深層というのは、真相の誤植ではなくて、「奥深く隠れた部分」(岩波国語辞典)のことですよね。なにしろ、ことの真相は、オリンパスが設置した第三者委員会の調査報告を待って、そこからやっと解明に着手されるという状況ですものね。
そうです。真相ではなくて、深層です。深層とは、もちろん第一に、オリンパス自体の深層のことであり、非常に長い間オリンパスという企業に奥深く隠れていた何か、を意味するのですが、それだけではなくて、敢えてオリンパス問題の深層としたのは、一連の事象が、オリンパスという一企業に固有のことではなくて、社会的に一般性な論点に関する多くの重要な含意をもつと考えたからです。
では最初に、問題の見取り図から、お願いします。
大きく四つの論点があるのではないかと思います。
第一は、事件の背後にある多角化という経営の志向性です。これまでの論考(本論の末尾に掲載していますので、ぜひご参照ください)で問題としてきたのは、オリンパスが「悲願」として掲げてきた多角化の妥当性です。世界的に圧倒的な競争力を誇る内視鏡を中核とした医療関連事業をもちながら、その事業からあがる収益を多角化事業のために投資していくということが、どうしたら正当な経営行動として是認されるのか、という問題です。つまり、オリンパスの事業の多角化とは、中核事業の価値の希薄化に過ぎないのではないか、という疑念です。
この多角化の是非は、オリンパスに限らず、企業経営一般について重要な意味をもちます。特に日本企業の多くについて、不採算な多角化部門の整理の遅れは、深刻な経営課題となっていないでしょうか。
第二は、過去にオリンパスが行ったとされる不適切な経理処理等が、オリンパスの実体的な企業価値を毀損するものなのかどうか、という論点です。これは、似たような事案について、必ず生起する判断の難しい問題です。
例えば、大王製紙の問題を考えてください。もしも、前会長の特別背任罪が成立したとしても、そのことによる大王製紙の損失は限定的なものであり、将来に向かっての企業価値を毀損するものとは考えにくいでしょう。実際、事件が明るみにでてからの株価推移をみても、上場廃止の可能性が懸念されたときの一時的な急落を除けば、株価は安定している。つまり、市場は、冷静にも、企業価値の毀損を認めていないのです。
もしも、オリンパスの行ったことが、純粋に不適切な経理処理にすぎなかったとしたら、つまり、有価証券投資に起因する損失の減損処理を回避するために、買収事案に絡めて、のれんを過大に計上することで、損失計上の名目と時期を操作したにすぎないとしたら、オリンパスの企業価値に与える実体的影響が大きいとは、考えにくいのではないでしょうか。
仮に、その操作の過程に違法な処理等があったとしても、実体として、オリンパス外部への資金流出が操作に要する費用程度のものであれば、大王製紙の事案と大差ないものになるのではないでしょうか。それなのに、株価への反応が全く異なるのはなぜでしょうか。オリンパスの株価の下落率が非常に大きいのは、なぜでしょうか。
第三は、企業価値は上場廃止によって変化し得るのか、という問題です。つまり、上場か非上場か、というような形式的要件が企業価値に影響を与え得るのか、ということです。もちろん、株式を使った資金調達や、合併買収における展開力などを考慮すれば、上場していることの実体的な有利さは無視できない。しかし、原理的には、企業価値を大きく左右するほどの差は、生じ得ないのではないでしょうか。
一方で、株価は別問題です。株価というのは、上場を前提に、売買が可能であることを前提に、形成されているので、上場廃止は株価の下落要因になる。つまり、上場企業の株価の中には、売買可能性という価値、流動性という価値が、内包されているのです。上場廃止により、その価値がなくなるので、株価は下落する。これは、避けがたいでしょう。
しかし、株価は実体的な企業価値を反映しているので、流動性の価値が、企業価値に対する関係で、著しく大きなものになるとは、理論的には考えられない。では、理論的に、株価の内のどの程度が、流動性の価値なのでしょうか。つまり、上場廃止ということが、株主にどの程度の損失を与えるのでしょうか。
