では、皆さん、住宅ローン欲しいですか。住宅ローンそのものは、欲しくないはずです。欲しいのは住宅ですよね。誰しも、お金が欲しいとは思いますが、お金そのものを眺めてウットリしたいという、ごく特殊な趣味の方以外は、お金のもつ「買う力」が欲しいのですよね。
住宅や車は、住む、乗る、という現時点での必要性があるから、手元にお金がなくても、先に買わないといけない。その資金需要を満たすものが住宅ローンや自動車ローンです。「先に買って後で返す」という消費行動は、今日、ごく一般的なものであり、消費需要を時間的に前倒す効果を通じて、経済成長の一つの原動力として機能しています。一方、投資信託の機能、少なくとも、その一つの機能は、今の消費ではなくて、将来の消費を前提にして、「将来の買う力」を保存もしくは増大させることなのでしょう。「先に貯めて後で買う」という消費行動です。しかし、そんな消費行動は、今日、一般的なのでしょうか。
私は、田舎の小学生だったときに、新聞配達をしていたことがあります。そうして貯めたお金で、プラモデルを買ったりしたものです。今となれば、なんとなく昭和レトロな、哀愁すら感じる少年の姿ではありませんか。しかも、こういうお金は、貯金箱に収まるのでなければ、預金か貯金になるのです。少年の私も、郵便貯金をしていたのだと記憶します。
仮に、「先に貯めて後で買う」ということがあるにしても、おそらくは、その具体的な資金使途が明確であれば、特にその時期が明確であれば、投資信託で「増やそう」という気持ちは起きないでしょうね。むしろ、預金等の元本保証のある金融商品で、「貯めよう」と思うでしょう。では、元本保証のない投資信託を通じて、「将来の買う力」を保存もしくは増大させようなどという需要は、どういう場合に成り立ち得るものなのでしょうか。
使途が漠然としていて、かつ現実的な消費の実感を伴わないくらい時間的に先のことであれば、投資信託を通じた資金の蓄積ということが成り立つでしょう。
では、具体的に、漠然とした遠い先の資金使途とは、何なのでしょうか。具体化できないから、漠然としているわけで、実は、意外に難しい問題なのだと思います。老後の生活資金というのは、確かに、代表的な使途なのですが、はたして、30代のサラリーマンが、30年以上も先の老後を想定して、コツコツと投資信託に投資し続けていくものなのでしょうか。
給与天引きの積み立て制度としては、あり得ますね。実際、企業福利制度として、税の優遇措置までつけて、投資信託を用いた老後生活資金の形成を支援する制度が、確定拠出年金です。こういう制度があること自体、普通の個人の貯蓄行動としては必ずしも現実的でないことを前提にした、パターナリスティック(保護者的)な社会的配慮の表れなのではないでしょうか。
「夢」ということはあるのでしょうか。住宅は、住宅ローンで買うにしても、頭金として最低限の自己資金は要ります。自己資金が大きければ、よりよい住宅が買える、これは間違いないでしょう。一方で、元本保証型の貯蓄で最低限の頭金を形成する。他方で、投資信託を通じた利殖を目指し、よりよい住宅を手に入れる可能性を追求する。場合によっては、具体的使途がないのだから、別の夢(例えば、別荘とか、豪華海外旅行とか、その他なんでも)や老後生活資金に充当するというように、まさに使途がないという自由さが、投資信託のリスクを取れる根拠になる、そういうことはありそうな気がします。
「遊び」という側面はあり得るのでしょうか。古くは米相場、いまでも、商品先物、株式の日計り、外国為替などは、ギャンブルとまではいわないまでも、投資というよりも、投機としてのゲーム性を帯びていることを否定はできません。一方で、投資信託は、最近でこそ、エマージングの特定国に特化するなど、投資領域を絞り込んでリスクを大きくしたものも数多く出ていますが、そもそもの投資信託の社会的機能として、長期的資産形成に資することを目的としている以上、ゲーム感覚は馴染まないと考えられます。当然に、世の中は広いわけで、投資という名の下で、投機という遊びを追求される方もいるでしょう。でも、そのような方は、インターネットを通じたデイトレードや、FXのほうへいかれるのだと思います。
万が一に「備える」という目的はどうでしょうか。不時の出費や定期所得の喪失などに、事前の備えが必要なのは当然です。でも、普通は、保険を使い、同時に一定額の手元流動性を、預貯金の形態で保有するのであって、投資信託を使うことは、あまり多くないのかもしれません。ただ、理屈上は、例えば、将来の物価高に備えて、インフレ耐性が強い資産に投資する投資信託をもつとか、「日本沈没」のような事態に備えて、外国資産に投資する投資信託をもつとか、そういうことは十分に検討すべきことなのです。実際、エマージング株式の投資信託などというものは、将来のグローバル経済の構造変化に対する「備え」なのではないでしょうか。
運用収益で「暮らす」という用途はあるのでしょうか。これは、あるでしょう。というよりも、これが、将来の購買力の保存・増大という、投資の、そして投資信託の、究極目的に他ならないのです。ところで、暮らすには現金が要る。だから、暮らすという目的に即したときには、投資信託は定期配当を払わねばならない。この論点は、非常に重要なことなので、前回のコラム『資産運用の本来の目的と「簿価主義・含み益経営の正しさ」』の中で論じています。ぜひ、ご参照ください。
実際、日本の投資信託の売れ筋は、大抵、毎月分配、もしくは隔月分配(年金の支給月ではない奇数月)です。
これは、例えば、年金受給者の方の所得の上乗せとして、投資信託からの配当を位置づけているからで、甚だ理にかなったものと思います。概ね、年率2.4%の配当が見込めるとして、月当たりは0.2%。もしも、月額4万円欲しいならば、2000万円の投資信託を保有すればいい、というような計算に立脚しているのでしょう。この論理は、企業年金の資産運用でも同じことだということを、前掲の前回コラムで論じているのです。
ところで、配当で暮らす、ということを考えるときに、大切なことが一つあります。元本が減れば、配当も減るということです。このことを正面から取り上げたのが、その名も「元も子もなくなるから資産を守れ!」という4月23日と30日掲載のコラムです。併せて、ご参照ください。投資信託の運用課題としては、金利状況に照らして達成可能性の十分にある水準に目標配当率を定め、元本保全に留意しながら、その達成確率を高める努力をすること、になるのだと思います。ところが、投資信託業界を眺めると、毎月分配の「好配当株式」というようなものもあって、そういうものにも年金受給者の方が投資しているという現実があるようです。
ところで、投資信託の配当で暮らすためには、それなりの金額の投資信託を買う原資が必要です。その最も一般的な出所は、退職金、ついで何らかの財産売却所得なのだと思われます。もちろん、この原資形成そのものにも、投資信託が使われるということはあるでしょうが、おそらくは、結果的に、そうなるのであって、漠然たる「夢の実現」、「万が一の備え」として投資してきたものが、そのまま、生活原資になるのではないでしょうか。そんな気がします。別に根拠はありません。私の育ちや経験からは、老後生活に備えるという明確な自覚で投資信託を毎月買い続けるような青年の姿を、想像し得ないだけなのです。
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。