成長資本は、第一義的には、ものではなくて、理念です。壮大な枠組みからいえば、成長資本の理念は、この歴史的転換点に立つ日本経済(「転換点」というのは、「危機」を穏やかに表現したものです)を、再成長軌道にのせるために、金融機能が社会的に演じるべき役割の自覚と、実践へ向けた覚悟のことです。
今回は、前回のコラム「成長資本という理念に基づいて日本の成長を実現する会」の続編です。少し説明の足りなかったことを、補足しようと思うのです。それにしても、前回は、自分としては渾身の力作で、書き上げて、少し消耗しました。今回は、その後遺症で、珍しく、新しく書くべきことが思い浮かばなかった。一方で、いいたりないという思いも残った。そこで、続編です。
前回は、成長資本を定義して、「融資以外の全て」としました。技術的には、そうなのですが、「理念」としては、融資も含むのです。実際、今でも、信用金庫などには、創業支援融資というようなものがあります。昭和の時代には、特に、戦後復興から高度成長に至るまでは、銀行等の融資が、成長資本としての重要な役割を演じたことは、よく知られています。
いうまでもありませんが、戦後復興型の金融制度は、零細な小口貯蓄を、銀行等の金融機関に集中させて、それを、産業資本へ還流する仕組みでした。ですから、規制による銀行等の保護があったのですが、銀行等も、その社会的使命に立脚した積極的な融資政策をとったのです。この時代には、融資は、成長資本の理念に基づいていたのです。
しかし、1980年台に低成長に転じてから後は、金融政策の転換の遅れ、その結果として生じたバブル、バブル崩壊、不良債権処理、そして、今、という具合に、長い金融の混迷の時代に突入してしまう(この辺の経緯は、オバマ大統領の登場の意味と絡めて、2009年3月のコラム「金融危機にみる日本型金融モデルの理念と小泉改革の功罪」で論じておきました。ぜひ、ご参照ください)。そして、成長資本の理念に基づく融資は、影を潜める。
原点へ帰りましょう。
もともと、企業の、そして、ひいては地域の、あるいは産業の、成長を金融機能によって支援する、ということが、金融の社会的使命であり、成長資本の理念なのだから、資本の形態は、技術的な問題に過ぎなかったのです。形式的に融資であっても、実質的に出資でよかった。
そう、資金提供の形式は、技術的な問題に過ぎないのです、技術的な問題に。技術的というのは、資本の法律上(あるいは、契約上)の形態の問題、もしくは、同じことですが、資本構成(キャピタルストラクチャ)上の位置、即ち、権利の優先劣後関係の問題、ということです。
どのような場合もそうですが、技術的な問題を解決しなくては、理念は実現できない一方で、技術的な問題への埋没は、理念の喪失につながる危険を孕むのです。私の問題意識は、今、日本の金融における深刻な状況というのは、まさに、後者の危険の顕在化、つまり、成長資本という理念の喪失なのではなかろうか、ということなのです。
この「技術的な問題への埋没」で意味するところは、具体的には、銀行等に対する資本規制等と監督の強化への対応、この行政との折衝への埋没でしょう。いうまでもありませんが、資本規制や監督そのものが問題なのではありません。規制や監督のあり方が、日本の企業金融の実態、資本市場の構造、歴史的背景など、生きた現実を捨象した形式主義へ堕していることが問題なのです。同時に、政治や行政が、成長を金融面から支援するという金融の理念を、哲学を、思想を欠いたものになっていることも問題なのです。
今の金融行政は、日本の成長に対する金融の役割という視座、成長のための金融のあり方の設計という視座、そもそもの原点の成長戦略を欠いたものになっているのです。昭和の大蔵省の金融行政は、大きな欠点もあり、歴史的誤謬もあったかもしれませんが、少なくとも、経済成長戦略という国策を背景にしていたことに、間違いはないのです。だから、成長できた。
