森信親長官のもと、金融庁の行政手法は、毎年、急速に高度化していっていますが、10月21日に公表された当年度の金融行政方針においても、多くの注目すべき進展がみられます。なかでも、最も重要なことは、徹底した顧客の視点です。
金融行政の目的は、もはや、不変不動のものとして、改めて、「企業・経済の持続的成長と安定的な資産形成等による国民の厚生の増大を目指す」ことと確認されていますが、その目的を実現する施策は、金融機関の視点ではなくて、金融機関の顧客の視点で、構成されています。
まず、重点施策の第一は、資本市場機能の強化に関するもので、「国民の安定的な資産形成を実現する資金の流れへの転換」とされていて、そこでは、主として、資産形成の代表的な受け皿である投資信託を念頭に置いて、その販売と運用にかかわる金融機関に対して、「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」の徹底を求めています。
また、第二の重点施策は、金融仲介機能の強化に関するもので、銀行等の融資業務を念頭に置いて、金融機関に対して、「「共通価値の創造」を目指した金融機関のビジネスモデルの転換」を求めるものです。
つまり、金融庁は、金融機関に対して、顧客の視点に立つことを求めているのであって、金融行政の成果は、もはや、同じ顧客の視点に立たない限り、評価し得ないものとなっているのです。
金融再編との関係でいえば、顧客の選別が金融機関の淘汰を促すということでしょうか。
いうまでもなく、超高齢化社会の日本においては、新しい成長源泉は経済の構造改革に求めるほかないのであって、それがアベノミクスの中核の政策を構成しているわけです。故に、金融行政の課題は、経済構造の改革に整合的に、金融の構造改革を断行することとなります。
森長官は、金融の構造改革の前提として、最初に金融庁自身の抜本的組織改革を推進し、そのなかで金融行政方針が策定されているわけですから、それは、理論的必然として、金融機関の組織改革に帰結するほかなく、多くの場合、再編を促すことにもなると思われます。
しかも、経済の動態に対して、金融もまた、動態的に追随し自らを適合させていかなければならないときに、実業の素人である金融庁の主導による金融改革などあり得ないことは、最初から自明であったといわざるを得ません。金融機関を改革するものは、金融庁ではなくて、経済活動の主体、即ち、金融機関の顧客なのです。
実際、金融行政方針は、金融行政の目的の実現方法に言及している個所で、明瞭に、「利用者の合理的な選択の下で、金融機関等が自由に競争し、市場の機能が発揮されることによって実現していくことが理想」と述べています。
しかし、同時に、市場の競争原理が機能しない「市場の失敗」にも言及されていますね。
例えば、超競争社会である飲食産業では、顧客にとって、味の美味い不味い、サービスの良し悪し、値段、立地などは、あまりにも明瞭であって、明瞭であるからこそ、激しい競争によって、悪いものは、あっという間に淘汰され、良いものが勝ち残ることで、産業全体の質が維持されて、顧客の利益が守られているのです。これが市場の機能による自動浄化作用的改革です。金融庁が目指すものも、原理的には、飲食産業の競争原理と同じことです。
ところが、赤、青、緑と看板の色の異なる三つの巨大銀行について、それらが提供する金融サービスの色の差は、顧客にとって、ほぼ識別不能です。実際、顧客の金融機関選択行動には、金融サービスの質の差は、ほとんど、反映していないでしょう。ならば、競争原理によって、金融機能が高度化していく余地もないわけです。これが金融庁のいう「市場の失敗」です。
この「市場の失敗」について、金融行政方針は、「例えば、金融機関が販売する金融商品やサービスについて顧客が有している情報が十分でない場合、顧客が自身にとって最適な判断を行うことが困難になる(情報の非対称性)、といったことが挙げられる」としています。
今でこそ、金融庁は、「市場の失敗」などといいますが、金融機関の同質化は、ある程度、過去の金融行政の帰結でもあるのではないですか。
森長官による改革までは、確かに、金融機関の顧客の利益の保護という金融行政の目的は、金融機関の行動を直接に規制するルールを設けて、その遵守を強制する方法で、実現しようとされてきました。こうした行政手法の結果は、ルールで定められた最低の基準、金融庁のいうミニマムスタンダードに、金融機関のサービスの質が張り付くという現象をもたらし、結局は、金融庁の意図に反して、顧客の利便性の向上を損なうことになったのです。
全ての金融機関がミニマムスタンダードに安住してしまえば、もはや、何らの革新も創造も起き得ないことは、自明極まりないことです。革新と創造は、各金融機関が顧客の視点で最善を尽くすことによってのみ、金融庁のいうベストプラクティスを追求することによってのみ、起き得るのです。
森長官の改革は、まさに、この点を突いたものです。真に顧客の利益を保護するためには、各金融機関は、顧客の視点で自由に創意工夫を行い、ベストプラクティスを追求して、そのベストの地平において競わなくてはいけない、そうした質の高い競争環境を整備する必要がある、これが森長官の改革路線の骨子なのです。
競争的な環境は、どのようにして作られるのでしょうか。
その点について、金融行政方針では、「金融機関が、顧客との関係において、主体的に創意工夫を発揮し、顧客本位の良質な金融商品・サービスの提供を競い合うインセンティブを高めるような環境整備を行うというアプローチが重要となってくる」と述べられています。
