表題は、ずばり、厚生労働省年金局におかれた「厚生年金基金等の資産運用・財政運営に関する有識者会議」が、その「有識者」の方に投げかけた「ご議論いただきたい主な論点」のなかの一つですね。
今、厚生年金基金のなかでは、怒りの爆発というか、憤懣やるかたなき抗議の炸裂というか、とにかく、非難囂々の大騒ぎが起きています。
誰に対する何についての非難でしょうか。
その有識者の一人であられる企業年金連合会常務理事・運用執行理事の濱口大輔氏に対して、濱口氏が4月24日開催の第二回有識者会議で行った提言の内容に関して、です。
特に問題視されているのは、冒頭で、濱口氏が、現状認識として、AIJ事件により厚生年金基金への信頼は失墜したとしたうえで、その信頼を回復するには、「小手先の対応では不充分で、基金の実務体制の変更にまで踏み込んだ対策が必要」としたことです。氏は、具体的に、その「実務体制の変更」を提言されるのですが、その内容が、甚だ刺激的というか、相当数の厚生年金基金関係者には侮辱的にみえるものだったのです。
その内容にいく前に、基金関係者の心情を著しく傷つけた箇所にも触れておきましょう。それは、氏が現状認識として挙げられた第二の点です。その全文を引用します。「事情を知らなかった一般の加入者・受給者は、他人の貴重な年金財産を運用するという、最も規律が求められる職業に、必ずしも経験者・専門家ではない者が就いていた事例があることに驚き、憤りを覚えている。」
確かに、主語は厚生年金基金の加入員と受給者になっていますが、「憤りを覚えている」のは、濱口氏自身であるようにも受けとれる、といいますか、濱口氏自身の見解ととられても仕方ないように思えます。
仮に濱口氏の意見だとして、普通の人からすれば、至極当然の意見ではないでしょうか。それに異を唱える「必ずしも経験者・専門家ではない」基金関係者のほうが、よほどおかしいのでは。
事情をよく知らない普通の人は、そのように考えるでしょう。そこが問題だということです。厚生年金基金には長い歴史があるし、各基金には、それぞれの独自の背景や組織や個性がある。その長い歴史と基金間の差を一切捨象して発言すれば、事情を知らない人(あまりにも専門性の高い分野だけに、詳しく知る人は関係者中心に極々少数です)には、とんでもない誤解を与えることになる。
加えて、厚生年金基金の資産運用が、「必ずしも経験者・専門家ではない」基金関係者によって、その方々の長年の地道な努力の結果として発展を遂げてきたという歴史的な事実からすれば、濱口氏の発言は、過去の多くの方々の功績に対する冒涜であり、侮辱にもなりかねないのです。
私は、厚生年金基金の資産運用の自由化が始まった1990年から業界にいます。もう22年になります。その間に、多くの厚生年金基金の方々と共に仕事をしてきました。その方々のほとんど全ては、「必ずしも経験者・専門家ではない」方でした。しかし、私は、私の実体験から、歴史の証人としての誇りと信念をもって、断言します。これらの素晴らしい方々の真剣な努力により、経験者でも専門家でもないがゆえにこそ努力して自分の頭で考え工夫してきた結果として、現在の水準にまで年金資産運用が発展してきたのであると。ゆえに、基金関係者に対する侮辱を、私は、私の職業人としての人格に対する誹謗中傷と同じものとして、受けとります。
濱口氏が提言した「実務体制の変更」とは、どのようなものでしょうか。
結論として提言されているのは、「厚生年金基金の運用執行理事には、運用経験者の配置を原則義務付ける」というものです。具体的に、「運用経験者」とは、「証券アナリスト資格(又は同等の資格)の保有者で、かつ少なくとも5年、出来れば10年以上の運用実務経験を有する者」とされています。
問題は、このような提言の背景にある濱口氏の独自の思想です。氏は、「日本の年金業界(だけ)で時々云われる、「運用」と「運用管理」は違う、という考え方はもはや妥当ではない」とされます。そのうえで、「現在求められる「運用管理」能力は、「運用」能力と切り離せない、むしろそれを基礎にした高度な応用能力ではないか」と問題提起されるわけです。
では、「運用」と「運用管理」との違いは何か、ということですが、氏は、「運用」とは、「経済・金融・証券市場を理解し、投資理論を理解し、株式・債券・為替などへ投資する業務、さらには資産配分を決めていく業務(ファンドマネジャー、ポートフォリオマネジャー、アナリストなど)」とされ、「運用管理」とは、「資産配分を決め、運用受託機関を選定・評価する業務」とされるわけです。
おかしな論理ですね。制度の仕組み上、厚生年金基金の運用執行理事は、「資産配分を決め、運用受託機関を選定・評価する業務」を専管する役割であって、実際の「運用」は、外部の運用機関が行うことになっている。そこに、「実務体制の変更」など、理屈上、あり得ないようですが。
そのとおりであって、濱口氏の議論には理解し難き点があります。
第一は、「日本の年金業界(だけ)」の括弧の「だけ」の意味です。「運用管理」を独立した責任範囲として認識するのは、日本のなかでも年金業界だけの特殊な例で、他の機関投資家(一体、年金基金以外に、どのような投資家の類型を考え得るのか、わかりませんが)では、そのようなことはない、という意味でしょうか。それとも、海外の年金基金と日本の年金基金との違いを意味しているのでしょうか。
