日本の信託法は、日本の法体系のなかでは例外的に、英米法を接受したものです。それは、その当時の日本の社会的必要から信託法の制定が検討されたとき、日本法のもととなったフランスやドイツの法体系のなかに参照すべき適当なものが見出せなかったからでしょう。それほどに、信託というよりも、トラストは、英米法に固有のものなのです。
その信託の本家である英米法のトラストでは、受託者の忠実義務の具体的内容について、つまり、受益者の利益のためだけにという厳格な行為規範の内容について、非常に長い時間をかけた判例の積み重ねがあるわけです。それらについて深く考えることは、日本の信託も、出自においては、理念的に同じ原理を共有するのですから、その受託者の忠実義務の理解を深めるために、非常に有益であるはずです。
そこで、それらの事案をとりあげて、検討してみようと思うのですが、先に、念のためにいっておきますが、ここでは、結論は重要ではないのです。結論ではなくて、事案をとらえる視角といいますか、法律的な思考の方法が重要なのです。いわば、知的な訓練ですから、そのようなものとして、お考えください。
では、早速に、何か具体的な事例を取り上げましょう、特に、おもしろそうな例を。
かつて、私が非常に興味深く思った事例は、退職後の競業を禁じる雇用契約の有効性についてです。
運用会社において、幹部職員が退職して同業他社へ移転する、あるいは独立して自らの運用会社を新たに起こす、そのようなことは、米国では、日常茶飯といってもいいような普通のことです。その際、当然に予測されることですが、一部の顧客は、その幹部職員とともに、移転先の会社や新たに作られた会社に契約を移してしまう、そうした可能性があるわけです。
こうした顧客財産の移動は、資産運用の技術に高度な属人性が伴う以上、避け難いことです。顧客としては、ある運用会社に委託しているという自覚よりも、その運用会社の特定の担当者に委託しているという自覚のほうが強い場合もあるからです。
そこで、多くの場合、運用会社は、投資の意思決定において枢要な地位を占める幹部との間で、退職後の行動を制約するような契約を結んでいます。つまり、退職後の一定期間、競業行為を禁じる内容の契約です。
さて、具体的には、こういうことが起こったのです。ある運用会社において、そこのスターともいうべき有名で有力な運用担当者が退職し、新たに自分自身の会社を起こしたところ、複数の大口の顧客が行動を共にし、新しい会社に契約を移してしまったのです。当然のこととして、ここにも協業を禁じる契約が存在したので、当該運用会社は、直ちに訴訟を起こしたわけです。
訴訟は、意外と複雑な展開をたどったのですが、先ほどいいましたように、ここでは結論は重要ではなくて、トラストの受託者の忠実義務違反が論点として浮上してきた経緯が面白いのです。
なぜ、ここに、トラストの受託者の忠実義務が登場するのでしょうか。特に関係ないようですが。
なぜなら、契約を移転した顧客のなかには、トラストとして厳格な規制を受けている年金基金があったからなのです。
米国では、年金基金は、それ自体としてトラストであり、運用会社を選択する立場にある基金の管理責任者も、選任をうけて運用している運用会社も、皆、トラストの受託者として、同等な忠実義務を負うことになっています。
そうしますと、運用会社に課せられる厳格な忠実義務の効果として、運用会社は、受益者(直接的には年金基金自体ですが、究極的には年金制度の加入員受給者)の利益のためだけに行動しなければならず、自分自身を含めて他のいかなるものの利益のためにも行動してはならないわけです。
さて、競業を禁じる契約の目的は何でしょうか。それは、顧客である年金基金の利益を守るためではなくて、運用会社自身の利益を守るためではないでしょうか。ならば、その契約は忠実義務に違反してはいないでしょうか。まさに、これが論点となったのです。
なるほど、その視点からいうと、年金基金の利益だけを考えた場合、基金の意向にそって新会社への契約移転を認めるほうが、トラストの受託者としては、顧客に忠実たり得るということですか。難しいですね。
何が難しいといって、運用会社が負う忠実義務の視点からみたときに、競業禁止契約の目的のとらえ方が難しいわけです。それは、運用残高の流出を防止することで運用会社の利益を守るためのものなのか、それとも人材の流出を抑止して運用組織の安定性を図り、ひいては運用の質を維持することで、最終的に顧客の利益を守るものなのか、さて、どちらであるかは、一概には、いえないと思われるのです。
加えて、資産運用技術の属人性についての判断も、難しいところです。契約を移転した年金基金においては、高度な属人性を認めるがゆえの判断かと思われるのですが、はたして、それは妥当な判断なのでしょうか。むしろ、長く慣れ親しんだ運用担当者との人的関係を重視した判断ではないのでしょうか。だとすれば、それは、必ずしも、年金基金の利益のためだけになされた決定ともみえないようです。
つまり、競業禁止契約というのは、運用担当者の属人性のゆえになされるのではなく、顧客と運用担当者との人的関係における属人性の発生を未然に防ぐためになされるのではないのか、そのようにも考え得るわけです。
要は、大きな論点として、顧客の利益のためだけに、といった場合、特定顧客だけを優遇する結果、他の顧客に対して忠実でなくなってはいけない、ということもあるわけです。運用会社の受託者としての責任において、組織を守り、運用の質を維持する、そのために競業禁止契約のような施策を講じることは、顧客の集合全体に対する関係では、むしろ、忠実義務の履行ともとらえ得るのです。
