「フィデューシャリー宣言」の意義について

「フィデューシャリー宣言」の意義について

森本紀行
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HCアセットマネジメント株式会社は、8月21日に、自社のウェブサイトにおいて、「フィデューシャリー宣言」を公表しました。投資運用業者として、専らに顧客の利益のために働くこと、即ち、合理的な報酬のもとで、他の一切の自己の利益、また第三者の利益を求めないことを、顧客に対して、明示的な宣言として、確約したのです。さて、この宣言に至る背景には、何があるのか。
 
 金融庁は、7月3日に、前事務年度(2014年7月-2015年6月)の金融モニタリングの成果を、「金融モニタリングレポート」として、公表しています。そのなかに、以下の記述がみられます。
 「こうした中、検証を行った投資運用業者の一部において、顧客の信認を高めるために、フィデューシャリー・デューティーに基づいた行動規範(アクョション・プラン)の具現化を模索している先がみられた。このように、フィデューシャリー・デューティーを負う者の間で、顧客のニーズや利益に真に適う商品・サービスを提供するために、具体的に何をすべきかを自主的に考え、実効性あるものとして行動に移していく動きが広がることを期待する。」
 HCアセットマネジメントは、ここに言及された「フィデューシャリー・デューティーに基づいた行動規範(アクョション・プラン)の具現化を模索している先」の一つであり、ほかにも、数社が同様の取り組みを進めていたわけです。実際、26日には、セゾン投信が宣言を公表しており、その後、更に、相次ぐ見込みです。
 
HCアセットマネジメントの「フィデューシャリー宣言」の全文を、以下に掲げましょう。
 
 フィデューシャリー・デューティーなきところ、資産運用なしとの信念のもと、「専らに顧客のために」働くものとして、当社及び当社役職員がフィデューシャリー・デューティーを履行するため、以下の規範を遵守することをここに宣言します。
 規範の遵守に際しては、形式に堕することなく、フィデューシャリー・デューティーの理念に則り、「生ける規範」として実践します。
 
1. 利益相反の禁止
 
 1-1 新契約の締結において、当社と利害のある関係者を通じた不当な影響力の行使は行いません。
 1-2 顧客資産の運用及び管理において、当社と利害関係者との取引を一切行わないことにより、利益相反の恐れのある立場に自らを置きません。
 1-3 当社は、運用の実行において、各専門分野における外部の運用会社を起用しております。その運用会社の選任並びに解任は、専らに運用能力の評価に基づいて行います。当社は、運用会社との業務提携、及び運用会社への出資、並びに名目の如何を問わず、運用会社との間で特別な関係を持つことは一切行いません。
 
 2. 報酬の合理性
 
 2-1 顧客資産の規模や運用内容等の差異に応じた合理的な報酬率を適用し、同一サービスには同一報酬率をという顧客間公平性を貫徹します。
 2-2 報酬率は、当社サービスの質を安定的に保ちかつ永続的に提供するために合理的に必要となる適正な経営経費に基づき決定します。適正な経営経費は、運用プロフェッショナルとしての適正な処遇、適正な一般経営管理費、及び適正な資本利潤率に基づくものとして厳正に管理します。
 
 3. 遵守態勢
 
 3-1 規範の遵守を確実にならしめるため、規範への抵触の恐れがある行為は、経営会議その他の所定の機関による事前確認を行った上で実施します。
 3-2 内部監査部門は、規範の遵守状況について事後確認した上で、取締役会に対し定期的に報告を行います。
 3-3 取締役会は、運用プロフェッショナルで構成された取締役、及び独立した社外取締役とで構成され、規範の遵守状況を監視監督します。
 
