前回は、「東京電力に関する経営・財務調査委員会」報告書が、事実上、東京電力の電気料金値上げを強く示唆するものではないのか、ということを論じたのでした。しかし、当然のこととして、そう簡単に値上げが認められるものではない。今回は、値上げが認められるための厳格な条件を検討しようということですね。
電気料金の値上げの問題は、あまりにも多岐な論点に及ぶので、何一つとして具体的に論じられる状況にはないようです。ただ、どうやら、値上げは不可避なのではなかろうか、という思惑があるのみです。
「東京電力に関する経営・財務調査委員会」報告書(長いので、以下、「報告書」としましょう)は、かなりな分量を割いて、電気料金の仕組みに関する問題点を論じています。こうなると、東京電力の経営問題に関する調査報告というよりも、電気事業連合会加盟10社の全てにかかわる基本的問題、さらには電気事業法の仕組みそのもの、を論じることになってしまって、論点の拡散ともみられます。
「報告書」は、冒頭で、「私たちは、いたずらに問題を複雑化し、拡大させることには慎重でなければならない」として、「十全な賠償と発生した事故の着実な処理を通じて、そこに「安心と安全」の確保をもたらすことを何よりも優先させるべき」との理由で、論点の拡散を避ける考えを打ち出しているのですが、一方で、「東電問題への対処は、単なる一企業のあり方の問題にとどまるものではなく、その企業体としての経営・財務問題への対処と同時に、わが国の経済へのマイナスの影響の緩和、社会基盤の不安定化の回避、そして日本のエネルギー戦略のあり方や電力事業政策のあり方の見直しにまで広がる国家的な取り組みを要するものである」ともしており、論点の拡大が避けられないことも認めています。
私は、これまでの論考で、東京電力の事故を奇貨のようにして、さも東京電力なき後の巨大な電気事業利権にたかるかのように、電気事業の根本的改革を論じる向きを、批判してまいりました。あの前総理大臣の菅直人氏も、原子力事故損害賠償よりも、「再生可能エネルギー法」(正確には、「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」)の成立のほうに、熱心だったようにみえました。表では、原子力損害賠償を最優先にすべきとしつつも、裏では、電気事業そのものを論じる方向へ議論を誘導していく強い力が働いているのが、現実なのです。
この「報告書」も、例外ではない。報告書の半分は、電気料金と電気の託送料金の仕組みにかかわる電気事業法の根本問題点に充てられている。この部分は、直接には、東京電力の賠償問題と関係がないにもかかわらず、です。
枝野経済産業大臣も、「報告書」を受けて、早速に、12日の記者会見で、電気料金のあり方について、「近々私が主催する有識者会議を設置し、報告書で指摘された事項やそれ以外の点も含めて検討を行い、年明け以降可能な限り早期に結論を得ることを確認したいと考えております」と述べています。
ということは、当面は、電気料金については、不確定要素が多すぎて、具体的な議論をなし得ない、ということでしょうか。
そうはいかないのです。「報告書」は、一方で、電気料金の仕組みの見直しという時間のかかる問題を指摘し、他方では、早急に電気料金を引き上げない限り、東京電力が事業の継続に必要な資金を調達できなくなる可能性も指摘しているのです。
つまり、電気料金を巡る問題は、二つあるということです。一つが、時間をかけて検討すべき電気料金の構造に関する本質的な問題、具体的には、総括原価方式の見直し、もう一つが、緊急に対応すべき課題、具体的には、東京電力の資金繰り破綻を回避するための現行の電気事業法の枠内での値上げの可否、この二つです。
枝野経済産業大臣も、12日の記者会見で、二つを区別していて、総括原価方式の見直しのような「法改正なども含む抜本的なことについては、もうちょっと中期的な視点でさらに深掘りをした議論をしたい」と述べる一方で、「法改正などを要しない、現行制度の下で改善ができるもの」については、できるだけ早く結論を出して、賠償に関する政府支援の具体的方法を定める「特別事業計画」に反映させるとしています。
実は、今回論じようとしているのは、この二つ目、即ち、現在の電気料金の仕組みの中で、東京電力は電気料金を引き上げることができるのか、できるとしたときは、その条件は何か、ということです。もっとも、「報告書」は、電気料金の値上げなくしては、東京電力は巨額な資金不足に陥る一方で、その不足資金を調達する手段も限られるだろう、という試算をだすことで、強く電気料金の引き上げを示唆するものとなっているので、要は、「報告書」が想定している試算の前提条件を、より一段と厳格化する余地があるのかどうか、という論点に帰着するのです。この点については、政府も、同様の方向で検討していることだと思われます。
つまり、東京電力の電気料金の値上げは、電気料金体系の抜本的検討を待たずに、現行の制度の中で、緊急の問題として、避け得ないのだろう、ということでしょうか。
