アセット・アロケーションと分散効果

森本紀行
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もしも、分散効果の観点から、アセット・アロケーションを考えるならば、分散効果がでるように、資産を分類すべきです。つまり、アセット・アロケーションにおける分散効果の低下が問題なのならば、資産の分類を変えればよいのです。

 ところで、例によって、本質的な疑問へ一気に飛びますが、そもそも分散効果とは何でしょうか。よくリスク分散などといいますが、リスク分散とは何でしょうか。もっと遡っていえば、リスクとは何でしょうか。普通にリスク分散というときのリスクとは、おそらくは、私がいうところのボラティリティのことです。このリスクとボラティリティの区別については、2月18日のコラム「投資の損失とリスクとボラティリティ」を、ご参照ください。
 要するに、リスクとは、価値の変動であり、ボラティリティとは、価格の変動です。私が、繰り返し、繰り返し、論じていますように、価値と価格とは、理念的には、一致していなければならないと同時に、現実的には、常に異なるものです。投資というのは、価値のある資産を保有することです。価値は、本源的収益(私は、インカムと呼んでいます)を内包しています。価値のある資産を保有すれば、その資産が本源的に生成する収益(利息配当金が一番わかりやすいですね。だから、私は、インカムと呼んでいます)を受け取れる。これが、投資の第一原理です。
 また、価値よりも安い価格で資産を取得できれば、その差分が追加収益になります。これが、投資の第二原理であるところのバリューです。インカム(価値)とバリュー(価値を下回る価格)、この二つが、投資の基本原理です。

さて、本題に戻ります。論理は、次のように、展開するのです。

 価値が変わらなくとも、価格は勝手に変化することがある。つまりボラティリティがある。このボラティリティは、収益を生まないランダムな攪乱にすぎない。故に、投資の本質には影響を与えない。ところが、一時的な価格の下落も、表面的には損失(いわゆる評価損ですね)になるので、人間社会の制約条件の中では、問題になることがある。だから、ボラティリティは小さいことが望ましい。そこで、一つの工夫として、ボラティリティのパタンの異なる資産を組み合わせることで、相互の価格変動を相殺させて、合計としての総資産全体のボラティリティを小さくできないか。と、まあ、そのような展開で、「分散による全体ボラティリティの削減」(このことを、通常、リスク分散と呼んでいます)が志向されることになるのです。
 また脱線しますけれども、分散投資とは、以上の論理のように、ボラティリティの削減という価格に着目した方向が基本なのでしょうけれども、一方で、インカム(資産の本源的収益)の源泉の多様化という価値に着目した方向もあるように思われます。しかも、この二つ、密接に絡み合っているのだろうと考えられます。今回は、ボラティリティ削減を取り上げたのですが、より本質的なインカム源泉の多様化ということも、別の機会に検討したいと思います。
 別の機会といいつつ、更に脱線を続けて付け加えれば、インカム源泉の多様化こそが、本当のリスク分散なのだろうと思われます。なぜなら、インカム源泉とは、資産の価値のことであり、リスクとは、その価値の毀損だからです。昔からある分散投資の喩えに、「同じ籠に卵を盛るな」というのがあります。卵は一つ一つ価値があります。割れたら価値がなくなります。同じ籠に入れておいて、その籠を落としてしまうと、みんな一緒に割れます。そうすると、価値が全部なくなるので、籠を分けて卵をいれておきましょう。そういう意味の格言です。
 一方で、卵に多少に種別差があろうとも、価格が同一方向へ動いてしまうことは、籠を分けようが一緒に盛ろうが、避けようがない。つまり、この場合、籠を分けることで、即ち分散することで、リスク(本質的な価値の毀損の可能性)は小さくできても、価格変動としてのボラティリティの削減は期待できない。ただし、本質的な意味でのリスク分散ができていている限り、ボラティリティは無視できるのですから、これで、投資の目的は実現できるわけです。

