金融の革新と人的資本経営の極限

金融の革新と人的資本経営の極限

森本紀行
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企業経営にとって絶対に必要なものだけを徹底的に洗い出して、その最低限のものだけを所有することにしたら、企業の貸借対照表は随分と小さくなるでしょうね。多くの場合、経営指標は改善するのではないでしょうか。さて、そのとき残るものが企業固有の付加価値創出を規定する絶対的要素ですが、それは主に人的資本なのではないのか。今回は、人から「日本の明るい未来」を考えましょう。
 
 企業経営にとって、その事業用資産すら所有する必要のないことは、航空産業に明らかです。航空機を所有しなくとも航空会社は経営できます。むしろ、業界の主流は航空機をもたないことです。航空機は航空機リース会社が所有していて、航空会社は航空機を借りて運航しているだけなのです。
 このような仕組みは、航空産業の財務的事情が作りだしたものです。航空産業は競争が厳しすぎて収益性の低下に悩んできました。大型倒産が、わが日本航空も含めて、少しも珍しくないという業界では、高価な新鋭機の発注は資金面の問題から必ずしも容易ではありません。ところが、この航空機リースの仕組みは、航空会社による巨額資金調達の必要性をなくしました。一方、航空機リース会社は、多くは、巨大金融資本の一部門です。その絶大な資金調達力をもって最新鋭機の発注を行い続けることで、航空産業のみならず、その土台となる航空機製造産業の技術革新を支え、関連産業全体の発展に大きく貢献しているのです。
 同様に、海運会社を経営するのに、船舶の所有は不要です。現在、世界の海運業界は、傭船料の低迷と過剰船舶の保有に苦しんでいると思われます。状況は、ひところの航空産業と同じではないでしょうか。だとすれば、同じようなことが起きますね。事実、起きています。船舶を所有しない海運会社が生まれています。遠くない将来に、世界の主要船舶の所有は巨大な船舶リース会社に移転するのではないでしょうか。そうした金融の仕組みの抜本的改革なしには、海運業界は苦境に陥るでしょうし、その土台の造船産業も苦境に陥るでしょう。逆に、業界が苦境に陥れば、金融の仕組みの抜本的刷新によって、苦境脱出が図られるということでもあります。何しろ、海運にしても空運にしても、社会的に絶対に必要なものである以上、なくすわけにはいかないし、なくなるわけもないのですから。
 こう考えてくると、実は、輸送業にとって、輸送用機器(航空機、船舶、貨物自動車など)の所有は、表面的には必須の本質的要素にみえて、実のところ、経営的には少しも本質的ではないことがわかります。それはそうでしょう、同業他社と同じような機器を利用している以上、その機器の選択に企業固有の付加価値など生まれ得ないのですから。
 航空会社から航空機という「堅い」資産を取り除いたら、何が残るか。「柔らかい」資産としての運航技術や予約情報管理技術などしか残らないでしょう。それらの技術を支えているのは人です。ということは、人と人によって支えられる「柔らかい」資産としての技術、あるいは技術等が化体した「柔らかい」資産としての人的資本(人的資産、人財、あるいは人的資源)が、企業固有の付加価値を形成しているということではないでしょうか。
 