私は、そう考えていますし、それが、「報告書」の想定でもあり、更には、政府の方針でもあると思っています。だからこそ、新聞は、「報告書」の正式発表前から、委員会の関係者に対する取材を通じて、10%、もしくは15%の電気料金値上げが行われることを、さも既定の事実であるかのように、報道してきたのだと思います。
では、電気料金の値上げを可能にする根拠は何でしょうか。事故対策費や原子力損害賠償費用は、当然のこととして、電気料金には反映できないわけでしょう。なのに、どうして、値上げが可能なのでしょうか。
原子力損害賠償費用が電気の原価を構成しないこと、したがって、総括原価方式の下で、電気料金に反映できないことは、間違いありません。「報告書」も、そういう前提で、できています。一方、事故に起因する費用増については、その全てを電気料金に反映できないことは当然でしょうが、逆に、相当の部分が、総括原価方式の下で、原価を構成し得ることは、「報告書」の想定していることではないでしょうか。
もちろん、事故に起因する費用は発電に関する費用ではないのだから、直接的には、電気の原価にならないのだと思いますが、間接的には、あるいは、広い意味では、原価になり得るのだと思います。その論理的背景が、電気の安定供給体制の維持と、そのための最適な電源構成の維持という考え方です。
そもそもが、日本の原子力政策は、電気事業における電源構成の再編を目的として、強力に推進されてきた経緯があります。「報告書」も、「日本は1970 年代初めのオイルショックを契機に、いわゆる「石油離れ」に取り組んできた」結果、「今日の電源構成は、天然ガス火力、石炭火力及び原子力を中心に比較的バランスのとれたもの」になってきたとの認識を示しています。
この電源構成の考え方は、当然ですが、現在の総括原価方式に取り込まれています。つまり、電気の原価というのは、実際に発電のために稼働した具体的な施設に関する費用を反映しているのではなく、長期的な視点で最適な電源構成を維持し、電気の安定供給体制を保持するために必要な施設の維持管理に関する費用全体を反映するものです。ですから、建設中の施設、廃棄過程にある施設、稼働停止中の施設に関する費用も、原価です。
今後、エネルギー政策の転換によって、再生可能エネルギーの比重を増やし、原子力発電を縮小に向かわせるならば、それは、大規模な電源構成の変更を意味することとなり、一時的には、施設保有の非効率をもたらすことは避けがたいと思われますが、その追加費用は、当然に、原価になるわけです。
東京電力では、原子力発電所の事故収束と安全対策の強化、休止火力の再開などで、施設費が増加しています。事故により、急激に電源構成が変化し、想定外の事態に陥っているため、いわば、結果的な施設費の非効率を招いているわけですが、それが原価として電気料金に反映することは、当然であると考えられます。また、電源構成には、燃料費等の費用の問題もあります。構成上、火力の比重を高めることが、燃料費の増大を招いているのですが、これも、当然に原価に反映されることになります。
なお、東京電力以外の原子力発電所をもつ全ての電力会社において、電源構成の中の原子力発電の比重を落とすことで結果的に燃料費の増大を招くことと、施設の安全対策に要する費用が増加することとは、共通です。電気料金の値上げは、東京電力だけでなく、他の電力会社でも、合理性をもったものとして、提起されざるを得ないと思われます。枝野経済産業大臣は、12日の記者会見で、この問題に触れ、「当然同じような問題が他の電力会社についてあれば、もし料金の値上げ申請などがあれば、その時点でそれに基づいて判断を私がすることになると思います」と述べています。
事故を起こした原子力発電所の廃炉費用については、どうでしょうか。
普通の老朽化による廃炉費用が原価になることは、間違いありません。事故による廃炉には、二つの特殊な側面があります。第一は、耐用年数がくる前に廃炉にすることで、追加費用がでること、第二は、事故の深刻さに伴う技術的な費用増です。
何となく、第二の部分を原価に入れることには、抵抗がありそうですし、そもそも、数十年という、あまりにも長期にわたる作業であり、技術的にも不明な要素が多いので、費用の見積もり自体が不可能でしょうね。実際、「報告書」は、見込み難いものは見込まないという方針で、試算上は、この費用を見込んでいません。おそらくは、電気料金への転嫁や、東京電力自身の負担ということではなく、政府による負担というかたちで、政治決着させる方向へ行くのではないでしょうか。
第一の耐用年数前の廃棄による費用増は、原子力政策全体の転換の議論の中で、全ての原子力発電所について、縮減の方向へ行くならば、いわば、電源構成の問題ですから、理屈上、原価性がある、ということになるのではないでしょうか。
東京電力の経営合理化により、電気料金の値上げを回避すべきだ、という考え方は、どうでしょうか。
