アートに投資する投資のアート

アートに投資する投資のアート

森本紀行
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さすがに、美術品を購入することは、責任ある機関投資家の投資としては認められないと思われますが、優れた美術品に経済的な価値のあること、その価格が騰貴してきたこと、これも事実です。審美眼のあるお金持ちにとって、アートは優れた投資対象かもしれませんね。
 
 社会的責任ある機関投資家にとっては、なんでもかんでも投資対象になるわけではありません。これは、様々な機会に私が繰り返し述べてきたことですが、責任ある投資家にとっての投資対象の適格性の要件は、キャッシュフローを生むことです。利息配当金や賃貸料などのキャッシュ(現金)を生む可能性のないものは、適格な投資対象としての資産ではないということなのです。
 この視点から、いつも争われるのが、金、あの金の地金です。金は、人類の歴史とともに古い資産で、歴史的には、つい最近まで貨幣の通用力を支える信用制度の基礎に置かれてきた経緯もあって、資産性に疑義がないどころか、逆に特権的な資産の王者という側面も否定し得ません。ところが、金を保有していても一切キャッシュを創出しないのも事実であって、単なる価格変動に対する投機という側面も否定し得ないわけです。
 こういう哲学的な難しさもあって、金は、ごく最近までは、社会的責任ある投資家の投資対象としては、認められないできたのです。しかし、世界的な信用制度の安定性に関する本源的な不安が顕在化してくると、金の歴史的な意義が再評価されて、一部には、投資対象として認める動きがでてきています。
 そして、最近の事実として、金価格は騰貴してきました。結果を見る限り、金は優れた投資対象だったのです。さて、この金価格の騰貴が金の投資対象としての認知を高めたのか、金の投資対象としての認知が高まったがゆえに金価格が騰貴したのか、これはもう、よくわからないことです。
 アートについても、歴史的な事実として、金と似たような絶対的な希少性を背景に、優れた作品の価格が騰貴してきたのは事実でしょう。ゆえに、金と同様な文脈において、投資対象としての適格性についての議論が起き得るのは、当然かもしれません。しかし、アートには、金のような信用制度の基盤という歴史的背景はありませんし、単に保有していても、キャッシュは生みません。しかも、金と違って、劣化の危険もあります。金については、劣化しないという特異な性格も、資産性を支えてきたのです。
 アートは、審美眼のあるお金持ちにとっては、趣味と実益を兼ねた面白い投資対象かもしれませんが、責任ある投資家の投資対象としては、金以上に、無理があるかもしれません。
 

では、アートからキャッシュが生まれる仕組みを工夫すればいいのですね。
 
 このことについては、実は、私は長らく考え続けております。土地は、単に保有するだけではキャッシュを生みません。ですから、単なる土地そのものは、一般人の通念に反して、投資対象にはなり得ません。ところが、土地は、その上に借地権や構造物を設置することで、簡単にキャッシュを生む仕組みに仕立てることができます。
 ゆえに、土地は投資対象なのです。より厳密にいえば、土地は投資対象に構成し得る可能性において、投資対象なのです。同様に、アートは、その保有からはキャッシュが生まれないがゆえに、投資対象ではないのですが、その上に何らかの権利を設定するか、賃貸に供することなどを通じて、キャッシュを生む仕組みに構成できるのならば、資産性を帯びてくるのではないかと考えられるのです。
 

アートを賃貸に出すことは、現実に行われているのではないでしょうか。
 
 美術館や収蔵家が、保有している美術品を展覧会等へ貸し出すことは、普通に行われているのでしょうね。しかし、事業として採算にのることでしょうか。
 つまり、賃貸に出す側は、当然でしょうが、賃貸に供するための費用以上の賃貸料を受け取るのでしょうが、賃貸を受ける側は、果たして、その費用に見合う以上の入場料収入や広告収入等を得るものでしょうか。私には、よくわかりませんが、事業としての安定性は、まだ十分に確立していないような気がします。仮に、事業として成立するにしても、一つの投資対象として構成するには、あまりにも小さすぎるかもしれません。
 

賃貸でないとすると、何らかの権利を上に設定するということですか。
 
 一番簡単なのは、資金を借入れる際に担保に供することですね。つまり、アート担保金融です。これは、日本での普及の程度はよくわかりませんが、欧米等では、個人富裕層の厚みが大きく、その少なからざる部分がアートの収蔵家であるという現実がありますので、それなりの規模の取引があるようです。
 例えば、一つの典型的状況として、事業を営む富裕なアート収蔵家がいたとして、その事業のほうで緊急の資金調達の必要性が生じたとき、時間の制約のなかで調達方法を工夫するとしたら、自分の個人財産であるアートを担保に供して資金を借入れることが一番簡単でしょう。
 こうした資金需要は、アート収蔵家である富裕層には、様々な場面で生じるようです。よくあるのが、離婚における財産分割にともなう資金調達です。相続のときにも同じことがあるでしょう。個人富裕層の総合的な財産管理を請け負うのがプライベートバンキングですが、このプライベートバンキングのなかの重要な分野が、収蔵品のアートを使った資金調達であり、それをアートバンキングといっているのです。
 

