オリンパスについては、1990年台に遡る古い時期の投資損失が不適切な処理により先送りされ、その損失が不適切な方法により解消されるという、不適切な経営行動が過去にあったらしいのですが、だからといって、現在のオリンパスの企業価値を論じるときに、過去の不適切性がどれだけの意味をもつのか、という話ですね。
最初に明らかにしておかなければならないのは、オリンパス自身が開示した情報などから判断する限り、現時点で判明しているのは、たかだか、次の事柄であるにすぎないことです。
第一に、オリンパスは、1990年台に遡る古い時期に、有価証券投資等にかかわる損失、即ち、本業ではない投資による損失を抱えており、その損失は会計処理されていなかったこと。ここで会計処理されていない損失というのは、保有有価証券等に関し、時価評価して減損処理するか、あるいは売却して実現損失化すれば、表面化したであろう損失のことであり、要は、簿価を下回る時価との差分、いわゆる含み損のことと解されます。当時の会計基準からすれば、このような損失の先送りは、好ましいことではなかったでしょうが、不適切とまでは、いえなかったと思われます。
第二に、これらの損失は、2001年3月期から金融商品に係る会計基準が導入されることを契機に、含み損にとどめる形での損失処理の先送りができなくなり、減損処理が避けられなくなるとの見通しのもと、何らかの不適切な会計処理により、簿外へ移転するなりの工作が行われたこと。これらの処理は、現時点では詳細が不明ですが、どうみても、不適切なものであったことは間違いないのでしょう。ただし、不正あるいは違法とまでいえるかは、まだはっきりしていないと思われます。
第三に、これらの損失は、時間をかけて小出しに会計処理していくことが予定されていた、と推測されていること。そして、そのための技術的工作として、どうやら、買収時に発生するのれんの償却が利用されたらしいこと。具体的な操作の舞台となったのは、主として、英国のジャイラスと国内の新事業3社の買収であるらしいこと。
この買収にかかわる操作の実態については、もちろん、詳細不明ですが、理屈上は、前段階で簿外等へ移転されていた損失があって、その損失を買収額に含んだ形で簿内へ回収する、つまり買収額(買収に要する費用を含む)を損失分だけ高く設定する、という構造であったことは、間違いないと思われます。故に、ことが明るみにでる発端が、新事業3社については異様に高すぎる買収価格、ジャイラスについては異様に高すぎる買収手数料、ということになったのだと思われるのです。
結局、この操作により、かつて含み損であったものが、のれんに転換されたことになります。のれんであれば、会計年度に分散して小出しに処理できるはずだ、というのが当初の目論見であったと考えられるのです。一連の買収手続き自体には、少なくとも現時点では、明らかな違法性を認めることができないので、不適切な処理であることは間違いないのですが、これも、不正または違法とまでは、いえないような気がします。
第四に、のれんの償却は、当初の目論見に反して、一気に行われたので、結局のところ、現時点のオリンパスは、過去の損失処理を完了しているらしいこと。これは、実に馬鹿げた帰結ですね。10年もかけた大規模な操作だったのに、のれんの償却を一気に行ってしまったのでは、何の意味もなかったことになります。
なお、念のためですが、オリンパスは、この巨額なのれん償却以外にも、過去10年間に投資関係損失を細かく小分けに計上していて、1990年台に形成された損失を先送ったうえで、2000年台を通じて処理していくという、当初の目的は実現しているのです。それなりに上手に(といういい方に、相当の語弊があるならば、外見を装うための馬鹿馬鹿しく迂遠な方法を用いて、といってもいいです)、損失の処理を終えた、ということです。
結局、今思えば、オリンパスのやったことは、無意味な茶番というか、実体的には意味のない表面的な操作であったように思われます。もしもそうなら、過去のオリンパスにいけないところがあったにしても、少なくとも現時点で評価するならば、一体、今のオリンパスのどこがいけないのか、ということになるのです。
