンス・コード」にそった改革を断行できるかどうかは、金融機関の経営改革にかかっているのです。

以上


次回更新は6月18日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2015/04/02掲載「企業年金と運用機関の不適切な関係
2015/03/19掲載「企業年金と母体企業の不適切な関係
2013/11/07掲載「みずほ銀行のどこがいけないのか
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2013/09/19掲載「「日本にこだわってこそのグローバル」
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。