昨年の9月に、金融庁は、「金融モニタリング基本方針」を公表し、そのなかで、フィデューシャリー・デューティーという言葉を初めて用いました。そのとき、それが英米法の規範であるだけに、なぜ、日本で英米法なのか、その異様さに、金融界は、とにかく、非常に驚いたわけです。
驚きつつも、常識的な解釈としては、日本の忠実義務を高度化したもの、というのが金融界の一般的な受け止め方だったと思われ、それを、どのようにして、日本の規制環境のなかで具体化するのか、そこに、関心が集中していたと思われるのです。
つまり、金融界としては、従来の規制当局としての金融庁像からして、フィデューシャリー・デューティーを具現化した規制の強化を予想したと考えられるのです。また、フィデューシャリー・デューティーに言及された箇所は、誰がどうみても、投資信託を強く念頭に置いているとしか思えない文脈のなかにあったので、投資信託に関する新しいルールの策定と受けとられたとしても、自然なことだったのです。
ところが、フィデューシャリー・デューティーの登場から一年たっても、金融庁からは、具体的なルール等は示されていませんね。
今年の9月、金融庁は、新しい「金融行政方針」を公表しています。昨年は「金融モニタリング基本方針」と呼ばれていたものが、名称変更されたのですが、単なる名前の問題ではなくて、背景には、「金融行政の目的」として、狭い金融規制の枠を脱却し、金融機能の強化を通じた「国民の厚生の増大」を掲げるに至った金融庁の抜本的路線転換があります。
この「金融行政方針」でも、フィデューシャリー・デューティーは、一段と強調されていて、「フィデューシャリー・デューティーの徹底を図る」という厳しい表現すら使われています。しかし、だからといって、徹底を図るための具体的施策が書かれているわけではなく、そのかわりに、「民間の自主的な取組みを支援する」とされています。
このことは、「金融行政方針」において、金融庁の役割を、「金融機関が取るべき行動等について、これを仔細に規制するのではなく」、「金融機関等の創意工夫を引き出すことで」、「自主的改善を促していく」としていることに一致します。
つまり、今の全く新しくなった金融庁の行政手法は、金融庁が主体となって金融機関に規制を課すことではなくなり、替わって、金融機関が主体となって、自主的な取組として、創意工夫により、自律的改善を図るように、金融機関を促し、支援することになったのです。
金融庁の役割は、規制から、金融機関自身による自律的改革の支援へと、革命的転換を遂げたということです。その意味で、今年の「金融行政方針」が金融界に与えた衝撃は、昨年の「金融モニタリング基本方針」が変革の予兆を与えていたからこそ吸収可能だったといえるほどに、大きなものなのです。
昨年に導入されたフィデューシャリー・デューティーが未だにルール化されていないのは、既に昨年において、金融庁の方針転換を先取っていたからなのですね。
フィデューシャリー・デューティーの真の斬新さは、実は、英米法の概念の導入であることにではなくて、その射程の深さと長さにおいて、また、適用の方法において、金融庁の全く新しい行政手法を象徴的に表現するものとして、先行的に取り上げられたことにあると思われます。
フィデューシャリー・デューティーに限らず、今後の金融行政は、法令等のルールの策定による規制ではなくて、金融機関自身による自主的な取組みを促すことで実施されていきます。その際、金融庁の役割として重要なことは、金融機能の強化による「国民の厚生の増大」という金融行政の目的にそって、全体の調和的展開を実現すべく、金融機関に対して、理念的指針、あるいは理想像を示すことです。
では、何によって、指針を示すのか。もしも、金融機関が具体的に進むべき方向を示せば、それは、規制による改革と大差ないものになるでしょう。故に、金融庁としては、「国民の厚生の増大」は、金融機関が真に顧客の利益に適うように行動することによってのみ実現するという正論以上には、具体的に踏み込めない、あるいは敢えて踏み込まないのです。
ところで、真の顧客の利益に適うこととは、最高度の次元において顧客に忠実であることであり、それこそ、まさに、フィデューシャリー・デューティーの意味そのものなのです。
フィデューシャリー・デューティーの導入は、投資信託改革という狭い領域の問題ではないということですね。
フィデューシャリー・デューティーは、規制の強化でもなく、新しいルールの導入でもなく、投資運用業等の問題でもなく、ましてや、狭い投資信託の問題なのではなくて、真の顧客の利益に適うべきこと、あるいは、専らに顧客の利益のために行動すること、という一般的な原理的規範を象徴するものとして、広く長い射程をもつのです。
ならば、英米法の規範ですらないということですね。
ここは日本です。日本の金融庁が英米法の規範を導入するわけがありません。このことは、最初から自明だったはずです。金融庁は、「国民の厚生の増大」という金融行政の目的にそって、金融機能の高度化を目指したとき、金融機関に示すべき理念的指針として、フィデューシャリー・デューティーを導入したのだと考えられるのです。
このことは、昨年の「金融モニタリング基本方針」において、重点施策の第一位に、「顧客ニーズに応える経営」が掲げられ、第三位に掲げられた「資産運用の高度化」のなかで、フィデューシャリー・デューティーへの言及がなされたことからも、読みとれます。
