この経営計画を纏めた冊子は、極めて興味深いものです。なにしろ、冒頭に山の絵が描かれていて、その頂点には、「株式上場」と書かれた旗をもった人が立ち、そこに、「まだまだチャレンジ!」との吹き出しが付いています。
「まだまだチャレンジ!」は、この山の後ろに、さらに高い山が聳え、そこには、「安全とサービスを基盤として九州、日本、そしてアジアの元気を作る企業グループ」という「あるべき姿」があるのであって、そこへ向けて、「倦まず、弛まず、立ち止まらず、どん欲に挑戦し続けます」という決意を表明したものなのです。
要は、2016年までの中期経営計画としては、株式上場という大きな目標があり、その先の経営の理念として、「あるべき姿」が描かれているわけですが、それにしても、「アジアの元気を作る企業グループ」とは、一体、何のことやら。
おそらくは、グループという単語に、つまり、JR九州からJR九州グループへの飛躍に、大きな意味を込めているのではないでしょうか。
その通りです。何が面白いといって、この経営計画の冒頭で理念を高らかに語るところには、鉄道という言葉が全く現れないことです。
「安全とサービスを基盤として」というところに、鉄道事業を核とした企業グループであることを示すものがあるのですが、同時に、2016年度には、「連結売上高に占める鉄道運輸収入以外のシェアを60%超に」という明確な数値目標が掲げられており、ほとんど脱鉄道といってもいいような計画になっているのです。
2016年度に向けて、鉄道事業については、「鉄道運輸収入の維持・向上」といわれていて、成長を見込んでいないのに対して、鉄道運輸収入以外では、20%の成長を見込んでいて、連結売上高としては、10%超の成長になるとしているのです。
逆にいえば、この経営計画は、JR九州が企業として成長していくためには、鉄道事業以外の多角化分野を拡大するほかなく、そのためには、JR九州ではなく、JR九州グループにならなくてはならず、営業領域も、九州を超え、日本を超え、アジアに展開しなければならないという環境認識を示したものなのです。
JR九州は、本来は、日本国有鉄道の九州部分を分割して作られた九州旅客鉄道株式会社なのですが、どうやら、今後は、何か全く別のものになっていくような感じです。超成熟日本において、超成熟事業である鉄道事業を営む企業として、成長ということを考えれば、やはり、こうなるほかないのでしょうか。
ところで、多角化の現状を示すJR九州の連結決算は、どうなっているのでしょうか。
実は、JR九州は、株式上場を目指している企業としては、甚だ開示の悪い企業なのです。
経営計画は、連結決算の数字をもとに作成されているのですが、公表されている実績としての財務諸表は、あくまでもJR九州単体のもの、即ち、鉄道事業の売り上げを基礎にしたものだけなのです。ですから、計画としてあげられているように、売り上げの過半を非鉄道事業に求めるといわれても、多角化事業全体の結合関係や、鉄道事業との関連などは、数字で裏付けることはできません。
なお、会社案内には、簡単に、2012年度の連結決算の数字がありますが、それによると、連結売上高3428億円、連結経常利益173億円です。同期間のJR九州単体の数字は、鉄道事業収入1610億円、関連事業収入320億円で、合計した総収入は1930億円、経常利益は76億円です。
そうしますと、2012年度においては、連結売上高3428億円に対して、鉄道運輸収入は1610億円ですから、鉄道運輸収入以外のシェアは55%となります。また、2016年度における計画値は、連結売上高3700億円、単体売上高2000億円ですから、現状は、概ね、経営計画の線に沿っていることがわかります。もっとも、わかるのは、ここまでです。
経営安定基金からの運用収益は、経営計画のなかで、どのように位置づけられているのでしょうか。
まず、経営安定基金の簡単な解説をしておきましょう。日本国有鉄道を分割民営化したとき、JR九州ほか、JR北海道とJR四国の三社(いわゆるJR三島会社)に対して、鉄道事業の赤字填補を目的として交付されたのが、経営安定基金です。
当初の計画では、経営安定基金を国債等の元本保証資産等で運用して得られる利息配当金で、鉄道事業の営業赤字がきれいに埋められる予定でした。なぜなら、当時の各社の鉄道営業赤字額を、当時の金利水準で除して、各社への交付額を算出したからです。JR九州の場合は、それが、3877億円だったのです。
ところが、JR九州が発足して間もなく、金利が急低下し、しかも、超低金利が今日に至るまで継続するという事態になり、当初の目論見は崩壊します。そこで政府は、経営安定基金の機能維持策という詭計をめぐらします。その仕組みは、JR九州の株式の全てを保有する独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が、市中金利を無視して、高金利で経営安定基金からの借り入れを行うというものです。
この仕組みですと、鉄道営業赤字額を前提にして、恣意的に借入金利を操作すればいいので、簡単に問題が解決できます。しかし、これは、純民間企業として行えば、親会社と子会社の間の資金貸借を偽装した粉飾にほかならないわけで、不健全極まりないものです。
しかも、こうしてJR九州へ移転した収益は、実態として、政府補助金であるわけで、それが、国民の目から隠された操作を通じて、多年に及んで交付され続けてきたことの問題性は、非常に大きいのです。
そのような不健全な会計操作は、まだ行われているのでしょうか。
JR北海道とJR四国では、続けられています。しかし、JR九州の場合は、既に、廃止されています。そうでなければ、株式上場などという計画は、あり得ないことでしょう。JR九州グループとしての連結利益において黒字定着を実現し、上場を前提とした経営計画が策定された段階で、経営安定基金の機能維持策の廃止は、決まっていたことだと思われます。
