最初に経営安定基金とは何か、という基本から始めましょう。その起源は、日本国有鉄道の分割民営化に遡ります。
このとき、鉄道事業の収支において、黒字化の目途が立ち得ない会社、即ち、本州以外の三つの島を営業領域とすることから総称してJR三島会社といわれた三つの会社、JR北海道、JR四国、JR九州に対して、鉄道事業の赤字填補を目的に交付されたのが、経営安定基金なのです。
基金が設定されたときの目論見では、基金資産を元本保証のある国債等に運用して得られる利息収入で、鉄道事業の営業赤字を相殺できることになっていました。ですから、各社の赤字額を当時の金利水準で除した金額が逆算されて、各社に基金が割り振られたのです。JR九州の場合は、3877億円です。
さて、鉄道事業の実際の営業赤字ですが、JR九州の場合、2013年度で157億円です。この数字は、3877億円の約4%です。実際、同年度における経営安定基金からの運用収益は120億円、利回りに換算すると、約3%となっています。
こうして、年度によって数字に多少の変動はあるのですが、JR九州が発足して以来、鉄道事業の営業赤字と経営安定基金の運用収益とは、概ね相殺されるように推移してきたのです。
おかしいですね。資産運用の本質からして、鉄道事業の営業赤字を相殺するように、都合よく安定的に収益があがるはずもないし、そもそも、現在の金利水準からして、3%という利回りの達成は困難なはずです。極めて不自然ですが。
もちろん、不自然です。ここには、国民の目から隠された高度な技巧、もっと強い表現を用いれば、一種の経理の粉飾があるのです。
実は、経営安定基金は、JR九州が発足して間もなく、当初の目論見に反して、機能しなくなってしまったのです。金利が低下して、安定的な利息収入では、鉄道事業の営業赤字を埋めることができなくなってしまったからです。そこで、政府は、高度な偽計を凝らします。それが、経営安定基金の機能維持策といわれるものです。
その仕組みは、こうです。JR九州の株式の100%を保有するのは、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(長すぎる名前なので、鉄道・運輸機構と略称されます)ですが、この機構は、市中金利の実勢を無視して、わざと高金利で、JR九州から借り入れを行っているのです。
その原資は、経営安定基金から出ています。ですから、経営安定基金は、赤字填補に必要な運用収益を、鉄道・運輸機構から徴収する利息で確実に出せるのです。それは当然で、赤字額から逆算して、金利を操作しているのですから。
では、経営安定基金の運用収益というのは、実質的な補助金なのですね。
もともとは、経営安定基金というのは、民営化の前提として、経営の創意工夫や自助努力を促すために、JR九州を政府の保護から切り離す意図のもとに、手切れ金的なものとして、設定されたのだと思われます。しかし、超低金利の超長期にわたる継続という誤算が、政府の計画を狂わせたのです。
経営安定基金は、機能維持策という偽計を凝らした瞬間から、実質的な補助金を生み出す仕組みに転落してしまったのです。しかも、それは、一時的なものではなくて、JR九州発足後間もない時期から今日まで、ほぼ恒久的な仕組みとして定着してきたのです。
この仕組みの問題点は、正規な補助金であれば、それなりの手続きを経て、つまり、国民の監視のもとに交付されるのに、鉄道・運輸機構を経由した経営安定基金の運用収益という名目で交付されれば、実態が見えなくなるということです。
しかも、手法も不健全です。機能維持策とは、もしも民間企業が行うのならば、親会社と子会社の間の資金貸借を偽装した経理の粉飾にほかならないからです。
さて、総合収支において黒字化を実現し、上場すら計画しているJR九州において、経営安定基金は必要なのでしょうか。国に全額返すべきではないでしょうか。
問題を整理すれば、次のようになるでしょう。
第一に、鉄道事業が構造的な赤字を生んでいる以上、その填補のために、名称や方法はともあれ、何らかの補助金的なものは必要であるのか。それとも、多角化事業を含めた総合収支において黒字化しているのならば、補助金的なものは不要なのではないのか。
第二に、補助金的なものが必要であるにしても、現在の経営安定基金を使った技巧は廃止し、別の透明な制度にすべきではないのか。その場合、形態や名目はともあれ、巨額な補助金を受けている会社の上場はあり得るのか。
第三に、補助金的なものは、あくまでも経営安定基金からの見せかけの運用収益なのであって、それを打ち切るとしても、そのことは、ただちに経営安定基金自体の国への返還を意味しないのではないか。経営安定基金は、他の鉄道事業資産等と同様に、民営化の時点でJR九州に確定的に移転した資産なのではないのか。
まずは最初の問題ですが、鉄道事業だけを分離して、その赤字の填補を考えるべきなのでしょうか。
JR九州は、熱心に多角化に取り組んできて、その結果、多角化部門の黒字で鉄道部門の赤字を埋めるところまで漕ぎ着けたのです。その多年に及ぶ経営努力は、高く評価されるべきでしょう。いわば、JR三島会社のなかでは、優等生であるわけです。
ただし、多角化部門については、駅舎の商業ビル化のように、鉄道事業が作り出す人の流れがあってこそ成り立っているという事実は見逃せません。故に、鉄道事業の赤字というのは、見方を変えれば、多角化事業を支えるための経費という側面があるのです。この事情は、JR九州と競合している西日本鉄道株式会社など、一般の民間鉄道事業者にとっても、全く同じです。
従いまして、民間企業としては、鉄道事業と関連事業を統合した総合収支だけが問題なのであって、鉄道事業収支の赤字だけを特別に取り上げて、公益的な視点から補助金等を要求することは、少なくとも、上場を目指そうという純民間企業としてのJR九州においては、考えにくいことです。
