枝野経済産業大臣の登場と東京電力の将来

森本紀行
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それにしても、枝野経済産業大臣、官房長官のときに東京電力向け金融債権について債権放棄を論じた、あの枝野大臣が登場したことは、意外な展開ですね。

 そうですね。枝野大臣は、9月12日の大臣就任時の記者会見で、既に、東京電力の将来に関して、興味深い発言をされていますね。これは、例の有名な官房長官のときの発言に関連した質問への回答です。つまり、東京電力向けの金融債権について、債権放棄が行われなければ、国民の理解は得られないだろう、という、あの発言に関して、現在の考えを聞かれたことへの回答です。非常によくできた発言ですので、該当箇所の全体を引用しておきましょう。
 「私が申し上げたのは、東京電力について、この間法律を通していただいて、支援のスキームができましたが、この支援のスキームの目的は、被害の救済をしっかりと行うということと、電力供給をしっかりと行う、この二つが目的であります。もし、この二つの目的が必要なければですね、東京電力はマーケット、市場原理に基づいて処理をされるわけであります。処理をされる場合にどうなるのか、ということを前提にして、しかし税金等を使って支援をするのは、今二つの目的だけでありますので、二つの目的以外のことについては、支援がなかった場合にどうなるか、ということを想定をして、それに応じたコストは負っていただきたいということです」
 枝野大臣は、さすがに弁護士だけあって、しかも、内閣の法令解釈担当閣僚だけあって、法理論的な筋の通し方には、見事なものがありますね。なによりも、法の目的から論を起こすあたりが、格調高いですね。


格調高すぎて、よく意味がわからないのですが。

 私の解釈では、枝野大臣の論点は、第一に、政府の東京電力に対する資金支援は、損害賠償履行と電気の安定供給だけを目的としていること、第二に、政府支援がなければ、東京電力は、間違いなく、経営破綻するであろうこと、第三に、二つの目的以外のことについては、政府支援が及ぶべきものではなく、各利害関係者は、経営破綻したとしたら負うであろう損失を負担すべきであること、この三点なのだと思います。
 第一の点は、政府支援の根拠法である「原子力損害の賠償に関する法律」の第一条に定める法の目的を述べただけのものです。第二の論点は、東京電力が負う損害賠償債務の巨額さを考えれば、自明のことです。第三の論点は、政府が資金支援の条件として挙げている、全利害関係人の協力、特に債権者の協力ということを、「それに応じたコストは負っていただきたい」というふうに、やや強く主張されたものだと思われ、事実上、債権放棄を暗に要請した発言だと思われます。
 ですから、枝野大臣の発言は、特に新しい内容を含んではいないのです。ただし、官房長官として、国民の理解という視点で債権放棄に関する発言をされたのと、経済産業大臣という直接の責任者として、「コストは負っていただきたい」という明確な要請として述べられたのとでは、かなり、実質的な意味が違うのだと思います。


しかし、法律の趣旨というのは、枝野大臣が挙げる二つの目的を実現するためには、東京電力を経営破綻させてはならない、ということでしょう。だとすると、経営破綻を想定した損失負担を利害関係者に求めるのは、理屈上、おかしいのではないでしょうか。

 本来の「原子力損害の賠償に関する法律」の趣旨からは、おかしいのではないか、というのが私の一貫した主張です。しかし、原子力損害賠償支援機構法は、東京電力が利害関係者に対して協力を求めることを、政府支援の条件としています。したがって、枝野大臣の発言は、現行法の枠組みからは、筋が通るのだと思います。ただし、協力要請というのは、法律的には、直接的な強制力がないのですね。そこで、法律が工夫したのが、「特別事業計画」の経済産業大臣による認定という手続きなのです。
 「特別事業計画」というのは、過去の論考(本稿末尾に一覧で掲げていますので、ご参照ください)で詳しく論じましたように、東京電力と原子力損害賠償支援機構との間で策定されるもので、政府による東京電力に対する資金支援の枠組みを具体的に定めるものです。この計画は、枝野経済産業大臣が認定して初めて、効力をもつのです。その当の大臣が、かく発言されることの意味は、非常に重いと思われます。


つまり、枝野大臣は、計画認定に厳しい条件をつけるのではないか、ということですね。

 もう既に、厳しい条件を付すことを明言しています。例えば、15日の記者との会見では、原子力損害賠償支援機構法の目的として、損害賠償の履行、原子力事故の収束、電気の安定供給、の三つを挙げたうえで、その目的に適合するように、利害関係者の協力について適切な対応がとられない限り、計画案を却下すると、明言しています。ここでも、法の目的から始めるのですね。このあたり、なかなかの論者だと思います。
 枝野大臣は、却下基準を明確に示すことはできないとしつつも、この法律が、東京電力の株主や債権者の保護を目的にしていない以上、法律の三つの目的以外に政府支援資金を使えば、税金の無駄遣いだ、とまで、断じています。まさか、政府として税金の無駄使いを認めることはあり得ないのですから、実質的に、債権者に債権放棄を強く求めた感じです。
 私は、これまでの論考で、東京電力問題を巡る大きな山場は、10月中に予定されている「特別事業計画」の認定のときにくるであろう、と論じてきました。ただし、その認定者が枝野大臣になろうとは、思っていませんでした。かくも厳しい論客の大臣を相手に交渉するのは、東京電力にとって、その背後の利害関係者、特に債権者にとって、容易なことではないでしょう。


