原子力発電の安全性を高める経済的誘因はあり得るか

原子力発電の安全性を高める経済的誘因はあり得るか

森本紀行
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仮に原子力発電を継続するとしても、今後の原子力発電施設の管理運営については、科学的知見の及ぶ限りでの最高度の安全性という絶対的基準の導入が求められることになる。当然でしょうね。ところが、いかに厳格な基準でも、基準の導入自体は問題解決にならず、基準が社会的に経済的に維持され得るかが決定的な論点なのだ、というのが今回の主張ですね。
 
 東京電力福島第一原子力発電所の事故について、これまでの調査結果などを総合すれば、事故の第一の原因は、政府と東京電力が「安全神話」に囚われていたが故に、あるいは経済性を重視したが故に、最新の科学的技術的知見に基づき安全性を高める努力が可能であったにもかかわらず、現実には十分な対応がなされてこなかったこと、この一点に集約されてきています。そして、第二の原因としては、原子力規制当局が中立的な監督機能を果たせずに、原子力政策の推進主体としての政府と電力会社とに従属していたことがあげられています。
 これらの二点が事故原因であるという意味が、独立し高度な知見を有した規制当局が強力な権限を行使するなかで、政府と原子力事業者とにおいて、科学技術的知見の進歩に合わせた最新の安全対策が即時に講じられてきていれば、事故は防げたか、あるいは最小限の被害に止めることができた可能性が高い、ということならば、その通りなのでしょう。
 ただし、そのことから、国会事故調報告書に典型的にみられるように、政府と東京電力の「責任感の欠如」とまで断罪し得るかは、「安全神話」の構造や原因に関する社会学的分析、経済性と安全性とを均衡させることの困難性に関する分析、事故後の事実を過去時点における諸研究に適用すれば必ず事故を予見していたものを発見できてしまうという避けがたき偏向を排した分析などを経てから、公平中立に判断されるべきことです。
 二つの事故原因が明らかにされたとしても、それでは、事故原因の真の究明にはなりません。この二つの事故原因が生じた理由を徹底的に分析しなければならないのです。そこに踏み込まず、単に、政府や東京電力の組織欠陥を抽象的に批判し、一方的に断罪しても、将来への改善の道は開けない。
 ところで、議論の出発点として、東京電力福島第一原子力発電所は、当時の科学的知見を総動員した最高最善の安全基準のもとで稼働を開始したのだとしておきましょう。さすがに、これを認めないと、日本の原子力発電は出発のときから欺瞞に満ちたものとなってしまいますからね。事実、様々な事故原因分析のなかでも、原初における「安全神話」の捏造のようなことは見出されていないのだと思います。もっとも、今後の調査研究にもよりますが。
 

稼働を開始したときには、その時点での高い安全基準が満たされていても、時間の経過とともに新たなる知見が付け加わったときに、適切な対応ができなくなっていく仕組み、まさに「安全神話」が生まれる仕組みを詳細に分析しなくてはいけない、ということですね。
 
 これは、非常に大きな課題であるわけです。そこで、今回は、表題にあるように、経済的な誘因の側面から、問題の見通しを立ててみようと思うのです。国会事故調報告書が、東京電力が安全対策に積極的でなかった理由として、経済的側面をあげていることもあり、また、今後の電気料金への影響の面からも、経済性と安全性とをめぐる難問へ何らかの見通しをつけることは、極めて重要だからです。
 第一の論点は、原子力発電施設の立地に関する問題です。施設稼働後に、地質学的あるいは地震学的な知見の進歩することで、当初の想定を超える危険が認知されたとき、どう対応すべきなのかということです。
 施設の改修工事を行うにしろ、極端な場合は廃炉にするにしろ、そのことに要する巨額な追加費用を考えれば、危険性についての判断が学会の共通見解といえるほどのものになるか、あるいは規制当局からの強制でもない限り、経済的誘因の側面からは、積極的な対応を期待し得ないのは当然であろうということです。
 第二の論点は、原子力発電技術そのものにかかわる問題です。発電施設の安全性を高めるためにも技術革新が必要なわけですが、技術革新は、何らかの経済的誘因がなくては、起き得ないのではなかろうかという点です。
 安全性を高めることが同時に発電効率を高めるのであれば、安全性と経済性は両立し易いでしょうが、純粋に安全性を高めるための技術革新は、安全な電気は高い、というような経済的誘因を料金体系のなかに導入しない限り、起き得ないのではないでしょうか。
 第三の論点は、既存施設の耐用年数を短くしてしまうような技術革新は、経済的に逆の誘因が働いて、起こり得ないであろうということです。
 福島第一原子力発電所のある同じ場所に、事故を起こした旧施設ではなくて、最新鋭の原子力発電施設が設置されていたとしたら、今回の事故は防ぎ得たのかもしれない。そうだとしたとき、最先端の施設の性能に合わせて、その水準以下の既存施設について、制度的に改修や廃炉を義務付ける仕組みになっていたとしたら、そもそもが、最先端の施設の開発を行う経済的誘因が働くわけがなかろうという難問です。
 つまり、既存施設の経済価値を大きく毀損するような制度のもとでは、技術革新は起き得ない可能性が高い、ということです。技術革新が起きなければ、技術的に安全性を高めることはできなくなります。安全基準を強化することが、技術革新への経済的誘因を奪い、逆に安全性向上への努力を抑制することになるという根本的な矛盾があるのではないでしょうか。
 

