金融庁をはじめ、役所の事務年度は、7月に始まり、6月に終わります。つまり、2016事務年度は、既に、7月1日に始まっていたのですが、10月21日になって、やっと、当年度の金融庁の行政方針が公表されたということになります。昨年度までは、9月の初めに公表されていたので、異例に遅い公表となったわけですが、その背景には、森信親長官による金融庁の劇的かつ急速な改革があるとみられます。
つまり、改革の骨子の一つに、計画(Plan)、実行(Do)、評価(Check)、改善(Act)のPDCAサイクルを強く意識した行政への転換があることから、確実に実行され、精密に評価され、次の改善につながり得る計画の策定に、徹底的にこだわった結果として、長い時間を要したと想像されるのです。
このPDCAサイクルを強く意識した行政への転換を、最もよく表現しているのは、今回の行政方針で初めて登場した日本型金融排除という仮説です。なぜなら、この仮説は、前年度の金融行政において明確となった課題を評価するなかで形成されたものであり、おそらくは、来年度の改善策の実行へ向けて、実態把握を通じて検証されるべきものとして、提示されているからです。
ところで、「日本型金融排除」とは、どういうことでしょうか。
金融行政方針における定義は、「十分な担保・保証のある先や高い信用力のある先以外に対する金融機関の取組みが十分でないために、企業価値の向上が実現できず、金融機関自身もビジネスチャンスを逃している状況」ということです。もちろん、ここで「先」というのは、銀行等の金融機関にとっての融資先企業のことです。
つまり、この仮説は、「十分な担保・保証のある」企業や、「高い信用力のある」企業については、金融機関として融資できるのは、当たり前のことであって、そこでは、単に、金融機関間の金利引き下げ競争が起きるだけで、魅力ある「ビジネスチャンス」にはならず、むしろ、「十分な担保・保証」がなく、「信用力」が低くみえる企業のなかには、金融機関が積極的に融資等を通じた支援をすることで、「信用力」が改善するなど、「企業価値の向上」が見込めるものもあるのではないのか、しかも、そうした企業には、高めの金利が適用できるので、魅力ある「ビジネスチャンス」になるのではないのか、という意味なのです。
「日本型金融排除」というのは、仮説であって、金融庁が認定した事実ではないのですね。
今年度の金融行政方針には、金融機関に対して「日本型金融排除」の是正を強く求めるというような、森長官による改革前にはありがちだった高圧的な行政の姿勢は、全くありません。あくまでも、「日本型金融排除」は、金融庁の問題意識として提起された仮説であって、当年度の行政の課題は、その客観的な実態把握に置かれているのです。
また、この仮説の形成については、PDCAサイクルの一環として、前年度における金融行政の成果が活かされています。つまり、前年度、金融庁は融資先企業へのヒアリングを実施していて、そこから、「「金融機関は相変わらず担保・保証が無いと貸してくれない」との認識」が示されたことを根拠にしているのです。
このヒアリング結果から、金融庁は、原因として、「金融機関が、企業の事業内容を深く理解することなく、「十分な担保・保証があるか」、「高い信用力があるか」等の企業の財務指標を中心とした定型的な融資基準により与信判断・融資実行」をするからではないのかと推論し、「担保・保証がなくても事業に将来性がある先、あるいは、足下の信用力は高くはないが地域になくてはならない先は地域に存在する」という論理的判断をもとに、「企業と日常から密に対話し、企業価値の向上に努めている金融機関は、地域の企業・産業の活性化に貢献するとともに、自らの顧客基盤の強化をも実現させている」という金融庁ならではの情報の優越に基づく事実認識を加えて、「日本型金融排除」という仮説を形成したのです。
実態把握というか、仮説の検証は、どのようにして、なされるのでしょうか。
金融庁は、「各金融機関の融資姿勢等について、金融機関と企業の双方からヒアリング等を通じて実態を把握する」としていますから、極力、客観的な手法を通じて、検証がなされるようです。森長官による改革前であれば、反論を許さない決めつけに基づく検査が強行されたかもしれないことを考えると、金融庁の激変には、本当に、驚かされます。もちろん、あまりの素晴らしさに、驚くということですが。
そうはいっても、金融庁としては、実態把握を通じて検証可能な仮説として、提起したものですから、もう既に、「日本型金融排除」の是正を目指す施策を予定しているのではないでしょうか。
というよりも、大多数の金融機関は、旧金融庁の印象が依然として強いことから、実態把握という名のもとで、「日本型金融排除」の存在を前提にしたうえで、是正措置の事実上の強制がなされると予想していると思われます。なぜなら、金融行政方針の公表よりも前の9月に、金融庁は、「金融仲介機能のベンチマーク」というものを公表しているからです。
実は、金融庁の仮説、というよりも、森長官の強い信念として、「日本型金融排除」の仮説を包含するものがあるのです。それは、顧客との「共通価値の創造」を目指している金融機関は、「金利低下が進む中においても貸出金利回りの低下幅が緩やかで、顧客基盤や経営を比較的安定させることに成功している傾向が見られる」との事実認識に基づいて、全ての金融機関が「共通価値の創造」を経営理念に掲げて、それを実践することで、金融機能の強化を通じて、「国民の厚生の増大」が実現するという仮説です。
