今月の12月11日のバーナード・マドフ(マドフではなくて、メイドフというのが、より原音に近い発音のようですが、もう、マドフのままにしておきます。)逮捕によって明るみに出た巨大な詐欺事件が、世界の金融界を揺さぶっています。
この事件は、一個人の犯罪として処理されるべきものではありません。ここには、資産運用ビジネスに関連する本質的な問題が提起されているのです。大切な財産の管理を委託する、あるいは、業者の立場からいえば受託するということは、当然過ぎるくらい当然のこととして、信頼を基礎としているのです。その信頼の基礎が崩れ去るということは、資産運用ビジネスのビジネスとしての基礎が失われるということです。ついにマドフは、その基礎を壊してしまいました。マドフだけではありません。サブプライム問題として明るみに出てきた証券ビジネスの乱脈ぶりも、投資家の信頼を裏切るものでした。マドフは、止めを刺したに過ぎないのです。
基礎が壊れてしまった資産運用ビジネスは、本質的に自己改革しない限り、再生しません。資産運用ビジネスは、拡大し成熟する過程の中で、なにか大切なものを見失ったのです。特に、最近10年間の劇的な資本市場の構造変化の中で、絶対に見失ってはいけない価値観を、見失ったような気がします。
私は、このコラムの連載を始めるにあたって、その第一回に、「プロの投資が非常識だというのではありません。ただ、一つの可能性として、原点にあった良識・常識の上に、高度に技術的な要素が付け加えられた結果として、原点が見えにくくなっていることも否定できません。」と書きました。原点への回帰を、原点の良識への回帰をコラムの課題としてきました。しかし、そのときには、まさか信頼という基本中の基本へまで回帰しなければならなくなるとは、想定しませんでした。残念ですが、改めて見失われた倫理的基礎へまで回帰してみようと思います。
マドフ事件の全容は、別途、緊急の特別レポートの形で、この同じサイトに連載していますので、そちらをご覧ください。ここでは、角度を変えて、お金を預けるときには、何を信じたらいいのか、誰を信じたらいいのか、という点を考えてみたいと思います。
バーナード・マドフは証券界の大物で、信頼に値する人物として知られていました。
ナスダック会長などという要職も歴任していました。アスコットというファンドを設定して、マドフの運用資金を集めていたガブリエル社のエズラ・マーキン(Ezra Merkin)氏という人物がいます。この人は、あの自動車のGMの金融部門GMACの会長の職にあります。マドフも、マーキン氏も、ともにユダヤ社会の尊敬される人物であり、コミュニティの重要な人物なのです。その関係で、ユダヤ系の大学や財団が今回の事件の大きな被害者になっています。事件の卑劣性は、自分が属するコミュニティの中で信頼される地位にあることを悪用して、自分のコミュニティを裏切ったことです。親友を騙したのです。親友に騙された人の痛みは、金銭的損失を超えてはるかに大きいことでしょう。では、お金を預けるときは、親友を信じるな、ということなのでしょうか。
また、マドフの過去の運用成績が表向き極めて良かったことも問題だとされています。事件が明るみになった今では、「信じるわけにはいかないほどに、運用成績が良すぎた」などという人もいます。過去10年間でマイナスになった月は数えるほどで、チャートを見ると、一直線の右肩上がりです。確かに良すぎます。良すぎる成績は信じるな、というのは、もっともらしいようですが、では何を信じたらいいのでしょうか。まさか、ちょっと悪いくらいの成績がいいのだ、ともいえないでしょう。
投資という金融商品の難しさは、見えないことです。目に見える商品は、目で見て確かめて買えばいいのです。投資は見えません。見えるのは、運用者の顔、一緒に投資している他の投資家の顔、過去の実績を絵にしたチャートくらいです。見えるものに嘘があれば、もうどうしようもないでしょう。ですから、今回の詐欺は、まさに禁じ手中の禁じ手であり、ビジネスの根幹を直撃したということなのです。では、投資家は、どうすればいいのか、見えないものをどのように確認したらいいのでしょうか。
(後編の内容は、ここから)
結論から言えば、信じることができるかという問題以前に、理解できるかどうか、筋が通る話なのかどうか、ということが、基本にあるのだと思います。
マドフの運用手法については、実はかねてより、理解しがたい点のあることが知られていました。運用手法の実態は不明ですが、少なくとも公表されている限りは、オプションを組み合わせた運用方法であるはずでした。
具体的には、まず現物株を買い、同時にそのプット・オプションを買い、さらにコール・オプションを売るという手法で、スプリット・ストライク・コンバージョン(split-strike conversion)と呼ばれるものです。仮に、二つのオプションのストライクが現物株の取得コストと同じで、二つのオプションのプレミアムが等しいならば、この三つのポジションの組合せは、完全にキャンセルアウトしてしまって、何もしないのと同じになります。取引コスト分だけ確実に損をする無意味な取引です。まさかそんなはずもないわけですから、運用としての工夫が必要です。どうやら、二つのオプションのストライクは、アウト・オブ・ザ・マネーのものにするようです。そうして、プレミアムが相殺されるようなストライクを選ぶとすれば、株価の変動に応じて損益が出ますが、利益の上限と損失の下限が明確に区切られた形になります。それでも、株価の変動に応じて損益が出ること自体には変わりはないので、理論上、高い確度で利益が出るような形には決してできません。要は、実績リターンと称するような極めて安定的な高収益を挙げるためには、「上手にする」しかないのです。つまり、上手にタイミングのリスクを取るなり、オプションのミスプライシングをつくなり何なり、判断的な行動をしなければ、決して収益を生み得ないのです。判断的な行動で収益を挙げうる可能性は否定できませんが、いうまでもなく、そのような収益は安定し得ないのです。少なくとも、実績と称するような一直線の右肩上がりは、確率的に実現不可能というほかありません。
マドフが、具体的にどのような操作をしたのかは不明ですが、もしも、マドフが自己取引で行う多数のポジションの中から、利益が出るような組合せを上手に顧客勘定に付け替えれば、当たり前ですが、確実に利益が出るでしょう。その分、マドフの自己勘定のほうに損失が累積していきます。恐らくは、高度な手口を用いて、その損失を顧客勘定の中に隠してきたのだと思います。
マドフは、なぜ高い確度で利益が出るのかは、決して説明できなかったし、実際、説明してもこなかったのです。投資家は、単に信じただけなのです。しかも、恐らくは、運用実績を信じたのではないと思います。信じたのは、マドフの名前、マドフにフィーダー・ファンドを提供してきたエズラ・マーキン氏などの名前、マドフに投資しているとされた著名人の名前、マドフ自身が属するコミュニティの信用、など、運用手法とは関係のないものを信じたに過ぎないのです。
残念ながら、マドフの教訓としては、友達を信じるな、良すぎるものは信じるな、ということにならざるを得ません。
信じるな、疑問を抱け、疑問が解消するまで徹底的に調べ考えろ、ということです。資産運用は、極めてまじめで真剣な行為です。努力をしないものが損をするのは当然のことです。問題は、努力をしたものが利益を得るかということですが、これもまた当然でしょう。そのような意識の高い投資家を対象としてこそ、また、プロの投資家とプロの運用者との間の緊張感を前提にしてこそ、本当の資産運用ビジネスは成り立つのです。
[緊急特別レポート!!] 本当に悪いのは誰だ!マドフ事件レポート①
[緊急特別レポート!!] 本当に悪いのは誰だ!マドフ事件レポート②
[緊急特別レポート!!] 一番儲けたのは誰だ!マドフ事件レポート③
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。