HCアセットマネジメントとしての特色といいますか、こだわりは、どこにあるのでしょうか。
 
 努力目標的な表現を一切用いていないのは、「フィデューシャリー宣言」の絶対的要件として、強く意識したことです。これは、金融庁が昨年の9月に公表した「金融モニタリング基本方針」のなかで、投資運用業者等に対して、フィデューシャリー・デューティーを実際に果たすことを求めていることに呼応しています。
 フィデューシャリー・デューティーは英米法の規範であって、日本の忠実義務に該当します。金融庁が、敢えて、英米法をもち出したのは、日本の忠実義務が単なる精神規定に堕しているのに対して、フィデューシャリー・デューティーが履行強制力のある規範だからです。
 故に、HCアセットマネジメントの「フィデューシャリー宣言」では、する、しない、の明瞭ないい切りになっています。もしも、努める、という表現を用いれば、努めた結果として現実にはできていなくとも、努めたという事実があれば、宣言違反になりません。しかし、する、としている以上、努めた結果として現実にできていなければ、宣言違反になります。
 また、本当に努めたかどうかは、外部からは実証不能です。努力の事実の証明ができないが故に、日本の忠実義務は、努力目標としてすら機能せず、無意味な精神規定に堕して、何の役にも立っていません。それに対して、事実としてできているかどうかは、容易に実証できます。故に、規範としての履行強制力が生まれるのです。
 
これは、金融庁の規制の強化の一環でしょうか。
 
 「フィデューシャリー宣言」は、金融規制とは、関係がありません。投資運用業者が、真剣に、かつ合理的に、自己の企業価値を考えたとき、顧客の利益の上にしか、自己の利益の持続可能な成長のないことは、自然と明らかになるはずなのです。
 ならば、顧客の利益を徹底して守ることは、自己の利益を守ることになるのですから、そこに規制など必要なく、自己の利益の方向へ動く自然な経営行動として、「フィデューシャリー宣言」に到達するわけです。
 金融庁は、単に、投資運用業者に対して、自己の持続可能な収益基盤の確立を図れといっているだけです。このような社会人の常識次元のことを諭すように説かねばならない金融庁のご苦労を考えるとき、業界は、深く恥じ入るべきです。恥じて、身を正さねばなりません。
 
営業用の言葉の上のことなら、投資運用業者に限らず、多くの企業が「お客様第一」のような立派な社是を掲げていますからね。
 
 例えば、三井住友信託銀行の社是をみると、その第一番は、信託会社なのですから当然といえば当然ですが、忠実義務に関連するもので、「私たちは、最善至高の信義誠実と信用を重んじ確実を旨とする精神をもって、お客さまの安心と満足のために行動してまいります。」とあります。
 最善至高とは神のことですから、精神規定としての実効的意味すら疑問であり、ましてや、実際に果されるべき規範としての意味など全くないものであることは明らかです。もしも、実際に果されているなら、三井住友信託銀行は、神の境地に達していることになります。
 それに対して、「フィデューシャリー宣言」は、努力目標でも精神規定でもなく、事実として、実際に果されるものであって、そこに書かれたことは、その通りに、経営の責任において、確実に実行されることが確約されているものなのです。
 
「フィデューシャリー宣言」を、顧客に対して、あるいは、より広く社会に向かって、行うことで、自己規律に強力な履行強制力を付与するわけですね。
 
 顧客に確約したことを履行しないとしたら、それは、投資運用業者としての、というよりも、そもそも、企業としての存立の基盤を、自ら、崩壊させるものでしょう。ましてや、確約の内容が、顧客の利益を守るということなのですから、「フィデューシャリー宣言」違反など、あり得ないことなのです。
 加えて、「フィデューシャリー宣言」の裏には、その履行を徹底させるための内部統制手続きが整備されています。金融庁の立場からすれば、「フィデューシャリー宣言」自体は金融庁の規制でなくとも、投資運用業者の内部統制手続き違反は、問題にできるところなので、この側面からも、履行強制力が働きます。
 