また、現在の金融規制の仕組みは、米国や英国でのあり方に代表される、資本市場機能と銀行機能の分離を、前提にしています。ところが、日本では、そのような分離の事実がなく、そもそも資本市場機能が弱く、銀行等の与信が企業金融の中核であり続けています。この今の日本で、新しい規制を画一的に適用しようとすれば、矛盾のでることは最初から自明なのです。
しかし、日本の行政や政治に対する批判は、ある意味では無責任なのです。なぜなら、批判する当人もまた、日本の一部だからです。私の、これまでのプロとしての誇りは、批判ではなくて、実践により、現実に働きかけてきたという自己評価(それが、どれだけの成果を生んだかの評価は、社会から頂くものですから、私自身には、よく分かりませんが、少なくとも自己評価、あるいは自己満足)にあります。行政は、おそらくは、批判を受け入れない。しかし、現実は、受け入れざるを得ない。
ということで、本題に戻れば、現実的に、技術的制約を受け入れるとすると、銀行等の機能は、融資(今の規制環境下で定義される融資。昔の実質的に資本に近いような融資ではなくて)に限定せざるを得なくなる。
だから、新しい成長資本の定義は、「融資以外の全て」、ということになるのです。つまり、歴史的に日本の成長を支えてきた銀行等の融資政策に籠められた理念、古い成長資本の理念は、現代の融資に、新しい成長資本を組み合わせることで、新しい理念として復活する。いや、復活させる。そうすることで、日本は、再成長軌道にのる。いや、のせる。
それでも、主役は、銀行等の融資機関です。なぜなら、依然として、日本では、企業(産業)金融の中核は、融資機関である銀行等が担っているからなのです。その機能が低下したのは、成長資本型の融資が、技術的に(理念的にではなく)できなくなったからです。そうであれば、銀行等の後ろに、銀行の力で、外部から新しい成長資本を補完すればいい。そうすれば、実質的に、銀行等は、成長資本の供給者であり続けられる。
銀行等を主役にして、銀行等の融資と、新しい成長資本の提供者(投資運用業者)の提供する資本構成上の融資より下の部分(劣後債権、優先株式、株式、その他なんでも)とを、上手に組み合わせる(この組み合わせ方の提案自体が、銀行等の本来の仕事だと思います)ことで、成長資本の理念を再興できるのです。
この考え方は、銀行等の融資機関が主役にとどまる限り、成長資本の供給はあり得ない、という考え方(おそらくは、行政が無反省に受け入れている「通説」)には、決定的に反します。承知の上です。この通説、米国や英国の資本市場を中核にした金融制度の下では、正しいと思います。だから、日本では、全面的には、正しくない。資本市場機能が、米国や英国とは、全く異なるから。
この通説の日本での有効性は、多少とも資本市場型の金融機能がある限りにおいてのみ、ということです。つまり、単純化してしまえば、いわゆるメガバンクについては、正しい、と思います。逆にいえば、地方銀行、信用金庫、信用組合などの、地域金融機関については、正しくない。だからこそ、前回コラムでも、地域金融機関に限定した上で、成長資本の理念を展開したのです。
これは、結局、金融の二重構造論です。
いわゆるメガバンクと地域金融機関とは、事業環境が違い、社会的役割・位置付けも違う、ということなのです。だから、同一規制はあり得ない。本当は、ここから、地域経済と地域金融機関の問題に、展開するところなのですが、紙幅が尽きました。次回以降にいたします。
なお、先ほど、「成長資本」というキーワードで、グーグルの検索をしたら、私の書いた前回コラム「成長資本という理念に基づいて日本の成長を実現する会」が、トップに表示されました。どうやら、新語らしい。この言葉、英語のグロ-ス・キャピタル(growth capital)から作ったのですが、英語の意味とは大分違った理念を、日本型金融の理念を、籠めています。
こうなれば、前回のコラムの末尾で触れた「日本成長資本協会」、本当に作ってしまいましょうか。この協会、「日本の資本」に、「成長資本の理念」を吹き込むことで、「日本の成長」を実現させる、そのことの実現ヘ向けて、「協同」する「会」です。
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。