現実的な問題として、オリンパスの株価の下落幅の大きさは、上場廃止の可能性が小さくないことも反映しているのだと思いますが、一方で、大きく下落した株価で時価総額を計算すれば、非公開企業としてのオリンパスの企業価値を評価したときの価額を、下回ってしまうのだと思われるのです。これは、おかしくないでしょうか。
第四は、報道のあり方です。報道では、オリンパスが不正を犯したことになってしまっています。しかし、オリンパス自身は、不適切な処理のあったことは認めていますが、不正行為や違法行為の存在を認めてはいません。事態の調査にあたっている第三者委員会も、これまでのところ、不正行為や違法行為の存在を公表していません。なのに、なぜ、不正を犯したという報道になるのか。
私は、東京電力に関して厖大な量の論考を書きましたが、そこでも、東京電力をめぐる報道の偏向を批判してきました。大衆迎合的な、一方的な東京電力悪者論は、報道のあり方として、いかにも低級で不適切です。同様に、オリンパス問題の報道にも、偏向があるような気がします。まさか、解任された前社長のいうことは正しくて、解任した側の経営陣のいうことは疑わしい、ということにはならないはずでしょう。
報道とは、第一義的に、冷静な事実の報道でなくてはならない。特に、上場企業にかかわる報道については、それが、株価形成に大きな影響をもつ可能性があるだけに、強く節度が求められるのだと思いますけれども。
確かに、いずれも、オリンパスという一企業の問題を超えた重要な論点ですね。ところで、多角化と企業価値をめぐる論点は、企業統治の問題として、一つに括り直せませんか。
そうですね、確かに、企業統治の問題です。実際、オリンパス問題は、企業統治の欠陥として、論じられているようですね。大王製紙もそうです。しかし、企業統治論というような大きな括りで問題を論じると、かえって問題の本質がみえなくなると思ったので、敢えて、具体的に、多角化と、企業価値に影響を与えない経営の問題行動、この二つに重点をおいてみました。
多角化の論点というのは、複数事業間の経営資源配置という経営機能の欠陥の問題ですね。
そうです。オリンパスについていえば、多角化の論点というのは、オリンパスの内視鏡事業は超優良事業だが、オリンパスという企業は、必ずしも、優良ではないのではないか、ましてや、オリンパスの経営は程度が低いのではないか、ということです。
オリンパスほどの経営規模になれば、経営は重層的になるでしょう。内視鏡事業は、経営的にみれば、一つの事業部門にすぎない。内視鏡事業の内部が適切に管理され、高度な収益性を維持してきたことは、あくまでも一事業部の成果であって、オリンパスの頂点にある経営の成果ではないと思います。
オリンパスの経営の課題は、内視鏡事業の価値を希薄化することなく、他事業との結合において、複数事業を統合したときの全体最適を実現することです。内視鏡事業の中における個別最適は、経営の問題ではなくて、一つ階層が下のところでの課題です。さて、そのような意味で、オリンパスの経営は付加価値を生んできたのかといえば、答えは否定的に傾かざるを得ないようです。私のみるところ、オリンパスの経営陣のやってきたことは、結果として、内視鏡事業の価値の希薄化にすぎなかった。ここが、オリンパス問題の深層の基底にある根本的論点です。
不適切な経理処理の舞台となったのが、多角化を目的とした買収事案であったことは、極めて象徴的です。しかも、その原因を作ったのが、やはり、本業とは関係のない有価証券投資だったことも見逃せない。要は、本件は、本業外の損失を本業外の買収を借りて償却したような格好になっているのです。
オリンパスに固有の問題性は、経理処理の不適切性にあるのです。しかし、より本質的な多角化という名前のもとに行われる経営行動の欠陥は、決して、オリンパスに固有のことではない。多くの企業統治の欠陥を論じる人が、オリンパス固有の問題行動を論じるのみで、その背後にある一般的な経営の難点を正面から論じないとしたら、問題の矮小化による隠蔽になってしまわないでしょうか。
