根本的に向きを変えてしまう小さな境目としての「日本の分水嶺」(後編)

森本紀行
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>>根本的に向きを変えてしまう小さな境目としての「日本の分水嶺」(前編)

資本主義の経済システムにとって本質的な矛盾は、マルクスを引用するまでもなく、資本の蓄積そのものが資本の利潤率を引き下げるという問題です。

 別に難しいことではありません。分母としての資本総量が大きくなるにつれて、分子としての資本利潤が同じ率で大きくならない限り、資本利潤率は、維持できないということに過ぎません。10%の資本利潤率とは、100の資本に対して10の利潤を挙げることです。資本の蓄積が進んで、1万になったとき、10%の利潤率を維持するためには、1000の利潤を挙げなくてはなりません。経済の成長初期において、資本が不足しているときには、資本は豊かな投資機会を見出します。しかし、理の当然として、資本の蓄積が進んで経済が成熟してくれば、利用できる資本総量に対する投資機会は減少してきます。ゆえに、資本利潤率は低下しなければなりません。
 資本利潤率の判り易い指標は金利です。日本では非常に長期に及んで、低金利が定着しています。人口が減少に向かおうという日本です。世界有数の規模にまで蓄積された資本は、行き場を失って久しいのです。いわゆる「金余り」です。いまや、日本だけではなく、「金余り」は世界的現象です。米国の長期金利も、ついに戦後最低水準を記録しました。
 これまでは、即ち「分水嶺」を超えるまでは、世界の資本は、それなりに投資機会を見出してきました。一つは、投資機会を見出すというよりも、積極的に不必要な投資機会を創出するという、不動産等への過剰融資です。いわゆる「バブル」です。日本の20年前の現象と全く同じものです。ところが、不必要な信用膨張は、必然的にはじけます。これが、サブプライム問題とそれに続く金融危機です。もう一つの投資機会は、中国に代表される新興経済圏の成長です。これもまた、地球のサステイナビリティ問題によって、成長の無限性を否定されました。

「分水嶺」を越えた今、先進経済圏では、金利が歴史的な低水準となりました。金利は、資本の価格です。

 市場理論的には、価格が安くなれば、需要が増えなければなりません。世界の金融当局が政策金利を下げるのも、そうした背景があるからですが、現実にはどうでしょうか。投資機会がなければ、金利が安くても投資は誘発され得ません。事実、日本の過去の経験は、超低金利にもかかわらず、顕著な投資需要の誘発はなく、低成長経済が定着しています。もちろん、代替エネルギー開発投資など、サステイナブルな成長軌道の中で、資本は、それなりの投資機会を見出すでしょう。しかし、まさに、サステイナブルな成長軌道という制約の中で、現時点で累積された全世界の資本総量は、十分な資本利潤率を維持できるのでしょうか。絶対的な資本の過剰はないのでしょうか。世界的な株価の大暴落は、実は、資本蓄積額の減少をもたらしました。もう、そろそろ、サステイナブルな資本利潤率が期待できる水準に落ち着いたのでしょうか。それとも、まだ先があるのでしょうか。
 いずれにしても、「分水嶺」を越えた今、もはや、資本は不足していないのです。二つの重大な問題があります。第一に、資本の希少性と、それに基づく資本利潤率の高さを前提とした従来の資産運用は、期待収益率の形成において根本的な見直しを迫られます。第二に、この金融危機の後も、構造的な資本過剰傾向の中では、「バブル」や「マネーゲーム」といわれるような、単に市場の攪乱をもたらすだけの投資需要の捏造が周期的に起きる潜在的リスクは消えません。今後の資産運用においては、リスク管理のありようも、根本的な見直しを迫られます。
 金融は、「分水嶺」を超えてもまだ、サステイナブルな成長軌道を見出してはいないのです。しかし、金融問題に関しては、世界に先駆けて「分水嶺」を超えていた日本の中に、経験からくる英知のようなものはないのでしょうか。改めて、日本の過去の株式や債券の運用について、振り返ってみたいものです。

森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。