東京電力の経営については、「報告書」は、その冒頭で、「その特有の電力料金システムなどの制度に由来する非効率が明確に存在するということだった。その一方では、高い報酬の支払や高収益から来る不透明な出費及び出資が目立った」と、述べています。この非効率の徹底した洗い出しと、改善余地の検討は、「報告書」の大きな目的のひとつですから、電気料金値上げの検討の基礎となる試算は、かなり踏み込んだ費用削減と不要資産売却を前提としたものになっています。
つまり、「報告書」は、徹底した経営合理化を前提としてもなお、電気料金の値上げが不可避との試算をだしているのです。ですから、ここで、さらに、経営合理化による値上げ回避をいうのは、明らかに無理があります。これから「特別事業計画」の認定へ向けて、更なる合理化余地の検討が行われるとは思いますが、そのような追加的措置によって、多少の値上げ幅の縮小効果はあっても、値上げ自体の回避は、無理だろうということです。
「報告書」も指摘している通り、適切な費用は払うのが当然で、必要な費用までも削減することはできないですし、資産売却も、電気事業に関連していて売却できない資産や、売却することが効率を下げることになるような資産は、売却しないのが合理的です。人件費の大幅な削減などが、一番、国民大衆受けするものでしょうが、過度な削減は、仕事の質や職員の士気に悪影響を与えて、実質的な費用増になりかねないことにも、十分に留意する必要があります。
総括原価方式の下で、電気料金を決めれば、結果として、東京電力は利益を生むことになるはずですが、それは、おかしなことではないでしょうか。
総括原価方式は、適正な利益を生むように電気料金を決める制度ですから、理屈上、東京電力は利益を生みます。「報告書」の試算も、電気料金の引き上げが利益につながるようになっています。このことには、確かに、国民感情として、違和感があるかもしれません。
しかし、二つの重要な論点のあることを考えていただきたい。第一は、東京電力に利益がでるということ、つまり、東京電力の収支が健全に保たれているということ、これが、資金調達を行い得るための基本的条件であるということです。第二は、東京電力の原子力損害賠償について、政府が原子力損害賠償支援機構を通じて行う資金支援は、その全額を政府に弁済することが予定されているのですが、その弁済原資が、利益であるということです。
まず、第一の論点からいきましょう。電気事業の継続のためには、巨額な資金を継続的に調達し続けることが必要です。民間の金融機関からの融資に依存せざるを得ないとしたら、東京電力の財務状況は、融資可能な最低限の条件を満たしていなければいけない。その条件とは、債務超過の回避と、健全な収支状況の維持です。「報告書」の試算は、そのような条件を示すことも、目的だったわけです。
もしも、電気料金の値上げを行わなければ、東京電力は、確実に資金繰り破綻をします。その場合、電気事業の継続は、政府の支援によって行うしかないでしょう。政府支援ではなく、民間の金融機関の支援の下で資金繰りを確保するなら、東京電力を、債務超過に陥らせず、かつ利益がでる体質に維持しておかないといけない。これは、当然ではないでしょうか。
なお、全国銀行協会をはじめ、東京電力に融資をしている金融機関の立場は、このような条件で融資を継続することをもって、利害関係者としての東京電力に対する最大限の協力と考える、というものです。ですが、国民感情として、金融機関の負担としては、あまりに甘い、と感じる人が多いでしょうね。やはり、負担というからには、債権放棄くらいのことがなければ、と思うでしょうね。
次に、賠償資金にかかわる政府支援資金の弁済の問題です。もしも、電気料金を引き上げて、その結果、東京電力に利益がでて、その利益で政府に資金を弁済すれば、結果的には、賠償資金が、電気料金の引き上げによって、調達されることになるのではないか、という疑問がでてくるかもしれません。しかし、理屈はそうではない。理屈は、電気料金を引き上げることではじめて、電気事業の継続が図られ、その結果、適切に経営された電気事業が適正な利潤を生み、その利潤が、政府への弁済を可能にするのだ、という仕組みになっているのです。
そもそも、もしも、東京電力の電気事業が利潤を生まないならば、政府への弁済は不可能でしょう。ということは、結局、東京電力の損害賠償費用は、政府が負担することになって、もっと、おかしなことになる。しかし、国民感情として、そこまで、合理的に考え得るものかどうか、大いに疑問ですね。
要は、政府が、国民感情に安直に迎合することなく、正しい政治判断をできるかどうかですね。
そうです。そして、政府、東京電力、関係金融機関には、正しい主張を、誠意をもって、国民に理解されるように、丁寧に説明していく義務がありますね。
以上
以上の議論は、過去の論考を前提にしたものですから、できましたら、下にある関連論考を合わせてお読みいただけると、幸いです。次回更新は、10月27日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。