株価が上昇するための条件について

森本紀行
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株価が、少なくとも長期的には、傾向的に上昇する、と信じるべき根拠は、必ずしも、明瞭ではありません。

 上昇しなくても、少しも、おかしくはないのでしょう。ですから、日本の株式市場の平均株価が、20年以上の長期にわたって上昇していないことも、おかしくはないのです。
 株価の上昇は、一定の論理的な条件を充足しない限り、起き得ないのだということを、今回は、論じようと思うのです。ただし、株価の上昇と株式投資の収益率とは、異なる問題だということに、ご留意ください。株価が上がらなくても、投資収益としての配当があればいいのです。
 実は、株式投資の収益率が債券投資の収益率を上回り得るための条件、というのが、より本質的な問いなのです。今回は、その序論です。
 例によって、いきなり脱線しますが、不動産投資は、不動産価格が上がることを前提にしないのが、本則です。現在の賃料水準と一定の稼動率とをもとに、将来の賃料収入(もちろんコストを引いたネットの賃料収入)の現在価値を算定したものが、不動産の価値です。だから、不動産価格(同時に、賃料収入)の上昇を見込まずに、賃料収入だけを目的とした投資です。
 仮に、不動産価格が上昇したら、賃料も上昇するでしょうから(といいますか、理論的には、賃料収入の上昇が不動産価格の上昇を招くのですが)、投資時点の期待収益率を上回ることになるでしょう。しかし、この追加的収益は、見込まれたものではなく、また、見込むべきものでもないのです。
 もしも、この不動産投資の理屈を、株式投資に当てはめたら、どうなるのでしょうか。先ほど書きましたように、株価が上がらなくても、配当があればいい、ということになるのではないでしょうか。
 いうまでもありませんが、配当というのは、現在配当のことではなくて、将来配当のことです。株式の理論価値は、将来配当の現在価値です。実は、この限りにおいては、不動産の理論価値を規定する構造と、全く同じなのです。であれば、不動産投資と同様の投資判断基準が成立しても、おかしくないわけです。
 株価が上がらなくても、配当があればいい。もともと、株式投資は、そういうものだったはずですし、現在でもそうです。一つ例を出しましょう。企業は無数にあるのです。その大半は、経営者が株式を所有する非公開企業です。これらの経営者の中には、会社から報酬を受けないで、株式からの配当所得をとる人が大勢います。おそらくは、経営者の所得は株式配当、というのが、基本形なのだと思います。

配当の本質的な問題は、時間軸だと思います。

 つまり、将来配当が問題なのだという論点です。将来配当を増やすために、現在配当をしないで、内部留保を厚くし、将来成長への投資に振り向ける。これは、企業にとって成長が一つの社会的使命である限り、正しい経営政策です。そして、ここに、株価が上昇する理論的理由があるのです。
 そもそも、内部留保を形成することが、理論的には、その分の株式価値を上げるので、株価は上がります。当たり前のことです。逆にいえば、配当すれば、株価は「配当落ち」で下落するということです。つまり、配当する、しない、に関係なく、株式の投資収益率は同じでなければならないのですから、配当しなければ、その配当分だけ、株価は高くなければならないのです。
 しかし、このような当たり前の形式的株価上昇が、問題なのではなくて、内部留保されたものの投資効率が、より本質的な問題なのです。投資が成功すれば、企業は成長し、将来の配当余力は拡大するのです。そうなれば、株価は、本質的に上昇します。
 もともと、株式の投資価値分析(これが、株式投資の基本的な仕事です)とは、将来配当力の測定であったはずです。なぜなら、株式価値とは、将来配当の現在価値だからです。ここに、不動産投資と大きく異なる、株式投資の意義があります。将来配当は、経営の働きで増やせる、といいますか、増やすべきだ、ということです。不動産の賃料を不動産管理の働きで増やすことは、可能ではあっても、限定的です。ところが、企業の株式の場合は、経営の働きの目的自体が、将来配当の増大なのです。

