消費者庁におかれた「東京電力の家庭用電気料金値上げ認可申請に関するチェックポイント検討チーム」は、6月28日に、「チェックポイント(詳細版)」を公表しました。このなかで、東京電力の社員の年収について、「少なくとも30%程度削減しているか」ということが、チェックポイントとしてあげられています。はたして、このような大幅な削減要求は、妥当なものなのでしょうか。
妥当な域を超えています。
この問題は、当然に、経済産業省の「電気料金審査専門委員会」でも検討されていて、そこで、どのような結論がでるのか、現段階では、わかりません。ただし、6月29日の記者会見で、枝野経済産業大臣は、この東京電力の給与水準に関する消費者側の意見についての質問に対して、「専門委員会の皆さんにお願いをしているミッションとは別の様々な評価の余地はある」と回答し、消費者の視点が経済産業省の視点とは異なることを認めています。
ちなみに、「電気料金審査専門委員会」の「ミッション」というのは、「一般的な原価についての算定基準を作っていただいて、それに照らして今回の申請内容が適切であるのかということについて会計などの専門家のお立場から判断・評価をしていただくということ」です。
もっとも、枝野大臣は続けて、「専門委員会の皆さんから正式に御報告が上がってきた段階で、それを踏まえつつも、正にこれは経済産業大臣に裁量余地が与えられている手続ですので、私の下で消費者庁などの御意見も踏まえて政治判断いたします」と述べて、政治配慮の可能性を残しました。
つまり、枝野大臣は、30%もの処遇削減は、「一般的な原価についての算定基準」とは別の基準からしかでてこないことを認めたうえで、国民感情に配慮した行政裁量として、といえば聞こえはいいが、要は大衆迎合政治としてならば、あり得なくもない、といっているのです。枝野大臣といえども、30%もの処遇削減が妥当な域を超えていて、特別な行政裁量を発動しない限り認め難いとの認識をもっているということです。
具体的に、「チェックポイント検討チーム」のいっていることは、どういうことなのでしょうか。
まずは前提として、「東京電力に公的資金が投入されているという特別な事情を十分踏まえた対応が必要」としています。
そのうえで、「給与・賞与について、人員削減効果とは別に、他の公的資金投入企業事例も踏まえて、少なくとも30%程度削減しているか」として、その際には、「正社員(管理職・一般職)の給与・賞与(一人当たり)を、少なくとも30%程度削減しているか。賞与については、支給しないことにしているか」という点について、「削減内容を検証する」としているのです。
これを読む限り、「人員削減効果とは別に」といい、また、「給与・賞与(一人当たり)」といういい方をしているところからすると、「30%程度削減」という意味は、従業員一人一人について、給与と賞与の合計としての年収について、「30%程度削減」といっているのだと思われます。
妥当性を欠くのは、30%という削減率の大きさでしょうか。
国民の年収には、それなりの格差があるのだと思います。30%削減されたとしても、東京電力の社員の年収は、国民の平均に照らして、著しく低いとはいえないのでしょう。ですから、直接に水準の議論をすることは、あまり生産的ではありません。
そうではなくて、問題としたいのは、30%削減を導く論理における誤謬です。論理的に正しくない主張は、当然に、社会的に妥当ではないと信じます。もしも、論理を破り、安易に国民感情に妥協するならば、それは、まともな政治裁量ではなくて出鱈目な大衆迎合政治である、という主張をしているのです。
どこに論理的な誤りがあるのでしょうか。
第一は、30%削減を正当化する根拠として、「東京電力に公的資金が投入されている」ことをあげていることです。第二は、日本の企業の一般的雇用慣行における賞与の意味を取り違えていることです。そして、第三に、これは論理的な誤謬というよりも、広く世の中一般にある潜在的な意識の働きだと思いますが、東京電力の社員の給与削減に、ある種の社会的制裁の意味を込めようとする傾向です。
三番目の問題からいきますが、東京電力は、原子力事故を起こし、その結果として公的資金の注入を受けているのですから、ある種の社会的制裁を受ける立場にあるのではないですか。
一般的な庶民感情の問題としては、その通りでしょう。経済産業省は「東京電力株式会社による電気料金の値上げ申請に係る「国民の声」」を募集し、6月28日の「電気料金審査専門委員会」では、参考資料として、その結果が報告されているのですが、そこには、東京電力に対する多くの感情的で攻撃的な批判をみることができます。
しかし、法律的には違います。東京電力の法律上の立場は、過失責任を負う加害者ではありません。ここが、決定的に重要なことです。東京電力には、原子力事故の被害発生に関する過失は認定されていないのです。東京電力は、「原子力損害の賠償に関する法律」により、無過失であるにもかかわらず、単なる原因者として責任を負う立場なのです。
もちろん、東京電力は、事実として原因者であるわけですから重い社会的責任を負うのですが、だからといって、加害者として不法行為等に基づく社会的制裁を受ける立場にはないのです。東京電力問題を論じるときは、このことを念頭に置いたうえで冷静に対処するのでなければ、感情的で一方的な非難誹謗に流れるのみです。
そこから、第一の公的資金投入の意味についての誤解もでてくるというわけですね。
庶民感覚の意見だけではなくて、多くの論者が判で押したように使う、「公的資金を注入されている身で」、というような表現について、私は、極めて強い違和感をもっています。
このような表現は、東京電力が、原子力損害賠償支援機構を経由して、政府から資金援助を受けていることを指しているとみられます。あるいは、6月27日の株主総会で決まった事実上の国有化も含まれているのでしょう。その意味するところは、このような政府の資金援助のもとでのみ存続している企業は、本来は破綻していたはずの企業なのだから、通常の法的整理手続きにある企業と同等の扱いを受けるべきである、ということなのでしょう。この東京電力を「本来は破綻していたはずの企業」とする表現も、そこらに氾濫しているものです。