一方で、枝野大臣は、東京電力の法的整理の可能性については、官房長官のときから、一貫して否定していますね。

 そうです。その考え方は、法律家の論理に従うものだから、全くぶれないようですね。要は、法的整理をすると、債権間の優先劣後関係が顕在化してしまうので、それは絶対に避けなければならない、という論理です。
 具体的には、枝野大臣が本来的に保護に値すると考えている二つの債権、被害者に帰属する原子力損害賠償債権と、東京電力に資材や役務を提供している取引企業の営業債権、この二つの債権は、法的整理に移行すると、社債権(電気事業法に定める特別の先取特権による保護がある)に劣後してしまうばかりか、銀行等がもつ金融債権等の一般債権と同等に並んでしまうからです。


法的整理を否定しながら、銀行等に債権放棄を求めるというのは、論理矛盾ですね。このことは、官房長官のときから、枝野大臣に向けられてきた批判だと思いますが。

 法律家である枝野大臣が矛盾を承知していないはずはない。ですから、枝野大臣が債権放棄に繰り返し言及する真意に関して、いまでも、色々な憶測があるわけです。15日の記者との会見では、法的整理に移行させたうえで、特別な法律の手当てで損害賠償債権等を保護する手法も、政府内部で検討されていたことを認めています。ところが、これですと、金融秩序を乱すということで、現在のように、法的整理なしで、債権放棄等を債権者に要請する仕組みにしたということです。実は、当時の官房長官の発言の裏には、このような工作が動いていたのです。
 また、これまでの論考で論じましたように、当時の枝野長官は、例えば、原子力事故にかかわる政府責任を認めたうえで、政府と東京電力との共同不法行為責任という画期的な法律構成すら、検討していた節があります。そうした枝野大臣だから、発言には、それなりの裏があると考えられるのです。
 しかし、結果として、現状が法律的な矛盾を承知のうえでの苦肉の策であることは、枝野大臣の認めるところです。ということは、もはや、法律論、枝野大臣の得意な法律論ではなくて、政治論で押し切ることになるのだと思われます。そうなると、今度は、どういう政治的駆け引きが枝野大臣の念頭にあるのか、周辺の憶測を生むことになるのです。
 そもそもが、銀行等が債権放棄しなければ国民の理解は得られない、という官房長官のときの発言自体が、法律論ではなくて、政治論です。銀行等に対して、法律的には債権放棄の必要がなくても、もしも債権放棄しなければ国民は何と思うか、よくよく考えて行動しろ、という、一種の政治的圧力なのです。しかも、現在では、経済産業大臣として、計画認定という大きな行政裁量権をもつ立場ですから、政治論としても、重みがあります。


全国銀行協会の永易会長は、15日の定例記者会見で、枝野大臣の発言に言及されていますね。

 永易会長は、思いのほか、枝野大臣の発言に理解を示しているようです。少なくとも、銀行を代表して大臣の発言に不快感を示したものとは、受け止められません。特に、枝野大臣が、原子力損害支援機構法の目的として三つを挙げ、そこには東京電力の債権者や株主の保護が含まれないと述べたことについて、「この点は非常によく理解できる」とされています。
 続けて、「一般論として、銀行や株主が一定の負担をするのが原則という考え方、ここまでの発言であれば、さほど違和感はなく」、としたうえで、「終始金融機関としての協力はしてきたつもり」と述べています。この「金融機関としての協力」の意味ですが、永易会長がいっておられるのは、「3月の緊急融資1兆9,000億円」、「低利で安定的な調達に応じており」、「短期資金の期日到来時には、全行が必ず継続に応じている」、「東京電力だけでなく、他の電力会社も原発が停止し、燃料費上昇により発生した必要不可欠な資金需要に対しては、積極的に応じていく」、などといった銀行の融資姿勢のことであり、このことをもって、銀行の「一定の負担」と認識しておられるようです。


庶民感覚としては、その程度のことをもって、「一定の負担」というのは、納得できないですね。

 全国銀行協会の会長に庶民感覚を求めること自体が、どうかと思いますが。それよりも、そもそもが、法律の適用に関して、庶民感覚を入れる余地はないと、私は考えています。私は、これまでの論考で、繰り返し、大衆迎合的な論者の軽薄で法律を無視した東京電力批判(批判にもならない)を、切り捨ててきました。とにかく、超法規的な暴論が多すぎるのですよ。
 永易会長のご発言は、銀行の論理として、正当なものであると思います。同様に、枝野大臣のご発言も、正当なものだと思います。