アート担保融資では、アートは、単なる担保であって、主役としての投資対象ではないですね。アートへの投資というよりも、アートを利用した融資にすぎないようですが。
 
 アート担保融資が、利用される状況の特殊性により、固有の収益源泉をもつならば、いいかえれば、アート担保であるがゆえの特殊性が融資一般の特性を凌駕するならば、それは、やはり、アートへの投資という位置づけにしてもよいのではないでしょうか。
 アートの特殊性としては、動産であること、市場性があること、しかも高価なものほど社会認知が広くより大きな市場性があること、つまり換価性が高いこと、また、公開のオークション等の存在により市場価格の目安ができていることなどがあります。
 また、アート担保融資の特殊性として、債務者が一般には富裕層であること、しかも、価値評価の容易な資産で担保されていて、しかも動産であるがゆえに占有によって対抗でき、市場性があるので担保処分も容易であること、つまり、優良な債権であるにもかかわらず、特異な用途に対応する非常態の金融であるため、相対的に金利が高くなりやすいことなどを挙げることができます。要は、投資として、魅力的なのです。
 

動産担保で債権者が占有によって対抗できるということは、要は、質屋ですね。
 
 あからさまにいって、事実上は、超高級な質屋です。アートを担保とした融資が、融資として回収されるのが常であるならば、少し有利な投資程度のことですが、融資が弁済されずに質流れでアートを取得できるとしたら、これはもう、アートそのものへの融資を経由した投資ということになります。
 アート担保融資というのは、融資のまま回収するとしても、それなりに有利な案件になる一方で、もしも、債務不履行になったとしたら、アートを低廉な価格で入手できることになり、なお有利ということになります。というよりも、もしもアートを投資対象に構成するならば、そのように有利な条件が成就するようにしなければならないということです。
 

アートを低廉な価格で入手できるということは、担保掛目がかなり低いということですね。
 
 アートを担保に供して融資を受けるときに、その融資額をアートの資産価値よりも低く設定することは、お金を貸す債権者にとっては安全性を高めることですが、債務者にとっては、債務弁済することの経済的誘因に働いているはずです。もしも、債務を弁済しないならば、価値よりも低い価格でアートを売却したのと同等の経済効果になってしまうからです。
 ところで、所詮、アートは趣味の世界です。別にアートがなくても、生活には困らないし、自分の本業である事業の継続にも差支えがない。その面では、苦労して弁済する誘因に乏しい面もあり、比較的に高い確率で質流れが起きます。
 アート担保融資は、債権としてみても条件的に有利であり、債務不履行になっても、アートの低廉価格による取得という意味で、やはり有利です。こうした特性は、アート金融だけでなく、質屋の収益性の本質的な要素ではないでしょうか。実際、質草に使われるのは、高価な時計などの換価性の高い贅沢品が主流であって、極めて低い担保掛目で安全性が確保されている一方で、質流れによる低廉価格取得の可能性も大きい。
 質屋の事業を投資対象に構成するのは、一件当たりの金額が小さすぎて、実務上は不可能に近いでしょうが、アート金融の場合は、事実上の質屋であるにもかかわらず、一件当たりの金額がきわめて大きいので、十分に投資対象に構成できるということです。
 

日本の古典的な庶民金融である質屋と、欧米の先端的なプライベートバンキングのなかのアートバンキングとのあいだに、共通性を見出すわけですね。
 
 金融というのは、本質的に新しいことはないのではないかと思います。むしろ、日本(日本に限らず、イスラームでもいいのです)の長い商業の歴史について、商業との関連で工夫されてきた伝統的な金融の仕組みを再検討するなかで、現代に生きる金融技法の開発が可能になるのではないかと思っています。
 商品の決済と代金の決済とを時間的にずらす掛けの仕組みは、極めて歴史が長く、現代の日本の商取引でも多用される伝統的金融技法ですが、これを片仮名でトランザクションファイナンスと称して、独立した投資対象に構成したからといって、別に何か新しい要素が付け加わるものでもありません。
 

アートのトランザクションファイナンスもあり得ますか。
 
 アートを投資対象に構成する技法(アート投資のアート)は、アート担保融資だけではないと考えております。創造的に考えることは、楽しいですね。その楽しい知の営みから、投資の技法はいくらも生まれてくるのでしょう。
 収蔵された大きなアートの塊にとって、資産相続や離婚にともなう財産分割は、大きな問題でしょうね。短期的に換価を行うことは不利な場合も多いでしょうし、そもそも、収蔵家の思想なり趣味なり理念なりで統合されているアート群を散逸させることが望ましいかどうかも疑問です。
 いずれにしても、鍵は時間です。時間をかければ、纏めて買ってくれる買手も見つかるでしょうし、仮にばらばらに売却するにしても、相対的に有利に売れる取引機会も見つかるでしょう。しかし、アートを所有する売手側は、金銭清算をする時間の期日が重要なので、即時に代金が欲しい。まさに、典型的なトランザクションファイナンスの状況です。こういうときに、一旦投資対象としてアートの塊を取得して、時間をかけて売っていくことは、一つの投資技法として、あり得ることです。
 こうしたトランザクションファイナンス的な状況は、アートよりも、不動産等で起きやすい。こうして、投資にかかわる知的連想を膨らましていくのが、投資のアートです。
 
以上

 
 次回更新は5月30日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2009/07/09掲載「アーティストの起業論に学ぶ起業のアート論
2009/07/02掲載「投資機会としての現代アート
2009/06/25掲載「『美術骨董品投資の秘訣』の話
2008/08/21掲載「絵画・切手・ワインは「適格」な投資対象か

≪ アーカイブから今週のお奨めは「賭けと投資」  ≫
2011/04/07掲載「賭けの決断、賭けの責任、賭けの回収
2011/03/31掲載「想定を超える事態における決断と責任
2011/03/24掲載「再び、想定を超える事態について
2011/03/17掲載「想定を超える事態への対応について
2009/05/14掲載「「ブリダンの驢馬」もしくは「亀を抜けないアキレス」(後編)
2009/05/07掲載「「ブリダンの驢馬」もしくは「亀を抜けないアキレス」(前編)
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。