「顧客本位の業務運営に関する原則」は、投資信託の販売と運用等の資産運用関連業務を営む金融事業者を対象としたものですが、今回ソフトローとして具現化されるよりも前に、金融庁の施策として初めて登場したときには、理念的にフィデューシャリー・デューティーと呼ばれていました。
フィデューシャリー・デューティーを煎じ詰めれば、専らに顧客のために働くべしという当然のことに帰着し、そこから、日本の法律のもとにある忠実義務と注意義務を超えて、より高度な、より広い、より厳格な諸義務が導かれていくのです。
法律を超えているからこそ、ソフトローなのであって、コンプライ、即ち主旨を受け入れて自主的に規範化するか、エクスプレイン、即ちコンプライしない理由を明らかにするかは、各金融事業者の自由です。ただし、ひとたびコンプライすれば、自己に課す厳格な規律として遵守の徹底が求められるのです。
利益相反との関係でいえば、より高度な忠実義務の履行が求められるということですね。
金融庁の公表した七つある原則の三番目は、「利益相反の適切な管理」と題されたもので、「金融事業者は、取引における顧客との利益相反の可能性について正確に把握し、利益相反の可能性がある場合には、当該利益相反を適切に管理すべきである。金融事業者は、そのための具体的な対応方針をあらかじめ策定すべきである」とあります。
利益相反とは、顧客の利益と、金融事業者自身あるいは第三者の利益との対立矛盾のことで、忠実義務とは、常に顧客の利益を優越させるべきことを金融事業者に求めるものです。では、具体的に忠実義務違反に該当する事態とは何かというと、自己もしくは第三者の利益のために顧客の利益が損なわれる場合をいうのです。
しかしながら、このように顧客の具体的損失を条件として利益相反を定義する限り、忠実義務違反の疑いがあっても、そこに違反の事実を認定することは極めて困難になり、現実には、利益相反の可能性は蔓延してしまうのです。そこで、この事態を憂慮した金融庁は、利益相反自体ではなくて、より厳格に利益相反の可能性の管理を金融事業者に求めるに至ったのです。
つまり、利益相反の可能性は、伝統的な日本法の忠実義務に違反しなくとも、より高度で厳格なフィデューシャリー・デューティーに対しては違反になり得るということです。更に明確にいえば、各金融事業者は、自己を律する規範によって、利益相反の可能性を回避すべきだということになります。
では、具体的に、金融グループにおいて投資信託の販売と運用を同時に行う場合の利益相反の可能性について、検討しましょうか。
具体的も具体的、実名のもとで検討しましょう。なにしろ、4月14日に野村證券と野村アセットマネジメントが別々に公表した「お客様本位の業務運営を実現するための方針」は、この問題に関する極めて優れた対応事例となっているからです。いうまでもなく、この方針は、金融庁の公表した原則にコンプライするものですから、両社のフィデューシャリー・デューティーの実践を規範化したものです。
まず、野村證券は、「投資信託の取扱商品を決定する際には、評価機関による調査・分析を経て一定以上の評価がなされているものを採用する等、グループ会社の商品に捉われることなく、幅広い候補の中から品質の高いものを選定します」としています。
この野村證券の新たな自己規範のもとで、野村アセットマネジメントは同じ持株会社の傘下にある兄弟会社であるという理由で優遇されることはなくなって、その運用する投資信託は単に純然たる運用能力の優越によってのみ選択されることになり、品質が劣後するならば決して選ばれなくなるのです。
逆にいえば、これまでのところ、野村證券は野村アセットマネジメントを特別に扱ってきたということでしょうか。
野村證券に限らず、全ての金融グループにおいて、同一グループ内の関係を重視すること、いわゆる系列重視の悪弊が蔓延していることは、金融庁の指摘を待つまでもなく、金融界の常識として遍く知られています。
いうまでもなく、厳密に考えれば、販売会社が系列重視で投資信託を選ぶことは、別会社との取引と見做すならば、第三者の利益を図ることであり、同一グループの別部門との取引と見做すならば、自己の利益を図ることですから、明らかに利益相反の疑いがあるのです。
しかし、逆に別の明らかなこととして、そのことにより積極的に顧客の利益を損なっている事実の証明もできないわけですから、利益相反にはならないのです。なぜなら、顧客の利益を損なっているというためには、系列重視以外に全く理由がない、運用報酬が不当に高い、社会通念に照らして運用委託するにたるだけの能力を備えていない等の事実があって、それにもかかわらず販売を強行していることの証明が必要ですが、証明以前のこととして、そこまで露骨に悪質な行為などあり得ないからです。
ところが、そうした事態は、フィデューシャリー・デューティーには反するのですね。
新しい自己規範のもとでは、兄弟会社であることを考慮しただけで、フィデューシャリー・デューティー違反になります。こうして忠実義務の高度化を実現したところに、新方針の画期的な意義があります。しかも、それだけではありません。注意義務の側面からみても、大きな改革がなされているのです。
仮に野村證券が野村アセットマネジメントの投資信託を採用したとしても、同社の運用能力が業界の平均に劣後することが積極的に証明されない限り、別のいい方をすれば、最善の調査を尽くした結果として同社が最善のものとして選ばれたのではなくても、従来の注意義務の考え方のもとで違反になることはなかったのです。しかし、こうした事態は、フィデューシャリー・デューティーの最高度の注意義務に対しては、違反となり得ます。
