前回の予告では、不良債権と不動産の関係を論じるということでした。もともと、不良債権は不良ではないというのが持論でしたね。不良どころか、優良な投資対象になってしまうというお話でしょうか。
そういえば、かつて、「不良債権は「不良」ではない」というコラムを書きましたね。要は、不良債権というのは、貸し手の銀行等の立場からする債権の分類にすぎず、金融理論的には、債権の劣化(債権の分類上の下方遷移)というよりも、キャピタルストラクチャ上の下方遷移なのだという趣旨です。
だから、不良債権は、不良ではない、という話なのですが、簡単に要約すると、わかりにくいので、ぜひ本文を、ご参照下さい。ここでは、不良でないどころか、不動産担保に着目するならば、おもしろい投資対象だという話をしたいと思います。
どこが面白いのでしょうか。
いきなり脱線しますが、かつて、米国のある有名な不動産王は、不動産はウォールストリートで買うのが安い、と豪語していたように記憶しています。要は、そういうことです。
一体、どういうことなのでしょうか。
ある企業の株式の時価総額が、その企業の保有する不動産の価値を下回るような状況が、あり得ることをいっているのです。そういう場合には、理屈上は、その企業を買収してしまえば、その企業が所有する不動産を安く手に入れることができる。だから、不動産は、株式市場で買うほうが安い。
同じように、不動産を担保にしている債権の価格が、当該担保不動産の価値を下回ることもあり得る。そういう場合は、その債権を取得して抵当権を行使すれば、担保不動産を安く手に入れることができる。だから、不動産は、債権の形態で買うほうが安い。
一般化していえば、不動産の価値を裏づけにしている何らかの資産(債権、債券、株式、その他)の価格は、その不動産の価値に一致しているとは限らず、しばしば、不動産価値を下回る。まさに、バリュー(value 割安な状況)です。
投資の世界でよく使われるバリューとは、価格が価値を下回る状況のことですが、これについては、「価値と価格とインカムとバリュー」を参照ください。要は、不動産の価値よりも低い価格で実質的に不動産を手に入れ得る場合があるということ、不動産のバリュー投資は、表面的には、不動産の形態をとらない場合があるということです。
しかし、そのようなことが生じるのは、おかしくないですか。要は、一万円札が道に落ちていて、誰も拾わないということでしょうか。市場理論に反した非効率の存在を認めるということでしょうか。
敢えて一万円札を拾うことのできる人は、落ちている一万円札が拾われない理由を知っていて、かつ、自分には、その理由が該当しておらず、故に拾っても安全だという確信をもっている人だけです。一万円札を落とす人と拾う人がいるから、市場は成立するのです。バリューを作る人、即ち一万円札を落とす人と、バリューに投資する人、即ち一万円札を拾う人、この二つの立場の違う市場参加者の間の取引が、市場原理の基礎です。
効率市場仮説を否定しているのではなくて、市場の効率性の成り立つ条件を問題にしているのです。効率的市場にバリューはあり得ません。そのことは否定し得ません。しかし、効率化へ向かう市場価格変動の中に、効率化への過程の中に、バリューはあります。
つまり、価値変動していないにもかかわらず売る人がいるから価格が下がる、売る人には特別の事情があるが、その事情に該当しない人は買うから価格は上がる、その上がる過程にバリューがある、ということです。
しかし、効率市場仮説は、そのような過程を経て価格が調整されるので、バリューは生じないとしているのではないでしょうか。
その通りです。問題は、調整過程に要する時間と費用なのです。理論が仮定しているのは、非常に短期間に価格調整が起きることと、取引の費用が非常に小さいことです。しかし現実社会では、価格調整に要する時間が長く、しかも費用は大きい場合がある。このようなとき、その時間の長さと費用の大きさが、バリューの源泉になると考えられます。従って、市場理論とバリューの存在は、両立するのです。
ところで、不動産と不良債権の関係という主題からは、かなり脱線したようですが、話を元に戻して、本論との関連で、そのバリューの源泉であるところの取引の時間と費用の問題を説明していただけますでしょうか。
不動産は、同じものが二つとないでしょう。個別性が高いというよりも、個別性そのものです。それに、商業用不動産ですと、一棟の値段が高い場合が多いでしょう。だから、簡単には取引されない。もしも取引を急ぐならば、売り手は価格を価値以下に下げる必要がでてくる。これがバリューです。費用というのは、手数料だけを意味しているのではありません。取引を成立させるために値引くこと、この費用のほうが、大きな比重を占めます。
買い手も、金額が大きければ、金融面での手当が付かない限り、買うことはできない。それには時間を要するでしょう。売り手は急ぎ、買い手は待つ。その時間のずれは、理論が仮定するような短期では埋まり得ない。
なるほど。ここに、不動産と金融の深い関係がでてくるのですね。売り手が不動産を売り急ぐのも、買い手が機会を見送らなければならないのも、は、多くの場合、資金面で苦しいとき、いき詰まっているときだからですね。
そういうことです。資金面でのいき詰まりが、破綻にまで達したら、どうなりますか。
不動産担保の融資について、債務者は期限の利益を失うから、抵当権を行使されて、担保不動産が安い価格で債権者に移転してしまう。これが、不良債権を通じて不動産を安く買う仕組みですね。
しかも、ここでも、債権者側の回収に要する費用を考える必要があります。貸し手側の銀行等の不良債権の処理の問題です。もちろん、銀行の本業、といいますか貸金業の本業ですから、回収を自分でやろうと思えばできます。しかし、色々な意味で、費用が大きいでしょう。
ここで費用というのは、様々な社会的費用を含めていうのです。不良債権処理を急ぐ必要性、後ろ向きの仕事に経営資源を割くことの非効率、回収にかかわる時間と回収金額の不確実性、そうした費用を総合的に勘案するならば、不良債権の状態で第三者に譲渡して、回収を任せる経済的合理性がでてきますね。つまり、不良債権を実質価値よりも低い価格で売却する合理性です。
逆にいえば、ここに、投資の機会としてのバリューが生まれる合理的理由があるということです。不動産は、不良債権の状態で取得するのが安いという理屈です。
なるほど。株式の時価総額が保有不動産の価値を下回る場合もそうですね。買収して不動産価値を実現するには、相当程度の不確実性と時間、社会的費用がかかりますね。それらを織り込むから株価が安いのですね。
そうですよ。そのような不確実性を管理する技術、時間的余裕、専門性をもった人的資源、資金力などについて、優位を持つ人だけが、バリューを実現できるということです。これが、資産運用の技術力です。
まだ、不動産の話はつきそうもないですね。また、次回、よろしくお願いします。
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。