キャッシュフローを生まないものは、資産ではありません。逆に、資産とは、キャッシュフローを生むものです。資産価値とは、キャッシュフローの現在価値です。
不動産の価値は、将来の賃料収入の現在価値です。債券の価値は、利息と元本償還金の現在価値です。株式の価値は、将来配当の現在価値です。配当が増えるだけでなく、配当をしないで内部留保された金額が事業へ再投資され、結果として、将来配当の期待値が更に上がる限りにおいてのみ、株式価値の上昇が生じるのです。
価格の変化は、将来キャッシュフローの金額や確実性(要は量と質)の変化が価値変化につながることを、本源的な理由として、起こります。時価とは、あるいは取引の価格とは、原理的には、資産価値を基準にして形成されます。「基準にして」ということは、価値と価格は異なり得るということです。しかも、価値と価格は大きく乖離してしまうことも珍しくないのです。
投資とは、第一に、資産から創出されるキャッシュフローを受け取ることです。ですから、資産が価値をもつ限り、即ち、キャッシュフローを創出する限り、もっといえば、資産が資産である限り、投資が損失に帰着することはあり得ない。
もしも、投資が損失に帰するとしたら、資産のキャッシュフローを生む力がなくなったときです。
また、キャッシュフローを生む力が低下すれば、その分、価値が下がる。つまり、資産の収益性が低下する。投資とは、第二に、キャッシュフローを生む力を守ることです。
もちろん、資産のキャッシュフローを生む力が強くなれば、あるいはキャッシュフローの確実性が増せば、資産価値は上昇します。投資とは、第三に、将来キャッシュフローの量と質を改善する努力です。このことは、資産の属性を変更できる場合には、より重要になります。
例えば、不動産。改修投資をしたり、テナント政策を工夫したり、あるいは管理費用を削減したり、そうした努力をすることで、将来キャッシュフローを増やすことができる。資産価値を上げることができる。同じことは、プライベートエクイティ投資にも当てはまります。積極的な経営関与は、投資先の企業の事業キャッシュフローの改善を目的にしたものに、他なりません。そうすることで、投資先の企業の価値を高くしているのです。
公開株式や債券は、基本的には、属性の変更はできません。「基本的には」というのは、一定の範囲では、積極的な関与も可能だということです。例えば、大株主として株主提案など行なうことは、株式の価値を高めようとする努力の現われです。ただし、そうした活動には、限界がある。だから、より価値の高い銘柄へ入れ替えるのです。より価値の高い銘柄とは、より多くの、より安定的な、将来キャッシュフローが見込める銘柄(株式ならば、将来配当期待の、より高いもの)のことです。
銘柄選択や資産選択において、より価値の高いものへ入れ替えることは、投資の基本です。それだけではなくて、価値と価格が異なり得るという前提に立てば、同じ価値なら、より価格の安いものへ入れ替えることも、重要な投資行動になります。これが、投資の第四の要素です。
以上の投資の基本的な四つの原理は、私が、過去のコラムで、繰り返し論じてきたことです。
ところが、振り返ってみると、キャッシュフローという最も基本的な概念については、正面から論じたコラムはなかったようです。そこで、今回のコラムで、この重要なキャッシュフローを中心に、論点を整理してみました。
また、当社のセミナについても、タイトルにキャッシュフローを掲げるのは、今度の8月11日の定例セミナ「キャッシュフローを生む力としての資産価値」が、最初です。こちらにも、ぜひご参加ください。
キャッシュフローを中心にして、投資を見直すと、多くの重要なことが、改めて論点として上がってきます。第一に、経済・産業活動を金融面から支援するという、投資の社会的役割です。キャッシュフローは、実体経済の活動から、実体経済の活動からのみ、生まれます。実体経済の活動を分析し、その中での投資の社会的役割を検証すること、これこそが、投資の本来のあり方なのです。実体経済から離れた金融や投資など、あり得ないのです。いや、あり得てはならないのです。