これは当然で、純民間企業としての鉄道事業会社においては、JR九州と競合する西日本鉄道株式会社でも、その他どこでも、鉄道事業が作り出す人と物の流れを核にして、多角化事業を構成しているはずなので、全事業を含めた総合収支だけが問題となるはずですから、鉄道事業の赤字だけを個別に政府補助金で填補することは、原則として、できないのです。
では、経営安定基金は、国へ返還されるのでしょうか。そうだとすると、経営計画からも、その存在は消されているはずですね。
実は、経営計画のどこを見ても、経営安定基金のことは書かれていないのです。どうやら、JR九州としては、表向きは、その存在を積極的に認める気はないようです。では、国へ返すつもりなのかというと、そうではなくて、その有効な活用は、経営計画上、予定されているのです。
そのことがわかるのは、経営計画における営業利益と経常利益の差です。2016年度において、連結営業利益250億円に対して、連結経常利益300億円となっており、この差の50億円(単体でも差は50億円)は、明らかに、経営安定基金の運用収益なのです。
現状、経営安定基金は、どのように運用されているのでしょうか。
運用の実態は、全くわかりません。2014年3月期の数字を見ると、経営安定基金の金額は3870億円で、発足時から変わっていないのですが、その時価額は、4268億円となっており、何か時価変動のある投資対象に積極運用しているようにもみえます。
実際、2013年度の経営安定基金の運用収益は120億円ですから、時価に対して2.8%、基金簿価に対してだと、3.1%で運用されていることになります。4268億円のうちの3585億円は、金銭の信託となっていることから、おそらくは、この信託勘定を通じて、何らかの運用が行われているのでしょう。
50億円という金額は、資産時価に対しては、1.2%程度ですから、将来金利の変動等を考慮して、保守的に見積もって、算定されたものではないでしょうか。
いわば、財テク企業ですね。2016年度以降も、あるいは、上場後も、財テクを続ける気でしょうか。
全く不明です。そもそも、経営安定基金の貸借対照表上の記載についても、今後のあり方は不明です。現状では、資本の部にあるのですが、今後も、何らかの資本性の準備金等として取り扱われるのでしょうか。同時に、資産勘定でも、経営安定基金資産は、特別扱いですが、今後は、他の投資有価証券等の流動資産に統合されるのでしょうか。
これは、単なる会計の技術的な問題ではなくて、経営安定基金の使途制限にかかわる重要な問題です。経営安定基金が会計上の特別扱いを受けているのは、設定時において、使途が限定されていたからです。今後も、使途制限が続くのならば、一般の上場企業としては特異な会計処理も続くのでしょうが、使途制限が廃止されれば、単なる流動資産等になるだけです。
そして、ひとたび、単なる流動資産等になれば、あとは、何の制限もないので、設備投資等に積極的に振り向ければいいことになるのでしょう。おそらくは、それがJR九州の目論見であって、2016年度以降の新たなる経営計画で、そこが明瞭になるはずなのです。
しかし、国民の立場からみると、もはや目的を終えた経営安定基金は、国へ返還されるべきなのではないでしょうか。
そこが難しいところで、JR九州の見解というのは、日本国有鉄道分割時における資産分割の一環として経営安定基金が交付されたので、その限りでは、他の鉄道事業資産等と何らの差もなく、そのときに確定的にJR九州のものになったのだということでしょうが、確かに、そうかもしれないのです。
ただし、二つのことは考える必要があるでしょう。ひとつは、機能維持策による実質補助金の問題であり、もうひとつは、新幹線です。
もしも、経営安定基金が確定的にJR九州に移転したのならば、それは、将来に及ぶ鉄道事業の赤字填補のための補助金の一括交付であったはずであり、あとは、JR九州の自助努力により運用収益をあげるべきだったのです。実際、当初の政府の計画は、そうであったはずです。
ところが、機能維持策による運用収益は、明らかに補助金の性格をもっているのですから、そこには、補助金の二重取りがあったことになります。機能維持策による運用収益の累積額は、経営安定基金の過半にも達するとみられますので、少なくとも、その分は、国へ返すべきなのではないでしょうか。
第二に、鉄道事業の収益性に決定的な影響を与えているのは、新幹線です。ですから、新幹線の可能性のないJR四国が、明瞭に経営安定基金に依存した経営計画を立てているのは、それなりに、筋が通るのです。ところが、JR九州の場合は、鹿児島まで新幹線が開通しています。実際、JR九州の経営計画は、新幹線抜きには、成り立たないのです。
もしも、経営安定基金のひとつの性格として、新幹線がないことに対する補償的意味があったのなら、JR九州においては、いまや、国へ返すべきときが到来したとも考え得るのではないでしょうか。
後は、政府の決断ですね。
財政難の政府ですから、国への全額返還を求めるべきだと思えるのですが、同時に、株式公開時に政府がJR九州株式を売却して得られる金額の大きさも重要で、政府は、全体としての政府の利益の最大化を考えて、決断するのでしょう。
以上
次回更新は8月14日(木)になります。
2014/07/31掲載「JR九州の経営安定基金」
2013/10/03掲載「JR北海道の経営の深層」
2011/10/06掲載「JR三島会社の経営安定基金のからくり」
2009/07/23掲載「JR三島会社の経営安定基金と大学財団」
≪ アーカイブから今週のお奨めは「受託者責任」≫
2014/07/10掲載「資産運用の担い手として、何をなすべきか」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。