新規に事業を構想するとき、現行の諸規制の適用について不明の点が生じるのは、よくあることでしょう。特に、医療、金融、通信、交通、運輸、エネルギーなど、高度に規制された産業においては、新しいことを創意工夫すれば、ほぼ確実に、規制への抵触の可能性は避け得ないと思われます。
そこで、政府は、「産業競争力強化法」において、新規事業者を支援するために、申請企業ごとに、規制の解釈および適用を確認する制度(「グレーゾーン解消制度」)と、規制の特例措置を認める制度(「企業実証特例制度」)を設けたのです。既に、昨年の1月20日より、開始されています。
これらの制度は、「企業単位の規制改革」と呼ばれているのですが、それは、個別企業の申請に基づいて運営されるものだからです。これは、新規の事業構想は、常に、特定企業の創意工夫に基づくものである以上、当然のことですし、努力したものに恩典を与えることで、努力が報われる社会を作ることは、成長戦略の根底にある哲学だろうと思われるのです。
事例として、どのようなものがあるのでしょうか。
経済産業省が掲げる代表的なものに、「血液の簡易検査とその結果に基づく健康関連情報の提供」を行うケアプロ株式会社の事例があります。
これは、ケアプロが、「利用者が自ら採血した血液について、簡易な検査を行い、利用者に対し、検査結果を通知する場合、利用者が自己採血することや、事業者が血液検査の結果を通知すること等が、それぞれ、医師のみに認められている「医業」に該当するか否か等を照会」したのに対して、「利用者が自己採血することは、「医業」に該当しないことが確認された。また、事業者が、検査結果の事実を通知することに加え、より詳しい検診を受けるよう勧めること等も、「医業」に該当しないこと等が確認された」という例です。
事案の評価としては、医療という高度に規制された産業において、サービスの利用者の視点にたち、低廉な価格で、「自ら健康管理を行う機会を身近に提供」し、もって、「病気の早期発見を通じ、健康長寿社会の実現に資する」という大きな社会的な意義を生み出すことが期待されるということです。
実際、ケアプロは、今、この「企業単位の規制改革」を大きなきっかけとして、成長企業として羽ばたいています。アベノミクスの成長戦略の一つの見本です。
金融庁にしても、金融機関に対して創意工夫を求める背景には、アベノミクスの成長戦略があるのですね。
政府は一つなのですから、当然です。故に、当年度の「金融行政方針」においては、「資金が適切に供給されていくことで、経済成長や国民の生活の向上が図られ」、もって、「企業・経済の持続的成長と安定的な資産形成等による国民の厚生の増大」がもたらされることを、金融行政の目的として、冒頭に掲げてあるのです。
新規事業創出に限らず、産業界の成長に向けた取り組みは、必ず、投資資金の需要を誘発するのですから、金融界は、成長のための資本を供給することで、対応しなければなりません。しかし、例えば、新規事業は、新規であるということにおいて、金融的には難しい対象になってしまうのです。
もちろん、金融界として、対応の困難な案件を避けていたのでは、産業界の創意工夫は事業の成長につながりません。故に、金融界にも、産業界の成長戦略に適切に応えるためには、成長資本供給の戦略が必要なのです。こうして、金融庁は、「金融機関の創意工夫を引き出す行政」を掲げることになったわけです。
先ほどのケアプロの事例でも、医業に該当しないことの確認がとれた後、成長資本の調達を行っていますね。
ケアプロは、地域経済活性化支援機構の子会社であるREVICキャピタル株式会社の運用する「地域ヘルスケア産業支援ファンド」から出資を受けています。機構自体は政府機関ですけれども、当ファンドは、出資者に銀行が名を連ねていて、成長資本供給のための一つの金融の創意工夫ではあるのです。
しかも、ここで、政府機関が登場するのについては、政策連携として、「企業単位の規制改革」の適用を受けた事業者を、金融的にも支援しようとする意図が働いているものと考えられます。こうして、ケアプロの新規事業者の創意工夫の努力は、規制面でも、金融面でも、政府の支援によって、報われているのです。
ところで、なぜ、金融庁は、既存の金融機関に創意工夫を求めるのでしょうか。金融界の外からの新しい参入こそ、革新ではないでしょうか。
確かに、ケアプロは、規制業である医業の外から、規制業だからこそ参入に疑義のあった限界分野へ、新規参入した事例です。しかし、規制業のなかにいるものは、規制業の外の業務が制限されているのですから、逆方向の規制改革もあり得るわけです。つまり、規制業者が関連する外の分野へ新規参入するということです。医業においても、制限されている医師の業務範囲について、拡大する余地もあるわけでしょう。
金融庁としては、金融規制業の外に、新たなる事実上の金融サービスを認めることを排除するものではないでしょうが、現下の遥かに大きな行政の課題は、既存の金融機関に対して、現行の規制の枠組みのなかで、最大限の創意工夫を促したいということだと思われます。
既存の金融機関全体がもつ潜在的な金融力を活性化して得られる効果は、新規参入業者を取り込むことによって得られる効果に比較して、短中期的に、あるいは、長期的にすら、比較にもならないくらいに圧倒的に大きいと考えられます。故に、経済政策としての有効性の見地からは、既存の金融機関に創意工夫を促すのがいいのです。
金融機関の創意工夫を促すためには、「企業単位の規制改革」のように、何らかの利益誘因が必要ではないでしょうか。
