東京電力の原子力事故と、それに関連する問題を、毎週とり上げ続けて、はや4ヶ月が経ちました。さすがに論点も尽きた感じですね。全部の論考を合わせると、膨大な量になってしまうので、今回は、改めて論点を整理し、今後、東京電力に避け難く起きると予測される出来事を展望して、一つの締め括りとしておきましょう。始まりは、東京電力免責論でしたね。
最初は、これほど長く東京電力を論じ続けることになるとは、想像もしませんでした。きっかけは、「原子力損害の賠償に関する法律」第三条ただし書きの適用の可否でした。東京電力福島第一原子力発電所を襲った津波は、同法が定める「異常に巨大な天災地変」に該当するのではないか、だとすると、東京電力は、原子力損害賠償責任を負わないのではないか、という主張が出発点でした。
私の論拠は、純粋に法律的なものです。簡単なことです。もし、「異常に巨大な天災地変」を人知の想定し得ないものと解するならば、法律の規定が無意味になってしまう。つまり、論理的に発動し得ない規定は、無意味だということです。法律として意味があるならば、「異常に巨大な天災地変」の定義は、人知の想定している限界を超える天災地変でなければならない。そのとき、人知の想定の基準となるのは、いうまでもなく、政府の定めた安全基準です。しかるに、東京電力福島第一原子力発電所においては、政府の安全基準に違反するような運営はなされていませんでした。なのに、なぜ、東京電力は免責にならないのか。
実は、政府は、一度も、この法律の適用についての判断根拠を説明していません。これは、はなはだ不当なことであると思います。そもそも、政府は、当初、事故についての政治責任を認めていませんでした。ということは、安全基準の妥当性を主張していたことになります。にもかかわらず、その基準に準拠していた東京電力の免責を認めない根拠は、何だったのか。
その後、政府は、一転して、政治責任を認めることになります。つまり、政府の安全基準が不十分だったことを認めたのです。だとすると、確かに、今回の津波は、「異常に巨大な天災地変」には該当せず、事故は回避し得たことになりますので、東京電力が責任を負うことは明確になります。しかし、政府は、東京電力が責任を負う論理を、そのような形では、説明していません。もっとも、そのように説明したら、おかしなことになりますよね。政府に責任はあるが、現実の原子力損害賠償については、全面的に東京電力に責任がある、ということになって、表面的な法律の適用としては成り立っても、社会正義に反する結果となります。
結局、考えられる方法としては、「原子力損害の賠償に関する法律」そのものの適用を排して、一般の損害賠償法理のもとで、全面的に政府の原子力損害補償責任を認めるしかないのだろう、というのが、私の主張であるわけです。「原子力損害の賠償に関する法律」の重要な目的のひとつは、原子力事業者の無過失責任の規定です。こうすることで、被害者の賠償請求を容易にして、保護を厚くすることが、目的なのです。実は、端的に政府が補償責任を認めることによっても、同じ法律の目的は実現できます。
では、東京電力の責任は問えないのか。そのようなことはありません。政府が東京電力にも応分の責任があると主張するならば、合理的負担分を東京電力に求償すればいい。事実、「原子力損害の賠償に関する法律」の原案(かの我妻栄の手になるものです)では、政府の第一次的な補償責任を定めていて、原子力事業者の責任は、政府との間で二次的に負担額を調整することで問う仕組みだったのです。
ある意味、政府は、「原子力損害の賠償に関する法律」の現行法のあり方に忠実であろうとしているのかもしれません。しかし、一方で、政府の責任を明確に認めた中では、論理の破綻も避けがたいようです。それもあってか、「原子力損害賠償支援機構法」は、早期に政府責任を明確にする方向での法律改正を行う旨を約するという、異例の形になっています。
現在は、東京電力が、東京電力だけが、経済的な意味での原子力損害賠償責任を負う、という前提で、事態が進行しています。政府の賠償支援というのは、あくまでも、資金繰りの支援であって、政府支援額は、全額、東京電力が弁済することになっています。つまり、政府は、責任を認めていても、経済的責任は負わない、ということなのです。さて、早期に政府責任を明確にするという約束は、具体的に何を意味してくるのか。経済的負担を認めるのか。今後の展開を注視しなくてはいけません。
次に問題としたのは、あり得もしない東京電力法的整理論でしたね。
これも、純粋に法律論として、東京電力の法的整理のあり得ないことを、主張したのです。法律の趣旨は、東京電力の存続を前提としており、法的整理などあり得ないどころか、むしろ、法的整理を回避させることが、目的なのだろう、という主張です。