企業金融の手法として、航空機リースのように資金の供給側に資産の所有を移転させるのが、アセットファイナンスですね。
 
 資金調達側からいえば、リース会社から資産を借りることは、資金を調達して当該資産を購入するのと経済効果は同じですが、資金調達の容易さ、貸借対照表等の財務諸表に与える影響、法律上の構成などは全く異なります。
 資金供給側からいえば、自己資金で資産を購入保有して、その資産を顧客に貸し付けるのと、資金を顧客に供給して、顧客が購入した資産を担保に取るのとは、経済効果は同じですが、高度に規制された金融事業としての法律上の構成は全く異なり、債権の保全の方法も全く異なります。
 要は、資金を調達する側と供給する側の双方の事情を勘案して、双方に利益ある形態を工夫することから、金融技法の革新が生まれているのです。その一つの例がアセットファイナンスです。
 アセットファイナンスを通じて、企業は有利子負債を減少させることで貸借対照表の改善を図ることができるほか、一般に経営諸指標の改善を図ることもできます。しかも、単なる財務の問題だけではなくて、企業は経営資源を企業価値の本質を規定する重要な部分に集中させることになるので、企業統治上も経営効率の改善になります。アセットファイナンスは事業運営上に必要な資産の売却を意味するのですから、その当然の前提として非事業資産(非中核事業の子会社株式、現金を含む金融資産、不稼働もしくは非事業用不動産など)の整理が行われたうえで、更なる改善の努力として行われるものだからです。
 

不要資産をもたないことは当然として、事業に必要な資産もアセットファイナンスにより外部化すると、企業は純化するというか、本質的部分への凝縮が生じますね。
 
 広義のアセットファイナンスでは、理屈上は、事業の必要性からでてくる資産の相当部分を外部化することができます。代表例は、売掛債権の流動化でしょうね。店舗、流通施設、輸送用機器、事務機器なども、普通に外部化されています。
 では、外部化できない資産というのはあるのか。例えば、製造業における製造装置はどうでしょうか。おそらくは無理ですね。そもそも、製造業においては、製造装置の設計管理と運用に企業の本源的付加価値源泉があるのでしょうから。
 在庫はどうでしょうか。製品在庫は難しいでしょう。製品の販路もまた企業固有の付加価値源泉でしょうし、そもそもが、製品在庫が溜まらないような製造と販売の仕組みこそが、企業の本質的な部分でしょうから。
 同じ在庫でも、原材料在庫は、どうでしょうか。企業固有の付加価値は原材料加工にあります。一方、同業他社も同じ原材料を使うのであれば、そのようなものは、一般性のあるもの、即ち流通市場のあるものなので、外部化が可能だと思われます。例えば、今日では、森林資源(生きた立木、ティンバーtimberといいます)も独立した投資対象ですが、これなど、歴史的には、木を原材料として使う紙パルプ会社や建材住宅会社が原材料在庫として所有していたものの外部化から生まれたものです。
 要は、企業が徹底的に自己の本質を突き詰めていけば、そして徹底した効率経営を志向すれば、アセットファイナンスも徹底的に推進され、そこに新たなる独立した投資対象の創出が行われるのです。一方、純化した企業は、それが上場企業ならば、おそらくは、株式価値を高めることを通じて最も株主に貢献することになるのでしょう。真の企業統治論というのは、こうした金融の高度化との関連において論じられるべきものなのでしょうね。
 

残るのは人ですね。「堅い」資産の保有を最小化すれば、自動的に企業内における「柔らかい」資産としての人的資本の相対的比重が上昇しますものね。
 
 ところが、その人すら流動化というか、外部化しようというのが、最近のはやりのようです。いわゆる派遣などの非正規雇用の拡大です。どうやら施設等の資産にも、外部化できるものと、できないものがあるように、人についても二種類あるというのが背景にある論理のようです。
 つまり、企業固有の付加価値創造に関係する人は、外部化できない重要な人的資本である一方、標準化された一般的作業を担うような人は、外部からの派遣等の非正規雇用で十分であり、そのほうが経営費用的にも安くつくし事業の統廃合のときに弾力的な対応ができる、という論理です。まあ、その通りかもしれません。
 ここでも大切なことは、企業固有の付加価値創造に関係する人とはどういう人か、ということであり、その人材の厳選を徹底することで、理論的には、企業の経営効率は最大化するのでありましょう。「堅い」資産の厳選保有を徹底化し、「柔らかい」人的資本の厳選保有も徹底化したとき、人的資本経営の極限が実現するのでしょうね、理屈上は。
 

