投資信託等の金融商品の販売については、顧客の利益を保護する観点から、商品説明に関する高度な責任を販売会社に課す厳格な規制が導入されています。しかしながら、顧客の内面における理解に関して、規制によっては、一定の基準を設けることなど、全く不可能ですから、実際には、販売会社の行為準則を形式的に定めることで、顧客の理解を擬制するほかないのです。
例えば、説明を受け、説明を理解したとの確認書に、顧客の署名押印があれば、販売会社の説明責任は尽くされたとみなさざるを得ないのですが、しかし、だからといって、顧客が真に理解していたかどうか、顧客の真のニーズに適った商品が販売されたのかどうかは、不明なのです。
そもそも、確認書の意味自体、顧客は理解していないかもしれません。それでも、顧客の実質的な理解とは関係なく、形式的な確認書の存在は、顧客が理解したことの不動の証拠にならざるを得ません。
規制によって定められた形式的手順を厳格に踏むことによって、販売会社は、免責要件を確保できるということですね。
規制は、本来、顧客を守るべきものですが、現実には、販売会社を守ってしまう、これが規制の矛盾です。故に、顧客を守るはずの規制を廃止するほうが、逆説的に、顧客の真の利益は守られるのではないのか、そのように考えてみたくもなります。
実際、もしも、説明の形式要件を定める基準がなかったら、販売会社は、実質的な顧客の理解が得られたことを、自らの責任によって判断しなければならなくなりますが、その判断は、簡単ではありませんから、法律上の危険を回避しようとする限り、販売は抑制的にならざるを得ないでしょう。特に、高齢者への販売など、事実上、不可能になるかもしれません。
しかし、販売が抑制されるということは、顧客の真のニーズに反したものが販売される可能性を抑制するという意味で、確かに、顧客の利益の保護になるかもしれませんが、もう一つ上の顧客の視点にたてば、適切な説明によって、投資への理解を高め、真のニーズに気付かせることで、よりよい資産運用を提供できていた可能性をも切り捨てることになりかねず、潜在的な顧客の利益を損なうことになるかもしれません。
販売会社の責任を軽くしないと、投資信託は普及しないということでしょうか。
アベノミクスの重点施策の一つは、資本市場の活性化を通じて、コーポレートガバナンス改革を加速させ、産業構造を抜本的に転換することで、経済成長戦略を実現することです。そのために、金融行政においては、間接金融、即ち、銀行による金融仲介機能から、資本市場を経由した直接金融への転換が目指されることになります。
そうしますと、前提条件として、個人貯蓄の構造を、銀行預金を中心としたものから、株式や社債、および、それらを対象とした投資信託を中心としたものへ移行させることが必要になります。これが貯蓄から資産形成への転換といわれる政策課題であって、そこには、当然に、投資信託の普及が含まれることになるわけです。
しかし、それは、産業金融政策の視点からする投資信託の普及であって、国民の資産形成の視点ではないですね。
貯蓄から資産形成へ、という政策課題は、国民視点では、デフレ対応貯蓄からインフレ対応貯蓄へ、ということです。金利は物価に連動する以上、預貯金と保険にもインフレ耐性はあるのですが、資本市場での投資により、より高い収益率を追求できれば、インフレ耐性を強化することができます。
特に、資産形成が意味をもつのは、老後生活資金形成における自助努力としての機能ですが、資金特性の超長期的性格は、多少の運用の工夫によって、金利連動の預貯金と保険よりも、相対的に高い収益率を実現させる蓋然性を高めてくれるわけですから、国民の利益の視点からも、投資信託の普及は重要なのです。
そうしますと、投資信託の販売会社は、顧客の真のニーズを長期的な老後生活資金形成において、それに相応しい商品提供をすべきだということでしょうか。
投資も投機も、個人が自由に好きにやればいいことであって、投機もまた、立派な顧客の真のニーズであり得ます。しかし、投機を好む顧客は、投資信託よりも、FXや株式等を選択するでしょうし、投資信託を選択する場合にも、まさか、販売会社の説明など、一切、必要としないでしょう。
また、既に、老後生活に入っている高齢者には、長期的な資産形成は、もはや、なじまないわけで、預貯金こそ、適切な貯蓄形態であると考えられます。むしろ、このような高齢者に対して、投機色の強い複雑な設計の投資信託が販売されている現実は、投資信託の本来の機能からの逸脱として、強く批判されるべきことです。
さらに、NISAは、本来は、老後生活資金形成という公益性を前提に、税の優遇措置を設けて、勤労層、特に若年層を主たる対象として、投資信託を普及させるための政策の道具であったはずですが、現状においては、口座数拡大という短期的課題が優先されたせいもあり、本来の目的に反した利用も多いようです。
やはり、投資信託の社会的機能として重視されなくてはならないのは、勤労層、特に若年層を主たる対象として、老後生活資金形成という長期的視点での商品設計がなされることであり、また、販売に際しては、投資の本来の目的と商品内容との適合性について、適切な説明がなされることなのです。
しかし、現実には、肝心の勤労層、特に若年層において、投資信託による資産形成の必要性は、十分に認識されていないようですから、投資教育こそ、先決問題ではないでしょうか。