いずれにしても、資産運用の責任領域を、外部の運用会社に委託する投資家自身の「運用管理」の機能と、投資家から委託を受けて特定領域での個別運用に従事する運用会社の「運用」の機能とに分割することは、年金基金だろうが大学財団だろうが、日本だろうが米国だろうが、一般的なことであると思われるのです。
第二に、私には、「運用」と「運用管理」を分けるからこそ、合理的な責任配賦が可能になり、社会(最終的受益者)に対して投資家と運用会社が連帯して責任を負えるのだと思われるのです。さらには、「運用」と「運用管理」とで視点が違い立場が違うからこそ、相互牽制が機能し、専門馬鹿的な視野狭窄(これこそが投資にとっての危険なのです)を回避できるのではないでしょうか。少なくとも、全体の制度設計は、そのような思想に立脚しているはずです。
ゆえに、第三の論点ですが、なぜ、濱口氏は、「運用」と「運用管理」とに、同等の経験と視点と知識を要求されるのか、私には理解し難い。もっとも、氏は、「運用管理」は「運用」の「高度な応用」とされているようなので、「応用」というところに、視点の差を求めているのかもしれませんが。
だとすると、第四の論点ですが、委託者である年金基金のほうに、受託者である運用会社よりも、「高度な応用」が可能なほどに、より高い「運用」の能力を求めることになってしまう。それでは、外部の専門家に運用委託することの意味を覆す、とんでもなく理不尽な帰結になってしまう。
要は、「運用管理」の責任を全うするのに必要な資質は何か、ということであり、それが有識者会議へ付託された審議事項だと思うのですが、濱口氏は、それに対して、「運用の高度な応用能力」と答えられた。ところが、それでは、「実務体制の変更」どころか、根本的な厚生年金基金の資産運用の仕組みの否定になりかねない、ということですね。
否定にまで踏み込んでしまっていますね。濱口氏は、厚生年金基金の運用執行理事に「運用経験者」を起用できない基金は、「運用コンサルタントを採用するか、もしくは積立金の運用すべてを企業年金連合会に委託する」などという、奇怪な提言をされています。要は、能力のない人は、外部の専門家の意見に従順に従うか、濱口氏が常務理事・運用執行理事を務める企業年金連合会に全てを任せろという、無礼というか、厚生年金基金の独立法人格を全否定する強権的押し付けというか、傲慢というか、とにかく、表現し難い暴論を展開されているわけです。
さきほど宣言しましたように、私は、厚生年金基金に対する侮辱を、私の職業人としての人格に対する誹謗中傷と同じものとして受けとるのだから、ここは黙っていられません。
まあ、あまり怒ると議論が乱れますよ。では、冷静に考えて、厚生年金基金の運用執行理事に求められる「運用管理」の職責と、その職責を全うするのに必要な資質とは、何でしょうか。
「必ずしも経験者・専門家ではない」人にもできる機能、「必ずしも経験者・専門家ではない」人だからこそできる機能が、職責として求められているのだと思います。その職責を果たすのに必要な資質は、おそらくは、企業や官庁などの社会組織のなかの幹部職経験者なら通常は備えているはずの判断能力・経験・教養・対話能力・知識、それに加えて、資産運用にかかわる基本事項を学習し短期間に習得できるだけの知的向上心と日々怠りなき勉励研鑽、職責に忠実である誠実さ、以上に尽きるでしょう。
「必ずしも経験者・専門家ではない」人だからこそできる機能とは、具体的に何でしょうか。
濱口氏の意見のなかで、私が真っ向から反対せざるを得ないのは、氏が、「「運用」経験の無い「運用管理」が陥り易い傾向」として挙げられたものです。あまりにもおかしいので、その全部を以下に列挙しておきましょう。
・ アカデミックで非現実的な投資理論の盲信
・ 過去データ、シミュレーションに依存した投資モデルへの過剰な期待
・ プロセス重視、説明重視の結果としての横並び
・ クオリティバイアス、ネーム偏重、実績偏重
・ 短期的にでも損失を回避したがる傾向
・ 予測が当たる、相場を当てることへの過剰な期待
・ 運用では解決出来ない(必要利回りが達成出来ない)可能性があることの認識不足
・ 想定外への準備不足
これらの諸点が、資産運用にとって危険なものであり、これらを回避することが資産運用にとって重要であることについては、私は濱口氏に同意します。しかし、これらは、「「運用」経験の無い「運用管理」が陥り易い傾向」ではなくて、全く逆に、「運用管理」の社会常識的な視点を欠いた「運用」が陥り易い傾向です。
濱口氏の挙げた上の論点をよくみてください。いずれも、生半可な専門家気取りの人間だけが陥る弊害であることは、自明でしょう。一体、どの常識人が、「アカデミックで非現実的な投資理論の盲信」などするのですか。そのような大馬鹿ものは、ことごとく、「運用」の世界にいる中途半端な自称専門家です。「必ずしも経験者・専門家ではない」人だからこそ、濱口氏の挙げた弊害を回避できるのです。
以上
次回更新は5月17日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。