「顧客ニーズに応える経営」を徹底し、専らに顧客の利益のために行動することにまで高めること、それを英米法の用語を借りて表現すれば、フィデューシャリー・デューティーを実際に果たすことになるわけで、そのことを、例示として、投資信託の現況を念頭に置きつつ、「資産運用の高度化」との関連において表現していたのが昨年の「金融モニタリング基本方針」だったのです。
ですから、それは、英米法の概念そのものではなくて、その理念を抽象し、その用語を借用して、金融庁自身の行政の理念的指針として、いわば、素描として提示されていたものにすぎず、その素描のうえに、投資信託に関連した投資運用業等の分野を超えて、金融の全ての領域にわたって、金融機関の多様な創意工夫によって、色付けされていくことが予定されていたと思われるのです。
投資運用業には、フィデューシャリー・デューティーを真摯にとらえ、自分自身による自律的改革を断行することで、新しい金融行政の先行事例としての役割を果たすことが期待されていたのですね。
いくつかの投資運用業者は、この夏、9月に「金融行政方針」が公表されるよりも前に、顧客の利益の視点にたった高度な自律的規範として、「フィデューシャリー宣言」を公表しました。「金融行政方針」では、このことを念頭に置いて、「民間の自主的な取組みを支援する」とされたのです。
こうした「民間の自主的な取組み」は、金融の全ての分野において、顧客の利益の視点にたった改革として、今後、急速に、広がっていくでしょうし、金融庁としても、その展開を楽観的に期待するだけでなく、金融機関の自律的改革を促すような働きかけを積極的に行っていくはずです。
現に、いくつかの投資運用業者にはできたことです。どの金融機関でも、経営者の見識ひとつで、簡単にできることなのです。
フィデューシャリー・デューティーは、法令等のルールでない以上、理念的指針として、金融の全分野に適用できるだけの射程の長さと広さがある、そこに、新しい金融行政の手法の斬新さがあるのですね。
金融界は、フィデューシャリー・デューティーについて、そこまでの射程を想定することができていなかったし、今でも、十分には、理解が進んでいないのです。例えば、金融庁が投資信託の販売会社にもフィデューシャリー・デューティーの徹底を求めていることについて、関係者の多くは、真意を理解できていないようです。
フィデューシャリー・デューティーは、英米法の国では法規範ですが、そこでは、投資信託の販売会社がフィデューシャリー・デューティーを負うとは考えられていませんし、日本法のもとでも、投資信託の販売会社は忠実義務を負っていません。
それなのに、なぜ、金融庁は、投資信託の販売会社にもフィデューシャリー・デューティーの徹底を求めるのか、そこに、金融界の大きな疑問があったし、おそらくは、今もあるのです。しかし、上記のように、フィデューシャリー・デューティーを、金融機関自身による自律的改革のための理念的指針として理解する限り、問題は簡単です。
販売会社には、ルールとしてのフィデューシャリー・デューティーが課されることはないのですから、経営者に、顧客の視点にたった自律的変革への意思がないならば、無視すればいいのです。それで経営が成り立つと思うのならば、それでいいでしょう。
それに対して、金融機関として、中長期的な自己の利益の持続的成長を考えたときには、まともに統制された優れた企業の合理的判断として、顧客の利益の視点にたった改革が必要だと考えるのが自然でしょうから、自律的取り組みとして、フィデューシャリー・デューティーの内部規範化を志向するでしょう。
銀行業、保険業、金融商品取引業、信託業など、金融の全ての領域について、同じことがいえますね。
フィデューシャリー・デューティーという用語を用いるかどうかは別として、理念的指針として、専らに顧客の利益のために働くことが金融機関自身の利益につながるという信念、まさに金融庁のいう「好循環」への信念は、金融業にとって、その高度な社会性を考えるとき、普遍的なものであるはずです。
今、金融界の全ての人にとって、一番大切なことは、投資運用業において自律的改革として具現化し始めたフィデューシャリー・デューティーについて、その理念的指針としての性格を十分に理解し、各自の業務分野への自律的適用を考えることなのです。そうすることで、必ずや、日本の金融機能は向上し、「国民の厚生の増大」に貢献できるのです。
以上
次回更新は10月22日(木)になります。
2015/09/17掲載「「フィデューシャリー・デューティーとベストをつくす義務」」
2015/09/10掲載「「厚生年金基金の「フィデューシャリー宣言」」
2015/09/03掲載「「企業年金が「フィデューシャリー宣言」をする意義」
2015/08/27掲載「「フィデューシャリー宣言」の意義について」
2015/06/04掲載「「コーポレートガバナンス・コード」から抜け落ちている企業年金」
2015/04/02掲載「企業年金と運用機関の不適切な関係」
2015/03/19掲載「企業年金と母体企業の不適切な関係」
2014/10/23掲載「金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーとは何か」
≪ アーカイブから今週のお奨めは「地方創生」 ≫
2014/06/26 掲載「公共ファイナンスの視座」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。