成長資本という理念に基づいて日本の成長を実現する会

森本紀行
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成長資本という理念に基づいて日本の成長を実現する会(以下、「会」)。そんなものは、ありません。

 今は、ないのですけれども、必要なものだと思うのです。そして、必要なものは、いずれ、できるでしょうと、信じています。
 「会」は、もしも、できるとすれば、「日本の経済成長の実現を目的として、成長資本という共通の理念によって結ばれた法人・個人が、連携・協働して相互の活動を支援していくために結成した、情報連絡会」、とでもいうべき団体です。
 日本の成長を目的とすることには、どなたも異論はないでしょう。なにしろ、成長なきところに投資なし、ですから(もしかすると、投資なきところに成長なし、かもしれませんが)。そして、そのためには、多くの民間の力を結集していかなければならないことにも、異論はないでしょう。なにしろ、現在の政治と行政には、特に金融行政には、ほとんど期待し得ないのが実情なのですから。では、「成長資本という理念」とは何か。ことさらに、ただの「成長資本」ではなくて、その「理念」という心は何か。

まず、成長資本とは、融資以外の全て、資本構成(片仮名でいえばキャピタルストラクチャですが、片仮名にする必要もない)の融資より下の全てを意味します。それにしても、自分で書いておいて、これは、実にわかりにくい定義だと思います。

 普通にいえば、日本の成長とは産業の成長であり、産業の成長とは、企業の成長の集積なのですから、成長資本とは、企業が成長のために投資する、その投資原資の提供を意味することは、自明なのです。金融とは、金融の社会的使命とは、最初から、企業に対する、産業界に対する、成長資本の提供にあるわけです。
 資本といえば、多くの場合、資本構成の最下位にある株式への出資を意味するでしょう。ところが、日本の金融の仕組みの特色は、この成長資本の提供形態に占める融資の比重が、著しく高いことです。このことは、よく知られていますし、しばしば、日本の金融の後進性のようにいわれてきたことです。
 しかし、私は、後進性ではなくて、日本の誇るべき金融のあり方として、積極的に捉えるべきではなかろうか、と、そのように考えています。このことは、2009年3月12・19日のコラム「金融危機にみる日本型金融モデルの理念と小泉改革の功罪」で論じておきました。ご参照ください。
 このコラムの末尾を引用しておきましょう。「日本の金融機関が、強力な貯蓄市場での力を背景に、投融資型の積極的な資金供給を産業界に行っていた時代、金融が経済とともに成長し得た時代に、今と将来を考える重要な鍵があるはずです」という、この時代は、1980年台の初頭くらいまでの成長期の日本のことを、念頭においています。「日本型金融モデルの理念」というのは、「投融資型の積極的な資金供給を産業界に行っていた時代」の理念のことを意味しています。
 この「日本型金融モデルの理念」でいうところの「理念」とは、とりもなおさず、「成長資本という理念」につながるものです。30年前まで行われていた古い金融の理念を持ち出すのは、今では、もはや、「投融資型の積極的な資金供給」が行われにくくなっている、その現状に対する問題意識を前提にしています。

なぜ、「投融資型の積極的な資金供給」が行われにくくなっているのか。

 それは、銀行等金融機関の社会的役割規定が変わり、資本規制等が強化された結果です。このような規制環境の変化は、いうまでもなく、グローバルな金融協調の中で行われていることです。
 しかし、資本市場の整備、税制改革、規制緩和(金融に限らず)、肥大化しすぎた公的機能(金融に限らず)の縮小など、多くの面での「後進性」が顕著な日本においては、グローバルな金融制度の画一的適用には、無理がある、といわざるを得ません。ここに、今の金融行政に対する絶望があるのですが、絶望していても仕方ないので、この「会」でも作って、民間の力で改革を推進し、同時に、積極的な政策提言を国民的規模で起こしていこう、と、まあ、そのような構想なわけであります。
 そうはいっても、もはや、昭和には戻れない。だから、新たに、「成長資本」という機能を創出して、金融機関の融資の補完を図ろうというのです。ですから、「融資より下の全て」、つまり融資以外の全てという、成長資本の定義が生まれるのです。