「金融行政方針」には、金融機関の創意工夫を促すための利益誘因の設計等は、盛り込まれていません。金融庁の論理としては、創意工夫とは、徹底した顧客の視点での業務改革のことですから、それは、当然に、顧客に提供できる付加価値の増大につながり、金融機関の利益もまた、創出した社会的付加価値に応じて増大するはずだというものでしょう。
反論し得ない正論ですが、はたして、その正当な論理だけで、創意工夫を促すことができるのでしょうか。
創意工夫には、それなりの費用がかかります。費用といっても、要は、中長期的な企業価値の向上へ向けた投資ということです。投資は、その本質として、成果を生むかどうか、不確実です。不確実性を乗り越えられるかどうかは、経営者の確信にかかります。確信なきところ、投資なし。
しかし、経営者として、中長期的な企業価値の向上について、確信がもてないようでは、そもそも、経営者の資格がないのではないでしょうか。金融庁は、ただ単に、経営者の資質を問題にしているだけのように思われます。
実際、「企業単位の規制改革」によって、政府が新規事業者を支援するといっても、原点に存在するのは、創業しようとする経営者の確信です。政府の支援策は、経営者の確信を前提にしたうえでの補強策なのであって、確信自体を生み出すものではないのです。
では、金融機関の経営者の確信を前提にしたうえで、金融庁として、その確信に基づく積極的な行動を引き出すための施策は全くないのでしょうか。
「金融行政方針」のなかには、少なくとも明示的には、金融機関の創意工夫を支援するような施策はのっていません。しかしながら、注意深く読めば、金融庁の姿勢は、規制から支援へ、根本的な転換を遂げているようにみえます。
なぜなら、金融庁は、「金融機関等の個々の活動を細かく規制するのではなく、金融機関等の創意工夫を引き出すことで、全体として質の高い金融サービスの実現を図っていくことが有効である」といっているからです。
金融機関にとって、金融庁に行為を細かく規制されないということは、利益だということでしょうか。
そのように、公然とはっきりといい放つことは、金融機関にも、金融庁にも、不可能でしょう。しかし、実際のところ、裏では、こっそりと、いい得る話です。
細かい、あるいは細かすぎる規制は、無矛盾的に完璧に設計されているとは限らず、規制の本来の目的に照らして、遵守することに実益のないもの、逆に非効率の原因となるものもあり得るでしょう。にもかかわらず、高度な遵守態勢を構築していることには、相当の費用を要しているのです。故に、規制の合理化が金融機関の利益になるということは否めません。
金融庁自身も、「金融機関の負担軽減」とはいっていますね。
「金融行政方針」には、以下のようにあります。
「金融行政がその求められている役割を適切かつ効率的に果たしているのか、また、現在のやり方が時代の要請にあっているのか、等の問題意識の下、許認可・免許の審査業務・各種ヒアリング・資料徴求のあり方を含めた金融行政における基本的なプロセスについて再点検を行い、金融機関の負担軽減を意識しつつ、透明性・迅速性・有効性・説明責任の確保といった観点から、適切な態勢を整備していく。」
また、細かい規制というとき、その規制とは、どの次元にあるのかは、よく考えてみる必要があるでしょう。少なくとも、細かくというからには、法令のような最上の次元にあるとは、考えにくいところです。
金融規制の体系は、膨大かつ複雑であって、法令を核にして、金融検査マニュアル、監督指針、事務ガイドランなどへ、外延が広がっています。細かすぎる規制に問題があるとしたら、それは、広大な体系の裾野にあるのだと思われます。
また、過去の金融検査における指摘事項等も、過去の固有の事情のもとでの指摘であるにしても、事情の異なる現在において、全く効力がないといえるのかどうかは、被検査側の金融機関には、判断し兼ねるところです。
要は、「金融行政における基本的なプロセス」を見直すことで、細かい規制の多くの問題が解決できるということは、今や、金融庁自身の認識だということです。
規制の見直しは、個々の金融機関の創意工夫を前提にしたことだとしたら、金融機関単位の規制改革になるのでしょうか。
金融庁は、細かな規制によらずに、「金融機関等との対話を推進し、自主改善を促していく」としています。対話は、当然に、個々の金融機関との間でなされるのです。対話を通じて、顧客の視点にたった金融機関の創意工夫が実現し、自主改善がなされる限り、当該金融機関についての細かな規制は不要になっていくということなら、それは、事実上、「企業単位の規制改革」です。
以上
次回更新は12月10日(木)になります。
2015/11/19掲載「ルール遵守は金融機関の自己保身」
2015/10/08掲載「金融機関に創意工夫を促す強制力」
2015/10/01掲載「「国益への貢献」を掲げた金融庁の英断」
2015/01/15掲載「金融機関が陥る集団の愚」
2014/12/25掲載「ルール遵守で馬鹿になった金融機関」
2014/10/23掲載「金融庁のいうフィデューシャリー・デューティーとは何か」
2014/10/09掲載「金融庁に「高度化」を求められた資産運用の貧困」
2014/10/02掲載「金融モニタリング基本方針の画期的な意義」
≪ アーカイブから今週のお奨めは「人材」≫
2013/08/22掲載「人を正しく処遇する方法について」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。