両方が正当だとしても、債権放棄を巡っては、二つの正当が対立するでしょう。

 そのようですね。永易会長の言葉を借りれば、「ただし、大臣が債務超過につきコメントされているとは思わないが、債務超過の議論になれば、我々の認識は主張せざるをえない」ということであり、債権放棄については、「全く想定していないとはっきり申しあげる」とのことです。永易会長の論理は、「この法律の前提は、東京電力は債務超過にしない、債権放棄は想定しないというのが基本的な前提としてあったと理解している」ということです。これは、私の主張と同じもので、実は、枝野大臣の考えとも同じだと思います。
 どこで、見解が分かれるかというと、債務超過を法律的に認識する方法と、その時期、この二つの高度に法律的な論点にかかるのです。これは、実に難しい論点なのです。しかし、枝野大臣は、その難しい論点を既に整理されていて、ある種の策を想定しておられるのではないか、と私は睨んでおります。


どのような策を、枝野大臣は、考えているのでしょうか。

 法律が東京電力を法律的に債務超過にさせないことを前提にしているのは、間違いありません。故に、法的整理があり得ないことも、間違いありません。ここに、意見の対立はない。しかし、枝野大臣は、政治的選択肢として、東京電力を法律的な債務超過にさせることもできるのです。
 つまり、原子力損害賠償支援機構法は、東京電力が受けた支援資金を政府に弁済する仕組みについて、「特別負担金」を設定しているのですが、この「特別負担金」は年度ごとに東京電力の弁済能力を考慮して算定されるので、東京電力は決して債務超過にならないのです。ところが、自明ですが、潜在的には巨額な未払いの「特別負担金」残高を負い続けるので、東京電力は実質的な債務超過の状態にあり続けるのです。そこで、もしも、政府が負担能力を超える「特別負担金」を課したらどうなるかというと、東京電力は、一気に法律的な債務超過になります。結局、「特別負担金」の算定が、一定の基準のもととはいえ、原則として行政裁量下にあることが、重要なのです。
 さて、次は、その時期ですが、いうまでもなく、法律の目的が成就したときではないでしょうか。つまり、損害賠償の履行、原子力事故の収束、電気の安定供給、の三つ、特に、損害賠償の履行と電気の安定供給の二つの目的が成就したときです。この二つの課題にめどがつくと、東京電力には大変失礼ですが、東京電力は概ね用済みになるのです。東京電力の存立は、主として、この二つの目的のためだけに、人工的に維持されているだけなのですから、当然ではないでしょうか。
 枝野大臣は、このことを、はっきりと述べています、「もし、この二つの目的が必要なければですね、東京電力はマーケット、市場原理に基づいて処理をされるわけであります」と。そのうえで、「二つの目的以外のことについては、支援がなかった場合にどうなるか、ということを想定をして、それに応じたコストは負っていただきたいということです」といっておられるのだから、もう、枝野大臣の意向は明確です。
 いつの日か、そう遠くない将来に、政府主導により、東京電力の法的整理が行われて、銀行の債権放棄が自動的に起きるのでしょう。そのときは、政府のもつ債権も、応分に放棄されるのだと思います。それが、政府が原子力事故に関する政治責任を認めたことの、経済的意味だと思います。
 私は、債権処理に当たっては、政府負担を大きくするのではないか、銀行負担を小さくするのではないか、と予想しています、なぜなら、そうしないと、東京電力に融資を継続する銀行がいなくなり、困るからです。つまりは、実質的に、事故後の新規融資については、毀損しないように配慮するのでしょう。枝野大臣は、既に官房長官のときに、3月の緊急融資について特別な配慮が必要であることを述べています。所詮は、債権者間の合意で決まることです。政府が責任を認めている以上、原則として、銀行等の債権者が負担する損失は、重大なる政府責任を考慮して、応分に決められるのではないでしょうか。
 さて、銀行等は、現に、融資を継続しているのですが、その裏に、政府との間で、以上のような暗黙の合意があるのかどうか、大いに興味があるところです。事実、3月の緊急融資を巡っては、色々な憶測があるようですし。しかし、仮にあったとしても、永遠の闇に葬られることでしょう。


東京電力と債権者の将来は、そういうことだとして、そのとき、社債権者と株主は、どうなるのでしょうか。

 社債については、法律の規定通り、厳格に保護されるでしょう。これは、間違いない。特に、枝野大臣は、法秩序の安定性に高度な理解をおもちだから、間違いない。株主は、だめではないでしょうか。100%減資は、避けられないと思いますが。
 これは、債権も同じなのですが、公平性の観点から、事故前と事故後との間に、断絶を作るしかないのではないですか。事故後の債権は保護するとしても、事故前の債権の毀損は避けられない。だとすると、株式は全て事故前に発行されたものなので、保護できないということだと思います。事故後に投機的に株式を取得した人など、全くもって保護に値しないのは当然でしょう。念のためですが、事故後は、新規の社債は発行されていません。

以上


 以上の議論は、過去の論考を前提にしたものですから、できましたら、下にある関連論考を合わせてお読みいただけると、幸いです。次回更新は、10月6日(木)になります。


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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。