これまでの一貫した主張は、「原子力損害の賠償に関する法律」の定める「異常に巨大な天災地変」という免責事由により、東京電力は免責であるというものでした(「なぜ東京電力を免責にできないのか」参照)。今回は、東京電力の賠償責任を論じるようですが、主張を変更したということでしょうか。
主張に変更はありません。単に、現状、政府方針が東京電力の賠償責任を認める立場を変えないので、それならば、政府の方針に沿った形で、事態を整理してみようと思っただけです。
実は、菅総理大臣は、東京電力に第一義的責任があるという立場ですが、一方で、原子力発電を推進してきた政府にも責任があることを明言しています。政府の責任を明確にしたことは、明らかに、大きな前進なのですが、一方で、東京電力の責任が主で、政府責任が従という立場は変えていません。
私は、政府責任が主で、東京電力の責任は従という立場です。ここに、根本的な思想上の立場の差があるのですが、経済的には、どちらの場合も、被害者への賠償(もしくは補償)額は、同じにならねばならないのだから、実利、利便性、手続きの容易さ、時間の節約など、現実的な側面も総合的に考量して、政治判断すべき余地もあるのであろう、と、まあ、そのようにも考えたわけです。
いわば、菅総理大臣もがんばっているぞ、というような好意的視点から、政府の立場を検討してみようということです。もっとも、なかなか好意的になれないことも、わかりましたが。
政府が敢えて東京電力を免責にしないことについては、それなりの政治的理由があるということですか。
枝野官房長官は、東京電力の免責問題について、最終的には裁判所の決めることだ、という主張を繰り返しています。司法の最終判断はともかくも、今、緊急の対策が求められる今、においては、政治の判断として、政府の責任として、やるべきことはやるしかないのだ、ともとれる発言です。つまり、司法判断としては、東京電力免責の可能性を排除していないのです。一方で、政治判断としては、東京電力を有責にせざるを得ないという立場のようです。
菅総理大臣の発言にも、同様の趣旨は読みとれます。総理は、東京電力を免責にしてしまうと、東京電力の賠償責任を問えなくなる、だから、東京電力を免責にはできない、という趣旨を述べておられます。これは、法律論としては、全くおかしいのですが、政治論といいますか、政策論としては、わからないわけでもないのです。
広い意味での政治とは、司法、立法、行政の動態的連関のことでしょうから、政府が、法律論としての限界のところで、強く傾斜した法令解釈に基づき、断固たる判断を行うこと、政治的賭けを行うことは、否定すべきでないかもしれません。
中部電力の浜岡原子力発電所についても、菅総理大臣は、法律上の強制力のない要請という形で、停止を決めました。中部電力は、法令上必ずしも受け入れる必要のない要請であるにもかかわらず、受け入れました。これは、確かに、一つの政治のあり方を示しているのだと思います。
したがって、東京電力を政治的に免責にしないことにも、一定の評価はあり得ていいのだと思います。もともと、私が東京電力免責にこだわるのは、政府の責任を、東京電力に押し付ける形で、曖昧化することが、許せないからです。技術的な法律論を楽しんでいるからではありません。菅総理大臣が、政府責任を明確にした上で、東京電力との間で、合理的な金銭負担の配分を決めるというのならば、一つの政治のあり方として、評価できるのでしょう。
今後の論点は、東京電力の免責論ではなく、東京電力の賠償責任と、その賠償責任履行における政府援助のあり方に移ったというべきです。もっとも、その前に、改めて、政府責任について、過去長期にわたる原子力政策の総括として、東京電力や電気事業連合会と政府との距離感の適切性なども含めて、徹底した反省が必要であることは、論をまちませんが。
具体的にいいますと、「原子力損害の賠償に関する法律」第十六条で、政府は、「原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なうものとする」とされている、その援助の範囲のことですね。
そうです。ただし、援助範囲は、同条第二項で、「国会の議決により政府に属させられた権限の範囲内」とされています。