過去に不適切な会計処理があったのは事実としても、その不適切な処理を更生して適切な処理に直してしまえば、損失の発生時期と発生事由が修正になるだけで、通算したときの実体面での問題は大きくなかろう、ということですね。
そう思います。実際、治癒済みの不適切処理ということで、現時点から評価したときには、重大な問題とする実益に乏しいのではないか、むしろ不必要に厳格な対応をとることの社会的費用のほうが大きいのではないか、というような方向へ傾くとの観測も流れているようですね。しかし、そういえるためには、少なくとも四つの決定的に重要な条件を充足していることが必要だと思われます。
第一が、一連の会計的な操作に、違法性の著しく強い取引を含んでいなかったこと。会計処理の違法性ということよりも、その処理の裏にあったはずの実際の取引に関する重大な違法性の有無、ということです。
第二が、オリンパスの外部への過大な資金の流出がなかったということ。あくまでも会計処理の問題であって、操作に伴うオリンパス自身の経済的損失が軽微であった、ということです。
第三が、買収の動機が損失処理と独立しており、オリンパスの本来の事業計画にそったものであったこと。つまり、買収事案が先にあって、たまたま損失処理に利用されただけであり、決して損失処理のために買収が計画されたのではない、ということです。
第四が、ジャイラスと新事業3社の買収以外にも、会計処理の道具とされた取引があった可能性があるので、そのような取引の中に、規模が大きいもの、あるいは違法性の強いもの、などが新たにでてこないことです。
いずれについても、現時点では、確かなことはいえません。今後、重大な疑惑が浮上しないとも限らないのですが、ここから先の議論は、情報がない中での憶測になってしまいますね。今は、オリンパスが設置した「第三者委員会」の調査結果なり、当局の出方なりを、待つしかない。
そこを敢えて憶測するとして、外部への資金流出はなかった、といえるでしょうか。
それは、間違いなく、外部資金流出はあったのでしょう。これほど大掛かりな操作をしたのですから、複雑な資金の流れが生じたのは当然で、その流れの全てが、オリンパスの支配下にある法人ないしファンドを、僅かな費用のもとで、通過したのでない限り、相当な経費が発生したと考えられます。その費用が、外部への資金流出になるはずです。
例えば、ジャイラス買収に関連してオリンパスが助言会社に支払ったとされる巨額な報酬ですが、その報酬の大半が、実は報酬ではなくて、オリンパスがもっていた別な場所で生じた損失の填補であった、ということのようではあるのですが、そうはいっても、このような、いわば「汚い仕事」をさせた対価としての、かなり高額な報酬を含んでいたことも、間違いないでしょう。
また、ジャイラス買収に関連した一連の資金の流れの中に、違法な取引を含んでいなかったかどうかは、興味ある点ですね。もしかすると、税金面でも、疑義がでるかもしれません。
新事業3社についても、3社が、それぞれ、3名の第三者株主をもっていて、オリンパスが、非常に高い株価で、その外部株主から株式を取得していることが、問題ですね。この点については、前回の論考でも触れましたが、これら第三者株主が、本当に外部の株主であれば、買収金額の相当な部分が、「汚い仕事」に関する事実上の手数料として、外部流出してしまった可能性が高い。もしも、単なる会計処理に関する操作であったのならば、第三者株主とはいっても、実際には、オリンパスの支配下のファンドなり法人なりであったのでしょうから、外部資金流出は、最小限にとどまったのでしょう。さて、どうだったのか。
もちろん、新事業3社に関する取引に違法性の要素があった可能性も、完全には否定できません。また、ジャイラスと新事業3社の買収以外にも、操作が行われていた可能性があるのですが、そこでも、外部資金流出や違法性の可能性は残るのでしょう。
なお、外部資金流出の問題は、程度の問題です。資金が全く外部へ流出しなかったとも思われず、また、金額にかかわらず資金流出自体が不適切とも思われるので、要は、社会通念に照らして不当に大きな金額が流出したのかどうか、違法性の強い資金が流出したのかどうか、流出先に反社会的勢力等を含んでいなかったのかどうか、などが問題となるのでしょう。
