1986(昭和61)年11月25日に投資顧問業法(金融商品取引法へ統合されて廃止)が施行されてから、まだ23年です。
企業年金の資産運用が現在のような形に発展してくる端緒は、1990(平成2)年4月1日施行の厚生年金保険法改正です(HC資産運用セミナ9月17日開催「日本の年金資産運用の歴史」で詳説します)。我が国における本格的な資産運用は、概ね、平成のものなのです。平成も21年目、昭和も遠くなりにけり、です。しかし、その昭和の古層を、今も見るような気がします。大学の資産運用をめぐる様々な報道に、です。昭和の時代の資産運用は、1980年以前と、1980(昭和55)年から1989(平成元)年までの、いわゆる「バブル期」に分けられます。1980年までは「古き良き昭和」でした。1980年代バブル(と、その処理に費やした1990年代の計20年)は、日本を大きく変えました。資産運用も根本から変わりました。私は、大学の資産運用に、バブル前の古き良き昭和を見ているのではありません。バブル期の昭和を見ているのです。
バブル期の問題の基本にあるのは、日本経済の成長率の低下と、その低下に対して自己調節できなかった金融システム(明らかに金融制度改革の時機を失した政策の失敗)との不均衡です。資金需要を上回る資金の存在、その行き場のない資金を不動産へ注ぎ込むことで創出された需要、その需要が生み出した短期的な好景気(しかし、超好景気でしたね。なつかしいです)、持続可能性のない儚い夢、それがバブルです。
この辺の事情は、今年の3月12日と19日のコラム「金融危機にみる日本型金融モデルの理念と小泉改革の功罪」で、論じておきましたので、ご参照ください。実は、私は、バブル前の古き良き昭和を見直すべきだと考えています。それが、小泉・竹中の金融改革を批判した論拠なのです。ですから、現在の大学の資産運用に、古き良き昭和を見るのだったら、それで良かったのです。しかし、残念ながら、見るのはバブル期の昭和です。
さて、バブル期は、資金供給過多なのですから、低金利でした。
この低金利が、資産運用についての非常に困難な問題を引き起こしたのです。前回のコラム「JR三島会社の経営安定基金と大学財団」で解説しましたように、金利が下がると金利収入が減るという、この当たり前すぎるほど当たり前のことが、実は問題の基礎にある深刻なことなのです。バブル前の昭和、高い率での経済成長が続いていた時代の昭和は、金利が高かった。その金利水準を前提にして、様々な仕組みが構築されていました。1980年代に入り、特に半ば以降、金利が下がり始めても、前提に置かれていた金利水準は、下げられませんでした。社会的約束事ですから、簡単に下げられなかったのは、よく理解できるのですが、そこに不均衡が生じてしまいました。固定値で仮定されている金利は、要は、債務コストです。一方、低下した実勢金利は運用収益です。運用収益がコストを下回る逆鞘が、問題の真相なのです。
さて、「予定されていた金利水準」ですが、概ね、5~6%だったのだと思います。当時の企業年金の予定利率5.5%が代表例ですね。それから、国債先物の長期標準物が、6%のクーポンになっているのも、当時の名残です。国債先物は、1985(昭和60)年10月19日が取引開始日なのです。6%というのは、おそらくは、この制度導入時点で、過去の国債の金利水準の平均値などを参照して決められたものなので、当時としては、概ね6%前後くらいで、将来も金利が変動していくと考えたのでしょうね。ところが、1980年代の半ば以降、6%を円の金利収入だけで安定的に挙げうる投資機会は、急激に消滅していくのです。でもコストは下がらないから、代替的な収益機会を追求するしかなくなります。高金利な外国債券への投資と、株式の価格上昇益(キャピタル・ゲイン)の「インカム化」、この二つが代表例です。
当時の外国債券は、二桁にまわるものも、たくさんありました。一方で、円高です。当時のバブル好景気を象徴する表現に、「トリプルメリット」というのがありました。「低金利(債券高)、円高、原油安」のことです。これを背景にして、「株高」とくるのです。さて、どういう仕組みかというと、単純化すれば、国内では低金利だから高金利の外国債券を買う、円高で評価損が出る、その損は、株高で形成される評価益で相殺する、結果として、株式の含み益が、外国債券からの利息収入という形で「インカム化」される、こういうことです。
この仕組み、株式が上がらないと機能しません。バブル崩壊とともに、終わった仕組みです。ところが、どうやら、現在でも、一部の大学の資産運用では、終わっていないようです。実のところ、「インカム化」の仕組みは、元本から配当を払うこと、俗にいう「蛸足配当」(タコハイ、蛸が自分の足を食べるというところから来ています)です。例えば、実質、1%の運用収益率なのに、表面5%の利息を「資産運用収益」として計上すれば、当然に、裏で4%の含み損が形成されます。バブル期には、この含み損は、株式の含み益で消せたのです。しかし、現在の大学の資産運用では、そのような含み益はない。すると、どうなるのか。
おそらくは、不確実な価格変動(まさに、リスク)に委ねる結果になるのでしょうね。
例えば、株式や外国為替などの価格変動による期待値上がり益を、先に「利息」として受取る仕組みに投資するなどです。期待通り行けば、キャピタル・ゲインのインカム化になる。逆に行ったとしても、利息は計上できているので、見かけ上は問題ない。ただ、裏に含み損が形成されるだけ。その含み損も、目立たない金額ならば、先送っておけば、いつかは、市場環境しだいで取り戻せる可能性もある。という仕組みです。この仕組みを一つの金融商品にまとめてしまったもの、その名も「仕組債」に投資するとか、昭和の保険会社などが行ったのと全く同じように、外国債券に投資して利息を稼ぐ一方で、為替差損を含み損として抱え込むとか、具体的には、そのようなことの結果が、報道されている「大学の運用損失」なのだと思います。
しかし、これは、資産運用収益を前提にして事業予算を組んでしまっている以上、予定の収益は計上しないわけにはいかないのですから、止むを得ないのだと思います。
その事情は、よくわかります。ただ、問題を二つだけ指摘しておきましょう。第一に、見かけの運用収益の裏で(まさに「裏」で、つまり見えない含み損の形で)大きな損失を生む可能性を、当事者は、あるいは大学経営陣は、承知していたのか。つまり、バブル期の日本の保険会社のように、「確信犯的に」、仕組みを完全に承知した上で、会計上の利益操作として、投資を行っていたのか。それとも、裏のリスクに対する認識もなく、見かけ上の運用収益を、本当の運用収益と信じていたのか。
第二に、仮定している運用収益率が、現実的なものなのか。前々回のコラム「東京大学基金」で詳しく論じましたように、この超低金利定着の現時点においてすら、東京大学は、5%という極めて高い運用収益率を、あの古き良き昭和の時代の金利を、想定しているのです。一方で、一部の大学のように(報道によればですが)、巨額な財産を銀行預金にしておいても、そもそも、財産を保有する意味自体がないでしょう。東京大学基金が、その創立趣旨で明確にしているように、基金の運用収益は、大学経営にとって不可欠なものでもあるのです。
大学の資産運用を抜本的に改善するためには、合理的で妥当性のある運用収益率(現時点だと、3%前後でしょうね)を前提にして、その達成確率を最大化していくような資産運用のあり方、そこへの大学経営陣の関与のあり方、現場の専門スタッフの構成、などといった具体的課題を、一つ一つ検討していくしかないのだと思います。
以上
次回更新は8/6(木)になります。
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。