金融庁の立場からすれば、投資運用業全体の改革が政策課題のはずですが、個々の投資運用業者の自主的な取り組みを、どのようにして、業界改革へと導くのでしょうか。
 
 全ては、顧客の選択です。一方に、「フィデューシャリー宣言」をする投資運用業者があり、他方に、しない業者があるとき、誰しも、「フィデューシャリー宣言」をしない業者は、なぜ、しないのか、もしかすると、できないのではないのか、という自然な疑念をもつでしょう。
 「フィデューシャリー宣言」は、その主旨からして、誰にも反対できないものですし、宣言しろといわれて、できないといえるものではありません。ならば、顧客の自然な疑念は、集まって、大きな力となり、業界全体を動かすものとなるでしょう。
 もちろん、各投資運用業者は、それぞれに異なる経営環境にあり、異なる運用の方法をもっているのですから、HCアセットマネジメントの「フィデューシャリー宣言」と同じような内容では、宣言できないことは当然です。そこには、各社の創意工夫と経営努力が必要であることは、論を待ちません。
 実際、26日に宣言を公表したセゾン投信では、業態特性に応じた内容になっています。これからは、顧客は、宣言の内容をよくみて、そこにおける投資運用業者の差別化を検討したうえで、業者の選択をしていくようになるはずです。
 
金融庁は、投資信託の販売会社にも、フィデューシャリー・デューティーを求めていますが、販売会社の「フィデューシャリー宣言」もあり得るでしょうか。
 
 金融庁は、フィデューシャリー・デューティーの履行を、投資判断をなす投資運用業者だけでなく、資産管理を行う信託会社、及び、投資信託の販売を行う銀行等や証券会社にも、求めています。
 実は、法令上、投資運用業者と信託会社には、実際に機能しているかどうかは別として、忠実義務が課せられていますが、販売会社には、課されていません。故に、販売会社にこそ、法規範ではないフィデューシャリー・デューティーの履行が求められるのです。
 投資信託の販売会社は、投資信託が売れているという事実から、顧客からの信頼を読み取るべきです。信頼されているからこそ投資信託が売れているという現実は、顧客の利益を守ることによってのみ、持続可能なものとなります。ならば、販売会社自身の規律として、「フィデューシャリー宣言」を行うことは、法規範の問題ではなくて、自己の長期的な利益の追求なのだということです。
 「フィデューシャリー宣言」を行っている販売会社は、より厚い顧客から信頼を得ることで、「フィデューシャリー宣言」をしない、というよりも、できない販売会社を、業績において凌駕していく、そのような社会のあり方を実現していくことこそ、投資信託の健全なる発展のための基礎条件となるのです。
 
信託会社にも、「フィデューシャリー宣言」は必要ですね。
 
 先ほど、三井住友信託銀行の社是を引用しましたが、同行におかれては、一日も早く、そこにある「最善至高の信義誠実」などという空疎空文を取り下げ、確実に実行される具体的な行為規範として、「フィデューシャリー宣言」を行われるべきでしょう。それが、社会の期待です。
以上

 
 次回更新は9月3日(木)になります。
≪ アーカイブから今回に関連した論考 ≫
2015/08/06掲載「投資信託の販売会社のフィデューシャリー・デューティー
2015/07/23掲載「信託業と投資運用業の責任の境界線
2014/07/10掲載「資産運用の担い手として、何をなすべきか
2014/07/03掲載「受託者としての資産運用の担い手
2014/04/10掲載「信託受託者の忠実義務を徹底的に考える
2014/04/03掲載「信託に厳格な受託者責任を課すために
2014/03/27掲載「ファンドのディレクターとトラスティー
2014/03/06掲載「投資信託は本当の信託なのか
2014/02/27掲載「投資詐欺事件における信託銀行の責任
2014/02/20掲載「信託の合同運用における法創造
2014/02/13掲載「信託の受託者の忠実義務
2014/02/06掲載「金融危機さなかの信託銀行批判

≪ アーカイブから今週のお奨めは「空疎な所信」≫
2015/05/21掲載「三井住友信託社長のあまりにも空疎な所信
森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。