10日、東京電力は、この規定に基づき、政府に援助要請をし、それに対し、海江田経済産業大臣は、6項目の「確認事項」を提示しました。11日、東京電力は、確認事項の受け入れを正式に決定した旨の発表を行っています。これで、東京電力免責論は、将来の法廷での議論(訴訟が起きればですが)に持ち越されることになりました。今後は、東京電力有責を前提とした現実の動きに即した議論が、重要になったのです。
賠償の大きな枠組は、事実上、できました。後は、政府が早急に援助案を取り纏めて、国会に諮らなければなりません。既に、東京電力を管理する機構を作るなどの案もでていますが、法律上必要な「国会の議決」に至るには、相当の紆余曲折は避けられないでしょう。今後に注目です。
ところで、法律上明らかなことは、賠償責任は、東京電力だけが無限に負担するもので、そこに上限などあり得ません。政府は、単に経済的その他の援助を行うだけの立場です。なお、東京電力の賠償額に上限のないことは、海江田大臣の確認事項でも論及しているのですが、自明のことであり、無用の確認というべきでしょう。
そもそも、極端に大きな被害がでて、経済的に被害総額の賠償ができないような事態は、まさに、原子力事業者免責になる事態であるわけです。そのときは、政府は、「被災者の救助及び被害の拡大の防止のため必要な措置を講ずるようにするものとする」とされているだけで、補償責任が規定されていません。まさか、全く補償しないということは倫理的にあり得ないので、そこは、別な法の枠組みのもとで、政府による救済が予定されているのです。この場合は、事実上、補償額に上限が付いてしまう場合もでるのでしょう。しかし、原子力事業者有責の場合は、法律上、無限責任は明らかです。
今回は、政府判断として、被害の実態からみて、補償に上限をつける必要がないという判断が先行しているのでしょう。だから、東京電力有責にして、その賠償負担能力と一定の政府援助で、金銭的に間に合うと踏んでいるのだと思います。ならば、東京電力を免責にし、全額政府補償を行ってもよかろう、そのほうが、政府責任が明確になるし、法律解釈としても妥当であろうというのが、私の主張なのですが、ここでは、繰り返さないことにしましょう。
東京電力の無限賠償責任、政府の限定的財政援助に関する責任、この二つが賠償責任の具体的内容になるということですね。
そうです。再度強調しますが、東京電力が、東京電力だけが、無限に責任を負う構造は変えようがないのです。政府は、責任を肩代わりするのではなく、単に東京電力に対して援助を行うだけなのです。これが政府見解の「第一義的責任は東京電力にある」ということの意味です。
ここから先は、極めて難しい政治判断が要求されるでしょうね。第一に、構造上、政府の責任とはいっても、東京電力に対する援助という形で、その責任が果たされるということです。直接に政府補償を行うことは、予定されていない。第二に、本来は、東京電力が自己責任で賠償に応じる建前である以上、政府援助を行う前提として、東京電力の利害関係者に相応の、というか極限までの、経済負担を課すのでなければ、国民の納得は得られないであろう、ということです。
一体、政治責任のあり方を、援助の中に、どうしたら織り込めるのでしょうか。そこがよく分からないのですね。政治責任が大きいから、援助額も大きいというのは、国民が納得する論理なのでしょうか。私の東京電力免責論というのは、まさに、この論点をいっているわけですよ。東京電力を免責にして、全面的に政府責任を認めて、直接的に国民に補償すべきだろうといっているのです。政治責任を曖昧にして、東京電力に巨額に援助するのと、国民の負担も、東京電力の負担も、実質、変わらないのではないでしょうか。
また、資産運用の立場からは、最大の関心事は、東京電力の利害関係者のうち、債権者、社債保有者、株主の立場の行く末でしょう。果たして、東京電力免責に強く反発する国民感情があるもとで、債権者と株主の利益が保護される中での政府財政援助など、政治的に可能なのでしょうか。
また、株主や債権者の利害を調整するためには、法的手続きへの移行は不可避、といいますか、不可欠、だと思われるのですが、政府は、どのような手法を検討しているのでしょうか。それから、東京電力の役員報酬の削減とか、従業員給与の削減とか、有価証券や不動産の売却なども検討されているようですが、このようなことも、東京電力に対する政府の要請として行うことなのでしょうか。やはり、法的な手続きの中で、会社更生なり、民事再生なりの形で行うことではないのでしょうか。