そうはいいましても、補助金等を受けている企業が上場できないということでもありません。所詮は、多くの企業が、直接間接に、政府による補助金等を通じた国策的な所得の再配分によって、恩恵を受けているのです。
ですから、純粋な民間企業としてならば、廃止するのが合理的であるような路線があり、政策的には、その維持が強く求められるような事案があるのならば、その事案に即した補助金等の仕組みが工夫されればいいことです。
ただし、その場合でも、大切なことは、経営安定基金を使った不透明な補助金の仕組みは、総合収支が黒字にあり、上場も検討できるようになった以上、直ちに廃止すべきだということであり、他の透明な手法を採用すべきだということです。
では、経営安定基金は国に返還されるべきでしょうか。
これは、少し難しい問題です。先に、JR九州の見解をみておきましょう。
実は、JR九州の正式見解は、明確に示されているようでもなく、また、政府においても、何も正式には決まっていないようです。しかし、報道等から推測すれば、JR九州の主張というのは、次のようなものではないでしょうか。
第一に、もともと、鉄道事業の赤字を多角化で埋める経営努力をしてきており、総合収支で黒字化へ目途をつけた以上、補助金的な仕組みである経営安定基金の機能維持策は廃止してもよい。しかし、そのことは、直ちに、経営安定基金の国への返還にはならない。
第二に、そもそも、経営安定基金は、日本国有鉄道分割時に鉄道事業資産等と同時にJR九州へ移転したもので、その時点で、確定的にJR九州の所要物となったのであり、いまさら、その国への返還など、論じる余地はない
第三に、 鉄道事業の赤字填補という機能を失った経営安定基金は、使途の自由な資金となったのであって、JR九州の将来のために、合理的な方法で、設備投資等に振り向けることができる。故に、これは一般的な企業の手元流動性と変わるものではなく、上場の障害になるはずもない。
そうしますと、論点は、JR九州が発足した時点における経営安定基金の設定目的と、その資金の使途制限の有無になってきますね。
古いことですし、当時の真相はわかりませんが、経営安定基金の機能維持策という偽計は、後で工夫されたもので、当初から予定されたものではなかったと考えられる、あるいは、国民として、そのように考えたいと思います。
ならば、経営安定基金というのは、補助金の一括交付、あるいは手切れ金のような性格で、その後は、JR九州の経営努力によって効率的に運用されることが前提となっていた、つまり、機能維持策による補助金としての運用収益など、考えられてはいなかったのではないでしょうか。そうならば、経営安定基金は、確定的にJR九州のものになっているはずで、国への返還は、論理的に、あり得ないと考えられるのです。
しかし、現実には、機能維持策の導入により、経営安定基金は、実質的な補助金による収益操作の道具としてしか機能してこなかったわけです。この機能維持策により、運用収益の名目でJR九州に交付された金額は、累積では巨額なものになっています。これらは、事実上、予定外の追加補助金なのではないでしょうか。
だとしますと、補助金の二重取りになっているようですね。
そうです。機能維持策により交付された金額は、当初の経営安定基金の設定目的を超えたものですから、仮に経営安定基金が確定的にJR九州のものになっているとしても、国に返還すべきではないでしょうか。そうだとしますと、その金額は、経営安定基金の残高の3877億円のうち、優に過半に達すると見込まれます。
新幹線の開通という問題もありますね。
JR三島会社は、JR東日本、JR東海、JR西日本の本州三社に比べて、営業地盤が弱く、鉄道事業の黒字化が困難と判断されたので、経営安定基金が設定されたわけです。しかし、現在では、鹿児島まで新幹線が通り、鉄道事業自体の外部環境が変わっています。
この点、JR九州の場合は、JR北海道とJR四国、特に新幹線の可能性がないJR四国とは、条件が大きく異なるのです。見方によっては、JR九州は、新幹線開通によって、経営安定基金に依存した経営から卒業したとも考えられるわけです。
そうしますと、やはり、経営安定基金の国への返還の方向で、調整が進むということでしょうか。
例えば、競合している西日本鉄道株式会社の立場から、あるいは一国民としての常識の立場から考えると、全額返還が望ましいように思えます。少なくとも、一部の報道にありましたように、全額とはいかないまでも、基金の大半を国へ返還する方向での検討は、不可避ではないでしょうか。
いずれにしても、本来は、国民の審判を経て、決定されるべき問題だと思われます。経営安定基金の機能維持策の問題点は、国民の目を欺くような偽計的な手法にあったのです。JR北海道の企業統治の欠陥にしても、経営の深層において、この偽計的手法に慣れ親しんだ体質が影響しているのではないでしょうか。
JR九州が上場企業としての新発足を目指すのならば、経営安定基金の機能維持策という過去の総括は、公開企業にふさわしい透明な方法で行ってほしいものです。
以上
次回更新は8月7日(木)になります。
2013/10/03掲載「JR北海道の経営の深層」
2011/10/06掲載「JR三島会社の経営安定基金のからくり」
2009/07/23掲載「JR三島会社の経営安定基金と大学財団」
≪ アーカイブから今週のお奨めは「受託者責任」≫
2014/07/10掲載「資産運用の担い手として、何をなすべきか」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。