第一は、ゆえに、投資の社会性です。そして、第二は、投資の合理性です。経済・産業活動に根ざしたキャッシュフローの創出だから、一定の仮定の下で、その将来キャッシュフローの推計が可能なのであり、価値分析が可能になるのです。この合理的な分析は、単なる予想ではありません。この社会性と合理性が、投資と投機を峻別する要件です。
ここまでの論点は、どちらかといえば、非常に基本的な、常識的なことであり、わかりにくいものではありません。わかりにくいとしたら、私の書き方の問題でしょう。わかりにくい点、問題を複雑にしている点は、価格変動の大きな影響です。
そもそも、原理的には、価値分析がしっかりできている限り、価格変動は無視し得るものです。
価格変動を無視できる強い信念の重要性については、前回コラム「語り得ない不安と投資の保守主義」の末尾で触れています。ご参照ください。
しかし、現実には、価格変動は、無視しにくいものです。どうしても、価格変動に基づく投資行動を誘発してしまう。それが、資本市場に大きな影響を与え、経済・産業活動に必要な資金の流れを阻害する場合がある。その結果として、実体経済に影響を与えてしまう。このことは、最近になって、到底無視し得ない現象として、広く認知されてきています。
しかし、本当は、投資家が、本源的な価値分析に基づく信念をもった投資をしている限り、資本市場の混乱は、防げるはずなのです。あるいは、混乱を一時的な問題に留めることができるはずなのです。しかし、現実には、投資家の行動は、そのように合理的ではない。なぜか。
一つには、金融機関の資本規制です。これは、ある程度は、仕方ない。一時的な価格の下落から生じる評価損も、資本の控除項目になる限り、資本の減少が資産の売却を誘発する構造自体を、変えようがないのです。もっとも、現在、金融規制当局も、この構造問題については、何らかの対策を考えているのだとは思いますが。
もう一つの理由は、いわゆる「投資の理論」でしょうね。投資の、といいますか、経済学の理論は、価格理論を基礎にしています。つまり、価値と価格は、常時、一致している、という仮定です。
これは、理論の枠組みとしては、正しいでしょう。問題は、「常時」の定義でしょう。現実は、理論が想定するような意味では、効率的ではあり得ません。価値と価格は、かなり長い時間、しかも、かなり大きな幅で乖離し得ます。
ところが、価格変動を基礎にした、いわゆる「リスク管理」は、広く普及しています。また、価格変動を基礎にした様々な運用手法も普及しています。今では、価値分析ではなくて、価格分析のほうが、主流のように見えます。しかし、価格変動の分析とは何でしょうか。それは、多くの場合、統計的な手法です。私は、理論の枠組みまで、否定する気はない。しかし、本来の適用範囲を超えた統計的手法の「濫用」には、賛同しかねる立場をとっています。
もともと、投資は、キャッシュフロー分析に基づく価値判断でした。それが、1970年台に、価格理論と統計的手法の導入によって、いわゆる「投資理論」が形成されてきます。
そして、その理論は、1980年台以降、急速に、実務に取り入れられてきます。この動きは、1980年以降、英国と米国を中心に進められた資本市場を中核とする金融制度への転換と一致しています。
30年の経験は、一つの歴史的経験にすぎません。今、資本市場至上主義自体に、見直しが始まっているのです。私が、「キャッシュフローの現在価値としての資産価値」という古典的な考え方への回帰、原点への回帰、復古的な保守主義を唱えているのは、まさに、新たなる歴史的転換を予感するからです。
それにしても、片仮名を使わない主義でも、このキャッシュフローだけは、どうにもならないですね。まさか、「現金流列」としても、余計にわからなくなるだけですね。金融の世界では、おそらくは、最も広く深く定着した、片仮名の外来語なのだと思います。そんなところにも、キャッシュフローが、金融の、投資の、基礎中の基礎概念であることを、見て取れるような気がします。
以上
次回更新は、7/8(木)になります。
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。