そこで、いきなり結論へ飛びます。成長なきところ、株式投資なし。これ、私には、直観的に自明ですが、いかがでしょうか。

 論理的説明は、こうなるのです。成長とは、将来配当の成長です。将来配当の成長のために、内部留保を事業投資へ振り向ける。その投資が成果を生まないときは、内部留保が投資損失になるので、株価は上がり得ない。それどころか、配当になるべきだったはずものが、内部留保されて、結果的に消えてしまうのですから、株式投資の収益もない。
 また、最初から、経営者が成長余力に限界を感じるならば、内部留保せずに、配当すべきである。そうなれば、株式価値は、最大限に見積もって、現在配当が将来も継続するとしたときの、その現在価値となる。こうなると、少なくとも、株価が傾向的に上がることはあり得なくなります。ただし、株式の投資収益はあります。その投資収益は、当然ですが、配当利回りと一致します。
 配当が増えないならば、株価は上がらない。ただし、配当利回りという期待収益はある。このときの配当利回りは、同じ企業の発行する社債の金利を上回るのではないか、というのが私の見通しです。なぜなら、キャピタルストラクチャ上、株式は社債に劣後するからです。この論点は、2月10日のコラム「インカムと時間とキャピタルストラクチャ」の最後のところで触れています。ご参照ください。
 一方、配当が増える期待のある限り、株価は上がるでしょう。このとき、配当を全くせずに、全額を内部留保にして事業投資に振り向けている企業の場合、株式の投資収益率は、その全てが、いわゆるキャピタルゲイン(株価の上昇益)となります。そして、このときの投資収益率は、やはり同じ企業の社債の金利を上回ると思います。
 このとき、その上回る程度は、先の例の配当の上がらない会社の場合よりも大きいのだろうか、との疑問があります。直観としては、いわゆる「成長プレミアム」分だけ、成長のない会社よりも高いのではあるまいか、との見通しに惹かれるのですが、本当にそうか。このあたりの論点が、いわゆる「グロース(growth 成長株)」と、「バリューvalue 割安株)」との対比における、伝統的な議論に関係してくるのですが、次回以降の検討に譲りたいと思います。

さて、この二つの極端の中間に、即ち、配当を払うが全く成長しない企業と、全く配当を払わないが成長する企業との中間に、一定の配当を払いつつ成長する企業という、より常識的な形があります。

 このような企業の株式の投資収益率は、二つの極端の中間(仮に成長プレミアムがあるならば、幅は広いでしょうが、なければ狭いでしょうね)に分布するのでしょう。そして、その場合、投資収益率の一部は配当利回り、残りは株価上昇益です。
 このとき、配当利回りは、社債の金利を下回っても合理的でしょう。なぜなら、株価の上昇益で差分は埋められるからです。実は、逆にいえば、成長の期待のないところでは、配当利回りが金利を上回るのが当然なのです。したがって、「株式の配当利回りが、国債の利回りを上回っているから、割安だ」という通説は、直ちには、成り立たない。
 通念として成り立っているようにみえる、株式の配当利回りが金利よりも低いということと、株価は傾向的に上がるということとは、成長という前提の上にのみ、それなりの正当性があります。しかし、成長期待を取去ると、両方とも成り立ちません。しかし、だからといって、株式に投資価値がないわけではありません。合理的な配当収入が見込める限り、むしろ安定的な投資対象とすら、いえるでしょう。

通念を取去って、日本の株式市場、長期的に株価の上がらない日本の株式市場を、見てみましょう。といっても、もはや紙幅が尽きているので、二点だけを挙げておきましょう。

 第一に、仮に日本に成長がない(仮に、です。あくまでも、仮に、です。私は、成長できると信じています)とすると、配当性向は大きな問題であるわけです。成長期待がない中では、内部留保は許されない。逆に、内部留保するならば、成長戦略と、それを実現する投資の効率性に対して、経営者は責任を負わねばならない、ということです。
 第二は、仮に日本に成長がないとしても、日本企業に成長がないことにはならない。株式市場は、個別企業の集合にすぎませんから、世界を舞台に成長できる個別企業は、たくさんあるのです。日本の成長が問題ではなくて、個々の日本企業の成長が問題なのです。
 最後に、私には「瑣末」と思われることを、念のために、二つ挙げておきましょう。第一は、物価が上がれば、おそらく、株価も上がるだろうということ。第二は、株数を減らせば、株価は上がるだろうということ。しかし、だから、何なのでしょう。どちらの場合も、企業の株式価値は、本質的には、変わらないでしょう。
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。