競争なくして成長なし、では競争があれば成長するのか

競争なくして成長なし、では競争があれば成長するのか

森本紀行
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3月5日、公正取引委員会の委員長に、杉本和行氏が就任しました。就任時の記者会見で、杉本新委員長は、「競争なくして成長なし」ということを強調したそうです。確かに「競争なくして成長なし」でしょうが、では、競争があれば成長するといえるのか。
 
 論理学的にいえば、「競争なくして成長なし」が真だからといって、必ずしも、競争があれば成長するとはいえません。当たり前ですが、競争は、資本主義経済体制における経済成長の重要な要因ではあっても、唯一の要因ではないからです。競争が他の要因とうまく連動して初めて、経済成長が実現するわけです。
 さて、ここには、重要な二つの問題があります。第一に、競争は、経済成長にとって主たる要因なのか、それとも、他の主たる要因が経済成長につながるための必須の補助的要素なのか。第二に、そもそも、競争とは何か。
 

競争の定義からいきますと、杉本委員長も、決して単に競争とはいっていないですね。必ず、「公正かつ自由な競争」といっている。では、「公正かつ自由な競争」とは何か、どこが単なる競争と違うのか。
 
 もともと、公正取引委員会という名前なのであって、競争的取引促進委員会ではないのです。どう考えても、公正取引が経済成長の主因であるとは思われないので、結局、先の二つの問題は、一つのことに帰着するのです。要は、「公正かつ自由な競争」が損なわれると、経済がもつ本来の成長力が十分に発揮されない、ということです。これが、「競争なくして成長なし」の意味でしょう。
 いうなれば、「公正かつ自由な競争」という触媒の働きがなければ、経済成長という化学反応は起きないということです。触媒は、化学反応の主役ではありません。あくまでも、主役が機能するための補助者です。
 

では、経済成長の主たる動因は何でしょう。
 
 さあ、何でしょうね。おそらくは、人間に本来的に備わっている成長志向なのではないか。成長志向などというよりも、もっと単純明快なことで、よりよい生活がしたいというような本能的な物欲のとどまるところを知らない増殖なのではないのか。
 もっとも、この日本国に暮らしていると、物欲にも成長の限界があるらしいことに思いが至りますね。日本の経済成長の低迷の真因がここなら、安倍首相にもどうしようもないでしょう。もちろん、日本の外に成長があれば、小さな日本、何とでもなります。エマージングの国々の人の物欲は大変に旺盛のようですから、高度経済成長期の日本人のように。
 あるいは、マルクスが指摘した倒錯ですが、経済成長の主役は、人ではなくて、資本かもしれません。資本の自己増殖こそが、資本主義経済の成長の動力ではないのか。もっとも、資本蓄積につれて資本利潤率の低下は免れませんから、どこかで資本利潤がなくなるときがくる。これが恐慌であり、ここで資本の自己増殖は終わり、資本主義は死を迎えて、革命が起こる。これがマルクスの予測であったのですが、予測ははずれて、資本主義体制は、福祉国家路線等の巧みな軌道修正によって、今日の繁栄を維持しています。
 これも、日本についていえば、資本の過剰蓄積の極、資本利潤率の低迷は長期間定着しているわけで、そこを財政出動で延命してきた結果が現状の混迷ですから、安倍首相には頑張っていただかないと、大変なことになります。政権の課題は、いうまでもなく、資本蓄積に見合った投資の機会を創出していくことにあるわけで、それは、緊急経済対策のなかに、少なくとも言葉のうえでは、明瞭に表れております。
 しかし、もともと財政出動は、一時的な刺激策のはずで、安倍首相も「呼び水」という位置づけで考えているはずのもの、いや、そう考えなくてはいけないはずのものです。そうであれば、「呼び水」によって誘発されるべき本源的な成長への動因が必要です。もちろん、その重要な一つが、海外の、特にエマージング諸国の需要の成長を取り込むことであることは、論を待たないわけです。それでも、国内の問題はどうするのだという論点は残ります。その解が革新です。
 

革新こそが、経済成長の主役であると。
 
 マルクスも想像し得なかったことは、とどまるところを知らない技術革新です。エネルギー、通信、情報処理、交通、医療、宇宙、海洋開発、ありとあらゆる分野で技術革新が進んでいます。革新へ向けた巨大な投資が資本を常に活性化させてきたことも、資本主義体制の今日までの繁栄を支えてきた重要な要因だったのです。
 革新は、科学技術の問題だけでなく、社会工学的な組織の革新、所有権と利用権の再編などの法律制度の革新、造形等の表現の革新など、多方面に及びます。例えば、TPPと農業の関係についていえば、科学技術的革新よりも、社会制度的革新によって、農業の成長を図ろうということなのでしょう。
 エマージング諸国は、理屈上、いつかは消滅します。もちろん、国がなくなるということではなくて、どの国も、先進国(というよりも老成国ですか)に出世(老化かもしれませんね)するだろうからです。北アメリカ大陸の「フロンティア」の消滅と同じですね。そのとき、地球の外にフロンティアを求めない限り(宇宙人に物を売るということは想定し得ないですけれども)、革新こそが、成長の主因になるのでしょう。
 