「原子力損害の賠償に関する法律」は、原子力事業者が賠償責任を負う場合に、政府が賠償履行を支援しなければならないことを、定めています。なぜかというと、賠償履行の資金負担により電気事業の継続が困難になる事態を、回避するためです。電気の安定供給こそが、原子力発電を正当化する根源にある課題であり、「原子力損害の賠償に関する法律」は、法の目的として、損害賠償と並べて、原子力事業の健全な発展をあげているのです。だから、政府の支援義務を定めたのです。その政府支援により、資金繰りの破綻は生じ得ない。事実、「原子力損害賠償支援機構法」は、そのような法律の趣旨に忠実に作られております。
なお、賠償負担は、東京電力だけが負うのですから、政府支援額は、全て政府に弁済されます。そのためには、東京電力は、電気事業を継続し、その事業収入から、弁済原資を作らなければならないのです。その意味でも、法的整理はあり得ません。そもそもが、「原子力損害賠償支援機構法」は、政府支援額の弁済債務が債務性を帯びないように、注意深く設計しており、東京電力が債務超過になり得ないようにしてあります。
法的整理論は、東京電力は実質的に債務超過であるから、直ちに法的整理を行うべきだという、非常に単純なものです。単純なのはいいのですが、事実上の債務超過は、法律上の債務超過ではありません。法律上の債務超過にならないように法律の手当てをしてあるのだから、理論的に、法的整理はないのです。
それから、法的整理を行えない、もうひとつの現実的な問題があります。社債の存在です。電気事業法は、電力会社の発行する社債について、特別な先取特権を定めています。通常は、債権間の優劣は問題になりません。優劣が顕在化するのは、法的整理へ移行したときです。したがって、もし、東京電力を法的整理へもち込むと、社債権者が、原子力損害賠償債権を持つ被害者に、優越してしまうのです。そのような事態を避けるためにも、法的整理にならないように手当てが工夫されているのです。
法的整理に関連して、銀行等の東京電力の債権者について、債権放棄論がでてきた。これも、法律的にあり得ないと切り捨てましたね。
法的整理がない以上、債権放棄もあり得ません。銀行は、民間企業ですから、政府に協力して、自ら積極的に債権放棄を申し出るはずもないし、株主に対する関係で、できるはずもありません。したがって、理論的に、債権放棄はあり得ないのです。このことは、政府も承知です。政府は、銀行に債権放棄を求めたことはありません。ただ単に、債権放棄でもしてもらわないと、国民は納得しないのではないか、という政治的に上手な話法を用いただけです。確かに、政治家は上手いな、と感心しました。
にもかかわらず、法的整理論や債権放棄論が横行するのは、背後に電気事業への参入を目論む野心家の思惑や、東京電力悪者論という低級な国民感情迎合があるのだ、という批判を展開したのでしたね。
東京電力を法的整理へ追い込むことは、政治的には、非常に便利なのです。第一に、国民に人気がないらしい東京電力と背後の銀行に、損失を負わせることができる、まさに、大衆迎合的な点数を稼げる。第二に、東京電力の利害関係者の損失は、政府責任の果たし方としての税金の投入の前提になるのでしょうから、法的整理後は、政府関与を強くしていくことができる。そして第三には、東京電力解体への道を作ることができて、電気事業改革への大きな布石を打つことができる。特に、第三の電気事業改革は、政府が、再生可能エネルギーの普及と原子力発電への依存度低下を、政策的に強く打ち出した関係で、急激に政治色を帯びてきたわけです。
しかしながら、かような政治的考慮のもとで、法律の適用を歪めるがごときは、断じてあり得てならないことです。私が最も危惧するのは、政治的思惑のもとでの、法秩序の揺らぎなのです。歴史を振り返れば、かような法秩序の小さな揺らぎが、どのような危険な事態を惹起し得るのか、おわかりいただけると思います。まことに、恐ろしいことだと思います。
そこで、政府の見識ある対応が求められるわけですが、さて、政府の立場も微妙ですね。一方で、政府責任の明確化をいい、他方では、東京電力を法的整理へもち込むことの利益をちらつかせる、さて、政治は、どう流れるのでしょうね。
そこですね、今後、注視しなければならないのは。まず、第一の関門は、「原子力損害賠償支援機構法」のもとにおける、「特別事業計画」の経済産業大臣による認定でしょうね。この「特別事業計画」とは、政府支援の枠組みを具体的に決める中核をなすものですが、その認定は、経済産業大臣が行う。このとき、認定要件のなかに、はっきりと、東京電力の利害関係者への協力要請を含めていることが、問題ですね。
協力要請自体には、法的強制力はありませんが、意味のある協力、具体的には銀行等の債権放棄と、東京電力の役職員の給与と退職金年金の大幅引き下げでしょうが、このような経済的に意味のある協力を取り付けない限り、経済産業大臣の認定は下りないのでしょうね。さて、これは、実に微妙な政治取引ですね。