オリンパスを批判する他の企業の経営者は、自己の経営において、多角化という名前のもとに行われることの合理性と成果を証明できているのでしょうか。本当の意味における選択と集中ができているのでしょうか。
私は、オリンパス問題をもっと大きな視点でとらえてほしいと思います。オリンパスを不適切な経理処理に走らせたのは、より根源的には、漫然たる多角化経営を改革できなかった経営のあり方に起因するのでしょう。だとしたら、その深層にある問題は、オリンパスに固有ではなくて、日本企業全体に広くみられる問題だと思われるのです。
なお、オリンパスの中核事業が医療関連事業であることは、企業の社会的責任という視点からも、重要な課題を提供している可能性があります。オリンパスの収益は、社会性の高い医療事業に関連して創出されているのです。それを、漫然と多角化事業に投資してよいのか、むしろ、医療関連事業に再投資するべきではないのか、医療関連事業の高収益性は適正利潤に裏打ちされているのか、製品価格設定が高すぎないのか、といった疑念がでてこないとも限らないということです。
企業価値に影響を与えない経営の問題行動というのは、興味深い論点ですよね。要は、経営者は最低でも、企業としては優良、というような場合ですよね。
大王製紙は、そうかもしれませんね。確かに、企業としては、お粗末ですよね。経営者の資質も低そうです。ですが、大王製紙の製紙事業は、十分に価値の高いものであるようですね。しかも、大王製紙の場合は、製紙専業です。ということは、大王製紙の製紙事業は、経営者を必要としないくらい、よくできているということかもしれません。
企業価値は、原理的に、事業価値なのです。特定事業への集中を行えば、事業構成の最適化を図るという意味での経営の付加価値はなくなる。オリンパスの内視鏡事業といい、大王製紙の製紙事業といい、特定事業の経営はよくできている。しかし、企業の経営はできていない。さて、企業統治論的に日本の企業経営をみたとき、これは、悩ましい問題ではないでしょうか。おそらくは、事業経営がよくできていることが、逆に、企業経営の能力を育てないのだ、とも思われるからです。
実際、オリンパスの場合、企業経営の欠陥は、内視鏡事業が超優良事業であったからこそ、抜本的改革が行われないで温存されてきたのです。大王製紙も、製紙事業がよいから、創業者一族の支配が可能だったのです。さて、こういう場合は、内在的な改革のきっかけは、どうしたら生まれてくるというのでしょうか。
しかし、経営の問題行動が、事業価値を毀損してしまうこともあり得ますよね。オリンパスの株価の下落率が非常に大きいのは、そうした可能性も反映しているからではないでしょうか。
そうかもしれません。消費関連事業などの場合は、売り上げに響くこともあるでしょう。しかし、より大きな影響が懸念されるのは、資金調達面だと思います。オリンパスの場合、損失を実現したことが、自己資本比率の急低下につながっています。しかも、有利子負債の額が大きい。銀行の対応も難しくなるかもしれず、社債の格付けも下がる、ましてや上場廃止になれば、財務面の問題は、一段と深刻化するかもしれない、というような懸念が大きいのでしょう。
特に問題となるのは、オリンパスの事案における違法性や反社会性の有無です。もしも、何か著しく反社会的な事実がでてきたら、銀行としては、融資に慎重にならざるを得ないと思われるのです。現状、この懸念が完全には払拭されていないことが、株価にも反映しているのでしょう。
上場廃止に伴う株価の下落と、そのことに起因する株主の損害は、難しい問題ですね。オリンパスの場合、上場廃止になったとしたら、企業価値に大きな変動がない中で、つまり実質的な企業価値の毀損がない中で、株主に損失が発生すると考えられるので、その株主の損失の原因をどこに帰すべきか、哲学的に難しいですね。
