金融そのものへ!(前編)

森本紀行
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哲学は根源を問う学問です。例えば「ある」とはどういうことか、と問う存在論、「よい」とは何か、を問題にする倫理学、「正しさ」を突き詰める論理学、などが哲学の代表的領域です。

 このコラム、そもそも、投資とは何か、という根源を問うことを目的にしておりまして、その限りで哲学的です。今回は、投資よりもずっと上へ遡って、金融そのものを問題にしてみたいと思います。
 金融は、日本に限らず世界的にどこでも、高度に規制された産業です。まずは、銀行業や第一種金融商品取引業(証券業)という「業」に対する規制(業法)があって、その中で、預金、融資、債券などという具体的な金融商品や金融サービスの取り扱いが規定されています。ですから、例えば、資金の借り手の企業の立場からいうと、資金調達という本質的なことが問題であるのに対して、銀行の立場からいうと、融資という個別具体的な金融サービスの問題へ、一気に飛んでしまうのです。
 資金調達の方法は多様です。銀行からの借入は、多数の選択肢の一つでしかありません。社債の発行でも、株式の発行でも、あるいは資産の売却(流動化)でもいいわけです。本来は、企業の立場で、資金使途に対して最適な調達方法を提案することが、企業金融(コーポレート・ファイナンスCorporate Finance)という金融サービスの本質であったはずです。そして、英語で、このコーポレート・ファイナンスと同義で使われるのが、インベストメント・バンキング(Investment Banking)、即ち、日本語でいう投資銀行業です。
 歴史的には、投資銀行業は、企業の資金調達を総合的に支援する一つの業であったわけですが、世界的な規制の方向性は、それを銀行業と証券業に分離する方向へ進みます。資金調達という企業経営の死命を制する重要な分野が、巨大な投資銀行業者によって支配されると、独占資本主義の弊害を生んでしまうことが懸念されたからです。その後、資金調達の方法は、銀行借入という間接金融から、株式・社債の発行や資産流動化というような、証券業に分類される直接金融の方向へ比重を移していきます。その結果、投資銀行といえば、証券の引受業務に強みのある大手の証券会社を指すようになっていくのです。そして、近時の金融の規制緩和の中で、銀行業と証券業は再統合へ向けて動いてきました。今回の金融危機は、その動きを一気に加速させて、統合を完成させた感があります。改めて、資金調達という本質に対して、そのまま直接にサービスを提供できる体制が整ったわけです。まさに、資金調達そのものへ、です。
 資金調達そのものから、もう一つ先の根源へ進もうというのが、今回の趣旨です。即ち資金調達の必要性そのものへ、です。企業金融は企業の資金調達の必要性を前提にしています。資金調達の必要性自体を無くしてしまうことは、企業金融業者(銀行業と証券業を統合した本来の投資銀行)の業としては、成り立たないことです。逆に、業としては、企業に対して資金調達の必要性を創出する方向へ働きかける誘因を内包しているといえます。実のところ、今回の金融危機は、まさにこの誘因を抑制できなかったことに基づいていると考えられるのです。

1980年代の日本の不動産バブルは、銀行による過剰融資が原因でした。

 今回の世界的な信用バブルは、資産流動化スキーム等を巧妙に使った投資銀行の過剰な資金調達が原因です。資金調達額が増えれば増えるほど収益が増すという企業金融業者の収益構造を抜本的に変えない限り、将来においても、バブルの発生と崩壊という甚だ好ましくない現象の再来は、不可避と考えざるを得ません。そこで問題にしなければならないのは、企業の側における資金調達の必要性そのものに対する徹底的な検討であろうと思われるのです。
 いうまでもなく、企業の使命は成長です。成長のためには投資をする。その投資のために資金調達が必要なのです。もともと、投資銀行(Investment Banking)という言葉は、おそらくは、企業の投資(Investment)を資金支援(Banking)する、という意味なのだろうと思われます。もしも、投資銀行の本来の社会的使命が、資金調達を通じて、企業の成長を、ひいては経済の成長を、支援することにあるならば、積極的な資金調達需要の創造は、社会的に正しく望ましい行為だとも思われるわけです。
 企業が経営上のリスクをとって投資したことが、結果的に成果を生まないとすると、そこに供給された資金に大きな損失がでることは止むを得ません。そこに、企業側の放漫もしくは安直な意思決定を見、同時に、そのような企業の資金調達を支援した投資銀行等の責任を認定することは、一見明らかな余程の悪質案件でない限り、結果を見ての判断であり、公正ではないとも思えるのです。
 これは難問です。ただ、本質的な論点が、企業の成長戦略の妥当性と、その戦略に対する資金調達計画の適合性にあるのは、間違いないでしょう。問題は、誰がそれを評価するのかということです。どうやらそれは、少なくとも第一次的には、資金調達を支援する投資銀行等の責任だということにならざるを得ないようです。そこの評価を間違えると、今回の金融危機のように、投資銀行等によって危険な金融商品が作られてしまうのですが、そのような重要な社会的責任を、信用創造を行う金融機関の審査部門等に、本当に委ねてしまって良いのかどうか、委ねざるを得ないとして、そのようにして創出された金融商品を評価する投資家側の牽制機能が十分なのかどうか、作る側と買う側の情報の非対称性が完全に取り除かれているのかどうか、そのような極めて重要なことが、現在、問題になっているのです。

一つ間違いなくいえることがあります。

 金融の徹底した市場化によって、企業の資金調達需要と投資家の投資需要との間に、効率的均衡が実現するはずだという仮説は、ほぼ幻想に近いほどに、楽観的だということです。むしろ、3月5日のコラム「オバマ大統領就任演説とプロシクリカリティの問題」で論じたように、不均衡を累積させる結果を生んでいます。一方で、オバマ大統領も認めるように、市場原理自体の一般的な効率性は否定できません。現に市場原理が有効に機能していないという点に関して問われるべきは、金融そのものの原理の中で、市場化してはならないものがあるのではないか、逆に、市場化できていないものがあるのではないか、ということです。後編で、この辺を検討しようと思います。

金融そのものへ!(後編)
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。