買収の目的については、どうでしょうか。ジャイラスはともかく、新事業3社は、オリンパスの既存事業との連関が、かなり薄いようですが。
その点は、前回の論考でも、オリンパスによるアイ・ティー・エックスの買収を引き合いにだして、検討しました。結論を繰り返せば、「内視鏡、カメラ、顕微鏡に次ぐ「新事業創生」は、オリンパスの長年の悲願」という経営方針までをも否定することは、到底、できないということです。
オリンパスの出資により設立され、新事業3社の買収に利用されることになる300億円ファンドにしても、その目的が、会計処理の操作のためだけであったとは、やはり、思えないのです。そこには、オリンパスの「悲願」も、込められていたのではないでしょうか。
仮に、買収の意図が、「悲願」の実現ではなくて、単なる会計操作目的だったとしても、そのことを証明するような証拠、即ち、「悲願」自体が嘘であったことを裏付けるような証拠は、おそらくは、でてこないと思われます。しかも、私は、どちらかといえば、オリンパス経営者の「悲願」までをも疑う気には、なれないのですが。
もしも、オリンパスの問題が、現時点では解消している過去のことにすぎず、しかも、経営の実体に大きな影響を与えることのない会計上の形式的操作にすぎなかったとしたら、将来へ向かってのオリンパスの企業価値には直接的な関係がなく、故に、株価が大幅に下落する理由はない、あるいは、現に株価が大暴落したならば、それは極端に割安な状況なのではないか、となりませんかね。
そうなると思うのですよね。その問題意識が、オリンパスに関する論考を書く契機となっているのです。もしかすると、今のオリンパスは滅多にないような究極の割安状況かもしれない、と直感したのです。
一般に、いい会社の株価は安くならない。株価が安くなるときは、何かの「事件」のあったときである場合が多い。その「事件」の中身を解析し、企業価値に重大な影響がないことについて確信をもてるときに、安い株価で投資することが、割安株運用という投資手法の原型です。今のオリンパスは、株価の下落率が極端に大きいこともあり、典型的な割安状況として、非常に魅力のある機会を提供している可能性がある。
ということで、この論考の表題も、最初は、「オリンパスは割安だ!」にしようかとも思いましたが、これまで述べてきたように、「確信」を形成するには、まだまだ、材料不足のように思われます。加えて、本質的な問題として、オリンパスの経営改革の成否と、上場廃止の可能性という、二つの重大な不確実性が残るわけです。
経営改革というのは、今回の事件にみられるような社会常識に逸脱した行為を抑止できない経営の構造欠陥の除去でしょうか。
そのようなことは、問題以前の最低限の改革です。そのような自明のことではなくて、決定的に重要なことは、多角化の「悲願」を掲げ続けてきた経営方針の妥当性の再検討です。
今、世界の多くの投資家や企業が、オリンパスに注目していると思います。それは、ここで上手に振舞えば、オリンパスが世界に誇る内視鏡事業、あの圧倒的な競争力で独占的地位を築いている内視鏡事業を、著しく低い価格で手に入れることができるかもしれない、と思っているからです。おそらくは、現在のオリンパスの時価総額は、内視鏡事業の単独の事業価値を下回るのではないでしょうか。
これまでのオリンパスの経営では、収益性や成長性において見劣りする他の事業を維持し、さらには拡大しようとすることで、中核の内視鏡事業の価値の希薄化させてきた可能性を否定できない。これを機に、事業再編を実行できるのかどうかに、関心が集まっているのではないでしょうか。その意味での経営改革は、オリンパス自身の自力の自己改革でもいいし、経営主体が変動することによる他力の改革でもいいわけです。
なお、2009年8月に、オリンパスは、分析器事業を米国のベックマン・コールターに売却し、477億円もの事業譲渡益を計上しています。これが、一連の損失計上の穴埋め目的なのか、戦略的事業整理なのか、一方での多角化とどのような関係にあるのか、私は、少し関心をもっています。