それから、発電から配電までの一貫体制を前提にした電気事業連合会10社地域割り体制、その中での東京電力の支配的地位、それを温存したままで、その構造問題に手をつけないで、政府援助を行い得るものでしょうか。
東京電力の賠償資金の原資調達、政府の援助の財源手当ての問題もありますね。電力料金の引き上げという議論もありますし。海江田大臣の確認事項にも、「全利害関係者(ステークホルダー)に協力を求める」という一項がありますね。
電力料金については、賠償に要する費用を電力料金に反映させる、しかも、東京電力以外の電力会社の料金にも反映させる、これは論理的にあり得ないのではないでしょうか。一方、火力等の他の発電に依存する分、発電費用が上昇する、その費用を電力料金に反映させる、これは、現在の電力料金の仕組み上、そうならざるを得ないのでしょう。しかし、その二つを、どうしたら厳密に区分できるのでしょうね。
また、東京電力の賠償に要する費用を、他の電力会社が負担するというのは、どのような法律上の構成に基づいて行うのでしょうか。私には、法律上、政府が東京電力を援助するという定めである以上、他の電力会社が直接に援助することはできないように思えるのです。例えば、政府が、他の電力会社に何らかの課徴金(原子力損害保険掛金のような)を課すことは、できるかもしれませんが。あるいは、国民に直接に負担を課すとしたら、電力料金の引き上げはおかしいと思います。電気料金に対する特別課税(酒税やガソリン税みたいなものですね)は、あり得るかもしれません。
いずれにしても、政府の東京電力援助に要する費用は、必ず、国民の負担になるわけです。そこに、明瞭に政治責任が現れるのです。国民に負担を強いるなら、政治責任が明白になるような仕組みでなければ、絶対に納得できないということです。
なお、11日の枝野官房長官の記者会見における発言に、「政府として直接に協力をお願いをする立場ではないと思っているが、当然こうした事故を生じた東京電力の経営、形式で言えば取締役会として自主的にご判断をされた上で、関連するステークホルダーの皆さんのご協力を求めて頂く」というのがあります。
こういう枝野長官の発言が、私には、どうしても許せない。これは、実に卑怯でしょう。結局は、政治責任の回避、東京電力に対する責任の押し付けなのです。本来は、政治責任を明確にするのならば、政府命令によって、あるいは、先ほどもいいましたように、東京電力を法的処理の中においた上で、政府主導で、利害関係者間の調整を図るべきなのではないでしょうか。
同じ卑怯な方法は、菅総理大臣の浜岡原子力発電所停止要請にも現れています。これについては、財界からも、法整備をした上での行政命令とすべき、との意見がでています。当然の批判でしょう。これも、判断の責任を中部電力に押し付けているのです。政治責任を明確にするなら、政府命令以外には、あり得ないはずなのです。
確かに、政治責任は、少しも明確ではないですね。口先だけの政治責任、東京電力の責任を前面に立てる形で、その後ろに隠れようとする政府の姿勢は、少しも変わっていないですね。
いずれにしても、政府の案は、順次具体化されてくるのでしょう。それをみてから、次の議論へ進みましょう。予告をしておけば、東京電力については、最終的には、東京電力、および他の9電力会社の解体、発電、送電、配電への事業の水平分解、発電と配電における抜本的自由化、それらに関連した資金調達方法の抜本的改革など、専門分野の資産運用にも絡めて、議論を展開していきたいと思います。
一方、政治責任については、いくらなんでも、まじめに考えろとしかいいようがない。ここは、どうしても、過去の長きにわたる原子力行政の責任を総括してもらわないと、話は始まらない。今の調子での政治責任回避が続くならば、国民として、どうしたらいいのでしょうか。困ったものですが、ただ、困っているわけにもいかないし・・・・・。
以上
次回更新は、5月19日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。