この点、野村證券は、投資信託の選定手続きを見直し、「評価機関による調査・分析」を用いるなど、「幅広い候補の中から品質の高いものを選定」することで、フィデューシャリー・デューティーにそった対応を打ちだしているのです。
この野村證券の投資信託選定にかかわる規範は、兄弟会社を多数ある運用会社のうちのひとつに相対化することで高度な忠実義務を果たし、最善の投資信託の選択を確約することで高度な注意義務を果たすものなのです。
方針の公表よりも、フィデューシャリー・デューティーの履行こそが真の課題だと思いますが。
それは当然のことであって、金融庁の森信親長官は、「顧客本位を口で言うだけで具体的な行動につなげられない金融機関が淘汰されていく市場メカニズムが有効に働くような環境を作っていくことが、我々の責務」と述べているほどなのですから、天下の野村證券ともあろうものが口先だけに終わらせるはずもないでしょう。
それでも、実践のなかでは、口先だけのものかどうか、真価が問われる事態も顕在化してくるのではないでしょうか。
野村證券は、金融庁の施策に呼応したというよりも、むしろ、より積極的に「ビジネスモデルの変革」、変革というよりも抜本的転換を宣言するものとして、この方針を策定公表しているのだと思われます。これは、金融庁の原則公表の僅か二週間後、他の大手金融グループに先駆け、意表を突く素早い行動にでて、業界に衝撃を与えたことからも推測されます。
しかも、おそらくは、この転換は野村證券の歴史を画するほどに本質的で大きなものなのです。このことは、当然に、野村證券というよりも、株主に対して責任を負う親会社の野村ホールディングスにとって、重大な問題でなければなりません。
課題は、大きく二つに整理されるでしょう。第一は、フィデューシャリー・デューティーの徹底により、販売手数料依存等の収益構造が変化し、短期的には減収や減益も避けられないと予想されることです。しかし、これは、中長期的には預かり資産残高に応じた報酬が着実に増加していき、収益構造の改善による企業価値の向上が見込める限り、克服可能な問題です。
より難しいのは第二の問題で、なぜ、傘下に野村證券と野村アセットマネジメントの二社をもつのかという問いに対する答えです。なぜなら、新方針のもとでは、野村證券にとって、野村アセットマネジメントは多数の投資運用業者のひとつにすぎず、野村アセットマネジメントにとって、野村證券は多数の販売会社のひとつにすぎなくなったわけで、両社の兄弟関係は完全に意味を失った以上、無関係な二社をもつ合理性が問われるわけです。
対応を間違えると、これまでの野村ホールディングスの企業価値は傘下二社による利益相反に依存していたということにもなりかねませんね。
フィデューシャリー・デューティーの徹底を金融庁が求めたとき、二社の両立はいずれ困難になるのではなかろうかという見方は、業界の一部の人に直ちに閃いたのではないでしょうか。実際、少なくとも、私は、そう思いましたし、海外の著名な大手運用会社の代表者から、野村ホールディングスはどちらを売却すると思うかという甚だ直截的な質問を受けたこともありました。
こうした予想は、もはや、仮に利益相反はなくとも、その可能性を抱えているだけで、企業価値は評価されないはずだという環境変化の認識に基づいて、最も単純かつ根源的な打開策としては、片方の売却を選択するのが合理的だろうという判断に基づいています。
ところが、野村ホールディングスは、野村證券には、販売会社としての固有の価値を追求させ、それとは完全に独立して、野村アセットマネジメントには、運用会社としての固有の価値を追求させる、そして、二社の無関係な価値最大化を通じて、結果的に野村ホールディングスの価値最大化を実現する、そういう戦略を選んだということのようです。
二社間には、よくいわれるシナジーとか相乗効果とか、そのような内部連関は全くないといえるのでしょうか。
全くないでしょうし、あってはなりません。野村證券と野村アセットマネジメントとの間には、投資信託に限らず全ての資産運用関連業務において、利益相反の可能性があり、フィデューシャリー・デューティーの徹底は、その可能性の排除を意味します。故に、経営哲学や理念の共有、人事交流、営業協力、情報交換など全ての関連が絶たれ、最終的には、野村という屋号を共通にもつことすら、外部からは疑問視されてくるでしょう。
では、ポートフォリオ理論といいますか、金融コングロマリット戦略といいますか、収益構造が異なっていて相互連関のない事業を傘下に複数もつことで全体効率を高める効果はあるでしょうか。
野村ホールディングスにとって、ポートフォリオ理論の視点以外に、野村證券と野村アセットマネジメントを併せもつ理由はないと考えられます。これは、他の金融グループについても全く同じことです。金融グループの場合、コングロマリット戦略といっても、事業範囲が規制されますから、そのなかで、投資運用業というのは、小さな自己資本しか必要としないなど、魅力のあるものだと思われます。
海外の事情は、どうなっているのでしょうか。
金融グループとして投資運用業を傘下にもつときは、いうまでもなく、ポートフォリオ理論による合理化以外にはあり得ません。屋号も、グループで共有化するのは稀で、普通は異なるものを用いています。また、金融グループ内に投資運用業をもたないところも少なくありません。そもそも、投資運用業は独立専業が原則なのですから。
以上
次回更新は、6月15日(木)になります。
2017/05/25掲載「野村證券に顧客本位は似合うのか」
2015/05/14掲載「野村證券よ、利益相反の不存在を証明してみせよ」
2015/04/16掲載「野村證券で即売止めになった投資信託」
2014/11/20掲載「野村證券の投資信託はもっとすごい」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。