理屈上は、ということは、現実的には難しいということでしょうか。
 
 人は成長するでしょう。成長とともに価値が高くなります。機械は成長しません。劣化するだけです。大きな違いですね。さて、企業にとって大切な人は、最初からそのような人として企業に入社してくるのでしょうか。まずは、あり得ないことです。そうではなくて、人は企業のなかで企業にとって欠くことのできない貴重な人的資本に成長していくのではないでしょうか。そして、そのような人も最初は一般的な作業的な仕事から始めるのではないでしょうか。
 企業固有の仕事の哲学といいますか経営理念が、広く社員に共有されているからこそ、企業固有の付加価値が生まれるのではないでしょうか。そのような人は、実は、企業に長く勤続し、下から上まで通しで企業固有の仕組みを体得しているからこそ、企業価値を体現できるのではないでしょうか。そうだとしたときに、つまり、人材の育成あるいは人材の成長という視点に立ったときに、どの程度まで非正規雇用の適用余地はあるのでしょうか。
 非正規雇用のなかからは、将来の企業の独創的付加価値創造を担う人材は生まれてこない、といよりも、そのような期待をかけている人材を非正規雇用として雇うわけもない、ということでしょうね。それはそうでしょうが、さて、人間を明確に二つに切り分けることができるのでしょうか。人間を二つに分ける前に、そもそも、仕事を明瞭に二つに分けることができるのでしょうか、正規雇用人材の仕事と、非正規雇用人材の仕事とに。
 最近のことですが、某大手のスーパーマーケットが社員の9割を非正規雇用化するという新聞報道を見たような気がします。ああ、そうですか、大胆な効率化ですね、という気もしましたが、私の関心をそそったのは、さて、正規雇用に残された仕事というのは、どういうものなのか、ということでした。たった1割の社員で担える程度のものなのか、だとすると、商売の秘密も核心部は小さいのだな。でも、本当かしら。
 流通業の場合、店舗や物流施設の完全な流動化は十分に可能で、現実にそういう動きもあります。仮に、そうしたアセットファイナンスの徹底のうえに、この人的資本の流動化の徹底を行えば、表題通りの「金融の革新と人的資本経営の極限」が実現し、企業統治のうえでも最高に効率的な企業経営が実現するのでしょうね、理屈の上では。
 しかし、私には、納得しかねるものがあるのです。単純作業のようにみえるもののなかにも、企業の本質的な付加価値源泉にかかわる重要なものが潜んでいないのか。非正規雇用に割り付けられた業務に改善や成長の契機はないといえるのか。どうかすると、派遣社員の熟練などということが起きてしまうのではないのか。
 人的資本は、退職給付債務として、企業の貸借対照表の負債勘定に現れます。負債勘定になるのは、年金退職金が給与の未払いと同等の性格とされるからですが、給与を退職時または退職後にまで後払いにするのは、いうまでもなく長期勤続奨励のためです。そして、長期勤続奨励は、熟練と経験と経営哲学の浸透による生産性の向上を見込んでのことです。ですから、論理的に、非正規雇用に年金退職金制度の適用はありません。
 年金退職金は人的資本経営の象徴のようなものですが、負債勘定に計上されることと非正規雇用の拡大とによって、企業経営者のなかで人気がなくなっているのかもしれません。しかし、やはり、人的資本経営のなかでは、重要な役割をもつものではないでしょうか。再度申しますが、「堅い」資産は劣化して価値が減少するだけですが、「柔らかい」人的資本は成長し価値を増します。そこに、真の生産性向上の秘密があるのではないでしょうか。
 

屋号のHCに込めた人的資本(ヒューマンキャピタル human capital)の哲学ですね。
 
 我々の産業のように、物理的装置を使わない事業では、人だけが資産ですからね。しかし、アセットファイナンス等の金融の革新は、製造業等でも人的資本経営の比重を高くしていくはずであり、また、日本の明るい未来を支える国際競争力が圧倒的な品質の優位にある以上、海外勢がどうにも真似のしようがない熟練と経験こそが日本の未来の鍵になるはずだと思うのですが。
 
以上


 次回更新は11月8日(木)になります。

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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。