勤労層に投資信託が普及しない原因の第一は、資産形成の必要性自体が認識されていないことです。政府として、また、販売会社として、最初になすべきは、老後生活資金形成における投資信託を通じた自助努力の重要性を明らかにすることであって、必要性の認識さえあれば、誰でも自主的に学習するわけですから、政府や販売会社の役割は、投資教育というよりも、学習支援になるはずです。
第二の原因は、投資信託の商品設計において、投資対象も、投資手法も、長期的な資産形成を前提としたものになっておらず、費用構造も、勤労者を対象に、少額を長期にわたって積み立てることに適合していないことであり、投資教育、あるいは、商品説明という名のもとに、投資の本質から乖離し、顧客の視点を欠いた意味不明な長広舌が繰り広げられていることだと推測されます。
つまり、現実には、貯蓄の大きな部分は、いまさら資産形成の必要など全くない高齢者に偏在しており、販売会社の短期的な利益の視点からは、その高齢者へ、割高な販売時の手数料をもって、商品設計の合理性について説明困難な投資信託を、一度にまとまった額で、表層的で無内容な効能書きのもと、強引に販売するほうが有利になっているわけです。
それに対して、勤労層に対して、定期的に少額を積み立てる方法で、長期的な資産形成の目的に即した内容の投資信託を、販売時の手数料をとらずに、長期的な資産の積み上がりに対して一定の残高比例報酬をとるような費用体系のもとで、販売することは、販売会社にとって、利益面で、全く非効率なのです。
従って、勤労層の視点にたって、投資信託による資産形成の必要性を説くような投資教育や、顧客説明など、販売会社の視点では、全く必要とされないのであって、むしろ、投資信託の本来の目的に反して、高齢者に販売しやすいような商品設計と商品説明が横行することになるのです。
要は、販売会社の短期的利益追求のもとでは、正しい顧客層に、正しい商品を、正しい方法で販売することはなされ得ないということであり、高齢者等の正しくない顧客層に、正しくない商品を、正しくない方法で販売することが合理的になってしまうということです。
顧客を騙すことにもなりかねないのですね。
もしも、販売会社として、老後生活資金形成の必要性を認識している勤労層に対して、その真の顧客のニーズに相応しい商品群を、徐々に資産が積み上がる前提のもとでの費用体系により、販売するならば、投資を学習しようとする顧客と、学習を支援しようとする販売会社との間には、情報の対称性が生まれるように力が働くはずです。つまり、そこには、情報が対称的になればなるほど、顧客と販売会社の双方の利益が生まれるという商業の王道が成立するのです。
ところが、販売会社として、商業の王道に反して、浅はかな短期的利益を追求すれば、真の顧客のニーズに反していても自己の利益になる投資信託を販売することになりますから、顧客の真の理解を得難いのは、当然至極のことです。
ここでは、情報の非対称性こそ、利益源泉ですから、販売会社に対して、顧客の視点にたった説明によって、顧客の真の理解を求めるのは、論理矛盾です。顧客の真の理解のもとでは、売れるはずもないからです。しかし、他方では、規制によって、販売会社には、説明責任が課せられるので、既述のように、極めて表層的な顧客の理解の擬制が横行するのです。
投資に関する顧客の知識が十分でないから、投資信託が普及しないというのは、大間違いなのですね。
本来の顧客であるべき勤労層については、資産形成の必要性を認識しさえすれば、投資を積極的に学ぼうとするはずですから、現段階における知識不足は、問題ではありません。
本来の顧客層ではない高齢者等については、販売会社が積極的に投資信託を売るためには、顧客の知識など、無用であるばかりか、邪魔ですらあります。故に、投資信託は、難しい顔つきをしているほうがいいのです。販売会社からすれば、そのわかりにくい顔の裏で、直接間接、より多くの手数料がとれるものが優れた投資信託なのです。
つまり、情報の非対称性を前提にして、よくわからないが、難しいものなのだな、と思い込ませることが極めて重要な戦術なのです。要は、詐欺と同じ構造です。それを詐欺でなくしているのは、規制に準拠した説明がなされているからです。
規制による詐欺の正当化とは、金融庁にとっても、難問ですね。
この規制の矛盾は、規制によっては解決できない、そこで、金融庁は、フィデューシャリー・デューティー(専らに顧客の利益のために働くという行動規範)をもって、対抗したのです。フィデューシャリー・デューティーは、規制ではなく理念であり、ルールではなくプリンシプル(行動原則)なのであって、その先には、情報の対称性に基づく顧客と販売会社の共通利益の創造という昔ながらの商業の王道があるのです。
2016/09/29掲載「投資教育が欺瞞的営業にならないために」
2016/09/15掲載「麻生太郎先生の「よほどやばい」発言の含蓄」
2016/08/25掲載「銀行が預金をやめるとき」
2016/08/18掲載「銀行がなくなる日に、銀行機能は甦る」
2016/06/02掲載「モノを借りても買っても、費用は同じ」
2016/05/12掲載「学資ローンの条件を学業の成績で決めるフィンテック」
2016/02/04掲載「銀行は、ヒトにではなく、モノとコトに貸したらどうだ」
2016/01/21掲載「いっそ銀行に住宅仲介をやらせるか」
2016/01/07掲載「銀行は、カネではなくて、モノを貸したらどうだ」
2015/12/17掲載「住宅ローンが欲しいのではない、住宅が欲しいのだ」
2014/07/17掲載「オブジェクトへの金融」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。