つまり、原理的には、原子力発電の安全性を高める方向に経済的誘因は働かないであろう、ということですね。だとすると、そもそもが、民間事業としての原子力発電のもとでは安全性を維持し得ない、ということになりはしないでしょうか。
 
 そのように軽々に結論をだせるような問題ではありません。経済性と安全性の両立が可能になるような制度設計がなされていなかったことが事故原因だというのは、事実だと思われるのです。しかし、その徹底した再検討は、絶対に必要であると同時に、困難を伴うものでもあります。検討した結果、原子力発電は経済的に成り立たないという結論に達することは、十分にあり得ることです。
 逆の結論として、原子力発電を最高度の安全基準のもとで成り立たたせる仕組みを作ることができるかもしれない。しかし、その場合でも、代替的発電方法の普及と低費用化の進展との関連では、原子力発電の経済優位性を維持することができない可能性も大きい。
 原子力発電の放棄は避けがたいのかもしれません。時間軸の問題こそあれ、相対的縮小は避けがたく、その先には最終的な廃止もみえてくるのでしょう。それでも、完全廃炉までは、電源構成の計画的で無理のない段階的変更と時間のかかる廃炉作業を伴うのですから、まだまだ長いこと、原子力発電施設を安全に維持しなければならないのです。その間、原子力技術の維持進歩のための研究投資と人材確保は絶対に必要であり、そのためには経済合理性が維持されなければなりません。
 過去の全否定による一方的な原子力発電放棄論では、何ら問題を解決しません。事実として、多数の原子力発電施設が日本の国土に実在しています。それらの安全な処理のためだけでも、事故原因となった経済性と安全性の矛盾についての徹底的な検討が必要なのであり、仮に完全廃炉へ向かうにしても、その達成のためには、経済性と安全性の均衡を確保する仕組みが必要なのです。
 

どのようにしたら、経済性と安全性は均衡するでしょうか。
 
 経済性と安全性の矛盾とは、事後的に科学的経験的知見が進歩することに伴い危険評価が厳格化したときに、対応した安全性向上のための追加投資を原子力事業者に促すためには、その追加費用の補償が必要だが、そのような経済の仕組みを作ることは困難である、ということです。
 一方で、原子力事業者としては、危険を認知しながら対応しないことはできないので、合理的理由を見つけては、危険評価そのものの受け入れを拒みがちになる。これが、「安全神話」形成の仕組みです。難しいのは、危険評価についての専門家の意見の統一など、考えにくいことです。広い学会のなかには、原子力事業者に有利な意見を見出すことは、常に可能だったのでしょう。
 原理的に、解決策は二つの方向にしかない。第一は、追加費用の補償を行うことですね。原資は、電気料金への転嫁しかないでしょう。しかし、それは現実的ではない。第二は、規制による強制ですね。今回の事故の場合、この規制による強制が働かなかったことが、事故原因とされているのですが、経済的に不能を強いるような規制の強制というのは、事実上、廃炉命令と同じです。しかも、その廃炉費用の目途すらつかなければ、規制の強制など、現実的に不可能だったことがわかります。
 このような構造的難問について、国会事故調報告書のように一方的に政府と東京電力の「責任感の欠如」などと断罪できないことは、明らかです。
 

やはり、経済性と安全性は均衡し得ない、ということですね。
 
 ですから、そう簡単には、決め得ないのです。そうではなくて、経済性と安全性が均衡し得るとしたら、二つの難しい条件を満たす必要があるということをいいたいのです。
 第一は、危険評価についての中立的判断を確定させる必要があることです。例えば、現在問題となっている北陸電力の志賀原子力発電所について、この施設の下の断層が活断層かどうかについては、学会統一見解など作れないのではないでしょうか。科学的にいって、活断層かどうかの確定判断はなし得ず、できることは可能性の評価、即ち危険評価だけなのです。ところが、このような危険評価には必ず判断的要素が付きまとうので、客観性に基づく合意など不可能です。
 要は、合意や納得ではなくて、最高裁判所の判決に匹敵する権威的判断が必要なのです。もしも、この権威的判断を行う機関が保守主義に傾けば、学会の一部に活断層とする有力な意見がある限り危険性なしとしないので、原子力発電所の立地は不可である、との判断になるでしょう。非常に、難しい問題です。
 第二は、原子力発電の費用が上昇していくことを正面から認めて、それを電気の原価に繰り込むことです。そうすると、他の電源との関係で、原子力発電の経済優位性がなくなるときがくるでしょう。経済原則に従った極めて自然な脱原子力です。原子力事業者にして、このような事態を避けたいのならば、安全性と効率性の両方が改善するような新技術への投資を行うしかない。これも、経済原則に従った極めて自然な技術革新です。理屈はこういうことですが、しかし、電気料金への転嫁が現実的には難しいことは明らかです。
 この二つの問題は難しいですが、政策の問題としては、解決できないことはない。要は政治力です。しかし、今の日本の政治の現状では、到底、このような本質的な議論から原子力政策を再構築することは期待できないでしょう。おそらくは、安易な国民感情迎合のなかで、脱原子力へ向かうのでしょう。そうなったら、安全な廃炉へ向けた取り組みすら経済的に保証し得なくなるでしょう。私は、非常に心配です。

以上


 次回更新は8月9日(木)になります。

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。