投資信託の販売における系列重視には二つの側面があって、一つは、系列関係にある投資運用業者の投資信託を優先的に取り扱うことで、もう一つは、逆に、系列が異なる投資運用業者の投資信託を一切取り扱わないことです。試しに、8月6日時点で、各社のウェブサイトにある数字をみてみましょう。
野村證券で、単純に、取り扱われている投資信託の数を調べてみますと、全部で816本あるなか、系列の野村アセットマネジメントのものが459本を占めています。逆に、直接に競合している大和証券の系列である大和証券投資信託委託のものはゼロ、大和住銀投信投資顧問のものは3本にすぎません。
今度は、大和証券をみてみると、全部で438本あるなか、大和証券投資信託委託のものが275本、大和住銀投信投資顧問のものが57本、野村アセットマネジメントのものはゼロです。
大手銀行も、同様でしょうか。
三菱東京UFJ銀行では、全249本のうち、三菱UFJ国際投信のものが182本、みずほ銀行では、全226本中、新光投信が17本、みずほ投信投資顧問が68本、DIAMアセットマネジメントが44本、三井住友信託銀行では、全227本のうち、三井住友トラスト・アセットマネジメントが105本、2009年に子会社化した日興アセットマネジメントのものが27本となっています。
要は、取扱い投資信託の過半が自己の系列投資運用業者のものであることは、大手証券二社と同じであり、また、他銀行の系列投資運用業者の採用が極端に少ないことも、同様の傾向です。
ただし、三井住友銀行では、そもそも、経営の特色として、直系の系列投資運用業者がありません。もっとも、関係会社として、三井住友アセットマネジメントと大和住銀投信投資顧問との二社があって、三井住友銀行で取り扱う全154本のうち、それぞれ、39本と34本となっています。
系列重視の傾向は明瞭のようですが、そこに、金融機関の利益を優先させるものとして、利益相反を認め得るでしょうか。
利益相反のおそれがあることは、どうにも否定のしようがないでしょうが、そのことから、直ちに利益相反の事実を導けるかというと、それは、極めて困難でしょう。なぜなら、利益相反の事実を立証するためには、顧客の損失のうえに金融機関の利益が形成されていることを立証しなければなりませんが、それは、不可能だと思われるからです。
しかし、事実として、販売会社が自己の系列の投資運用業者を優先させるということは、投資運用業者間の公正公平で自由な競争を制限することを通じて、運用の質の改善を妨げ、結果的に、顧客の損失になっているのではないでしょうか。
金融機関個社の利益相反の事実を立証できなくとも、金融機関全体の経営行動を通じて、顧客の利益と金融機関の利益との間に相反関係の生じている可能性は十分にあります。
投資運用業者として、同系列の販売会社の営業力によって、投資信託が売れてしまうのであれば、運用の質を改善する努力が疎かになるでしょう。系列重視の弊害は、個々の金融機関の利益相反の問題ではなくて、投資運用業者が販売会社に依存することにより、運用の質が劣化していくことにあるのです。もちろん、運用の質の劣化は、顧客の損失です。
投資信託の販売会社と投資運用業者を傘下にもつ大手金融グループの全体利益について、投資信託の顧客の利益との間に、直接的に相反関係があるとはいえない、というよりも、利益相反を立証はできないでしょう。しかし、販売会社が全ての投資運用業者に対して中立的な姿勢で取り扱う投資信託を選択していたならば、より優れた投資運用業者を紹介できた可能性を通じて、また、傘下の投資運用業者の運用の質が高くなった可能性を通じて、より大きな利益を顧客に還元できたであろうことは、否定し得ないのです。
実は、金融庁は、投資信託改革の課題を、「資産運用の高度化」と呼んでいるのです。系列重視を問題視するのは、それが「資産運用の低度化」、つまり、運用の質の劣化につながっているとの金融庁の認識を示すものにほかなりません。
ならば、運用の質が改善さえすれば、系列重視でも構わないということですか。
一般論としていえば、投資運用業者間の公正公平で自由な競争こそが、運用の質を改善していくための必須の要件であると思われます。故に、金融庁も、系列重視を問題視するわけですが、逆に、系列重視だからこそ、運用の質を高めることができるという考え方も、それを認めるかどうかは別として、あり得なくはないでしょう。
つまり、販売と運用を一体化させるほうが、顧客の求めるものを直接に運用に反映させやすいはずだという一部の金融機関の主張です。
販売と運用の一体化というのは、投資運用業者自身が販売を行う直販ならわかりますが、販売会社が主体となって、投資運用業者を従属化させるのは、邪道ではないでしょうか。
投資運用業者自身が販売を行う直販は、販売とはいうものの、むしろ、販売という機能を介さずに、直接に投資家と投資運用業者との間で信認関係が成立するものです。
この場合、投資家が投資運用業者を選んでいるのであって、主体は投資家なのです。つまり、投資運用業者は、運用の質を投資家から評価されて選ばれているのですから、明らかに、ここには、投資運用業者間の運用の質の競争があるのです。これこそが、理想的な投資信託市場のあり方でしょう。