第二の関門は、政府が、どのようにして、「特別負担金」を東京電力に課すか、なのです。「特別負担金」というのは、政府が支援額を東京電力に弁済として請求する金額のことです。「特別負担金」は、財務的な無理がないように、東京電力の事業収入の枠の中で、請求する仕組みです。請求されて初めて債務になるので、未請求の将来の特別負担金が債務性を帯びないようにしているのです。しかし、ここにも大きな行政裁量があって、毎年の「特別負担金」の請求額の決め方に明確な基準があるのではありません。つまり、運用の仕方によっては、東京電力を債務超過にすることは、可能です。
結局のところ、原子力損害賠償に一定のめどがついてしまえば、東京電力の立場は、非常に不安定なものになるということですね。
最後は、東京電力の電気事業の継続可能性と、事故対策費や廃炉費用の負担の合理化にまで、説き及んだのでしたね。
東京電力が負っているのは、原子力損害賠償債務だけではないのです。巨額な原子力発電所の事故対策費と、廃炉費用も負担しているのです。電気事業法の総括原価方式のもとでは、賠償費用を原価に含めることは、想定されていないのですが、では、事故対策費と廃炉費用は、原価に含められるかというと、そこは微妙なわけです。例えば、通常の方法による老朽化した原子力発電施設の除却費は、全く当然のこととして、原価になります。ところが、事故による廃炉の場合、遥かに大きな費用が見込まれるのですが、その費用の増加分までは、原価に含める想定にはなっていないと思われるのです。さて、原価にならないとしたら、東京電力の存続は、まず無理でしょう。
それから、資金繰りの問題もあります。原子力損害賠償については、政府支援により、資金繰りの問題はない。ところが、事故対策費については、特別な手当てがないのだから、東京電力が自力で解決するしかない。でも、現実的には無理でしょう。社債の発行、株式の発行、銀行等からの借入、どれも、事実上、不可能だと思います。政府は、この点をどう考えているのか。
それから、大きな問題は、政治的に、政府支援資金の使途を賠償目的に限る旨、政府も東京電力も表明していることです。国会でも、そのような付帯決議がなされました。本来は、資金使途の制限はないはずなのです。なぜなら、電気事業の継続を前提にして賠償履行をするのだから、東京電力の経営判断で、電気事業のためにも使っていいはずなのです。しかし、それでは、国民の理解が得られないだろう、ということで、政治的な考慮により、使途制限が事実上ついた。これでは、電気事業の継続のほうが危機に陥るのを避け得ない。困ったことです。
とにかく、電気の安定供給が、電力会社に法律上課せられた義務なのです。今の東京電力は、その基本的な義務を果たせるかどうか、不透明な状況にあります。電気は、産業の基盤です。このようなことで、日本の経済はもつのか。明らかに、税金を投入してでも、事故対策の政府直轄化が必要なのです。まさに、ここが、政治の目下の論点でもあるのですから、早期に、何らかの政府の方針が示されるのだと思います。おそらくは、最大の今後の注目点です。
東京電力の社債権者、債権者、株主の地位について、今後の注目点は何でしょうか。
社債は、法律上、動かし得ない。法的整理があっても、最優先債権としての保護が働きます。間違いないと思います。電力債は、東京電力だけの問題ではない。原子力発電所をもつ電力会社は、今、大きな経営の転換点にあります。電力会社にとって、電気事業の構造改革を実行するためには、安定的な資金調達手段の確保が絶対条件です。そのためには、電力債は守らなければならない。東京電力固有の問題で、何らかの超法規的な手段を講じられるがごときは、あり得もしないでしょうし、ありもしないでしょう。
銀行融資などの債権は、微妙でしょうね。法的整理の際には、政府のもつ債権との間で、放棄額の調整が行われるのだと思います。政府に大きな負担を寄せれば、銀行等の債権は放棄額が小さくなるのでしょうね。政府主導で法的整理を行うかどうかを含め、まさに、政治の問題です。また、「特別事業計画」の認定の時に、どのような政治的動きがでるのかも、予想がつきません。
株式の価値は、どちらにしても、ほとんどないのだと思います。法的整理もなく、東京電力が存続し続けても、政府へ弁済する額が長期にわたり残り続けるのですから、株主に帰属する利益が出るはずもありません。配当もできません。ましてや、法的整理へ移行すれば、おそらくは、無価値になる可能性が高いのでしょう。
上場維持も不透明ですね。政府支援の累積額は、「特別負担金」として請求されるまでは、債務性がないのですが、かといって、正確に見積もることはできるのです。もしも、その金額を開示すれば、事実上の債務超過は明確になります。さて、そのようなことで、上場企業の会計監査を通過するのか、ということです。何となく、無理のような気がします。
以上
以上の議論は、過去の論考を前提にしたものですから、できましたら、下にある関連論考を合わせてお読みいただけると、幸いです。次回更新は、9月8日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。