そうすると、「公正かつ自由な競争」は、革新のための触媒ですか。
 
 革新の継続によって、資本は活発に働き続け、資本蓄積にもかかわらず利潤を確保するでしょう。しかし、安易に革新の努力を怠るとき、資本の自己増殖の極点において、なお資本利潤を求めようとすれば、資本は独占資本に転化せざるを得ません。独占により生産と価格の支配を握れば、不当な利潤を確保できるからです。
 一方で、ひとたび独占を許すと、おそらくは、既得権益のうえに安住した独占資本は、自らの革新を怠るだけでなく、外部の革新によって地位を脅かされないように、その革新の芽を早期に摘むことに熱心になると思われます。独占は、恐慌とは異なる資本主義の一つの死に方なのです。
 ゆえに、独占を回避しなければならない。実際に、日本には「独占禁止法」があります。同様な法律は、どの資本主義体制の国にもあります。公正取引委員会は、「独占禁止法を運用するために設置された機関」です。そして、その具体的活動の指針が、「公正かつ自由な競争」の促進であるわけです。
 

競争は革新を生むでしょうか。
 
 さあ、そうかもしれませんし、多くの人は、そう考えるのではないでしょうか。しかしながら、敢えて視点を変えた議論をしましょうか。競走という競争は、人の足を速くするだろうか。仮に速くするとして、それが革新だろうか。世界記録を更新することは、誰かとの競争だろうか、それとも絶対的数値へ向かう孤独な自己との戦いだろうか。記録更新の主因は、肉体的な力の改善だろうか、それとも、知的な走技法の創意工夫だろうか。
 世界記録更新が革新なら、それが知的な創意工夫に基づくからであり、自分自身との戦いだからではないでしょうか。この革新を阻害するものは、例えば、陸上競技の規則を決める団体に不当な政治工作をして、自己のもつ記録が破られないように、自分に有利な規則改定をさせて、他人の新記録を無効にしてしまうような活動です。
 このような不当な行為が可能であるためには、規則をも支配するような優越的な地位、まさに独占資本と同様な地位が必要です。「公正かつ自由な競争」というのは、このような不当な独占的地位に基づく介入を排除することです。
 

つまり、競争が革新を生むのではなく、革新の妨げになる不公正な行動を排除することが「公正かつ自由な競争」だとすると、「公正かつ自由な競争」の競争というのは、競争というよりも知的な創意工夫ですね。
 
 「公正かつ自由な競争」というのは、知的革新を阻害する行為の排除のことだと思われます。価格競争ということがあるとして、その価格の引き下げは、製造や流通の諸段階における小さな創意工夫、即ち革新の累積の結果として、従来と同じかそれ以上の品質の保証のもとに行われてこそ、経済の成長につながるわけです。何らの革新をともなわない単なる価格だけの競争は、現実に日本でおきたように、価格低下の循環的累積を招き、需要を減退させる反射効果(いわゆる「デフレ」です)をともなうので、決して成長にはつながらない。
 ましてや、単純なる価格競争において、高い市場占有率をもつ準独占的企業が、革新によって追いつこうとする後続の弱小他社を害する目的で、不当廉売を行うことは、典型的な不公正取引であって、公正取引委員会によって排除されなければならない。
 真の競争は、他人との比較における単純な競争ではなく、自己との戦いにおける知的創造、即ち革新に基づくものでなければならないのです。このような革新という真の競争によってのみ、経済は成長できるのです。
 

革新が知的な営みであり知的な成長ならば、物欲のように上限ということはなく、無限の可能性がありますね。
 
 人間の知的成長こそが、真の経済成長の動因なのでしょう。そこには、無限の可能性があります。人口減少の日本でも、知的には、いくらでも成長できるわけです。
 私は、知的創造の営みに競争という用語を用いることには、抵抗を感じます。芸術家の営みに、競争という言葉を使うのは、さて、適当か。もっとも、適当でなくとも、確かに競争的要素はないわけではないでしょう。そのような競争の意味において、「公正かつ自由な競争」こそが、経済成長の主役になるのでしょう。
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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。