理想的というのは、投資運用業者間の健全な競争が促されることだけでなく、販売に要する無駄な費用が発生しないことも含みます。しかし、同時に、投資信託を自己の意思で選択できる賢い投資家を想定しない限り、成り立たない仕組みであるという意味でも、理想にとどまるものです。
直販だけで投資信託市場が成り立つためには、投資家像として、確立した投資方針をもち、大量な情報を処理し、合理的に選択行動できる人を想定せざるを得ませんが、今の日本では、そのような人は極めて少数でしょうから、直販は小さな市場にとどまっているのです。もちろん、社会は進化しますから、直販が普及拡大する方向にあることは、間違いないのですが。
それに対して、現状において一般の投資家を想定した場合、投資信託の選択に際しては、販売という機能を介在させないわけにはいきません。投資信託の販売とは、本来は、営業ではなくて、助言なのです。助言だからこそ、販売手数料をとれるのです。金融庁が問題にしているのは、まさにこの点で、現実には、助言としての実質がないなかで、高額な販売手数料が課せられているという非合理があるのです。
さて、販売が本来の助言の方向へと是正されていくとき、助言内容を投資信託の商品設計に反映させるという考え方がでてきます。そうなれば、確かに、形式としては、販売優位で投資運用業者を従属化させるものではあるのですが、販売という行為の実質が助言である限りにおいて、それなりの合理性を認めることができます。
販売と運用を一体化させるとしても、運用を担当する投資運用業者は、販売会社の系列である必要はないのではないでしょうか。
確かに、どの投資運用業者でもいいのでしょうが、理屈上、特定の販売会社の専属の投資信託になるのですから、資本関係があるなしにかかわらず、販売会社と投資運用業者との間に、排他的関係が成立するわけで、ならば、いっそのこと、系列の投資運用業者のほうが便利であるという主張になるのでしょう。
実際に、そのような例はあるのでしょうか。
ゆうちょ銀行が構想している新しい投資運用業者の設立は、まさに、代表例です。また、既にあるものとしては、中国銀行の中銀アセットマネジメント、横浜銀行のスカイオーシャン・アセットマネジメント、千葉銀行のちばぎんアセットマネジメントという三つの地方銀行の取り組みです。
ちなみに、7月22日のゆうちょ銀行の発表資料によれば、「新会社においては、(1)お客さまのニーズ等に合った、お客さま本位の簡単で分かりやすい商品を、ゆうちょ銀行と郵便局のネットワークを通じて幅広く・迅速にご提供できるようになること。(2) また、お客さまの真のご意向に応えた長期安定的な資産形成をお手伝いできるようになること」が目的であるとされています。
確かに、金融庁がいう「顧客ニーズに応える経営」という意味では、販売主導で運用を統合すること、即ち、真正面から系列重視を肯定することも理解できますが、運用の質の改善、即ち「資産運用の高度化」という金融庁の別の課題からすれば、系列重視を否定せざる得ないわけで、そこに、矛盾はないのでしょうか。
非常に難しい問題です。金融庁の二つの課題である「顧客ニーズに応える経営」と「資産運用の高度化」を両立させて理解するならば、真の顧客ニーズとは、より高度な資産運用であると理解するほかないわけですが、では、高度とは何を意味するかというと、必ずしも、自明ではないからです。
高度な運用を、より優れた運用成果の提供と考えるならば、完全に競争原理を排した系列重視は、否定せざるを得ず、ゆうちょ銀行等の取り組みは、許容し得ないことになります。逆に、もし、ゆうちょ銀行等の真正面からの系列重視を認めるのならば、高度な運用に、全く別の意味を与えるほかないでしょう。
それは、ゆうちょ銀行が主張するようには、「簡単で分かりやすい商品」や、「お客さまの真のご意向に応えた長期安定的な資産形成」なのでしょうが、この抽象的な表現によって、何が具体的に意味されているかは、理解し難いところです。
そこを敢えて好意的に解すれば、一つの投資信託のなかに多様な投資対象を組み込む資産配分型の商品開発なのでしょう。実際、横浜銀行と千葉銀行の取り組みは、資産配分型の投資信託の提供です。販売を顧客の資産管理に関する助言と解するとき、それが資産配分に帰着するのは自然で、更に、それを投資信託の標品開発に適用すれば、資産配分型の投資信託になるのは当然です。
金融グループとして、手数料等の取りすぎになる可能性については、どうでしょうか。
金融グループとしての手数料収入等の最大化を目指したものとして、系列重視を行うことは、金融庁としては、絶対に認め得ないことです。故に、真の顧客ニーズを理由に、敢えて系列重視を行うのならば、手数料等の合理化は不可避です。
同じように販売と運用が一体化されている直販では、販売時の手数料を取らないのが普通です。真の顧客ニーズに応えるための助言を投資信託の商品設計に織り込んだものとして、販売と運用の一体化を主張するのならば、販売時の手数料をとることの合理性について、どのような説明が可能なのでしょうか。はたして、ゆうちょ銀行などには、その説明ができるのでしょうか。
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森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。