この仮説の検証のために、金融庁は、金融機関の金融仲介機能(融資業務等)に関して、金融機関の自己点検、顧客への開示、金融庁との対話のための論点の整理として、「金融仲介機能のベンチマーク」を策定して、公表したのです。
ところが、「共通価値の創造」へ向けた金融機関の自主的で創造的な取り組みに先行して、それらの取り組みの結果を測定する数値指標を、ベンチマークとして、金融庁が策定公表するということは、数値がよくなる方向の経営行動を、金融庁が推奨、あるいは、指導、しているものと受け取られる可能性がありますし、むしろ、旧来の金融庁のやり方を想起してしまうと、事実上、強制するものと誤解されるでしょう。
金融機関の誤解であって、金融庁の意図ではないのですか。
顧客との間で「共通価値の創造」があるのならば、それは、ある種の指標(ベンチマーク)によって適切に測定されるはずだし、そうした測定が可能だからこそ、金融機関は、経営の自己点検ができ、顧客に成果を説明でき、金融庁とも対話ができるはずだと、金融庁が考え、指標の例示を行うことは、少しも、おかしなことではありません。
金融機関の側で、それらの例示の数値について、金融庁が改善を求めていると考えるのは、誤解というよりも、曲解でしょう。なぜなら、金融庁が求めるものは、ベンチマークが測定しようとしている「共通価値の創造」そのものであることは、自明だからです。実際、結果に過ぎない指標の改善努力をしても、本末転倒であって、指標が測定しようとしている「共通価値の創造」は、実現し得ないのです。
また、金融庁が顧客との「共通価値の創造」を求めているからといって、それは、規制によって強制されるはずのものではなくて、近江商人の「三方よし」みたいなもので、各金融機関の経営理念として、具体的には、その理念を反映した持続可能性のあるビジネスモデルの確立の問題として、自主自律的に取り組まれるべきはずのものです。
公表されたベンチマークで、「共通価値の創造」を適切に測定できるのでしょうか。
その問いを、金融庁のほうから、金融機関にぶつけたものがベンチマークの公表ではないでしょうか。金融機関において、「共通価値の創造」に取り組んでいるのならば、当然のこととして、自己点検のための指標を測定しているはずでしょうから、この機に、それを積極的に顧客と金融庁に開示して、顧客の利益のために、日本の金融の発展のために、金融庁に対して、よりよいベンチマークの改善提言をしていったらいいでしょう。
公表されたベンチマークは、完全なものではないのですから、当然のこととして、欠点もあるでしょうが、「共通価値の創造」に積極的に取り組んでいるかどうかを表現するに十分な程度には、構成されているようですから、各金融機関においては、数値の作成が自己目的化しないように、本来の主旨を反省しながら自己点検を行うことで、様々な気付きなど、得るものも、大きいと考えられます。
ところで、なぜ、「日本型」という形容詞がついているのでしょうか。金融の構造的問題として、「金融排除」は、どこの国でも、起き得るのではないでしょうか。
「日本型」という形容詞がついていることについて、金融庁の意図、あるいは、森長官のお考えは、明示的には記述されていないので、わかりませんが、想像するに、日本の金融の特色としての市場機能の弱さと関係があるのではないでしょうか。
つまり、日本の金融は、銀行等の預金取扱金融機関による金融仲介機能、いわゆる間接金融に圧倒的に依存しており、資本市場を経由する直接金融の機能が極めて弱いため、金融仲介機能において、「金融排除」がおきても、それを、市場機能において、補完代替することができないのです。こうした「日本型」の現象に注意を喚起するために、「日本型金融排除」という言葉が採用されたのだと思われます。
間接金融から直接金融へ、というのは、金融行政方針の方向性なのでしょうか。
間接金融から直接金融へ、あるいは、同じことですが、金融仲介機能から市場機能へ、という本質的転換については、金融行政方針で、明示的には記述されていませんが、例えば、記述の順番において、従来、金融仲介機能が先であったものが、昨年から、市場機能が先になっているなど、随所に、表現されています。
また、なによりも、個人金融サービスについて、貯蓄から資産形成へ、という路線が強調されていることは、理の当然として、預金から投資信託等へ、ということを意味するにほかなりませんから、そこには、裏返しの表現で、金融仲介機能から市場機能へ、という転換が明瞭に示されているということです。
つまり、「日本型金融排除」については、金融仲介機能の課題としての「共通価値の創造」の視点だけではなく、市場機能の課題としての「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」の視点も併せて、各金融機関において、総合的に自己点検されなくてはならないのです。
以上
次回更新は11月17日(木)になります。
2016/09/08掲載「銀行の食文化革命」
2016/09/01掲載「銀行よ、カネに豊かな色をつけてみよ」
2016/07/28掲載「創造的な闘争としての金融のリスクテイク」
2016/07/07掲載「金融における本源的リスクテイクとリスクアペタイトフレームワーク」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。