要は、従来型の「投融資」を、成長資本という「投資」と、銀行等の金融機関による「融資」に分けよう、というのです。

 もともとが、このような投資と融資の分離が、銀行等の性格規定の変更の中核なのですから、筋が通るのです。ただし、新しい日本流は、投資を、資本市場機能という「開かれた」機能に委ねるのではなくて(そもそも、そのような資本市場機能は、全く不十分です)、私的な関係性(リレーションシップ)に立脚した成長資本という枠組みに、委ねようというのです。
 ここまでくれば、成長資本の具体的意味は、明白でしょう。普通のいい方をすれば、それは、プライベートエクイティ投資のことです。その代表的な供給者は、プライベートエクイティの運用会社です。これらの運用会社のことを、「ファンド」などと呼ぶ必要は、全くないでしょう。ファンドという言葉は、資金を盛る「箱」の、単なる法律上の建付けにすぎないのですから。
 また、株式(エクイティ)に限定する必要もないでしょう。資本市場機能の弱い日本では、株式に限定すれば、出口戦略の柔軟性を欠くからです。出口が重要なのは、回収のない投資がない以上、当然です。そこで、「融資より下の全て」、ということになるのです。具体的には、主として、劣後融資、私募債(転換社債含む)、優先出資証券など、回収方法としての償還を前提にするもの、ということです。もちろん、株式も含むのですが。
 だとすると、プライベートエクイティの運用会社に限る必要もないわけで、幅広く、公開株式の運用会社、社債(広くクレジットの運用会社)の運用会社、その他、「理念」を共有する運用会社であれば、どこでもいいのです。
 理念を共有できるならば、いわゆる「企業再生ファンド」でもいい。しかし、私は、「再生」という言葉が大嫌いです。そもそも、死んでないでしょう。正しくは、「再生」ではなくて、「再成長」です。また、「ファンド」という言葉に付着したイメージも大嫌いです。あくまでも、「理念を共有できるならば」、名称の如何にかかわらず、企業再生ファンドでもいい。
 ということで、この「会」の会員の第一の類型は、このような広い意味での成長資本の供給者としての、運用会社です。そして、第二の類型は、もちろん、融資の出し手の銀行等の金融機関です。その金融機関の中でも、「会」が想定しているのは(もはや、「会」ができた気分ですが)、地域金融機関です。具体的には、主として地方銀行と信用金庫です。
 なぜ地域なのか。それは、地域経済の成長の上にしか、日本の成長はないと考えるからなのですが、これを論じると長くなるので、次回以降にします。ただ、いわゆるメガバンク等の中央の大手金融機関を含まない(あるいは、含めない)、ということだけを述べておきましょう。日本の金融機関の棲分からすれば、大手金融機関こそ、グローバル金融機関として、グローバルな規制環境の中で仕事をすればいいのです。大手金融機関の顧客は、日本の資本市場だけでなく、グローバルな資本市場にも参画できるのだから、それで、全く問題ないのであって、この部分についてのみは、グローバルな規制の国内的な整合性があるのですから。
 私が先に批判した規制の不整合は、地域金融機関にとってこそ(あるいは、とってのみ)、深刻な問題なのです。成長資本の供給形態として、多様な出口戦略を想定しているのも、投融資先が、地域金融機関の顧客である中小・零細企業だからです。もともとが、このような地域の中小・零細企業が、日本の成長を、日本の産業基盤を、支えてきたのです。日本の成長は、この日本の基底の成長にかかっているのです。しかし、これ以上の深い議論も、次回以降に譲らざるを得ない。

最後に、会員の類型として、後二つを述べておきます。

 いずれも、詳論は、次回以降にしますが。第三の類型は、地域産品のグローバルな販路・流通拡大、地域企業の調達網のグローバルな拡大にかかわる全ての企業(商社や加工業者など)です。地域経済の疲弊は、もはや、金融の仕組みだけでは、解決できない。売り上げを伸ばすのが一番です。だから、商社機能が必要なのです。
 よく「地域商社機能」ということがいわれます。志は、同じなのでしょうが、地域に限定した商社では、地域の売り上げは増やせない。もはや、グローバルな規模で、販路・調達網を考えないといけない。そういう意味で、敢えて、地域商社とはいいません。
 第四の類型は、いわゆるプロフェッショナル(法務、税務、会計、その他コンサルタント)です。新しい試みには、必ず、新しい技術的問題が伴うので、どうしても、専門知識は必要なのです。
 さて、最後に、「会」の主役は誰か、ということに触れたいと思います。別に、主役はいらないのかもしれない。しかし、私は、敢えて、地域金融機関を主役としたい。なぜか。理由は、2009年10月 8日のコラム「地に堕ちた「投資銀行」の再興を地域金融機関の手で」に書かれています。ご参照ください。なお、この「投資銀行」という言葉に付着したイメージも、私は大嫌いです。ここでいう「投資銀行」は、「日本型金融モデルの理念に基づく投融資型金融機能」と読み替えてください。
 なぜ、地域金融機関が主役なのかというと、もともとが、成長資本の理念とは、銀行等の金融機関が主役だった日本型の金融システムの、現在への復興を目指すもの、だからなのです。地域経済の成長を古くから支えてきたのは、地域金融機関です。今、成長資本を、というよりも成長そのものを、必要としているのも、地域なのです。成長資本の機能とグローバルな商社機能が、地域金融機関を窓口として、地域へ流れる仕組みの構築、これが、「会」の目的となるのです。
 それにしても、この「会」、壮大なものになりそうです。私の立場、即ち、「投資」を本職とする立場からいえば、大きすぎるかもしれない。そこで、「投資」の立場、即ち、「成長資本の供給者」の立場から、「会」の中に部会を作るとすると、「日本成長資本協会」というような名前になるのでしょう。このような協会もあったらいいですね。いや、あるべきでしょう。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。