銀行等の住宅ローン競争には、熾烈なものがありますが、多くの場合、新規の住宅ローンの供給ではなくて、他の金融機関からの借り換え(貸す側の立場からいえば、貸し換えですか)の競争であって、そこには、二つの大きな問題があります。第一に、新規の住宅供給につながらないので、経済効果がしれていること、第二に、金利引き下げ競争以外に付加価値提供のない過当競争により、金利が低下してしまい、金融機関の収益を圧迫していること、この二つです。
所詮、超成熟社会の日本では、新規住宅供給が伸びないのは当然ですし、金利が下がることは利用者の利益ですから、それでいいのではないですか。
確かに、住宅ローンの借り手にとってみれば、金利が下がれば、それだけ可処分所得が増大するわけですが、実際には、超低金利が長期間続いている状況下で、限界的な金利負担の削減は極めて小さいのですから、経済効果はしれたものでしょう。むしろ、金融機関の収益が圧迫されることによる負の効果のほうが大きいとも思われます。
また、新規の住宅供給に対してではなく、金利引き下げによる借り換えの競争が横行するということは、住宅取得を目的とした住宅ローンの社会的意義が果たされていないこと、即ち、住宅ローンとしての固有の付加価値が失われていることを示すものであり、故に、逆に、金利引き下げ以外には、何らの価値の提供もないものになっているわけですから、さて、これでは、金融機能として、いかなる意味があるというのでしょうか。
旧来の住宅ローンを脱却して、新たな付加価値を創出できるような新しい住宅ローンを開発しなければならないということですね。
住宅は、日本の高度経済成長を支える重要な経済分野であったわけで、国民所得と大衆消費の急拡大を背景とした当時の環境下において、家庭電化製品や家具等の大きな裾野をもつ究極の大衆消費財として、市場形成されたのです。しかし、そのことは、超成熟社会に転じた今日においては、大きな社会構造上の不適合として、新たな問題を生み出しているわけです。
住宅ローンは、若く伸び盛りの古き良き日本社会において、金融機関が果たす資金循環の要の一つとして、住宅供給を支えることで、経済成長に大きく寄与してきたものです。その過去の貢献は否定できないのですが、全く環境が変わってしまった今日において、旧態依然たる住宅ローンのままでは、もはや経済成長への貢献のしようもないのです。そのことは、まさに、現在の住宅ローンの困難な状況に反映しているのです。
安倍政権の経済成長戦略は、機能不全に陥っている旧経済の仕組みについて、抜本的に構造改革することで、超成熟社会に対応した新たな成長の原動力を備えた社会経済体制の構築を目指すことにあります。
こうした構造改革が急務である領域としては、経済成長期に大量に作られた住宅の老朽化と廃屋化への対策にみられるように、住宅問題があり、また、旧経済体制の象徴として、依然として強力な個人貯蓄吸収力を有しながら、その資金を運用する機会を失いつつある銀行等の金融機関の問題があるのです。住宅ローンは、その両分野に跨るのですから、まさに、構造改革の要諦であるべきなのです。
では、新しい住宅ローンとは、どうあるべきでしょうか。
その前に、新しい住宅供給の仕組みとは、どうあるべきかを考えなくてはなりませんが、やはり、論点は、耐久消費財として、住み捨てられる住宅から、資産として、住み続けられる住宅への転換だと思われます。
耐久消費財としての住宅というありかたは、経済成長戦略として、政策的に誘導されたものというよりも、中間所得層の急拡大と旺盛な消費需要、家族構成の急速な変化、都市集住という人の動きなどを背景にして、自然な展開として、生じたのだと思われます。
しかし、急速な社会の成熟化は、たちどころに、大きな矛盾を露呈することになります。子供がいる家族構成を前提に作られた住宅は、子供の独立とともに、年金生活の老人世帯には大きすぎる家となります。また、もともと、老朽化によって修繕費が嵩み始めるときには、建て替えがなされる前提になっていたのですが、現実には、年金生活の老人世帯にとって、建て替えは経済的に困難となります。
そもそも、個々の人間を中心に考えて、家族構成の変化に応じて住宅を建て替えるというのは、社会的にみれば、著しく非効率です。ところが、無駄な消費こそ経済成長の動力という意味では、経済的には、有効であったわけです。
成熟経済社会になれば、無駄を排して、効率性を高めるほかないわけですから、住宅を中心に考えて、人口動態に応じた半永続的に使える資産性のある住宅の供給を確立し、個々の人間は、家族構成に応じて、住み替えるようにするほかありません。
つまり、老朽化に対しては、消費財として、建て替えで対応するのではなくて、資産として、改築や修繕で対応するということです。これを住宅ローンの側面からみるならば、現状では、資産性がなくなるという前提で、事実上の消費者ローンとなっているのに対して、資産性が維持されるという前提で、資産担保ローンへと転換させるということです。
資産の弁済力を前提にした住宅ローンとして、リバースモーゲージがありますね。
リバースモーゲージは、住宅のもつ資産としての価値によって、元利合計を弁済する仕組みですから、通常の住宅ローンとは、全く異なります。典型的には、高齢の年金生活者で、一定の資産性のある住宅を保有している人にとっては、追加的な支出をローンで賄っても、その弁済は、死後、住宅を売却することで元利一括弁済できるので、負担にならないという利便性があります。まさに、現在の高齢化社会と住宅問題の有力な解決策になり得るものです。
ただし、リバースモーゲージによって意味のある金額を借りられるためには、住宅の資産性が高くなくてはなりませんから、現在の住宅事情のように、時間の経過とともに資産価値がなくなってしまうようでは、底地の価値しか評価されないでしょうし、土地の価格の上昇が見込めるのは、ごく限られた都市部だけですから、あまり有効ではないのです。
