ヘッジファンドは、ひところの勢いを失って、いまや、ひっそりと静まり返っているようです。
もともと、資本市場の中に構造的に生じる非効率性を、資本市場のリスクをヘッジしながら巧みにとりにいく戦略(ヘッジするからヘッジファンド)なのですから、資本市場を動かすほどの規模に達すること自体が、ありうべからざることだったのです。市場の潤滑油としての、本来のヘッジファンドの元気な姿を、早く取り戻してもらいたいものです。現代アートを論じようとして、いきなり冒頭から脱線したのではありません。実は、ヘッジファンド業界が賑やかだったときに、つまり、ほんの数年前に、ヘッジファンドのオフィスを、あちこちと訪問したとき、感心したことがあります。多くのオフィスに、現代アートの作品が、たくさん飾られていたのです。どうやら、ヘッジファンドで大成功して大金持ちになった人々の間では、現代アートの作品を買い集めることが、はやったようですね。これも、現代アートのブームの背景の一つの要因なのかな、と思いました。
私は現代アートのことはよくわからないので、専門家の意見を聞いてみましょう。
この世界では有名ギャラリストでいらっしゃる小山登美夫氏が、昨年、あいついで二つの著書を出されています。『現代アートビジネス』(アスキー新書)と、『その絵、いくら?』(講談社セオリーブックス)です。ちなみに、前の本ですが、「現代のアートビジネス」なのか、「現代アートのビジネス」なのか、どちらかなと思ったら、おそらくは後者に力点があるのですね。表紙を見ると、「現代アート」の部分が赤で、「ビジネス」の部分が黒ですから。この『現代アートビジネス』の中で、小山氏は、「最近、アート業界が好景気になっているのは、株や証券、金融といった投資業界の人たちが、「株もいいけど、どうやらアートのほうが面白いかもしれない」とアートマーケットに色気を感じてきたことに一因があると思います」と述べられています。やはり、そうでしたか。
さて、美術あるいはアート(なぜ、アートなのでしょうか、美術ではなくて)が、投資対象になるためには、前提として、ビジネス(なぜ、ビジネスなのでしょうか、産業ではなくて)として成立していなければなりません。
これは、前回コラムで論じた通りです。故に、私は、小山登美夫氏の著書、その名もずばり『現代アートビジネス』に注目したわけです。さて、小山氏は、ビジネスとして現代アートを捉えられています。ギャラリストでいらっしゃるので、当然ですが。ですから、小山氏は、アートが商品であることを認めておられます。その上で、「アートは商品である前に、『作品』です」と主張されるのです。作品であることを忘れて、ただの商品として、投機の対象として、アートを扱うと、結局は、商品としての価値を損なう危険性のあることを指摘されています。
投資対象としての成立要件が、「開かれた大きな市場(マーケット)」の存在にあることは、前回コラムで述べました。小山氏は、極めて鋭くも、アートの市場が商品の市場ではなく、作品の市場であることを洞察されています。商品としてのアートの市場は、投機の対象となって壊れてしまうかもしれない。しかし、作品としてのアートの市場は、決して壊れない。なぜか。
この点を、あの有名なウォーホルの作品を例にして解説してくださっています。実に、わかりやすい。
いわく、ウォーホルの作品などは、投機筋にも人気があって、上がるから買う、買うから上がるという典型的バブルを起こしやすい。ところが、バブルがはじけても、ウォーホルの作品の市場は決してなくならない。なぜなら、「ウォーホルの作品を、単純に好きだという人が、アートとして評価する人が、時代を担う文化の象徴だと感じる人が、世界中に多勢いるからです」というくだり、いいですね。「世界中に多勢いるから」、大きな開かれたマーケットになるのです。小数の投機筋のゲームの舞台は、閉じられた小さなマーケットに過ぎないのです。このような、「作品のマーケット」を作ること(「作品をマーケットに残す」という、ちょっと素敵な表現も使われていますが)を、小山氏はギャラリストの使命であるとされています。こういう品格ある(故に社会性がある)ビジネスは、投資価値があるのだと思います。そして、このようなビジネスから市場に送り出されるアートにも投資価値があるのです。投機対象の商品としてのアート、投資対象の作品としてのアート、全く似て非なるものというべきです。
もちろん、アートを投資対象に構成するには、技術的な工夫がいります。単純に、保有しておけば値が上がるでしょう、というわけにはいかない。そんなものは、「ビジネスとしての投資」にはなり得ない(でも、残念ながら、なり得ると考える人もいるようですが)。肝要なのは、昨年8月の当コラム「絵画・切手・ワインは「適格」な投資対象か」で論じましたように、キャッシュフローの創出能なのです。さて、小山氏によれば、「日本人ほど美術館に行く国民はいません」とのことです。ということは、日本ほど、アートを使って美術館の入場料収入というキャッシュフローを作りやすい国はない、ということですね。この辺に、ヒントがあります。考えてみてください。
ところで、2007年9月に、当HCアセットマネジメントの持株会社が運営しているウェブサイト「ベンチャー座」に、小山登美夫氏に登場いただいております。<a href="http://www.ventureza.jp/interview/index019.php"target=_blank">そのときのインタビュー記事</a>はこのサイトの「起業家インタビュー」に再掲する予定です。ぜひ、ご覧ください。
最後に、この原稿を書き上げてから、小山氏の新著『小山登美夫の何もしないプロデュース術』(東洋経済新報社)が出たのを知りました。でき立てホヤホヤを買って読みました。これは、小山氏のビジネス哲学の本ですね。「何もしない」というのは、マーケットの現実と、アーティストの才能に「ゆだねる」ということです。これは、現代アートに限らず、広く今後のビジネス一般に通じる哲学かもしれません。次回更新は、7/9となります。よろしくお願い致します。
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。