問題は、ボラティリティを無視できない場合です。

 卵の籠のついでに、籠の喩えでいけば、もしも、一定数の卵と同じ価値をもつように、多種類の食材を組み合わせて、一つの籠に盛るとしたらどうでしょうか。異なる食材なので、値動き(ボラティリティのパタン)も異なり、結果として、一つの籠に盛られた食材の合計価格が安定する、そのような工夫ができないのか。できるというのが、分散によるボラティリティ削減の試みです。
 本質的なリスク分散(インカム源泉としての資産の価値の毀損の可能性の分散)は、「多数の籠」に分散して資産を盛ることで実現します。一方、各資産の短期的な価格変動(ボラティリティ)については、「一つの籠」に多数の資産を相盛りすることで、その籠全体の価格変動の削減を実現します。
 本質的なリスク分散については、資産の本源的価値の分析、インカムの質(継続性・安定性・成長性)の徹底的な分析が必要です。厳選です。選択(セレクション)です。統計的な問題ではありません。
 一方で、短期的で表面的な価格変動(ボラティリティ)の削減効果を狙う分散は、まさに、ランダムなボラティリティのことなのですから、これは、統計的な問題としての、端的な分散になるのだろうと思われます。
 ランダムな価格変動としてのボラティリティのように、統計的に処理できることと、本質的な価値とリスクにかかわる判断のように、統計的に処理してはならないことは、明確に区別すべきなのです。私は、現在の資産運用の、あるいはもっと広く金融の、大きな問題点は、統計の濫用(あるいは誤用)にあるのだと考えています。このことについては、このサイトの「読んで損しない本」で「マネー資本主義 -暴走から崩壊への真相-」を紹介したときに、サブプライム問題の背景にある金融工学の病理、人間社会の事象を統計に変換する結果、背後の人間社会そのものを見失う病理、として述べておきました。ご参照ください。

それにしても、毎度のことですが、冒頭に掲げたテーマ、「分散効果がでるように、資産を分類すべき」というテーマに到達し得ないまま、紙幅がつきつつあります。本論は、次回へ繰り延べますが、最後に見通しだけを述べておきましょう。

 まず、通常の意味での分散効果(ボラティリティの削減)を問題にするならば、それは統計の問題であろうということです。ですから、統計的に、相互間の相関が低くなるように、資産種類の分類を再構成すべきであろうということです。
 しかしながら、問題を純粋に統計の問題に還元できるためには、ボラティリティはランダムでなければならないということです。ボラティリティのパタンを規定する要素に、資産の価値を規定する要素、即ち価値の毀損の可能性としてのリスクにかかわる要素が伏在しているならば、また、そもそもボラティリティが、本質的な要素で説明されるならば、それは、ランダムではなく、定義に反します。

ここに、本質的な論点があります。

 わかりやすくいえば、価格下落したときに、価値もまた下落したのか、価値は変わらずに、価格だけが下落したのか、その区別ができるのか、という基本中の基本の問題があるのです。いいかえれば、価格の下落について、市場要因(単なる価格変動)と、個別銘柄要因(価値の変動)を区別できるのかということです。
 もちろん、できます。問題は、区別した上での、次の展開です。ランダムなのは、市場要因(価格変動)なのか、個別銘柄要因(価値変動)なのか、ということです。お気づきのように、通常の投資理論は、個別銘柄要因をランダムとしています。その極限が、個別銘柄要因を捨象したインデクス運用へ帰着するのです。ところが、私の論理は全く逆で、市場要因こそがランダムなボラティリティであって、こっちをできるだけ小さくしようと提唱しているのです。いうまでもないですが、私の論理の極限に、市場ボラティリティをヘッジする、その名もヘッジファンドがあるのです。
 市場要因は、定義により、個別には、管理不能です。ランダムなボラティリティは、受け入れる(パッシブ passive まさに、受身)以外に仕方のないものであり、分散という統計的方法によってのみ、また合計という全体のレベルでのみ、管理可能なのです。もちろん、ヘッジという方法もあるのですけれども、話がややこしくなるので、また別の機会に論じましょう。
 それにしても、見通しにおいてすら、結局は、資産種類の分類を再構成に到達しないで終わりました。続きは、次回です。

アセット・アロケーションとアセットの分類を考える軸(2010.3.25掲載)
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。