経営主体を変動させるならば、むしろ、上場廃止のほうがいい、という気がしますね。
上場を継続するならば、オリンパス自身の手による経営改革が、どうしても必要です。経営に信頼がもてないならば、むしろ、上場廃止を契機とした外部的力による改革のほうが、望ましいのかもしれない。ただし、上場廃止となるのならば、その過程のどこかで、大株主として主導権を握る必要がでてくる。それには、どうしたらいいのか。おそらく、世界の多くの人が、そこの知恵を絞っているのでしょう。
一方、少数株主としての地位のまま上場廃止になるのは、少し困りものですね。ということで、上場廃止の可能性を嫌って、売却する投資家が多い。しかし、価値よりも著しく低い価格で売却するのだとすると、それも問題だと思うのですが。これは難しい問題ですね。
最後に、オリンパスは不正を犯したのでしょうか。
何度も申しましたように、現時点では、オリンパスの不正ないし違法な行動を証明するものはありません。過去に不適切な会計処理のあったことは、どうやら間違いないらしいですが、それを不正または違法とまでいえるかについては、現時点では、確かではありません。
もともとの発端が、ウッドフォード社長の解任から始まり、同氏がオリンパスの不正を暴くような積極的な言動を展開したこともあり、報道のあり方に偏りがあるように思えますが、同氏の主張はあくまでも個人的見解にすぎず、何ら客観的に証明されたものではないのです。
例えば、オリンパスが、2009年5月12日に、先ほど述べた巨額なのれん償却を発表し、直後の5月25日に、会計監査人の変更を発表していることについても、二つのことに関係があるかのように報道することは、事実に基づかない憶測だと思います。
不正があったかどうかは、オリンパスの設置した「第三者委員会」の調査結果や、当局の調査をまって、そのうえで判断すべきことです。
最後に、11月9日に日本経済新聞が報じた、元のオリンパス社長であった下山敏郎氏との会見記事は、おもしろかった。下山氏は、「従業員がかわいそうだ」、「このままでは社員に申し訳ない」、といっておられます。株主のことよりも従業員のことが先にくる、「ものづくりの心」をもった「堅くて地味な会社」の「軍人上がりで、不正は大嫌い」な社長であられたのです。私は、下山氏のオリンパスも、今のオリンパスも、文化的背景は同じオリンパスだと思いますが。
以上
以上の議論は、過去の論考を前提にしたものですから、できましたら、下にある関連論考を合わせてお読みいただけると、幸いです。次回更新は、11月24日(木)になります。
≪オリンパス関連≫
2011/12/15掲載「オリンパスが好きです」(最新コラム)
2011/12/08掲載「オリンパスの第三者委員会調査報告書」
2011/12/01掲載「オリンパスの株価が下がった理由」
2011/11/24掲載「オリンパス問題の深層 」
2011/11/10掲載「オリンパスの悲願と裏の闇」
≪ 東京電力特集最新版≫
2012/03/01掲載「東京電力の不徳のいたすところか」(最新コラム)
2012/02/23掲載「東京電力の無過失無限責任と社会的公正」
2012/02/16掲載「東京電力の責任よりも先に政府の責任を問うべきだ」
2012/02/09掲載「政府の第一義的責任のなかでの東京電力の責任」
2012/02/02掲載「東京電力の責任が政府の責任より大きいはずはないのだ」
2012/01/26掲載「東京電力の株式の価値」
2012/01/19掲載「東京電力を免責にすると国民負担は増えるのか 」
2012/01/12掲載「東京電力免責論の誤解を解く 」
2012/01/05掲載「東京電力の免責を否定した政治の力と法の正義」
2011/11/04掲載「東京電力に対する債権が不良債権にならないわけ」
≪ JR三島会社関連≫
2011/10/06掲載「JR三島会社の経営安定基金のからくり」
2009/07/23掲載「JR三島会社の経営安定基金と大学財団」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。