しかし、そのような理解は正しくありません。政府は、「原子力損害の賠償に関する法律」第十六条の規定により、法律上の義務として、東京電力の賠償履行を支援しているのであり、資金援助にしろ、事実上の国有化にしろ、その過程で技術的に生じるものなのですから、通常の経営破綻の事例などとは根本的に背景が異なるのです。
国策として原子力発電が行われてきた以上、今回の事故における政府の責任は極めて重いものです。東京電力が第一義的な賠償責任を負うとしても、第二義的な政府の責任も同様に重いことは、政府自身が認めていることです。だからこその東京電力に対する支援なのです。
東京電力は独立企業としての法律上の地位を確保したままで存続しているのであって、政府は、政府自身の責任において、東京電力を支援しているのにすぎません。東京電力は、本来は破綻していたはずの企業ではなくて、法律の仕組み上、政府の責任において破綻させ得ない企業として、存続しているのです。
換言すれば、東京電力に対する政府支援は、東京電力と政府との間の事実上の連帯責任(事故当時の枝野官房長官は、実際に、「連帯債務」という表現で政府責任を認めています)としての原子力損害賠償責任の履行のために行われているのであって、東京電力のためになされているわけではない、ということです。
以上のことは、法律の仕組み上明白であって、いかに感情的に受け入れ難くとも、この根本の法律構成を無視したような発言は、巷の安直な評論や、自由投稿である「国民の声」としてならばともかく、公式の会議では認められないと思われます。それとも、「チェックポイント検討チーム」というのは、単なる「国民の声」の代弁なのでしょうか。
ということは、過去の公的資金の投入事例を参照することも不当だ、ということですね。
30%削減を正当化する根拠は、実は、過去の公的資金の投入事例なのですね。それは、例えば、「公的資金を導入された企業の過去の事例からすれば、30%の削減努力があって然るべき」、「会社更生した日本航空の人件費節約を前提にしているか」、「過去に公的資本注入された都市銀行は一般職3割、支店長クラス5割下げるなど大幅に給与・賞与をカットした」などという事例の列挙に明らかです。
しかしながら、上で述べたように、東京電力に対する「公的資金注入」の意味は、根本的に他の事例と異なります。処遇削減には、事実としての原因者の社会的責任のみが厳格に反映されるべきであり、そこには、企業行動に対する社会的制裁の要素は一切含めるべきではありません。
ということは、東京電力が前提にしているように、他の公益事業等の事例を参照して20%程度の削減を目指すことが、妥当な水準なのです。「チェックポイント検討チーム」が、その削減幅を敢えて30%に拡大させたのは、社会的制裁の意味を込めたものと思われ、明らかに妥当性を欠くのです。
では、第二の日本の雇用慣行における賞与の意味の誤解とは、どういうことでしょうか。
東京電力の社員に賞与を払うのは許せない、というような批判は、賞与というのが利益分配のようなものだとの認識に基づくのでしょうが、日本の伝統企業(まさに東京電力のような)の雇用慣行では、賞与の性格は固定給に近いものです。
例えば、日本では、年収を18で割って月例給与を決め、夏と年末に月例給与3か月分を基準とした賞与を支払う、というような労使合意になっているのが普通です。東京電力も、おそらくは、そのような取り決めでやってきたはずです。こういう制度のなかでは、賞与を払わないというのは、不当な給与減額にあたると考えられます。ところが、名称が賞与だと何となく世の中の批判が集まって支払いにくい、という状況に東京電力はあるのです。
そこで、東京電力では、賞与を廃止して、それを月例給与に繰り込む方式、いわゆる年俸制を導入することも検討しているようです。例えば、月例給与50万円で、2回の賞与が3か月分だと、年収は900万円です。この年収を、20%引き下げて、720万円とする。年俸制だから、これを12で割って月例給与とすれば、60万円です。さて、年収を20%下げているのに、月例給与は逆に20%上昇します。これが、不当なことでしょうか。
年俸制移行前で同じ年収の例だと、720万円を18で割って、月例給与は40万円。しかし、賞与は、きちんと2回払われて、それぞれ120万円。これが、どこか不当でしょうか。どちらにしても、年収で20%削減ですけれども。
さて、賞与についての無理解に基づいたうえで、30%削減かつ賞与なし、ということならば、どうなるでしょうか。先の賞与ありの年収900万円の例でいうと、賞与がなくなるだけで、年収600万円、これから30%減らすと、420万円です。半分以下ですね。このような極端な削減幅を要求しているのでしょうか。それとも、賞与込の年収の30%減でしょうか。だとすると、年収630万円ですが、賞与は払えないから、年俸制ですか。しかし、年収が同じなら、賞与ありの制度でも、年俸制でも、同じですけれども。一体、どういうことを想定しているのでしょうか。
給与のほか、厚生費についても、甘いという批判があるようですね。
代表的な例が、「健康保険料の事業主負担は、法定の50%に削減しているか。(東京電力の申請は、60%)」というチェックポイントですね。日本の大企業の雇用慣行として、健康保険料の事業主負担を厚くしているのは、別に東京電力だけのものではなく、少しも珍しくありません。しかし、さすがに、現在の東京電力について、こうした慣行を残すのは適当ではない。
私が残念に思うのは、こういう小さな事例によって、東京電力の全体的な経営姿勢に甘さがあるかのような印象を与えてしまうことです。東京電力は、自由化部門の料金値上げに際しても、顧客への説明のあり方について、不適切な対応を批判されています。どうして、こういうことになるのかな。不思議ですし、残念です。
以上
次回更新は7月12日(木)になります。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。