そして、その環境整備ついては、「顧客が、自らのニーズや課題解決に応えてくれる金融機関を主体的に選択できるようにするため、顧客から金融機関の行動や取組みがより良く見えるようにする、「見える化」を進めていく」とされています。
さらに、「「見える化」を通じて、金融機関の取組みが顧客から正当に評価され、より良い取組みを行う金融機関が顧客に選択されていくメカニズムの実現を目指す」ということですから、実は、この「見える化」こそ、当年度の金融行政方針を貫く中核概念であることがわかります。
「見える化」とは、要は、開示の強化のことですか。
「見える化」について、金融行政方針は、「具体的には、金融商品・サービスに係る各種手数料等の開示の促進、「金融仲介機能のベンチマーク」等を用いた金融機関による顧客本位の取組みの自主的な開示の促進、当局が検査・監督等で得た知見の積極的な公表・問題提起、優良金融機関の表彰制度の創設等を推進する」としていますから、間違いなく、開示の強化のことです。
しかし、開示の強化は、規制によるものでないこと、即ち、金融庁が開示ルールのミニマムスタンダードを定めるものでないことは、開示強化の目的からして、明瞭です。そうではなくて、あくまでも、各金融機関が自己のベストプラクティスを自主的に開示するということであって、金融庁の取り組みは、その自主自律に基づく積極的行動を促すにとどまるものです。
そもそも、事業会社にとって、営業の基本とは、顧客に対して、自己のベストプラクティスを積極的に説くことで、他社との差別優位を主張することではないでしょうか。森長官は、金融機関に対して、単に、この商業の基本に忠実であることを求めているにすぎないのです。
そうはいっても、既に公表されている「金融仲介機能のベンチマーク」や、金融行政方針のなかで策定が表明されている投資運用業者のベンチマークは、金融庁の策定によるものですから、ミニマムスタンダードの開示ルールと、どこが違うのでしょうか。
「金融仲介機能のベンチマーク」は、既に、事実上の規制ではないのかという批判、誤解、曲解等にさらされているようですが、「見える化」が金融機関の自主的な取り組みであり、金融庁の強制によるものでないことは、金融行政方針が明らかにしていることであって、そこに、誤解の余地は全くないのです。
なによりも、ベンチマークよりも先に、ベンチマークによって測定されるべきベストプラクティスがなければなりません。ベンチマークは、第一義的に、金融機関自身の自己点検のための道具であって、それによって、顧客に対して、どれだけの付加価値を創造できているか、また、そのことの結果として、どのように自己の利益につながっているかを測定し、業務の改善に活かしていくものです。
失礼ながら、金融庁の策定したべンチマークが各金融機関の個性あるベストプラクティスの追求に対して十分に有効でないことは、間違いないでしょう。ならば、金融機関の優れた取り組みが測定できるように、ベンチマークを直せばいいことです。金融庁は、最初から、民間の創意工夫による改善を前提にして、ベンチマークを策定しているはずです。
また、他方で、ミニマムスタンダードに安住している金融機関にとっては、ベンチマークは、現状を反省的に分析するには十分に有効なものだと思われます。
「フィデューシャリー宣言」も、宣言の履行状況を測定するベンチマークがなければ、機能し得ないということですか。
資産運用にかかわる業務において、金融庁のいう「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」の徹底を、金融機関の自主的な取り組みとして、顧客に約束したものが「フィデューシャリー宣言」であって、現在では、少なからざる会社が宣言を公表していますが、なかには、口先だけのものもあるようです。
金融庁の施策の方向性からは、そのような偽りの宣言をする会社を、顧客の選択行動によって排除し、淘汰していく必要があるのです。だからこそ、ベンチマークによって、「顧客本位の業務運営(フィデューシャリー・デューティー)」の履行状況を測定し、各金融機関は、結果を顧客に開示しなければならないのです。
きちんとした取り組みができている会社は、喜んで積極的に開示し、自社の差別優位を顧客に訴えるに決まっていますが、開示できないような会社、ましてや、宣言自体もできないような会社は、そのこと自体において、顧客から見放されていきます。見放されて淘汰されてしまっても、見放されまいとして改革に踏み切っても、顧客の立場からも、金融庁の立場からも、どうでもいいのです。これが森信親長官の金融再編論です。
地方銀行の再編も、全く同じことですね。
「金融仲介機能のベンチマーク」に不平をいっているような地方銀行は、顧客から見放されることを通じて、再編の対象になるでしょう。国民の立場からすれば、それで、いいではないですか。
以上
次回更新は11月24日(木)になります。
2016/11/10掲載「金融庁のいう「日本型金融排除」とは何か」
2016/09/08掲載「銀行の食文化革命」
2016/09/01掲載「銀行よ、カネに豊かな色をつけてみよ」
2016/07/28掲載「創造的な闘争としての金融のリスクテイク」
2016/07/07掲載「金融における本源的リスクテイクとリスクアペタイトフレームワーク」
森本紀行(もりもとのりゆき)
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。