また、年金基金の受託者としての責任において、ある運用会社の鍵となる運用担当者が去ったことを理由に解約することは、最善の運用を尽くすという意味で、忠実義務や注意義務の履行にかなったことととらえ得ます。
しかし、だからといって、その運用担当者が新たに作った会社に直ちに資産を移すことまでも、忠実義務や注意義務の観点から正当化できるかどうかは、疑問の余地なしとしません。その運用担当者がいかに優れていても、その能力は、前の組織のなかで発揮されたものであり、小さな新会社のなかで再現されるとは限らない以上、直ちに、契約を結ぶことが良識にかなったものかどうかについては、十分に検討されなければならないからです。
いかに検討しても、明確な答えはでませんね。答えが出ないから何もしない、紛争を恐れて何もしない、というのでは、判例による法創造が起きない、進歩も革新も起きない。そのような停滞状況こそが、究極の忠実義務違反ですね。
ですから、先ほどいいましたように、結論を知ることではなく、徹底的に考えることが重要なのです。考えて、確信をもって行動する、そのような行動規律こそが、トラストの受託者の忠実義務を支える根本原理であり、また、それこそが忠実義務そのものといってもいいでしょう。
米国の年金基金の運用責任者に課せられる受託者責任については、法律の専門家が判例の蓄積から抽出して明文化したものとして、有名なプルーデント・インベスター・ルールprudent investor ruleというのがあります。
そこでは、しかし、何がプルーデント(良識ある、節度あるという意味でしょう。慎重な、というと少し感じが違ってきます)であるか、マン(単なる人、かつてはプルーデント・マン・ルールといわれていたのです)と、インベスター(投資家)とは、どこが違うのか、必ずしも、明らかではありません。要は、深く考えなくては解釈できないようなものなのです。
確実にいえることは、考えないこと、考えても行動しないこと、考えないで行動すること、これらは、プルーデントではないということです。かといって、深く考えて行動したことがプルーデントではないと判定される可能性も、常に残るわけです。しかし、その小さな危険を冒すことこそが、年金基金の責任者に課せられた真の受託者としての義務であるわけです。
米国では、トラストの受託者において、こうした真の義務が履行されているからこそ、そこには創造があり、革新があり、発展と成長があるのです。
日本の現実と引き比べたとき、落差の大きさには、絶望的なものがありますが、安倍政権の成長戦略というのは、まさに、そうした米国的な成長の動態を日本に確立することでなくてはいけませんね。
米国の資産運用事業の隆盛の裏には、それに携わる者の多くが、トラストの受託者としての重い義務を課せられ、そのなかで切磋琢磨してきたことがあるのです。それが、資産運用の高い質を規定してきたのです。
その資産運用の質は、当然のことながら、投資家としての強い行動規範に帰結し、それが、被投資側の企業に強い圧力として働き、そして米国の企業統治によい影響を与え、米国産業の隆盛に結果したのです。
安倍政権は、この仕組みを正しく理解しているとみられ、その成長戦略のなかには、こうした米国の成功に学ぶ姿勢が明瞭にでています。故に、我ら投資運用業界に課せられた課題も、極めて明瞭です。
それは、まずは、年金基金や投資信託に米国流のトラストの受託者責任を導入することであり、そのもとで、同じトラストの受託者としての厳格な規律のもと、投資運用業者の切磋琢磨がなされることであり、その結果、運用の質が向上し、ひいては、それが被投資先の産業界の企業統治に好影響を与える、そのような循環を確立することなのです。
そして、何よりも重要なことは、厳格な忠実義務のもと、顧客の利益のみを考え、顧客利益のためにのみ行動するという業界の倫理の確立なのです。ここには、規制は働かない。いかなる規制も、人に正しく思考させることは強制できないからです。業界の切磋琢磨のみが、業界人の高度な職業倫理を育てる、そのような風土の醸成こそが、同業者団体としての業界の使命なのです。
以上
次回更新は4月17日(木)になります。
2014/04/03掲載「信託に厳格な受託者責任を課すために」
2014/03/27掲載「ファンドのディレクターとトラスティー」
2014/03/20掲載「国際金融センターへの挑戦と信託」
2014/03/13掲載「GPIF改革、あるいは投資家の内部統治と信託」
2014/03/06掲載「投資信託は本当の信託なのか」
2014/02/27掲載「投資詐欺事件における信託銀行の責任」
2014/02/20掲載「信託の合同運用における法創造」
2014/02/13掲載「信託の受託者の忠実義務」
2014/02/06掲載「金融危機さなかの信託銀行批判」
2014/01/30掲載「企業年金の資産運用におけるフィデュシャリーの責任」
2014/01/23掲載「九州石油業厚生年金基金訴訟に思う」
2014/01/16掲載「フィデュシャリー、あるいは信じて託すること」
2014/01/09掲載「トラスト、あるいは信託の本旨」
≪ アーカイブから今週のお奨めは「株式の本質」≫
2013/09/18掲載「「株には手を出すな!」の発想からの株式投資」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。