それでも、リバースモーゲージによって、住宅の流動化は促進されますね。
リバースモーゲージの場合、必ず、住宅の売却が起きます。住宅の資産性を高め、人口の構成と動態に対して最適な安定供給が図られるような社会の仕組みへと、住宅市場の構造を転換させる必要性を考えれば、現に存在している住宅の整理と高品位化は、不可避です。そのためには、流動化が必要ですから、リバースモーゲージの機能は重要です。
また、国策として、老朽化した廃屋の処理は重要な課題となっているのですが、流動化の前提として、更地にすることが必要だとしたら、その資金を融資するローンも、金融界として、検討されなければならないわけです。
改築によって使える住宅も多いでしょうから、そのための資金を供給する住宅ローンも重要ですね。
改築や増築は、それ自体としては、独立した価値がなく、住宅本体の一部になるだけですから、金融の取り組みとして、増改築だけを分離して資金を供給することは、無担保の消費者ローンと同じことになってしまいます。それに対して、増改築によって、住宅全体の価値が上昇すれば、価値の増加分を新たな担保とした住宅ローンに構成できます。
ホームエクイティーローンの考え方ですね。
住宅ローンは、元本を均等で弁済するのですから、もしも、住宅の資産性が保たれるのであれば、時間の経過とともにローン残高が減少していく分だけ、担保の余裕を生じます。ホームエクイティーとは、その余裕のことであり、ホームエクイティーローンというのは、その担保の余裕分について、新たな担保を設定して、融資するものです。ホームエクイティーローンを増改築のために利用して、その結果、さらに資産価値が上昇するのであれば、まさに、都合のいい好循環となります。
日本では、住宅の資産性が評価されていないので、ホームエクイティーローンは普及していませんし、増改築によって住宅全体の資産性の上昇が評価される余地もないので、増改築ローンに、ホームエクイティーローンの考え方を適用することもなされていません。
しかし、今後は、住宅市場の構造変化とともに、住宅の資産価値に着目したリバースモーゲージ、ホームエクイティーローン、増改築ローンなどが普及していくように、金融機関として、革新的な取り組みを進めていく必要があります。
ところで、表題には、いっそ銀行に住宅仲介をやらせるか、とありますが、これは、どういう意味でしょうか。
例えば、リバースモーゲージというのは、経済的な仕組みの実態として、ローンなのでしょうか。最終的には、実質的な処分権が金融機関に移転してしまうことを考えれば、金融機関が住宅を分割払いで取得していくこととしても構成できるのではないでしょうか。
いずれにしても、最終的に住宅の売却がなされるのですから、ローンと住宅仲介を直結させたものなのであって、むしろ、統合してしまって、住宅仲介業者がローンを供給しても、金融機関が住宅仲介を行っても、どちらでもいいはずです。要は、顧客の利便性の問題です。
また、そもそも、住宅ローンの供給は住宅所有者に対してなされるわけですから、住宅市場の構造改革によって、資産性のある住宅が固定化し、人が家族構成等の利便性に応じて住み替えていくようになれば、金融機関にとって、顧客に対する利便性の提供とは、住宅の借り手なり買い手なりを見つけてくることになるはずです。
しかし、まさか、金融規制等の立場からいえば、銀行に住宅仲介を認可することなど、全く考え得ないことではないでしょうか。
理屈上は、銀行の持株会社の下に、ノンバンクを設立し、そこに住宅ローン業務を移管して、住宅仲介を兼業すればいいことです。今まさに、金融庁において、持株会社の業務範囲の見直しが検討されているはずなので、全く不可能ということではないでしょう。ただし、可能だとしても、本業の銀行経営の健全性維持等の見地から、一定の制限のかかることは、当然のことです。
しかし、既存の住宅仲介業者からすれば、銀行等が参入してくることは、優越的な地位に基づく力の行使として、認め得ないのではないでしょうか。
国土交通省においては、日本の将来を展望し、国民の利益の視点で、望ましい住宅市場のあり方を検討しなければならないのであって、まさか、そこで、住宅仲介業者の保護という論理は、掲げ得ないのではないでしょうか。また、金融庁においても、銀行等の金融機関の利益の視点では、金融制度改革など、なし得るものではありません。
あくまでも、住宅をもつ人、住宅に住む人の視点にたって、従来の枠組みを超えた新しい住宅市場の形成がなされればいいことです。金融にしても、住宅仲介にしても、既成の業者の利益の視点で考えることはできないのです。
以上
次回更新は1月28日(木)になります。
2016/01/14掲載「決して潰しませんという銀行の確約」
2016/01/07掲載「銀行は、カネではなくて、モノを貸したらどうだ」
2015/12/17掲載「住宅ローンが欲しいのではない、住宅が欲しいのだ」
2015/12/10掲載「雨が降ったら傘を差し出す金融へ」
2015/07/09掲載「原子力損害賠償制度と金融」
2014/07/17掲載「オブジェクトへの金融」
2014/06/26掲載「公共ファイナンスの視座」
2013/06/27掲載「借換えで債務を弁済することは本当に弁済なのか」
2013/06/19掲載「住宅金融と生涯生活設計行」
2013/06/12掲載「住宅金融あれこれ」
2012/11/08掲載「貸せない先に貸してこその銀行」
≪ アーカイブから今週のお奨めは「国益」≫
2015/10/01掲載「「国益への貢献」を掲げた金融庁の英断」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。