西武鉄道の事件を想起します。株主名簿の不適切な記載が西武鉄道の企業価値を毀損するものとは考えられないのに、事実は、上場廃止に伴う大幅な株価の下落で、株主は損失を蒙りました。そして、一部の株主からは、その損害に関する損害賠償請求の訴訟が起こされています。オリンパスが上場廃止になれば、同様のことになるのでしょう。
ですから、ここで改めて西武鉄道問題を振り返ることは、非常に有益だと思うのです。もっとも、これは、非常に大きな問題であって、到底、今回の紙幅の中では尽くせないので、次回に譲ろうとは思うのですが、全体の見通しだけは、オリンパスとの関係で、整理しておこうと思います。
第一の論点が、前述した上場していることの流動性の価値の見積もりです。理論的には、上場廃止によって失われるのは、企業価値の変動がない場合には、その流動性の価値だけだからです。その視点からは、オリンパスの株価下落率は、大きすぎる。
そこで、第二の論点として、実体的影響がでてくる。つまり、単に上場廃止だけが問題なのではなくて、資金調達面等での実体的影響も大きかろうということです。株価下落の基礎的理由が、不適切な経理処理自体にあるのか、その発表にあるのか、その結果としての上場廃止にあるのか、それらの複合効果としての実体的な経営への影響にあるのか、ということです。オリンパスの場合、上場廃止にならなくても、大幅に下落した株価は回復しないかもしれないので、他の理由が問題となるのでしょう。
第三の論点は、株式を保有していたこと自体が損失だ、という理論です。つまり、事後的に明らかになった不適切な経理処理が最初から明らかであれば、株式の取得自体が行われなかったと考えられるので、不適切に処理された財務諸表を信じて株式を取得したこと自体が損失である、という考え方です。さて、改めて、この考え方をオリンパスに適用したらどうなるか。
第四の論点が、損害額の認定です。西武鉄道の裁判でも、ここが焦点になっているわけです。上場廃止にならなかったとしたら、株価は急反発するかもしれず。また、買収でもされれば、やはり急反発するかもしれない。いずれにしても、大きな振幅の中で株価が動く可能性がある。つまり、投資家の行動が、損失額を大きく左右する。そのときの損失は、そもそもが、他の誰かの責めに帰すべき損失なのでしょうか。
以上のようなことを、次回は、検討してみたいと思います。
以上
以上の議論は、過去の論考を前提にしたものですから、できましたら、下にある関連論考を合わせてお読みいただけると、幸いです。次回更新は、12月1日(木)になります。
≪オリンパス関連≫
2011/12/15掲載「オリンパスが好きです」(最新コラム)
2011/12/08掲載「オリンパスの第三者委員会調査報告書」
2011/12/01掲載「オリンパスの株価が下がった理由」
2011/11/17掲載「オリンパスのどこがいけないのか」
2011/11/10掲載「オリンパスの悲願と裏の闇」
≪ 東京電力特集最新版≫
2012/03/01掲載「東京電力の不徳のいたすところか」(最新コラム)
2012/02/23掲載「東京電力の無過失無限責任と社会的公正」
2012/02/16掲載「東京電力の責任よりも先に政府の責任を問うべきだ」
2012/02/09掲載「政府の第一義的責任のなかでの東京電力の責任」
2012/02/02掲載「東京電力の責任が政府の責任より大きいはずはないのだ」
2012/01/26掲載「東京電力の株式の価値」
2012/01/19掲載「東京電力を免責にすると国民負担は増えるのか」
2012/01/12掲載「東京電力免責論の誤解を解く 」
2012/01/05掲載「東京電力の免責を否定した政治の力と法の正義」
2011/12/22掲載「東京電力の国有化と解体」
≪ JR三島会社関連≫
2011/10/06掲載「JR三島会社の経営安定基金のからくり」
2009/07/23掲載「JR三島会社の経営安定基金と大学財団」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。